9.ごめん


 涼也は寝る直前、よく考えごとをする。暗い天井を仰ぎながらその日のことなどを思い返す。今日は有無を言わさず強制的に奈々のことを考えさせられていた。彼女の話は涼也が想像していたAV女優像をぶっ壊した。涼也は、空想の世界を視聴していたんだと思った。
 奈々はAV女優を辞めた後、都心から離れた場所に移った。けれど一人が淋しくて気が狂いそうだったから、地元に帰ってきたと話した。小さい頃、涼也の母が奈々に優しくしていたので、それを思い出して奈々は母に連絡を取ったのだという。そうして涼也の家にやってきた。
 なんて非道いこと言ったんだろ……。
 思い返すほど、涼也はもう一度きちっと謝りたくなった。居間からテレビの音は聞こえない。もう寝てしまっただろうか。
 部屋を出て、トイレに向かう。用を足してから居間に立ち入った。奈々はソファーに横たわっている。寝ているようで、布団がしっかりと身体に掛かっていなかった。涼也はゆっくり手を伸ばし、奈々に布団を掛けてあげる。
「気持ち悪いんだけど」
 ビクっ、と肩が竦んだ。奈々は目を開けていた。
「起きてたの?」
「起きてた」
「ごめん……」
「あやまんなくていいよ」
 奈々は寝返りを打って反対側を向く。
「ずっと、……奈々さんの話を思い返してた」
 奈々は軽く笑って身体を起こす。「気色悪い、奈々さんは止めて」
 思い返していたことが気色悪いのかと涼也は思ったが、呼び方のほうらしい。
「なら、母さんみたいになっちゃんとでも呼べばいいの?」
「それはもっとキモイかも」
 じゃどうすればいいんだよ……。
「まあ、百歩譲って奈々で許す。さんは付けるな」
 呼び捨ての方がマシなんだな。「奈々から聞いた話、ずっと思い返して、改めて謝りたくなった」
 薄暗い中、奈々はじっと涼也を見つめる。涼也は軽く頭を下げた。
「非道いこと言ってごめんなさい」
「いいよ、あたしもリョウに非道いことしてきたし。これでおあいこにしよ」
 そんな言葉は、涼也の中の奈々という人物像を少しだけ、可愛くさせた。
「僕、ずっと勘違いしてた。ああいうビデオに出てる人って、ただヤるのが大好きな気狂(きちが)いかと思ってた。ビデオで喋ってる通りの人間で、笑ってる顔は本物なのかと思ってた」
「そういう人もいるんじゃない? でも、なんか複雑なもの抱えてやってる人、多いよ。生活費稼ぐためとか、男に貢ぐためとかさ、あたしみたいに借金返済するためとか。なれるわけもないのにアイドルやドラマの女優になるためにAVやる馬鹿もいたよ。AV女優に堕ちたら、もっと厳しい表の舞台には立てなくなるのにね。中にはレイプされた傷を紛らわすためにやってる人もいるよ。カメラの前では笑って『エッチ大好き!』とかアホなこと言ってるけど、心は全然違う方向にいってる人って結構いる」
 そんな事実、全く知らなかった。いや、知ろうとしなかっただけかもしれない。考えないようにしていたのかもしれない。だって、それを考えてしまったら僕は自分が人間じゃなくなると思ってたから──
「僕は……AV女優を同じ人間だと思わないようにしてた。セックスするために生まれてきた別の生物みたいに思ってた。人間だと認めたら、平然とヌいてた自分は人間じゃなくなる、って。AVって言葉で保護されてるけど、中身は本物のレイプに近いものだったりするんだ?」
「そうだね。良い映像を撮るために監督や男優が本気になって犯しにくることってよくあるから。最低なことされて傷ついても、堂々とAVやってる人って少ないし、色々怖くて警察にも言えないし、誰にも相談なんてできないじゃん? 傷つくのが嫌だから撮影中ずっと笑ってごまかしてる女の子だっている。性感帯刺激して濡らせば、それが心からの反応だって勘違いしてるヤツばっかり。本物の淫乱女なんてどこにもいないよ。寄ってたかって罵倒吐かれてゴミ扱いされて快楽を感じるなんて、それは野郎だけの空想の産物」
 きっと今、奈々は男に対する恨みを吐いているんだ。
「リョウは彼女ができても、泣かせるようなことすんじゃないよ」
「うん……」
「もしかして、付き合ってる子いないんだ?」
「え? いないよ?」
「今まで女の子と付き合ったことない?」
「ないよ」
 そう答えると奈々はくすっと笑った。
「そっかそっか〜」
「なんだよ」
「ううん」
 奈々はソファーに寝転がる。なんだか、馬鹿にされているようだった。
「女の子は大切にしなよ」
 まるで自分を大切にしてくれと言っているように聞こえた。
 会話が無くなり、涼也は奈々に背を向けて自分の部屋へ戻った。

