途方もない回数の拍動を経て、ぼくは作られた。
 ぼくたちは、彼の心臓が一回脈打つ度に約千個も生まれる。一日におよそ一億個誕生する。体長は約0.06ミリ。それぞれが少し異なった形をしていた。
 ぼくたちの生まれる場所は彼の外側にぶら下がっていて、彼の体温より三度ほど低い温度に保たれている。それが、ぼくたちが活発に作られるために必要な条件だから。
 巨大な空間にみんなが所狭しと詰め込まれていた。満員電車なんて比べ物にならないほどのすし詰め状態だ。
 万が一、ぼくたちの誰かが“目的”を達成したら、最終的にその姿は二万八千倍になれる。普通は“目的”の場所にたどり着けず、死んでしまう。二万八千倍でたとえれば、ぼくたちのいる場所は数千メートル四方の超巨大卵型ビルだ。一つ一つが“目的”を持ってそこにいた。
 作られたぼくたちは、時を経て違う場所に移される。彼にはぼくたちを貯蔵する場所があり、“目的”のため静かにそのときを待っていた。
 実のところ、ぼくたちの約80%は不完全な存在だ。無能で役立たず。目的のために行動することもできない。ぼく自身は残りの20%の方だった。

 彼女と彼が営みを始めた。
 それがぼくたちの目的のために必要なことで、壮大な冒険の始まりだった。
 彼が営みを経て彼女にぼくたちを発射したとき、秒速12キロの超ハイスピードで押し出される。目的を達成しやすくなるように、彼の作り出す液体と混ざり合い、彼女の体内の入り口に達するまでわずか2秒。
 ぼくの他に、同じ場所で誕生した約2億5000万の子たちが周囲にいた。これから“目的”を賭けた熾烈(しれつ)な争いを繰り広げなければならない。たとえるなら巨大山脈を登るようなもので、冬のエベレストを登頂するなんて比にならない苦難が待っている。
 険しい岩場や、起伏の激しい砂利道を、誰よりも先に駆け抜けなければならない。なぜなら、ぼくたちの中で目的を達成できる子はこの中のたったの一つだけなのだから。
 苦難はそれだけじゃない。彼女の入り口は、雑菌などの繁殖を抑えるため、酸性に保たれていた。皮肉なことに、ぼくたちは酸に対して滅法弱く、入り口で力尽きる子たちがほとんどだった。彼女の入り口で99%は死亡する。2億5000万人中、2億4750万人が一斉に死ぬ。まだ入り口なのに、たった1パーセントしか生き残らない。
 ぼくはこの1パーセントにいた。生き残った。
 けれど、まだまだ惨憺(さんたん)たる苦行が待っている。入り口から三十分ほど進んだ場所に、将来“目的”を達成したぼくたちが育つ場所があった。その場所で育つためには、天よりも高いところに行かなければならない。このとき彼女の手助けによって、アルカリ性のホルモンが分泌される。この粘液のおかげで、残り250万個のぼくたちは遥か上空まで昇ることができる。もちろんそれは容易なことではない。この関門を突破するため、ライバルを蹴落としながら進まなければならない。ぼくは必死でみんなを蹴落としながら、天高く昇っていった。
 昇り終えても、まだゴールじゃなかった。次に待っていたのは迷宮洞窟。幾重にも枝分かれした、先の見えないトンネルがあり、“目的”へ進めるトンネルはどれなのか誰もわからない。間違ったトンネルを選んだら、そこで閉じ込められて死を待つだけになってしまう。運の良い子しか抜けられない、最低な洞窟だ。
 強運を兼ね備えていたぼくは洞窟を抜けることができた。生き残った数は全体の0.0012%。約3000個。随分減ってしまって可哀想にも思うけれど、それでも“目的”を達成できる子がこの中に一つだけだという事実は変わらない。
 幾多の絶望をくぐり抜けてきたというのに、まだ試練が課せられていた。たどり着いた広大な場所から、“目的”の場所へ進むための抜け穴を見つけなければならなかった。落としたコンタクトレンズを探すよりも難しい。砂漠で失くした、極めて小さい鍵を探すようなもの。
 ただ探すだけならまだよかった。のびのびと探せるような甘いものではない。
 この砂漠には、最凶の敵がいる。それが群れをなしてぼくたちを待ち構えていた。
 奴らの本来の目的は、有害な敵を殺して彼女を守ることにある。けれどそいつらは、ぼくたちが無害だということを全く知らない。
 奴らは躍起になってぼくたちを排除しようとする。捕まれば絶対に殺される。残酷な鬼ごっこだった。
 そんな鬼から逃げつつ小さな抜け穴を見つけなければならない。ぼくたちが戦うなんて論外だ。奴らの圧倒的な数、攻撃力は凄まじいもので、太刀打ちできるわけがない。逃げ惑うのが精一杯。残り約3000いたライバルたちのほとんどが、ここで息絶えた。
 激戦区を走り抜け、“目的”の場所へ進む抜け穴を見つけたとしても、そこで全ての努力が水の泡と化す子もいる。
 抜け穴を通ることができるのは、元々優秀な子だけだった。
 ここまでたどり着いたこと自体がすでに計り知れないほど優秀なはずなのに、それでも穴を抜けられない子がいる。そんな子は最終的に鬼に捕まって殺されるだけだった。
 最凶の敵から逃れ、抜け穴にたどり着き、更に優秀だと認められたぼくは、ようやくひと時の休息を得た。抜け穴にはぼくたちが必要とする栄養素が豊富にあり、数日は穏やかに生き延びられる。凄惨(せいさん)な試練をくぐり抜けたからこその至福の時。ここでぼくたちがすることは、“目的”のために必要なものが近づいてくるのを待つことのみ。
 それが近づいてくると、ぼくたちは一斉にその場所へ向かう。ゴールに入るため、身体を守っていたタンパク質の膜を剥ぎ、ラストスパートをかけた。
 ゴールは海底に沈んでいた。なので、泳いでその場所を目指さなければならない。ただ闇雲に泳いで探すわけではなく、ヒントはあった。ぼくたちは、ゴールの匂いを嗅いで泳ぎすすむ。それはスズランの香りによく似ていた。
 ゴール付近までたどり着くことのできた子は、ぼくを合わせてたったの二つ。
 あんなにたくさんライバルがいたのに――2億5000万も、同じ目的を持った子がいたのに、この壮絶な旅を経てここまで来られるのは0.0000008%のみ。
 ゴールにはぼくが一番で到着した。
 頭部から酵素を出し、中に入る。するとゴールは膜で閉じられた。共に最後まで駆け抜けた優秀なライバルは、ここで生涯を終える。
 ぼくは彼女のお腹で成長し、新たな世界で、産声をあげた。

「生まれてきてくれてありがとう」

 彼女の声が、はっきりと聞こえる。



colorless Catトップ


inserted by FC2 system