毎年変わらず列島が熱気に包まれる夏。窓を開けていたって生ぬるい風が抜けるだけだった。それなのに妻は、「今日は涼しいほうだから、クーラーなんてつけずに外の空気を取り入れないと」などと言って、僕に文明の利器を使うことを許さなかった。
 纏わりつくような湿っぽい空気が網戸を抜けるたび、妻が気に入っている水色の風鈴がちりん、と鳴る。二年前の六月、ガラス細工の工房で妻が作ったものだった。妻は上手にできた風鈴を見せびらかして、「あなたもこればよかったのに。楽しかったわよ」と言っていた。僕は出かけることが面倒な性質で、さらに歳のせいか心と身体がついていかず、そのときは仕事に就いていたので、休日くらいはゆっくりしていたいと言って行かなかったのだった。その次の年に自分は定年退職した。
 妻はよく、暇になった僕をどこかへ連れ出そうとした。渋々出かけることもあれば、家でゆっくりしていたい、と言うときもあった。僕が退職後も妻は変わらず、繰り返される日常で家事を続けていた。暇になった自分は時折手伝おうと申し出るのだが、そんなことはしなくていい、といつも妻は拒んだ。料理も、皿洗いも、掃除も、洗濯も、物干しも、なに一つ自分にはやらせなかった。六つ年下の元気さからだろうかと、そのときは思っていた。
 妻は家の西側にある花壇で松葉牡丹を育てていた。夏に赤、白、黄色などの五弁花を開くスベリヒユ科の一年草で、昼に花開き、夜になると閉じる。それは、西に黄色のものを置くとお金が入ってくる、などという風水の情報を元に植えられたものだった。赤と白もあるのだが、妻は細かいことを気にしない。自分が退職した春から植えられているもので、いままでに宝くじが当たったことは一度もなかった。
 それの世話をすることだけ、妻は頼んできた。ガーデニングは自分の趣味ではないのだが、毎日家事をしてくれている妻のいうことだからと、水遣りや雑草を抜くなどの手入れをしていた。
 露台の向こうでは今日も松葉牡丹が花開き、夏の暑さを一身に受けている。ソファーにもたれかかりながら、夏生まれの妻のような元気な花だと、自分はのん気に思っていた。どこかの庭木には蝉が止まっているらしく、じぃじぃと盛んに鳴いていた。
 風が抜け、ちりん、と風鈴が鳴る。そのすぐ後に、二階でなにかが倒れる音が聞こえた。それが、このささやかで平凡な日々に終わりを告げる合図だった。
 おっちょこちょいの妻のことだからなにかを倒してしまったのだろうと、僕はからかうつもりで様子を見にいった。倒したのではなく、妻がバルコニーの前の寝室で倒れていた。見た瞬間は転んだのだと思ったが、尋常ではない呻き声をあげていたので、すぐに救急車を呼んだ。
 妻は二年前の二月ごろ、病気を患って入院している。家にいたとき突然、激しい腰の痛みを感じたのだという。仕事をしている僕に迷惑はかけまいと、妻は結婚生活を送っている娘を呼び、病気の説明を受けた。娘は椎間板ヘルニアだと教えてくれた。「私のことはあなたより賢い自慢の娘に任せて、あなたは久しぶりの一人きりを満喫して」と、妻は言っていた。病院に見舞いに行っても煙たがられるだけだった。
 そのときのことを思い出し、また腰の問題だろうと思った。妻は擦れ声で救急隊員に掛かり付けの病院があることを告げて、そこに搬送してもらった。
 妻を見るや主治医が、「よくいままでもったものだ」などと意味深なことを漏らした。それから「痛みを緩和するためにモルヒネを打ちます」と言い、妻が微かにうなずいたのを確認すると、モルヒネが点滴された。他に処置は施されなかった。
 いったい妻はどういう状況なのかを訊ねると、「それは奥様からお聞き下さい」とだけ言って主治医は病室を出ていってしまった。妻が落ち着いてくると、朦朧とした口調で娘を呼んでほしいと言った。自分は言われるがまま娘を呼んだ。