 翌日、涼也は伊知郎に、奈々がAV女優に似ていることは誰にも言わないでくれと口止めした。そんなこと言いふらされたら絶対奈々は気分が悪いだろうから、と。真実は話さない。家に来ても、奈々がAV女優に似ているだなんて本人の前で喋らないでくれとも言った。奈々自身、実際に似ていると言われたことがあり、ショックを受けたと嘘をついておいた。伊知郎はそれを納得してくれた。
 涼也は学校の授業中、昨日のことが引っ掛かり続けた。奈々の言葉が涼也の脳裏をバーッと過ぎっていく。そうすると、今奈々は何をしているのだろうかと、家に帰って顔が見たくなっていた。彼女の人生に暗い影を落とした過去を知り、余計身近に感じられた。少し手を伸ばせば奈々に届きそうな気がした。
 ──話に聞いた男と僕は違う。それを彼女に証明したい。
 学校が終わって寄り道もせず帰ると、奈々は家に居て、ソファーでテレビを観ていた。奈々は「おかえり」と、いつもは言わないのにそう声をかけて、涼也は「ただいま」と返事をした。
 ──もしかして、奈々は僕に気があるのかもしれない。誰にも話さないようなことを話してくれたんだし、きっとそうだ。
 着替えた後は大概部屋に籠もり続けるのだが、奈々と一緒にテレビを観ようと思い立った。そうして、さりげなくもっと親密になりたい。
 部屋を出ると、
「うおっ──」
 涼也は驚いた。目の前に奈々が突っ立っていた。
「一つ言っておきたいことがある」
「……なに?」
 涼也は、期待をしていた。
「昨日のことは忘れて」
「は?」
「は? じゃなくて、キレイさっぱり忘れてほしいの。それと、絶対誰かに話さないで」
「話すわけないよ、わかってるよそれくらい」
「そっ」
 奈々は背を向け、歩き出す。ソファーへ戻って座り、またテレビを観だした。涼也はどうしようか迷ったが、考えていた通り居間へ移動してソファーの左側に置いてある座布団に腰を下ろした。テレビに目を向ける。まともに観る気はない。少し眺めた後、奈々の横顔を盗み見た。前はあんなにも憎かったのに、今はそれが微塵も感じない。きつさがない。綺麗な横顔だと思う。
「なに?」
 突然奈々が涼也を向いた。見ていることに気づいていたようだ。
「いや、なんにもだよ」
 そう言って涼也はテレビを向いた。平常心を保ちながら画面を見つめていたが、視線を感じる。まだ奈々は涼也を見ている。
 顔を向けると、奈々はきつい顔立ちをしていた。
「あんたさあ、もしかして勘違いしてる?」
「は?」
「あたしは昨日、弱ってたの。つい自分のことべらべらと話しちゃっただけ。おかしな同情とかやめてね」
 すっと奈々は立ち上がった。
「そんなつもりないよ」と、強めに言った。けれど同情している部分はあるかもしれない。
 トイレにでも行くのだろう。涼也はそう思ったのだが、奈々はそのまま家を出て行ってしまった。
 テレビの音が涼也の耳に入り続ける。消して部屋に戻ろうかと考えたが、奈々がいつも居るソファーに腰を掛けた。
 ……わからない。僕に少しは好意を持ってくれているのかと思ったけれど、そうじゃないみたいだ。上手くいきそうにない……そんな気がする。元々仲が悪かったんだし、そう簡単に良い関係にはなれないか。
 本当は下心があったんだと思う。それは、恋心というより欲情。ただセックスがしたいだけなのかもしれない。涼也はそんな自分の心に嫌悪感を抱いた。

 涼也はまた愛川なるみのDVDを買おうかとも考えたが、見つかったら最悪なことになるだろうし、目にしたくないという思いもあったのでやめた。でも、パッケージは捨てられなかった。時折それで自慰行為もした。果てた後はひどい虚しさと罪悪感に襲われた。
 なるべく奈々と目を合わせるのは避けるようになった。理由は、奈々を見ていることを知られると変に勘違いされそうだから。そのほうが、奈々にとっては気楽でいいはず。同情ではないけれど、不幸な人生を送った彼女にはせめて、この家では楽であってほしい。
 涼也はそう切望していた。



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