魔法シンドローム第六話.紅と藍(page.B) |
それは人なのか物なのか、赤くただれた首の上についているはずなのに一瞬、判然としなかった。目や歯らしき箇所があるので、この人の頭部だと理解できた。背広は 「もう駄目だ、こいつは手に負えない! 能力が暴走してる、みんな、やられた!」 改めて周囲に目を向けると、組織の人がもう一人倒れていた。胸に氷柱が刺さっている。 藍が、殺したんだ。 戦っていた人がこちらに気を取られたせいで、全身を冷気に包まれた。やめろ、と紅輝さんが叫ぶ。藍は、 次の瞬間、男の顔が爆発するように火を噴いた。 全身が震え上がった。有り得ない。だって、藍は冷気のドロフォノスなのに、風ばかりか、炎すらも高レベルで発現したんだ。顔面を掴まれた状態であんな凄絶な炎を発現されれば、防ぐことはできない。もう助けられないのは目に見えていた。藍が手を離すと、男は下半身を硬直させた状態で後方に倒れる。 「……お前ら、今すぐ、逃げろ」 震え声が耳に入った。微かな声量だが、それでも充分に身の危険を増幅させるに至った。迷わず、走りだす。路地の出口を目指した。紅輝さんを一人にしたら確実にやられてしまうとは過ぎったが、自分の命のほうが大事だ。 背が、急に押される。まるで身体全体を突き飛ばしてくるような強風が、前方に抜けていった。転ばないよう、反射的に ふと、熱を感じる。 ぼくらが逃げようとした、正面から、巨大な火の壁が迫ってきた。 この現象を理解できぬまま、それでもとっさの判断で前方に 路地の先には誰もいない。確かにそちらから炎が迫ってきたはずなのに。 「今の、アオがやったのか」 紅輝さんの声。振り向くと、藍が無表情でぼくらを見据えていた。向けられている掌から、また強風が発現される。それは同時に、この空間が藍の 藍は、全ての力を 藍が両腕を左右に伸ばす。ぼくはとっさに、周囲に向かって 「みんな、自分の周囲に パキパキ、と音をたて、雪解けの水や傍に転がっているボトルの残った水が凍りついていった。間違いない、冷気を 陽と冷奈は氷づけになるのを免れていた。防ぐことに気を取られた紅輝さんの目の前に、藍が駆け寄って、至近距離で能力を発現する。紅輝さんも炎を放出するが、藍の強烈な冷風に飲まれ、よろけてアスファルトに倒れた。 絶対に、逃げなければいけない──逃げる方向とは逆に駆けだしていた。 ぼくは、思いきり ボン、という音が鳴る。ほんの少し藍の身体が浮いた。さすがに吹き飛ばすことはできない。だが、健常者のプロボクサーが放つハードパンチよりも、断然威力のある打撃だったはず。 藍から少し離れた位置に落ちていく。背を向け、 「まこと君は、SS型のドロフォノスだね」 苦しそうな声で藍が言う。振り向いたその顔が、なぜか笑っていた。 「完璧な 褒められたみたいで高揚感を覚えた。いや、惑わされてはいけない、と首を振った。 「どうして組織の人まで殺したの。ぼく、藍さんのこと尊敬してたんだよ。そこにいる陽も。思想に共感できてた。KG氷牙のメンバーになるのだって、悪くないって思ったんだよ。それなのに……なんの理由もない人殺しをしたら、ダメだよ」 今度は藍が首を振る。ゆっくりと呼吸をしてから、無表情に戻った。 「どの道、人を殺すつもりだった。健常者じゃなくて、シムズをね。バレないように仲間を殺すつもりだった。ドラゴン、水嶋龍司は寿命が迫っていたから、次のターゲットにするつもりだった」 何を言っているのかよく飲み込めなくて、ぼくは目を細め、少し首を傾けた。 「暴力団を壊滅させたのも、そこに一体のシムズがいたから僕は殺しに行ったんだ。そうすることにより、今まで感じていた疑惑が確証に至った。どうして組織が、頑なに人殺しシムズを社会から抹消させるのか」 藍が掌を空に向ける。なぜか炎を発現した。 「紅輝は忘れてるみたいだけど、僕は元々、冷気なんて扱えなかった。あるきっかけを経てできるようになったんだ」 拳を握り、炎を消す。 「五歳のときに母を殺したんだ。母はバランスタイプのCA型だった」 意味がわかった。疑問が一つの線に繋がった。 「藍さんは双子だから、元は紅輝さんと同じLA型だったんだ」 藍は首を振った。「同じじゃない。僕は紅輝の劣化版だった。紅輝が発現できる炎の半分以下の力さえ持ってなかった」 それなのに、今は紅輝さんと同等以上の炎を扱える。そのうえ冷気はドロフォノス級。……間違いない。 「ぼくらは、シムズを殺せば相手の力を得られるんだ」 そうだよ、と藍が肯定した。「魔法式にZ型ってのがあるでしょ? それはたぶん、シムズを殺したことで魔法式が変化した者のことを言うんだよ。そうして、9つの魔法式からはみ出したものは、全員、処刑人に殺されるんだ」 どうして、と紅輝さんが震えた声を出す。「お袋は、シムズの寿命で死んだはず。なんでお前が殺してるんだ……」 「結果的に僕が殺したんだよ。寿命が迫っていたお母さんは、僕のか弱い炎で殺して欲しいと頼んだ。双子なのに紅輝に較べてあまりにも弱い僕を、歪んだ方法で慰めようとしてくれた。シムズを殺せば力を得られることを知っていたかどうかは、今となってはわからないけどね」 「全く意味わかんねえよ……。