 母親が倒れたというのに、娘は病室に入ってくるなり、「お母さん、来たよ」とだけ言って、そっと妻の腕に触れた。それから妻はゆっくりと口を開いた。
「私は、がんです」
 唐突にそんな宣告をされ、呆気にとられた。娘は全く驚きを見せなかった。
 妻は淡々と、自身の病状を述べていった。
 いま思えば、自分はなんとも能天気だったのだろうか。妻が二年前に患ったのは椎間板ヘルニアではなく、卵巣がんだった。そもそも椎間板ヘルニアというのは二十代から三十代の男性に多くある病気だと娘は言った。自分は騙されていたらしい。自分の知らないところで妻は卵巣などを摘出して、抗がん剤治療をしていたのだという。本来ならば入院すべきところを、妻は無理を言って通院で治療を受けていた。隠れたところで副作用と闘い、実はその当時髪も全部抜け落ちていた、と妻は言った。考えればわかることなのだが、自分は「ちゃんと髪は生えていたじゃないか」などと言い、妻は「かつらをしていたのよ」と言った。がんが発覚した時点で、四段階ある進行期のV期に入っていた。治療の効果はあったものの、ゆっくりと、確実に病状は進行していき、ついに末期に入ったのだという。死を悟った妻は、医者のいうことも振り切り、延命治療を拒んだ。
「お母さんはね、できる限り最後までお父さんといたかったんだよ」
 娘が僕に言った。それが痛みを堪えてまで治療を拒み、病気のことを僕に告げなかった理由だった。そんなことを言われても納得なんてできない。妻と娘に詰め寄ると、二人は笑った。「あたしの言ったとおりの反応でしょ?」と娘が妻に言った。すでに二人でなにもかもを話し合い、僕の陥る心理状態までも考慮していたのだった。
「最後まであなたの妻として、家にいたかったから、ちょっと我が儘を言ったの」
 その我が儘は全て妻の身に、命を削るという形で返ってくる。延命を拒んでまでそんなことをする価値はない。くだらないことで命を粗末にしてほしくないと声を荒らげた。だがそんな僕の心境もすでに読まれていたのか、妻は薄っすら笑みを浮かべた。
「私にとってはくだらないことじゃなかった。あなたといつもの暮らしをすることが、延命より価値のあることだったから」
 その言葉が、感情の堰を決壊させた。自分はその場で泣き崩れてしまった。昂っていた分、声を張りあげて泣いた。娘は薄っすら涙を浮かべながらも微笑んでいた。妻も、微笑んでいた。
 誰にだって訪れるはずの別れ。死が自然の摂理だということはわかっていたのに。そもそも、統計では夫が先立つ確率のほうが高いといわれている。共に老いていき、自分が先に逝くのだろうとぼんやり考えたことはあった。
「これがお母さんの……お父さんに対する愛の形だったんだよ」
 妻が眠った後、娘が静かに言った。自分は窓の外を見つめていた。病院の敷地に植樹されている木々は風に揺れ、葉が夏の暑さを跳ね返すように照り輝いていた。
 ちゃんと話してくれていたら、妻の行きたい場所に積極的に行けた。妻のやりたいことに、積極的に付き合えた。望みを聞いてあげられた。
 愚痴のようにそう零すと、娘が妻の考えを代弁した。
「お母さんは自分が死ぬとわかったからって、特別なことをしてほしくなかったんだよ。無理してお父さんらしくないことをされたら、逆に悲しくなっちゃうから。いつものお父さんを傍で見ていたかったんだよ」
 自分は、なにもしていない。露骨に妻を愛するようなこともしなかった。最後に妻に触れたのはいつだったかも思い出せない。それなのに、そんな僕の姿を見るために生きられる時間を放棄する価値があったのだろうか?
 答えはわかっているのに自問自答してしまう。妻にとって価値があったからこそ、その選択を彼女自身が選んだ。

