8.愛川なるみ


 早河奈々は早河家の長女として生まれた。弟と両親の四人家族で、親は共働きだった。父は運送業。母はパートの仕事で夜遅くまで働いていた。
 奈々は父と母が家で仲良くしているところを見たことがない。父が仕事ではない時は家で酒をよく飲み、母が仕事ではない時は、勉強しろと二人にうるさく言っていた。
 時が経つにつれ、両親の心が荒んでいくのが奈々にはわかった。何が原因かはよくわからない。時折、母と父が口喧嘩をしていた。
 奈々が中学生になる頃、父は仕事をクビになった。それから急激に父は変わっていく。よりアルコールを摂取するようになり、ギャンブルにも手を出した。そんな父を母がヒステリックに怒鳴ると、更に怒号を返して時には母をぶった。その様子を眺めていた奈々も弟も、同じようにぶたれた。
 奈々は、学校では良い成績を収めていた。やることをやって結果を出していれば、母は何も言わない。だから自主的に、勉強する努力を続けた。ただ、母はいつの間にか弟には甘くなっていた。うるさく言うこともあるけれど、弟に対しては大目に見ていた。努力もしないのに良い扱いをされる弟が、羨ましくて憎かった。
 母は、兄の妻と親しかった。時々は奈々と弟を連れて兄の家に遊びに行った。そんなとき、奈々は弟と母の兄の息子、涼也の世話をさせられた。涼也が活発に動けるようになると五人でよく出かけた。母は弟と涼也を兄弟のように見て可愛がる。一緒に居る奈々は疎外感を覚えていた。そんななか、涼也の母親は、ひどく優しかった。まるで娘のようにも扱ってくれる。奈々は「母親はこっちがいいな」と思うこともあった。
 涼也が言葉を覚えると、奈々に対して生意気な口を叩くことがあった。奈々にも原因があったのかもしれないが、中学生の彼女には配慮などできるはずもなく、憎しみに駆られてよく涼也を泣かせてしまう。それが発覚すると、母は奈々を強く叱って何度もひっぱたいた。そうして、いつしか兄の家を訪ねなくなった。
 高校二年の終わり頃になると、初めて好きな人ができた。相手は、バイトをして持てるようになった携帯のツールにより知り合った二十六歳の男性。写真交換もし、顔は悪くないと思った。会いたい想いはお互い募り、奈々の方から彼が住んでいる東京まで会いに行った。当日、そこまでする気はなかったのだが、奈々は彼に迫られて肉体を捧げた。
 二人は東京で同棲する約束を交わす。奈々が高校を出たら二人で暮らし、幸せになろうと甘い理想をお互いに描いた。
 高校を卒業するのと同時期に奈々の両親は離婚。母は弟を連れて家を出て、奈々は約束どおり彼との同棲のため、上京した。
 しかし、蓋を開ければ彼は女誑(おんなたら)しだった。奈々がバイトから帰ってくると、アパートには知らない女が居たことが何度もある。激しく嫉妬し、彼や女に怒号を浴びせると、彼はいつも申し訳なさそうに謝った。
 彼の優柔不断を、奈々はバイト先の店長に相談していた。店長は彼より頼り甲斐があり、歳も彼より八つ上。次第に奈々は、深く理解してくれる店長に心惹かれていく。その温かさに包まれたいと思った。店長は妻帯者だったが、奈々との心の距離が短くなると、手を出さずにはいられなかった。お互いが欲望と願望を吐露し、二人はついにホテルで愛を交し合った。
 してしまった後で、奈々は激しい罪悪感に苛まれた。いくら浮気され続けていたとはいえ、同じことを自分もしてしまい、嫌悪感を抱いてしまう。だから奈々は、彼に全てを打ち明け、謝った。すると彼は奈々に対して罵詈雑言を浴びせ、大喧嘩に発展し、散々殴りつけられた。
 彼の横暴に身も心も傷つけられ、店長に相談すると別れることを強く勧められる。奈々もそうした方がお互いのためになると思い、別れ話を切り出す。が、彼は憤怒した。同棲を続けることに執着した。「お前のことは好きだ」「愛してる」と何度も言われた。それらは、彼が浮気したときの決まり文句だ。今回ばかりは意を決しており、別れるという選択を貫いた。すると、彼はまた奈々を殴りつけた。
