私は小さな百均ショップのレジ係。
 休日以外はあまり客が来なくて、暇でやることがないのだが、お店は常に二人体制で回っている。たまに品出しもするのだが、私は小柄で非力なため、ほとんどは太っている──いや、体格の良い杉野さんが品出しをした。杉野さんは主婦で、パートとして働いている。本当は杉野さんだってレジ係なのだが、体格の良さに加えていつも怒ったような顔をしているふうに見られ、お客さんに怖がられるからレジ係としては不評なのだという。もちろん杉野さんは怒っているわけではない。温厚な人柄なのだが、店長からも恐れられていた。
 最初は戸惑いだらけのレジ係も、慣れてしまえば突っ立っていることが暇なだけだった。お釣りを間違えたりレジを打ち間違えたりして、お客さんを苛々させることがあったけれど、三ヶ月も経てば慣れて、一年経た今や他ごとを考えながらレジを操作できるまでに成長した。
 営業スマイル、というのが私にはできない。杉野さんにもできないから、無理にする必要はないと思っていた。私はどうしても人前でうまく笑えない。笑った顔が不気味な形になるのではないかと、そんな思いにいつもとらわれている。家で笑顔の練習をしたことはもちろんあった。それで良い笑顔を見つけても、思いきってお客さんにできない。常に当たり障りのない無表情で接客をしていた。
 私が感受性に乏しいためか、友達がいない。〇人というわけではない。高校一年の夏休みからバイトを始めたのだが、そのバイト先にばったり同じクラスの由紀子さんという子が来店して、それをきっかけにその子とは仲良くなった。そのときの私はまだ慣れていない頃だったため、由紀子さんと話をする余裕は持てなかった。だが休み明けに彼女が声をかけてくれた。
 由紀子さんは、私と同じような系統の人間だった。私より幾分か感受性が豊かだけれど。あと、私より幾分も顔の彫りが深い。
 私は顔の薄い人間で、目も鼻も唇も、申し訳なさそうに顔にくっついている。その上小柄なので、オーラが皆無だった。過去に「あ、いたんだ」といわれたことが何度もあった。
 由紀子さんと学校で行動を共にすると、いつの間にか私は由紀子さんのオマケのような見られ方をするようになった。誰もそんなこといってないんだけど、なんとなく皆のいうことがそう聞こえていた。
 そんな私と一緒にいるからだろう。由紀子さんは私と友達になってから一ヵ月後、クラスの男子に告白された。二人はカップルになった。私と共にいて、由紀子さんが際立つようになった結果だった。
 それからというもの、その男子が私たちの間に入るようになった。私はいつも後ろで、二人のラブラブな世界を眺めていた。また前の独りきりに戻りたかったのだけど、いつも三人で行動し、お弁当も一緒に食べた。由紀子さんと彼氏が気を遣って私に話しかけてくれるけれど、本当は邪魔に思っているのではないだろうかとどうしても疑ってしまう。それを由紀子さんにいうと、「そんなことないよ!」と彼女は正義感をふりかざすのであった。
 三人で行動して、別にそれが嫌だったというわけではない。間近でカップルの会話を傍観しているのは、それはそれで楽しかった。それと、羨ましかった。
 由紀子さんが付き合いだすまで、私にとって恋はおとぎ話のようなものだった。自分がすることになるのは何千年も後だろうと思っていたし、強い興味を持っていなかった。けれど、二人が触れ合ったり、肩を叩き合ったりしているところを見ていると、私も私だけの男性とそういうことをしたいと思うようになった。恋を欲するようになっていた。
 高校二年の十月中旬、銀杏の葉がすっかり黄金に色変わりしたころ、見たことのないお客さんがお店にやってきた。いや、初めてくるお客さんなんてしょっちゅういるけれど、そのお客さんは私の印象に強く残るほど、私とは正反対の顔つきをしていた。がっしりした顎、存在感溢れる鼻と眉毛、お店の明かりを満面に反射する大きな瞳。体格はそれほど私とはかけ離れていないけど、それでも自分より背が高いこともよく印象に残った。パーマがかかったショートヘアは、ナチュラルブラウンに染められていた。二十代前半だろうか、とそのときの私は思った。私と同じような無表情のお客さんだったが──そもそも大概のお客さんは無表情なのだが、でもそのお客さんは無表情のクセして一杯表情を作っているようにみえた。接客中は喋りかけられているような錯覚にとらわれつつも、いつもどおりの態度で私はレジを操作した。ただ、彼の去り際、手が勝手に動いて私は前髪をかいていた。
 そうやって気に留まったけれど、結局はただのお客に過ぎない。彼はおつまみを買っていた。さきいかと、すっぱい梅味のポテトチップス。彼女と一緒に飲むのかな、と適当な想像をして、彼のことは忘れることにした。
