4.夜型の仕事


 朝は涼也が出て行くまでの間、早河奈々はずっとソファーの上で寝ていた。昨日の話では東京で夜型の仕事をしていたらしい。昨日の夜中、テレビの音が涼也の部屋まで微かに聞こえていた。ずっと起きていたのだろう。
 学校に着いて伊知郎に会うと、涼也はすぐにあったことを報告した。すると、
「それで、筆下ろしはさせていただけたのかな?」
 そんなことを言った。涼也は呆れていた。
「そんなことあるわけないじゃん」
「でもなんかあっただろ?」
「何も無いよ」
「身体つきとかどうだった? 胸は大きいか?」
 涼也は伊知郎から視線を逸らす。
「デカかったのか?」
 まるで心の中を読まれた気分だった。それなりに胸が大きかったのが、実は一番印象に残っている。伊知郎の顔を見て、「普通だよ」と言った。デカイなどと言ったら過剰に反応するだけだ。
「普通? もっと具体的に」
「小さくもない、大きくもない」
 伊知郎は、にやりと気味の悪い笑みを浮かべる。「お前、なんだかんだ言ってそういうところ見てるんだな」
「目につくから見ちゃうだけだよ」
 伊知郎が突然頭を掻き毟る。「あぁ〜、クソッ!」と声をあげた。
「今日、行っていいか?」
 涼也は呆れるように笑った。「別にいいけどさ、口悪いし怖いよ?」
「いいじゃねえか。ああ、たんまり責められてぇ〜」
 ──こいつはアホだ。エロに対してアホだ。
「昼過ぎから活動するタイプの人みたいだから、居ないかもしれないけどいい?」
「オーケー、オーケー」
 伊知郎はなぜか目を閉じて、指でOKサインを出していた。
 伊知郎と早河奈々が接触したらどんな会話を繰り広げるのか。涼也はそんなことに興味があった。