 奈々は逃げるように、こっそりとアパートを出た。
 一人暮らしを始めると、バイトだけではやっていけない。前は彼がほとんど家賃を負担していてくれたので僅かながら貯金ができていたけれど、一人の生活は貯金もできなかった。奈々は店長の勧めで知り合いのキャバクラを紹介してもらい、そこで働きだす。顔立ちは悪くなかったし、媚びることと信頼を得る心遣いをそれとなく理解していた奈々は、固定客を得ていく。すると、一人暮らしでもなんとかお金に余裕ができた。そうして色んな男を知った。店長との関係が薄れてくると、店に来る客と付き合ったこともあった。
 ある日、父親がアパートを訪ねてきた。久しぶりの対面だというのに会って早々、「借金があるから金をよこせ」などと言った。奈々は娘に対しての理不尽な申し出に耳を疑った。訊けば、借金は三百万ほどあるという。頑なに拒むと、父は今まで奈々に対して使った金額を事細かに書き記した紙を突きつけた。親としてやることが馬鹿げてる──。呆れたが、仕方なく貯金していた五十万ほどを渡した。
 数日後、金融屋がアパートを訪ねてきた。父親が娘の居場所を教えた。しかも五十万は受け取っていないと言われる。父は、娘から受け取った金で夜逃げをしたらしい。奈々は父親に借金を背負わされた。
 元々思っていたことだが、男という生き物をより信用できなくなった。優しい人がいることは知っている。けれど、みんな裏では強い欲望を持っているように思えた。金のことであったり、性欲であったり。
 現状、簡単に借金は返せそうにない。
 そんなおり、街で女優のスカウトにあった。テレビ出演の女優かと浮かれた奈々だが、よく話を聞けば、AVのことだった。一本の撮影で得られる金額に心が揺れ動きもしたが、固く断った。
 偶然にも、その日の出勤前、今度はヘルスのスカウトにあった。キャバで働いていると言うと、今の二倍は稼げて、キャバよりもずっと楽だと力説されてしまう。このときも、頑として断った。しかし気に留めていた。仕事中もヘルスのことが頭にちらつく。別に性的なことは嫌いではない。すでに男に対して夢見ることもない。
 早河奈々は、キャバ嬢を辞めた。思いきってヘルス嬢に転身した。
 しかし、いざやってみると、初めは泣くほど後悔した。知らない人の前で裸になり性的なサービスをするということは、キャバ以上に身を削ることなんだと思い知った。更に、ヘルス嬢になった動機は父親の借金返済のためだという事実を意識すると、自己嫌悪の深淵(しんえん)に突き落とされるようだった。ヘルスの仕事が心から慣れることはなかったが、辞めることなく流れのままに続けてしまう。常に嫌だったというわけではない。父親のような年代の中にも、父より断然優しい客がいたので、そういった人に裸で甘えられるのは心地好かった。
 だが次第に、虚しさが募るようになる。自分が何のために生きているのかわからなくなっていた。何もしない時間ができてしまうと、言い知れぬ恐怖に襲われる。ただ漠然と、今の自分の状態にぞっとしてしまい、とにかく男と会った。時間を満たす存在なら、もはや誰でもよくなっていた。肌を重ねた男の人数をカウントすることもなくなる。そうしていざ、孤独に戻ると、余計に心は鬱しているだけだった。
 気づけば、もうすぐ二十三歳。
 奈々は以前AVにスカウトされたことを思い出した。あのときもし、引き受けていたらどうだっただろう? 今とは違う人生を送れていただろうか。もしかしたら有名になっているかもしれない。
 いっそ、AVに出演するのもいいかと思った。世間にバレようが心痛める人物などいない。憎い父親は消えた。母親には弟が居る。母にとって自分は弟の面倒を見るヒトだった。何をしたって、とっくの昔に失うものなんてない。むしろ得るものがあるかもしれない。それに、早く借金を返せる。