 だが数日後、またそのお客さんはやってきた。かなり不意打ちに近い感じだった。日曜のことで、レジは忙しく、杉野さんすらも隣のレジで接客をするほどだった。並んでいるお客さんを次々と相手にしていると、私の目の前にさきいかとすっぱい梅味のポテトチップスが登場した。ふと顔を上げて確認すると、例の彼だった。なぜか私は動揺してしまい、意味もないのに横髪を気にして素早く触っていた。細々と「いらっしゃいませ」をいい(胸中ではかなり丁寧にいったつもり)、やはり無表情でレジを操作した。彼は私がレジを打ち終わる前に二一六円をキャッシュトレーに置いていた。彼の顔は無表情なのに、やはりどうしてもたくさんの表情を作ってたくさんの言葉を喋っているように見えていた。
 それから、だいたい一週間単位で彼は来るようになった。次の週も彼はさきいかと、すっぱい梅味のポテトチップスを買った。だがその次の週で商品が変わった。違う味のポテトチップスと、チョコレートスナック、それと可愛らしい折り紙を買っていった。その次の週は芋けんぴと板状のチョコレート、あとなぜか風船を買っていった。彼には子供がいるのかと推測した。
 次の週もやってきた。その頃にはもう私は、彼が出入り口を通った瞬間に存在をとらえることができた。時間帯がだいたい決まっていたし、来る日も日曜か水曜のどちらかだったから。けれどそのときは、彼は何も買わずにお店を出ていった。
 翌週は来なかった。水曜と日曜の、彼が来る時間帯──夕方頃なのだが、その時間に彼の入店を意識していて、訪れなかったことを淋しく思った。
 季節はすでに冬。十二月に入っていて、クリスマスが近かった。
 次の週も彼は来なかった。もう二度と来ないのかな、と私は勝手に絶望していた。
 クリスマスがある前週から、百均のクセに店はクリスマスムード一色に染められた。その週の土曜、ついに彼がやってきた。時間は三時過ぎで、水曜と日曜ではなかったから、彼がレジに並ぶまで私は気づかなかった。彼は板状のチョコレートだけを手に持っていた。彼と向き合えたことは嬉しかったけれど、チョコはきっと自分の子供にあげるのだろうと勝手に決めつけた。
 次の週のクリスマスイブも彼は来店した。水曜と日曜ではなく、金曜だった。もしかしたら私のために来てくれたのかと妄想をした。いやそんなはずない。時刻は午後六時前で、クリスマスイブということもあって店内にお客さんは多かった。レジに人が並んでいて、杉野さんもレジを打っていた。
 彼は私のレジに並んでくれた。手には懐かしい、すっぱい梅味のポテトチップスとさきいか、それと板状のチョコレート。その組み合わせが私には気持ち悪く思えてしまった。だからって、彼が気持ち悪いというわけではない。私の中で、彼は彼のままだった。
 そのとき彼は一万円でお金を払った。こういう忙しいときにこんな大きなお金で支払われると、さすがの私でも少し焦りを感じてしまう。商品を袋に入れ、レジから九千円を取りだして数え、手渡し、残りの六七六円も素早く出して手渡した。手際よくやったつもりだったが、軽く動揺していたので、彼の顔を確認するように見た。
 すると、彼は薄っすら微笑んでいた。
 それはもしかしたら気のせいだったのかもしれない。お釣りを渡すとすぐに彼は行ってしまって、私はほんの数秒、さきほどの彼の表情を思い浮かべながら固まっていた。
 ハッとしてすぐに次の接客に取りかかる。だが頭の中は、彼の微笑みでいっぱいだった。微笑みなんて浮かべるはずがないと決めつけているから、気のせいだったのではないかと強く思うのだが、脳裏にはちゃんと彼の笑顔が焼きついていた。薄っすらどころか、かなり優しげに笑っていた。
 もし本当に笑んでいたとするなら……私の焦る感情を見抜かれて、それに対して微笑んだのだろうか。
 翌週、彼は来なかった。私はなぜかほっとしてしまった。彼と対面したら、今の私は正常な反応ができなくなりそうだった。
 次の週も彼は来なかった。ほんのちょっぴり淋しさを覚えた。
 すると、次の週はやってきた。三学期が始まってからの日曜のことだった。彼はまた板状のチョコレートだけを持っていて、私は平然とした態度で接客してみせた。
 彼は、ただチョコレートが好きなだけなんじゃないだろうか。だってよくよく考えたら、もし子供がいるのなら一緒に来るはずだし、彼女がいるなら一度くらいは彼女と来てもおかしくない。付き合っている人のいない、チョコレート好きの男なのかも。
 次の週は来なかったが、その次の週は来た。やはり板状のチョコレートを買っていった。彼の大きな瞳が私の視線と重なると、私はそそくさと目を逸らしてレジを操作した。彼の持っていたチョコレートを手にするとなぜか緊張した。自分の熱でチョコは溶けないかと心配した。
 彼が来るようになってから、四ヶ月が経とうとしていた。一度も喋ったことがないのに、私はすっかり彼を身近に感じていた。彼と一緒にチョコレートを食べる妄想をしたこともあって、考えるだけで無表情の私の顔に表情を作らせた。
 次の週、彼は来なかった。その週はチョコレートがよく売れた。少女から大人の女性までもが、チョコをたくさん買っていった。私はチョコレートを手にするたびに、彼の顔を思い浮かべていた。
 そして、翌週の月曜日。
