2.父さんの妹の子


 ──母は勝手だ。
「なっちゃんって覚えてるわよね? 一緒に住むことになったから」
 食事中、何の相談も無しにいきなりそんなことを言う。
「はあ? アイツと?」
「アイツじゃなくて、名前で呼びな」
 なっちゃん、などと呼びたくない。奈々とも呼びたくない。奈々さんとも言いたくない。それほど涼也はその人物が苦手だった。
「東京に住んでるんじゃなかったの?」
「帰ってくるんだって。それで住む場所無いから、とりあえずここに置いてあげる」
「置いてあげるって、部屋は? この居間と母さんの部屋と僕の部屋。他に部屋はない。どうするの?」
「私の部屋を使ってもらうからいいわよ」
 ていうか、と矢継ぎ早に遮った。「父さんの妹の子なのになんで家に来るの? 関係ない──」
「涼也」
 母の声音が強張った。涼也は気づき、言葉を止めた。母は「父さん」という言葉が嫌いだった。
「あの人はもうあなたの父親じゃない。何度言ったらわかるの?」
「僕にとっては父さん」
「涼也の親は、私だけなの。あの人はあなたを育てたことなんてないんだから。あの人のことを父さんなんて言わないで。父親扱いしないで。虫唾が走る」
 涼也が「父さん」という言葉を出すと、決まって母はこう言う。涼也にとっては、父さん。それが事実なのに、認めない。少し自分勝手な母だからこそ、父は出て行ったのだろうと涼也は思っていた。
「……奈々さんはなんで家に来るの?」涼也は妥協して名前を口にした。「家に帰ればいいじゃん」
「色々事情があって家には行きたくないんだとさ」
「元、お父さんの家は?」
 ふっと母は笑った。「あの人のことは健司さんって言いなよ。健司さんの家には、一緒に住んでる人が居るでしょ?」
 そんなのは知っている。父はこの家を出てすぐに恋人を作った。涼也も会ったことがある。母とは違って、気遣いや思いやりの深い、温かな人だった。
「どうしてもこの家に来るの?」
「気難しいところがあるかもしれないけど、あの子は良い子だから」
「ケンジさんのこと嫌いなのに、妹さんの娘は大丈夫なの?」
 嫌味のつもりでそう言うと、母はまた強張った口調で彼の名を呼んだ。
「健司さんとなっちゃんは関係ない。別々の人間なわけ。それに嫌いなんじゃなくて、父親扱いをしてほしくないだけ」
 ──僕には、嫌ってるようにしかみえない。
「とにかく、もう決まったことだから。それにこっち移って仕事始めたらお金入れてくれるって言ってるし、家事の手伝いもしてくれるって言うし、涼也の部屋をなっちゃんに明け渡してほしいくらい私は大助かりなの」
 涼也は、自分がこの家にとって不必要な人間にされた気がした。事実、家で何もしていないのだから、何かをしてくれる人の方が必要だ。涼也は何も言い返せなかった。
「何か文句はある?」
「ない……」
「そっ」
 母は止めていた食事を再開した。涼也も箸を動かすのだが、食べ物はあまり喉を通らなかった。

 早河奈々。現在の年齢は二十五歳。涼也はその人によく泣かされていたということを、寝床に就いてから思い返していた。まだ涼也が幼稚園の頃の話だが、よく覚えていた。顔を合わせれば必ず小突かれた。罵倒を浴びせられた。そういったサディスティックなタイプの女だ。
 涼也はこれからのことを考える。すると、ずんと胸に重石が乗せられたように感じられた。そんな涼也をよそに母は嬉しそうだ。きっと、娘ができるような気分なのだろう。母は奈々のことをどこか自分と似ている、と言っていた。自分勝手なところが確かにそうかもしれない──
 涼也は暗い天井に向かって大きな溜め息を吐き出す。
「アイツと同じ屋根の下で暮らすなんて……想像したくない」
 早河奈々は一週間後に来るらしい。その間に状況が変わらないだろうかと涼也は願い、瞼を閉じた。



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