「お母さんは特別なことをされたくないって言うけど、本当はお父さんに愛されたいはずだよ。愛してる人に『愛してる』って言われることが、なにより幸せなことのはずだから。傍について、最後まで愛してあげて」
 娘が帰り際にそう言い残していった。病院に取り残された自分は、寝ている妻に「愛してる」と言うことさえ気恥ずかしく、せめてそっと腕に触れていた。医者の話ではもってあと数日の命らしい。自分にとっては突然すぎる宣告だし、いままで元気な妻しか見ていなかったので、全く信じられなかった。だが信じようが信じまいが、真実は変わらない。
 元気だった日々が嘘のように容体が悪くなっていった。日が経つごとに死を予感させる呻吟を増していった。痛みを緩和する薬の量が増えていく。そんな妻に「愛してる」などというタイミングは見当たらず、自分は当惑しながら妻の身の回りの世話をするだけだった。

 病院に運ばれて一週間後、終焉の時がきた。妻はもう目を覚まさなくなり、微弱な呼吸を繰り返すだけだった。命の灯火は、小さく息を吹きかければ消えてしまいそうに思えた。
 娘はいままで毅然としていたが、母の死に際を目の前にするとやはり、泣き出してしまいそうになっていた。
「お父さん、お母さんを抱きしめてあげて」
 そんなことをしたら、それだけで生命活動が停止するのではないかと危惧したが、自分も心のどこかでそうしてやりたいと望んでいたので、娘の言葉をきっかけに、おそるおそる彼女の背中と頭に腕を滑り込ませた。力加減に気をつけながら、覆い被さるようにして妻を抱きしめた。
 なんとも華奢な身体だろうか。骨がむき出しになっているのではと思うほど痩せ細っている。自分の胸中は罪悪感で満たされた。もっと、愛してやればよかった。
「お母さん!」
 娘が声をあげた。まさかと思い妻の顔を確認すると、微かに瞼を開けていた。その目は僕の顔を映してくれているのかどうかわからない。虚ろで、表情がなかった。
 自分は妻の名を呼ぼうとした。だが、口元は迷った。長いこと名前を呼ぶことがなかったせいだった。
 それで、代わりの言葉が思い浮かんだ。
「愛してる」
 やっと言えた。ずっと伝えたかった言葉。
 娘が泣き出した。自分も我慢ができず、妻の目元に涙が落ちた。
 無表情だった妻の口元が、ゆっくりと動く。
 口角が上がった。
 彼女は、微笑みを浮かべている。
 それだけを残し、瞼を閉じて、静かに息を引き取った。

 妻の葬儀、事後処理を全て終えると、あとに残ったのは孤独感だった。どこにでもある家庭の風景には幸せが満ちていることを、いまさらになって知った。当たり前のものほど強烈な儚さを秘めており、失うとようやく大切さを思い知らされるというのはよくあることだ。それがわかっていながらも、自分は当たり前さに甘んじていた。
 だが妻にとっては、当たり前さに甘んじている僕の姿に価値があったということ。妻は死を悟っても平凡な日常を望んだ。そこに幸せが満ちているのを知っていたのだろう。元々理解していたのか、病に苛まれて達観したのかはわからないが、僕の知らないところで、日常の儚さや幸福を一人で噛みしめていたに違いない。

 妻の誕生日が過ぎ、夏は終わりを迎えようとしていた。時折涼しい日があるものの、まだ暑い日が続くようだった。今年の秋は例年より暑くなるらしい。風鈴は片付けられそうになかった。
 網戸の向こうでは今日も松葉牡丹が花開き、太陽を一身に浴びている。どこかの庭木にはつくつく法師が止まっているようで、盛んに鳴いていた。汗がじっとりと流れる暑さなのだが、冷房はつけられずにいた。
 窓の傍の風鈴に目をやる。なかなか風が吹かない。息を吹きかけて鳴らそうかと思ったが、止めて、自分はソファーに移動して深く腰掛けた。
 家の中にはまだ妻がいるのでは、と思う。それは幽霊とか、残留思念だとか、そういうことではなく、ただ妻の存在を勝手に感じているだけなのだが。
 風鈴に向かって、自分は呟いてみせる。
「愛してる」
 数秒経つと生ぬるい風が抜け、ちりん、と鳴った。
 妻が、微笑んでくれた気がした。




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