 奈々はAV女優になる決意をした。スカウトではなく、求人誌から応募をした。胸は大きい方だし、キャバ嬢時代もお客からは「エロそうで美人だね」などと鼻の下を伸ばしつつ言われていたので、そんな奈々は当然合格し、「愛川なるみ」という名で事務所のモデルとなった。
 最初は慣れないかと身構えていたが、ヘルスで抵抗がついたからか、思いのほかすぐにAV女優としての自分が出来上がった。深く考えずに撮影をこなしていける。やってみればこんなものかというのが、最初の撮影を終えた感想だった。
 それからは様々なAVに出演し、順調に本数を重ねていった。だが、撮影を終えるごとに段々と、正体のわからぬ不安が胸に広がっていた。AV女優としてお金を得るたび、自分が失っていくものに対して知らない振りをしている気がした。監督に求められる人になりきれないことがある。大勢の男優たちと絡む最中、余計な葛藤が生まれたこともあった。
 どうしてだろう。ヘルスのときはこんな感情、生まれなかった。自分のセックスをカメラに撮られているからだろうか。出演を繰り返すごとに、漠然と、自分が本当に欲するものは二度と手に入らなくなるんじゃないだろうかという思いが強くなった。失うものなんてないと理解していたのに、大事な何かを失くしている気がした。テレビの中で浮かれるアイドルや恋愛ドラマを目にすると、いつもうざったくなる。鳥肌が立ち、吐き気がこみあげる。
 心が、荒んでいく。

 あるとき、家に居ることが耐え切れなくてとにかく街へ出た。目的を持たず、ゆっくりとした歩度で街路を行く。そうしていると、不意に恐怖心がくすぐられた。まだそれほど有名ではないにしろ、自分が出演するビデオの売れ行きは好調らしい。AV女優と指を差されるかもしれない。
 ああ、そうか……。
 リアルに感じると、この仕事をしているリスクの強大さを、痛いほど知った。男が二人、立ち止まって喋っている。目が合うと、自分のことを言ってるような気がした。すれ違う人の心の声を想像してしまう。冷静に考えれば数あるAVの中で愛川なるみをピンポイントで知っている人なんて居ないだろうに、それでも悪いほうに考え出すと、ネガティブな感情に歯止めが利かなくなっていた。
 気持ち悪くなり、建物の影にしゃがみこむ。人々が通り過ぎていく。どうしようもない孤独と恐怖を感じた。
 誰か、助けて……。
「あの、大丈夫ですか?」
 顔を上げると、男が居た。普段は恋愛の対象にもならない若者だった。でも髪を染めているでもなく、今時の若い人が着ているような着飾った服装でもなく、ごく普通の男だったのだが、本当に心配してくれているような真剣さが表情に滲み出ていたので、その人は奈々の心の内側にすっと入ってくるようだった。
「大丈夫です……」
 力なく言った。奈々は相手の声を恐れた。知っている顔だと言い出すかもしれない。
「えっと、後ろの方を歩いてて、建物に入ったなあって目で追って、ふと見たらしゃがみこんじゃってるからどうしたんだろうって、声かけずにいられなくて。ストーカーとかじゃないですよ?」
 おそるおそると言った口調だった。どうしてか、温かさを感じた。弱っていた心に彼の声は染みた。
「ありがとう。やさしいんですね」
「いえ、優しくないですよ」彼は笑って手を振る。「気分が悪いんですか?」
「ちょっと調子悪くなっちゃって」
 男は少しうろたえたあと、それなら、と言った。
「少し歩いたところに、小川沿いの休憩スペースがあるんですけど、とりあえずそこに行きます?」
 男は、奈々に手を伸ばした。これはナンパだろうか? いいや、そんな感じはしない──。男は奈々を知らないようだった。この手を繋げば、救われる気がした。
