6.誰にも言うな


 土曜日。涼也は朝から一人だった。母は仕事なのだが、奈々はどこへ行ったのかわからない。AVを観るチャンスだった。が、涼也は冷静に少し時間を置くことに決めた。いきなり帰ってきたら逃げる方法が無い。慎重にいったほうがいい。
 一時間ほど経てから、きっともっと経ってからしか帰ってこないだろうと推測を立てた。チャンスは今しかない。奈々は母に合鍵を貰ったから、鍵を閉めても開けられる。でも、もしもの時間稼ぎにはなるので、施錠した。
 なんでAV観るためにここまで気を配らなきゃいけないんだ──
 自分の部屋へ行き、鍵つきの机の棚を開け、DVDを出す。ディスクだけ持ち出した。素早く居間へ移動して、テレビをつけてプレーヤーにディスクをセット。再生。メニュー画面へ移行して、本編スタートを選ぶ。
 映し出される人物、それは、
「似てる……」
 まさしく、早河奈々そのものだった。映像で観ると特に似ていた。狭い部屋の中、五人の男が愛川なるみに迫り、根っからの淫乱な女であることを責め立てながら犯すという内容のもの。抵抗するときに出す声も、寸分たがわず早河奈々だった。思った以上に過激なことをしている。最近では涼也もAVは見慣れていたが、これは一般的なものよりハードだった。途中から本当に強姦されているように見えた。でも身体は反応しているのか、愛川なるみは感じているようだった。
 ──そうだ、嫌がってるのは演技なんだ。気持ち良いんだろう。じゃないとこんなのやるわけがない。
 次第に嫌がる演技がエスカレートして、愛川なるみは涙を流しながら男のモノを銜えていた。目薬か何かで演出しているんだろう。
“本番”になればやはり大きな喘ぎ声をあげる。──結局は感じてるんだ。こいつも人間じゃない。こういうことをするために生まれてきた存在なんだろう。まさしく変態だよ、気色悪い。
 涼也は心で様々な罵倒を吐きながら、片手はティッシュ箱を掴んだ。思うままに性欲の処理を始める。
 と、ガチャン、と物音がした。それは、ドアが開く音。涼也は自慰に夢中になっていたせいで、鍵の開く音に気付けなかった。涼也の脳裏に、目の前のどうにかしなければならないことの情報が一斉に過ぎった。テレビの喘ぎ声、手に持っているティッシュ。脱いでいるズボン、DVD。どうしたらいいのかわけがわからなくなり、頭が真っ白になった。
「あれ? 居るのになんで鍵閉めてんの」
 リモコンに手を伸ばし、停止ボタンを連打する。何も映っていないビデオ画面に変わった。脇目も振らずズボンを穿く。ティッシュが中へ入った。中途半端な位置まで穿き、ピタリと止まる。背中に、視線を感じた。
「……いま、何を見てた」
「なんにもだよ」
 早河奈々が足早に歩く。涼也を横切り、プレーヤーのエジェクトボタンを押す。出てきたDVDを手に取り、呆然とした。
「やっぱり……」
 その言葉は、やはり同一人物ということだろう。
「それ、アンタなのか」
 もうこの際だからと、涼也はそう言ってやった。すると早河奈々は唐突にディスクを両手で掴んで無理矢理ひん曲げる。
「なにするんだよ!」
 止めてはくれず、ディスクがどんどん曲がっていき、やがてバキっ、と音をたてて真っ二つに割れた。カラン、とディスクが床に落ち、早河奈々は振り返って、涼也に迫り、
「うッ!」
 首を絞めた。手加減が全く感じられなかった。本気で、奈々は涼也を殺しにきていた。涼也は彼女の腕を掴み、引き剥がそうとする。
「絶対に誰にも言うな、喋ったら殺す!」
 すでに殺しそうじゃないか……。
 なかなか腕を引き剥がせず、首に力を入れて必死で耐え続けた。今まで見たことのない、早河奈々の憎悪に満ちた眼差しが、涼也の心を凍りつかせるようだった。
 込められ続けた力はやがて弱まり、解放されると涼也は咳いた。しかしすぐに、今度は髪を掴んできて、強制的に顔を合わせられる。
「マジで喋るなよ。あと、これどこで手に入れたあ?」
 恐ろしくて、声を出せずにいた。すると「言え」と、涼也の頭を揺さぶってくる。
「店だよ」
「なんの?」
「ああいうビデオを売ってる店だよ……」
 答えると、髪を離した。涼也は相手を睨みつけた。早河奈々が舌打ちをして、振り返って歩き出す。そのまま家を出ていった。涼也は安堵の溜め息をつく。
 ──なんだよ、AVやってるのはテメェだろ。ムチャクチャな女だな……いや、女でもない。あれは人間じゃないんだった。
 涼也は恐怖心を鎮めつつ、延々と奈々を心の中で罵倒し続けた。

 早河奈々は夕飯に帰ってこなかった。母の携帯には何の連絡も入っていない。あんな奴のことなんてどうだっていい。そう思ってはいるが、涼也は頭の片隅で気にしていた。
 涼也がベッドに就いた頃にはちゃんと帰ってきた。母が心配の言葉をかけ、奈々は久しぶりに会った友人と遊んでいたと言っていた。
 次の日から、奈々と涼也の会話が無くなった。目を合わせれば奈々に一瞬だけ睨まれ、逸らされた。涼也は、自慰行為ができなくなった。そんな気になれなかった。事の重さに耐え切れず、伊知郎にぶちまけようかと悩むが、話せずにいた。打ち明けようとすると奈々の憎悪に満ちた顔が目に浮かぶ。涼也の首を絞め、睨む顔がちらついた。



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