 来るわけないと思っていたけど、チョコレートの彼がやってきた。まさしく板状のチョコレートを持っていたのだけど、その日に男の人がチョコレートを買うことを、私は可笑しく思った。他にも、彼はお気に入りのさきいか、すっぱい梅味のポテトチップスという奇妙な組み合わせの商品を手にしていた。
 やっぱり彼女がいないのかな、と思いつつ、私はなんとなくエプロンを触って位置を直し、接客をした。来るわけないと思っていたので、チョコレートを準備しておけばよかったな、と後悔もした。
 商品を袋に入れたころにはキャッシュトレーに三二四円が載っていた。それをレジに入れ、横では彼が袋を手にした音が聞こえ、私はレシートを差しだす。
 なぜか目の前に板状のチョコレートがあった。
 袋に入れたはずなのに、表に出ていて、しかも宙に浮かんでいる。
 いや、浮かんでいるのではなく、彼がこちらに差しだしていた。私は何かと思って彼の顔を見た。彼はお店の明かりを瞳に反射させつつ、優しげな笑みを浮かべていた。そうして、何もいわない。ただチョコレートをこちらに突きつけた。「なんですか?」とか、「どうしたんですか?」とか、言葉を発したかったのだけど、私の口は開いたり閉じたりを繰り返し──私のレジに人が来たものだから、当惑しながらも無言でチョコレートを受け取った。彼は私の持っていたレシートを手にし、何もいわず去っていった。
 私は数秒ほど、チョコレートを持ったまま固まっていた。

 バイトが終わって家に帰ると、バッグに入れたはずのチョコレートを取りだした。夢ではない。バイト中、ずっとエプロンに入れっぱなしで、合間を見つけてはチョコレートに触れていたのに、その存在がまだ信じられなかった。
 普通、バレンタインに男性からチョコなんて貰わない(私は男性にチョコをあげたことすらなかった)。
 おそるおそる紙を外し、銀紙に包まれた板チョコを出す。と、何かが床に落ちた。橙色の四角い紙。手に取り、それは開くことができた。そうして、それがなんなのか気づいた。
 折り紙だった。しかも器用に、手紙型に折られている。中には小さなメモが入っていた。それも折り紙だった。
 メモには、携帯番号とメールアドレス。それと、「もしよかったら友達になってください。連絡を待ってます」という一言。
 連絡しないわけがなかった。私は今まで生きていた人生で、その瞬間は最も舞い上がっていたと思う。電話は怖いのでメールを打った。返事はすぐに来て、「連絡してくれてありがとう」と書いてあった。
 私もそうだったけど、彼も私をずっと気にしていたという。仲良くなりたい、なんて思っていてくれたらしく、それは板状のチョコレートを最初に買った日辺りから思っていたことだという。私はもっと以前から彼を気にしていたことを伝えた。貰ったチョコを齧りながらメールのやり取りをして、私は折り紙と風船について訊いた。私がそれを覚えていることに彼は少し驚いていた。折り紙はこのために買った、というわけではなく、ただ折り紙で何かを折りたかったという単純な理由。風船を買ったのは、彼があがり症を克服するためらしい。膨らませた風船を宙に放り投げて、落ちてくるまでに嫌いな食べ物や好きな食べ物を言い並べるという訓練法があるそうだ。今度私もやってみようと思った。さきいかとすっぱい梅味のポテトチップスを買っていたのは、やはりお酒のおつまみのため。彼は二十二歳で、パソコン教室のインストラクターをやっているとか。まだその仕事に就いたばかりだった。
 いつの間にかチョコレートはなくなっていて、夜もすっかり更けていた。私の心は天にも昇るような、ふわふわとした妙な感覚に陥っていて、ひどく心地好かった。眠るまで笑みを零しっぱなしだった。多分寝ている間もへらへらと笑っていたと思う。

 無表情の自分を忘れてしまった。
 私はいつも微笑みを浮かべるようになっていた。鏡の前でいざ無表情を作ろうとしても、どうしても口角が上がる。由紀子さんも杉野さんも、変わってしまった私に気づいた。それで、今の私のほうが良いといってくれた。

「いらっしゃいませ」
 と、私は露骨な笑顔を浮かべながらいう。お客さん≠ヘ、さきいかとすっぱい梅味のポテトチップス、それと板状のチョコレートという気持ちの悪い組み合わせの品物を持っている。でも私は笑みを継続させたまま接客をした。
 私が袋に品物を入れたころには、三二四円が出ている。それをレジの中へ。レシートを取ってお客さん≠ノ差しだす。
「いる?」
 そういって目の前に、袋に入れたはずの板チョコを差しだされた。
「いる」
 そう返して、私は板チョコを受け取った。お客さん≠ヘレシートを手にして私に微笑みかけ、去っていった。
 私はエプロンのポケットにチョコを入れて、人の目についていないことを確認しつつ、携帯電話を取りだす。
 そうして、顔を赤らめながらチョコを買った男にこっそり「ありがとう」と、メールを送るのであった。



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