 奈々は手を伸ばした。男は、奈々の肩を持ってくれた。密着して、肌の温もりを感じる。心地いい。男優と絡んで体温なんてしょっちゅう感じているはずなのに、彼の温もりは種類が違った。この温もりがいつも傍にあればいいなと奈々は思った。
 知り合ってしまえば、求め合えば、後の展開は早かった。彼は二つ上だが年齢の割に落ち着いており、今までのどの男よりも大らかな包容力を感じさせてくれた。人の多い窮屈な都会で、そんな包容力が育つわけがない。訊いてみればやはり、田舎出身だった。彼に付き合っている女性はいなかった。だから奈々が恋人になった。二人は毎日、外で会った。
 奈々は彼にAVのことを話せなかった。告げれば温もりを失くしてしまうんじゃないかと思い、恐ろしかった。でもいずれは言わなければならない。真剣に付き合っていくなら、それが必要だ。
 そう思いながらも、いつも声にできなかった。言葉は喉まで出掛かるのだがその先は気持ちが歯止めた。話そうとすると、「どうしたの?」と彼は無垢な笑顔で聞いてくれる。口にすれば絶対にその笑顔を曇らせる。いつも躊躇していた。
 彼と出会って二週間後、仕事が入った。行きたくない。出たくない。けれど、まだ借金は残っているし、いけませんとは言いづらい。この業界は彼氏ができて辞める子が多いという。自分もやはりそうなった方がいいのか。AVに理解のある彼と付き合って仕事を続ける人も居るというが、それは何かズレている気がする。ハッキリと何がおかしいのかわからないけれど、ただ漠然と間違っている気がしていた。
 出会いが人を狂わす。出会いが人を変える。
 奈々はどうすればいいのかわからないまま、慣れた日常通り仕事へ行った。
 現場に男優は五人居て、平均年齢は四十歳を超えているように見えた。男優兼監督にハードなレイプを撮ると言われた。狭い部屋で五人が寄ってたかって愛川なるみを凌辱(りょうじょく)し、虐め抜くというもの。少し前なら、何も感じることなく役をこなせていたかもしれない。でも今は胸の奥で激しい苦痛を感じた。
 男優のアパートなのか、それとも一般人から借りている場所なのか定かではないが、全員から執拗に口腔を貪られたあと、薄汚れた布団の上に押し倒される。抵抗の声をあげると威喝された。最初は男優も演技的だったが、途中から気分が乗ってきたのか目が血走って本気になっていた。髪を引っ張られ、口を開けろと頬を叩く。開ければ強引に性器を喉の奥に押し込まれ、嘔吐(えず)いた。
 ──もう嫌だ、やめたい!
 違う男が下半身を刺激する。もう一人は乳房に吸い付く。嫌悪する感情とは裏腹に、刺激されれば反射的に体液が分泌される。彼に対する罪悪感でいっぱいなのに、身体は反応した。
 あたしは、そんな女なんだ……。
 次第にプレイがエスカレートする。男たちが罵倒を浴びせる。
「淫乱な女」「性欲処理機」「男の便所」「発情したメスブタ」
 いつの間にか、奈々は泣いていた。
 ──こいつら人間じゃない。これを平気で観てヌける野郎も人間じゃない。彼だけは、温かな心をもった本物の人間だ。この撮影は乗り切ろう。そしてもう辞めよう。それで、彼に全部喋ろう。きっとあの人なら何もかも受け止めてくれるはず。
 今日が最後のつもりで頭を切り替え、受け入れてプレイに乗った。いつも以上に激しく乱れる演技を決めた。
 終われば監督がべた褒めした。あの泣き顔は凄かった、と。涙を零しながら快楽に溺れる姿が最高だったと。奈々はにっこり笑みを返すだけだった。
 その日のうちに彼に会い、人目も(はばか)らず泣きついた。「どうしたの?」と彼は優しげな口調で言い、奈々は「話さなきゃならないことがある」と切り出す。気の利く彼は、ひと気のない方へと奈々を連れて行った。
