10.人生ゲーム


 奈々が家に来て一ヶ月が経った。奈々は仕事を見つけ、来月から働くことが決まっていた。奈々がやっていた家事は彼女の指図で涼也に押し付けられてしまう。当初は奈々がやるという話だったし、不本意だったが、それくらいはしなければと思いを改めて引き受けることにした。
「リョウ」
 学校から帰っていつも通り部屋に籠もっていると、ドア越しに奈々が声をかけてきた。
「なに?」
「ゲームしよう」
「へ?」
 何の用事かと無駄に考えを張り巡らせたが、意外すぎる回答に拍子抜けした。
「暇だからゲームしよってこと」
「それは……テレビゲーム?」
「そうだよ。アンタも暇でしょ?」
 それは決め付けだと言いたいが、実際は暇だ。承諾して涼也は部屋を出た。
 やるゲームはすでに奈々が決めていて、それは『人生ゲーム』という、人生を題材にしたすごろくだった。とはいってもサイコロを振るのではなく、1から10まで描かれたルーレットを回してゲームを進めていく。勝者は先にゴールした方ではなく、所持金が多いプレーヤーというのがこのゲームの特徴だった。テクニックは必要なく、総合的な運の良さが勝利に繋がる。
 奈々は昔、古いバージョンを友達とやったことがあるらしく、「懐かしいなぁ」と呟いていた。涼也はプレーヤーを男にして、自分の名前をつける。奈々はプレーヤーを女にして、同じく自分の名前をつけた。どうして突然このゲームをやろうと言い出したのか。暇つぶしが一番の理由だろうが、奈々が人生をやり直したいと願っているからなのかもしれない。
 冷静に遊ぶかと想像していたら、始めてすぐに奈々はゲームの世界に入っていた。「あたしに似て可愛いコ」とキャラクターを褒めたり、良いイベントが起こったりすると男みたいな太い声で「オッシャー」とガッツポーズを決めていた。社会的には異端なことをしていたけれど、奈々はものすごく純粋な人なんだ。涼也はそう感じた。
 涼也に良いイベントが起こると、奈々は悪態をついて涼也を蹴った。奈々に悪いイベントが起きても悪態をついて涼也を蹴った。そういうのが嫌だったわけではない。軽く蹴る程度だし、涼也も笑って悪態を返してやった。段々奈々に乗せられて、涼也のテンションもいつの間にか高くなっていて、二人きりで異様に盛り上がった。
 高校時代になると奈々に出会いがあった。相手は離れ離れになった幼なじみらしく、中々細かな設定で運命的な再会を果たす。ゲームなのに奈々は「絶対この人と結婚する!」と燃えていた。
 高校時代が終わると奈々は大学に進学することを選んだが、受験に失敗した。浪人することとなり、かなりショックを受けていた。涼也も大学進学を選び、見事に合格。すると奈々は涼也を三回蹴った。
 すぐに奈々には受験シーズンがやってきた。「どうかお願い神様、合格させてください」と真剣に願い、祈りが通じたのかどうかはわからないが、見事に受かった。奈々はコントローラーを放りだして大仰に万歳をしていた。
 大学時代では、再会した人と順調な交際を続ける。「こんな恋愛がしたかったなあ」と奈々は呟いていた。涼也も普通の出会いを果たし、交際を続ける。先に大学を終え、就職に移ると、弁護士になった。「リョウは弁護士なんかになれないよ」と奈々が言い、「ゲームだから何になってもいいじゃん」と涼也が言い返す。奈々は「それもそうだねえ」と口にしてコントローラーを操作した。
 奈々の大学時代が終わって就職になると、職業選択で五分ほど迷ってミュージシャンを選んだ。理由は、歌で注目されるような人になりたかったからだという。実際に歌が上手いのかどうか訊くと、奈々は音痴だと答えた。涼也は笑ってしまい、奈々は彼を軽く殴った。
 ミュージシャンとして腕を上げていき、売れっ子になり、付き合っていた人と結婚する。プロポーズして相手の男性に受け入れられたとき、奈々は大はしゃぎした。華やかな結婚式を行い、涼也はご祝儀を強制的に支払わされる。
 涼也はというと、中々意中の人と上手くいかず、結婚までいきつけなかった。何度もプロポーズをしたのに全て断られ、人生のパートナーができなかった。そんな他人の不幸を奈々は愉しみ、笑っていた。「アンタは現実でも一生結婚できないよ」と言われ、涼也は軽く傷ついた。
 売れっ子ミュージシャンとして大活躍している頃、奈々は妊娠して、出産。女の子だった。「あたしに似て可愛い」と、自分のキャラを作成したときの言葉を赤ちゃんにも言っていた。奈々の目は穏やかで、本当にわが子を見守るような表情をしていた。