「おっじゃまっしまーす」
 妙なテンションで伊知郎は家に入ってきた。だが玄関に目的の人の靴はない。奥からは気配もしない。
「居ないみたい」
「ええ!」
 オーバーに驚いたものだから、涼也は軽く笑った。「残念。そのうち帰ってくるかもね」
 涼也は自分の部屋へ入り、荷物を置く。伊知郎の足音が居間へ向かっていく。部屋を出て居間へ移動すると、伊知郎は早河奈々が持ってきた衣類ケースを眺めていた。気配に気づいた伊知郎は顔を涼也に向ける。
「ここがナナさんのお部屋なんだろ?」
「居間なんだけどね。勝手に触らないでよ」
「バッカヤロォ、オレがそんな変態なことするわけないだろ」
 自分で変態だなんて言っている時点でおかしい。
「でもあれだな、リョウの部屋テレビ無いからAV観れねぇな」
「元々観ないからいいよ」
 未だに涼也は自分のキャラを明かしていない。だから、嘘をついた。
「観てるだろ? あーでもいいか」伊知郎はへへへと笑う。「これからはオカズに困らないなあ」
「そういうことをあの人の前では言わないでね」
「あの人?」
「この部屋使ってる人」どうしても名前を呼びたくなかった。
「……オレがそんな人前でべらべらエロ話するような、分別の無い人間にみえるのか?」
 普段学校でべらべら言ってるし……。
 ガチャン、と戸が開く音が耳に届いた。
「あ、帰ってきたんじゃねえ?」
 ヒールの音が聞こえ、ドアが閉まり、足音がこちらに向かってくる。
「あぁ……」と、伊知郎はそこで言葉を切る。背筋を伸ばし、なぜか深々とお辞儀をする。「はじめまして、おじゃましています」
 早河奈々は「ああ」と声をあげ、一瞬涼也を見て、伊知郎を見て、「こんにちは」と言った。
「リョウヤ君からお伺いしていた以上にお綺麗ですね」
 涼也も早河奈々も同時にふっと笑った。笑みの種類は全く異質だろう。
「どうもありがとう」
 早河奈々は涼也たちの間を抜けていき、衣装ケースから服を取った。そうして、母の部屋へ入っていった。伊知郎は無言で母の部屋を見つめる。きっと妄想しているんだろう。
「どっかで見たことあるんだよな……」
「え?」
「いやあ」伊知郎は振り返って涼也を向く。「ナナさん。見覚えがあるんだよ」
「あんな感じの顔の人たくさんいるじゃん」
「そうだなあ。じゃあ誰かに似てる」
「だれ? 芸能人?」
「そうかも」
 んー、と唸って考えてみるも、涼也には思いつきそうになかった。
「わかんねえけど、でもすっげー誰かに似てるんだよ。あー、出てこないな」
 誰だろう。
 少し経って、早河奈々は部屋着になって出てきた。
「まだ突っ立ってたの?」(あざけ)るように奈々は笑う。
「ずっとナナさんのことを考えてたんですよ」
「ははっ」と笑って、奈々はソファーに座った。「あたしの何を考えてたの?」
「誰かに似てるなあって」
「……誰?」奈々は顔だけこちらに向いた。
「それが考えても思いつかなくて」
「ふーん。こんな顔よくいるからね」
 奈々はリモコンに手を伸ばし、テレビをつけた。「あっ」と声をあげて伊知郎を向く。
「君はアレに似てるよ」
「オレっすか?」
「そう。君は、西郷隆盛」
 ハッ、と涼也は笑った。確かに似ている。学校で伊知郎がそう言われたこともあった。その喩えに、彼は激怒していた。にも拘わらず、「おいどんは西郷でごわす」などと彼は適当に真似をし、早河奈々を笑わせた。伊知郎は嬉しそうだ。
「あ、リョウは、サンドバッグに似てる」
「生き物じゃないし!」
 涼也が反射的につっこむと、早河奈々は更に笑う。
「すぐ泣くサンドバッグだよ」
「そんなにリョウをボコボコにしてたんすかあ?」
「いや、ちょっと小突くだけでビービー大泣きしてたよ。憎たらしいガキでさあ、あたしの言うこと聞きやしない」
 涼也は何かと彼女の言うことに反発していた。それは身体が危険人物だと感じ取っていたからかもしれない。目にしたときから合わないだろうと思っていた。
「確かにリョウはちょい頑固なとこあるしな」言いながら、伊知郎はへらへらと笑う。
「僕が?」
「うん」
「あんたは自分の思い通りにならないと、イラっとくるタイプなんだよ」
 そりゃアンタのほうだよ。涼也はそう言いたかったのだが、やめた。
「まだまだお子様だね」
 言葉が癪に障った。早河奈々はソファーに寝転がる。
「お姉さまの言うとおり、オレたちはまだまだガキなんだって」
 まるで涼也を慰めるように伊知郎は肩を叩いてきた。勝手に決めつけて結論付けられ、不服だった。
「あ、そういやぁリョウから訊いたんすけど、東京でやってた夜の仕事って、もしかすっとキャバ嬢っすか?」
 早河奈々は、一瞬硬直を見せた。それからすっと身体を起こし、涼也を睨んだ。
「人のこと、勝手に喋んな」
 ドスの利いた声。伊知郎は「こえぇ」と身を引かせた。
「変なこと言ってすいません」
「いや、あんたはいいよ。喋ったのコイツだから」顎で涼也をさす。
「別にいいじゃん、仕事の話くらい」
「ああ?」早河奈々の眉間に皺が寄る。「寝てる間に刺し殺すよ?」
「うぉメッチャこえええ!」
「オマエは黙れ」
「あ、スイマセン」
「あたしのことは人に喋るな。以上」
 それだけ言って、また寝転がった。
 早河奈々に気圧されて、涼也たちは静まり返る。テレビの音がよく聞こえた。
「オレ、今日は帰るな」伊知郎が小声で言った。
「わかった」涼也も声を抑える。
「男のクセしてひそひそ喋んな!」
「すいません、ごめんなさい、おじゃましました!」
 早河奈々は「おお」と、男みたいな口調で返事した。伊知郎は涼也に「じゃあな」と言って、足早に去っていく。
 涼也はその場に居られなくなって、自分の部屋に籠もった。



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