「これを知れば、もしかしたらあなたはあたしを嫌いになるかもしれない」と、奈々は前置きをした。彼は「絶対にならないよ」と語気を強める。そうは言ってもらえても、できれば喋りたくない。でも罪悪感を抱えたまま彼と付き合っていきたくはない。この言葉を口にした途端、世界が変わってしまうような気がした。それでも、
「あたし、AV女優やってる」
 奈々は、勢いで言葉を口の先に放った。一瞬、彼の顔が曇る。それは当然の反応だと思った。すぐに、再び笑みが浮かぶ。「アダルトビデオ?」と返される。どうしか身が竦みかけた。もう、後には引けない。
 奈々は全てを話した。今日の撮影のことも、借金のことも。AVをきちんと辞めることも言った。彼は決して嫌悪する様子を見せず、親身に聞き入ってくれた。そうして、全てをわかってくれた。「ずっと辛かったんだね」と奈々を抱きしめ、静かに撫でた。奈々は、涙を零した。
 だが、次の日、彼は消えた。
 携帯に電話しても、直後に不通音が鳴るだけ。何度掛けても、呼び出し音が聞こえない。連続するツー、という音をかき消すように、奈々は金切り声をあげた。
 それから、一日に平均五十件以上のメールを彼に送りつけた。だが一通の返信もない。彼の家は教えられておらず、奈々にはどうすることもできなかった。AV女優である自分を心から後悔してしまった。何かに希望を持とうと思うことがもう無かったから、そんな日は絶対にこないと悟っていたつもりだったのに、ついに強烈な自責の念に苛まれだした。
 ……まともな恋愛ができないなんて、わかってたことなのに、そこに手を伸ばしたのが駄目だったんだ。男に夢を見ることも無いと思ってたのに、彼に惹かれ、見放したはずのものが舞い込んできた。でも、もう遅すぎた。あたしは自分も偽り続けて、心と身体を(けが)しすぎたのだから。到底、理想なんて手に届くはずがなかった。キスも、肉体に触れさせることも、男に尽くすことも、愛されることも、心を切り離して提供しているつもりだった。でも、知らない所であたしの全ては腐敗してたんだ。普通の人が触れたくないくらいあたしの全部は汚染されてたんだ。ビデオでその証拠を残してしまった。
 何もかも、元に戻したい。でも、もう人生をやり直せない。取り消すことなんて不可能。だったら、あたしなんか消えてなくなればいい──
 メールすら拒否にしているかもしれないけれど、奈々は彼にお別れのメールを送った。そして、手首を切った。ものすごく痛かった。更に家にあったありったけの常備薬を全部一緒に飲み下した。そのまま奈々は眠った。
 三日経って、目を覚ました。腕を見れば出血が止まっている。虚ろなまま携帯を確認。彼からのメールは一通もない。代わりに事務所から不在着信が何件もあった。
 落ち着くまで、ずっと家に籠もった。その間、何度も事務所から電話が入った。彼からの連絡は無い。一週間が経過し、いい加減電話を取って辞めることを告げようと思った。その決断をして数時間後に電話がくる。取ったら、真っ先に怒られるかと思ったが、マネージャーはどうしたのかとひどく心配してくれた。そんな心遣いを向けられると、奈々は辞めるだなんて口にできなかった。
 せめて、借金を返すまでAVをやろう。あと少しで返済は終わる。それからきっちりと辞め、この街からも離れよう──。そんなふうに頭を切り替えた。元の早河奈々に戻れない。でも違う土地へ行ってしまえば、自分を変えられる気がした。
 奈々は「愛川なるみ」として積極的にAVの出演を果たした。自殺未遂以来、心に引っ掛かっていたものが何もかも吹っ切れたように感じられた。
 借金の返済が終わる頃には、「愛川なるみ」というAV女優はそれなりに名を上げていた。今が絶頂期だろうと事務所の人も言っていた。そんなときに辞めるとは言い出しにくかったが、街を出る資金も作り、AV女優を引退した。



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