 時が過ぎ、老後の世界に変わり、涼也が一着でゴールイン。けれど総合結果で涼也の所持金の方が圧倒的に少なく、奈々が一位になった。奈々はとても嬉しそうにして、負けた涼也を罵った。負けたのは確かなのだし、涼也は、「はいはいそうですね」と奈々の罵りを認めるだけだった。
 このゲームは終了すると、今まで生きてきた人生を振り返ることができる。涼也の人生はひどく平凡なものだった。普通の家庭に生まれて、大学を出て弁護士に就職し、恋はしたものの結婚せず、一人淋しくその生涯を終える。奈々の人生はそんな涼也と比べたら華やかだ。両親に祝福されながら明るい家庭で生まれ、大学受験には失敗するが諦めず勉強を続け、見事に合格。卒業し、ミュージシャンになって成功を収める。幼なじみと運命的な再会をしていた奈々はそのままゴールイン。家庭を築いて子供も生まれ、老後、旦那と孫たちと共に幸せに生きてその生涯を終えた。
「奈々の人生と僕の人生って、天と地の差だよね」
 涼也がそう言うと、奈々は「うん……」と、引っ掛かりのある返答をした。
「こんな女の子らしい人生を送りたかったなあ」
 ミュージシャンになることが女の子らしいのか疑問だが、突然の重くリアルな言葉に、なんて言ったらいいのかと涼也は戸惑った。何か、元気づけるようなことを言わなければならない。そう思い言葉を絞り出す。
「まだ、充分送れるよ。たった二十五年しか生きてないじゃん」
「たった十六年しか生きてないヤツに言われたくない……」
 もっともなことを言われて涼也はふっと笑ったが、やはりおかしい奈々の口調が気になった。顔を盗み見ると、薄っすら涙を零しているようだった。
「泣いてるの?」
「え? ああ、欠伸して涙が出たんだよ」
 そう言って目元を拭う。本当なのか嘘なのか判然としない。泣いたことを知られて動揺するでもないし……泣いたわけじゃないのかな。
「面白かったよ」奈々はコントローラーをソファーに置いて立ち上がる。「何か飲む?」
 そんな気遣いは涼也にとって、「ゲームしよう」という言葉以上に意外だった。確かに喉が渇いている。
 飲む、と答えると奈々は動き出し、キッチンに入っていった。冷蔵庫が開く音。二つのコップを持ってこちらに戻ってくると、「はい」とテーブルの真ん前に置いてくれて、涼也は「ありがとう」と礼を言った。何のジュースかわからないが、濃厚なグレープのような色合いだった。コップを手に持ち、グッと飲む。醤油の味がした。
「うッ!」
「アハっ!」
 ──醤油の味がするっていうか、醤油だ!
「んんん、うう、んんんん!」
「あはははっ、何言ってるのかわかんない」
 クソっ、やられた、このアマめ!
 急いで洗面台へ行き、吐き出した。遠くの方で高笑いが聞こえる。口を充分ゆすいで居間へ戻った。
「バっカじゃないの!?」
 あははは、と奈々は笑い続ける。
「醤油も勿体ないし、あははじゃないよ、もお……」
「ごめん、ついやってみたくなってさあ」
 奈々は腹を抱えて高笑いを続けながら、涼也のコップを持っていく。
「この醤油は今日の晩御飯に使うからいいって。あたしのジュース飲みなよ」
 ふっと鼓動が高鳴った。さっき、奈々は口をつけて飲んでいた。あの人はそんなこと全く気にしないのだろうか……。
 当惑するが、本人が気にしないのだから自分も気にしてはいけない、と、そう思い涼也は奈々のコップに手をつけ、一気に飲んだ。ぶどうジュースだった。
「あー、間接キスしたー!」
 奈々はキッチンから戻ってきてそんなことを言い、涼也を指差してくる。
「奈々が飲んで良いって言ったんじゃん」
 強めに反論すると、奈々はくすっと笑った。そのまま微笑み続け、目を見つめられる。涼也はたじろいでしまう。奈々の方から視線を外し、母のコップに口をつけた。飲んでいる姿、喉の動き、首筋の色気。それと、突き出すような胸。煽情(せんじょう)的な要素をもろに意識してしまい、涼也の目は泳いで、申し訳ない気持ちになった。奈々はコップをテーブルに置き、「よしっ」と掛け声をあげてソファーに座る。
「じゃあ、第二回戦、やろっか」
 また、意外な言葉だった。が、先ほどの自分の姿を消し去るようにして、すんなりと受け入れられた。
「いいよ?」
 涼也は挑発的に発して、コントローラーを握る。
「今度は僕が一位になる」
「今度もあたしが一位だよ」
 笑みを浮かべながら、奈々もコントローラーを握った。
 リセットして、二人はまた新しい人生を歩みだす。



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