エピローグ どんな人生を送ってきたとしても、どんな職業に就いていようとも、それは性別に関係ない。弁護士だろうが、ミュージシャンだろうが、AV女優であろうが、子を持つ専業主婦であっても。女性には女の子らしさがずっと根っこにある。それは男性も同じだ。涼也は彼女と過ごして、そう理解していた。 ──奈々は生きてきた過程の中で孤独を抱えざるを得なかった。少なくとも僕は父と母に本気で殴られたことなんてないし、父は離婚して家に居ないけど、会えば色々話してくれる。母は口うるさいところもあるけれど、息苦しくなるほどきついわけではない。 奈々は普通の女の子ではいられない場所で生きてきた。僕が奈々のような環境に居たのなら、きっと耐えられなかっただろう──。異端視していたけれど、彼女は同じ人間だ。冷静に考えればそんなの当然。面白いことには笑い、嫌な言葉には怒る。涙を流して手首を切る。痛みを感じる。ただのゲームに感情を動かされる。気遣いをする。悪戯をする。楽しいことはもう一度やろうと言う。これらはきっと当たり前のこと、人としての普通。 奈々は純粋に、人間らしい。 「さっきから何ヒトの顔みてんの?」 食事している奈々の横顔をじっと見ていると、彼女はその視線に気付いた。 「いや……」 「涼也、好きなら好きって告白しなよ」 そう言って母は冗談のように笑う。前も言った言葉だった。 「ケイコさんそれ前も言ったよね〜」 「涼也があんまりなっちゃんのこと見つめるから、気になっちゃって仕方ないの」 「きもちわるぅい」 奈々からそんなふうに言われるのは、涼也にとってショックだった。 「見てて悪かったね」 「なんで涼也はなっちゃんのこと見てたの? あ、怖いからだっけ」 「まだあたしのこと怖いの?」嘲るように奈々は笑う。 「いや、もう怖くないよ」 「じゃあなんでなっちゃんのこと見てたの?」 ──この際、言ってやろうか。母は案外認めてくれるかもしれない。奈々はどうなってしまうか、わからないけれど。 少し沈黙して、涼也は母と奈々の顔を交互に見た。そうして奈々に視線を合わせる。 「好きだから」 ぶっ、と二人が同時に吹き出した。 「この子、ホントに言った」 母は一口お茶を飲んだ。 「冗談でも止めてよ」 奈々もお茶を飲む。 「冗談でもない」 涼也が言い放ってみせると、母がお茶を吹きそうになった。 「ほら、リョウがおかしなこと言うから……」奈々は母の背中をさする。「ケイコさん大丈夫?」 「母さんが元々おかしなこと言い出したんじゃん。それに、僕は本気で言ってるからね」 奈々のさする手と母の咳が止まった。 「この子、本当に本気みたいよ?」 「えぇ、そんなこと言われても……」奈々は動揺して目を泳がす。視線が涼也に合った。「あたしなんか、好きにならないほうがいいよ」 「もう遅いよ。とっくの前に大好きになったんだから」 ギャー、と母が声をあげた。「よくお母さんの前でそんなこと言うのねえ」 「母さんが言うきっかけ作ったんじゃん」 「そうかもしれないけど……」母は奈々に顔を向ける。「なっちゃん、どうするの?」 「どうするって言われても……」 「なっちゃんと涼也は親戚同士だから、結婚もできるけれどねえ」 奈々はうろたえていた。表情が暗い。口にしてはいけない言葉だっただろうか──別に僕のこと、好きでもなんでもないのかもしれない。断られてしまうのが怖い。もう、先に手を打とう。 「冗談だよ」 涼也は笑ってそう言った。二人は同時に「え?」と声をあげる。 「ちょっと涼也、それはひどい」 低い声音で母が言った。涼也は「え?」と声をあげる。 「本気かと思って真剣に悩んじゃった……最低」 「あーあ、なっちゃんの乙女心踏みにじった」 「えー!」 奈々は、はあっと溜め息をつき、「最悪……」と言って両手で顔を覆う。涼也は意味がわからなかった。どうしてこんな状況になっているのか。次第に奈々は「最低」と呟きながら、啜り泣き始める。そんな彼女の頭を母が撫でた。 「涼也がなっちゃん泣かせた」 「リョウに告白されて、嬉しかったのに」 「なっちゃん、涼也のこと好きだったの?」 「わかん、ない……でも、男の子から告白されたら、嬉しいよ」 それなのに、それなのに。奈々は繰り返し呟いて小さく嗚咽する。だが、それは本気で言っているようには思えない。怪しすぎた。 「演技でしょ?」 「うわーん!」 突然大きな声で泣き出した。 「もお、涼也はデリカシーがないんだから……。ごめんなっちゃん、こんな息子で」 「ケイコさん悪くない」 「ううん、私が育てたんだから私の責任。なっちゃん綺麗だし可愛いし、男なんていっぱいいるんだから、涼也のことなんて忘れて」 「忘れ、られるかなあ」 奈々がえぐえぐと泣く。それがわざとらしすぎた。やはり演技としか思えなくて、涼也はじっと二人を観察する。奈々がチラッと涼也を見る。その目は赤くなっていない。 「泣いてないでしょ?」 「泣いてないよ?」と、あっさり認めて顔を上げた。「リョウの心は冷たいから騙せないか」 「もうちょっとなっちゃんのこと心配してあげなさいよ」 母はアドリブで合わせていたようだ。 「ちょっとは心配したよ」 「あ、したんだ」と、奈々は嘲笑する。 「ちょっとじゃなくて、もっとちゃんといたわりな」 説教的に言って母はきゅうりの漬物を口に頬張った。 「女の子は繊細なんだからね」 奈々もしょうが焼きを頬張った。 母と奈々の顔を見比べるとよくわかるが、奈々は楽しそうに顔を緩ませていた。穏やかで、幸せそうにみえる。そんな顔を見ていると、涼也は未だに「愛川なるみ」のDVDが入っていたケースを持っていることに罪悪感を覚えた。……部屋に戻ったら、もう捨ててしまおう。あれを見られて奈々の表情を曇らせたくない。 奈々は咀嚼しながら、ふと涼也を見る。目を合わせて、そっと微笑んだ。それが涼也の胸をつつき、ときめきをくれた。涼也も彼女に微笑みを返す。 ──彼女は、笑っている。 その自然な笑顔がまさしく、平均的な普通の女の子である証拠だった。 |
(了) |