そもそも、人を殺しちまったら、どんな理由があろうと幼子でも問答無用で組織のやつが殺しに来る。それなのに、お前は、なんで生きてるんだ。組織にバレてないだけか?」 藍は首を振った。「結局組織には知られたよ。でも生きてる。どうしてかは言えない」 「陽くん?」 突然、冷奈が声をあげた。視線をそちらに向けると、なぜか陽は両手で顔を覆っている。何が起きているのかわからなかった。藍は何もしていないのに。 気を、取られていた。目の端で藍の動きをとらえたときには、かなりこちらまで迫っていた。紅輝さんが炎を放っている。それを予測していたように、後ろを見ることなく藍は冷風を発現し、紅輝さんの炎ごと飲み込む。もはや、たった一人の力では相手にならない。それでもぼくはとっさに風をぶつけた。本気を出せば、風の力はまだぼくの方が強いはず。 しかし藍は、ぼくが作りだす強風のなかを突き進んできた。藍の身体に、 藍の拳が、顔面に向かってきた。相手を倒すなら能力にこだわる必要がない。それを悟った瞬間、殴り飛ばされ、水気のある雪の上にぶっ倒れる。雪が口に入った。早く立たなければと、身体を反転させる。直後に全身が凍てつく冷気に包まれた。反射的に 顔面を、掴まれた。 目の前が真っ暗になり、組織の人の頭部が炎上した映像が過ぎる。この状態の先にあるのは、死。 ──嫌だ、ぼくはまだ、死にたくない! 意識が、繋がった。全力で 受け入れた瞬間、全身の力が抜けた。炎が迸る音が聞こえる。ぼくのどこかが燃えているんだ。熱を感じる。藍の叫び声が聞こえた。咆哮だろうか。そのあと、急に視界が開けた。 ぼくの上で、藍が、燃えている。すぐに紅輝さんの姿を探した。しかし、炎が放出されている方向には、なぜか陽が立っていた。 陽が、炎を発現している。 「大切な友達なんだ。死なせたくない」 混乱した状況だったけれど、陽の一言は、凍えているぼくの眼に温かな涙を流させてくれた。 陽の炎は、ただ凄まじかった。おそらく藍は冷気の発現を試みているだろうが、それを凌駕するほど火力が高い。直接燃えていないぼくにも、はっきりと熱が伝わってきて、凍りついた部分が溶けていく。藍が押され、ぼくから離れていった。紅輝さんが、もうやめろと叫んだ。陽は一向に止めない。これ以上続ければ、確実に藍が死んでしまう。 「あきら、殺しちゃ、だめだ」 まだ口が開きにくかった。本当は叫びたい。陽を殺人者にしたくないから。 ふいに、陽がぼくを見下ろす。笑った。まるで状況を愉しむような、不気味な表情。再び藍を向く。火勢が増した。地獄の猛火という言葉がふさわしいだろう。藍がやってのけた炎の波なんて、大したことなかったのではと思わせるほどの巨大な炎の塊。向こうにあるビルまで炎が達し、引火していた。紅輝さんが駆け寄り、陽の肩を掴んだ。やめろ、と間近で叫ぶと、ようやく炎が途切れる。 藍の姿を捉えた冷奈が、息を呑んだ。衣服はなくなっており、全身の皮膚が赤黒くただれている。あの火力で炭にならなかったのは、全力で冷気による抵抗をしていたからだろうが、それでもこのダメージだ。 藍が後方に倒れた。丸くなっていて、ピクリとも動かない。 「お前、なにやってんだよ!」紅輝さんが陽の胸倉を掴んで叫んだ。「なんなんだ今の火力……炎は使えないんじゃなかったのか! お前、人殺したら自分がどうなるか、わかってるよなあ!」 陽は両耳を塞ぐ。「うっさいなあ。やっちまったもんはしょうがないじゃん。炎は、つい出たんだよ。加減したかったけど制御が利かなかったし」 「陽は、炎に対してトラウマがあったんです」 ぼくが言うと、そうそう、と陽は軽い口調で肯定する。 「陽の家族、みんなシムズで、火でいっぱい嫌なことされたって……気違いの父親のせいで家が火事になっちゃって、それで──」 「ストップ! まこと、そこまで言うな。そもそもこれは誰にも言わない約束だっただろ」 ぼくらだけの秘密として、陽が打ち明けた家庭の事情。でもそれを話さなければ紅輝さんにはわかってもらえない。 「そんな事情は関係ねえんだよ。どんなに情状酌量の余地があろうと、俺たちが誰かを殺したら、どうなるか」 あ、と陽が呟く。走りだして、藍には目もくれずその向こうに行く。ビルの周りで火災が発生しており、所々が燃え盛っていた。陽は冷気を浴びせる。だが特段、威力に変化は見られなかった。火の勢いが強いので消し止められそうにない。陽は止めて、こちらを振り返った。 「ねえ、俺全然強くなってないよ! まだ生きてるんじゃねえの、藍さん」 紅輝さんが駆け寄る。できればぼくを温めてほしいのだが、頼めそうもない。優しい冷奈は、ぼくが横たわっていることに目をくれて、傍に来て心配してくれた。ぼくを抱き起こし、後ろから密着して熱を発現し、身体を温めてくれる。 「おい、アオ、まだ生きてるのか?」 口の部分が微かに動いているのがわかる。やはりまだ息があった。腕をゆっくり動かし、紅輝さんの足元に近づけていく。シムズは寿命こそ短いものの、生涯を終えるまでの生命力は並外れているので、まだ助かるんじゃないだろうか。 「すまないな……青輝」 紅輝さんが謝り、立った。両手を差し向ける── ダメ、と声をあげようとした。言葉を発したときには、藍が炎上していた。 「紅輝さん、やめて!」 巨大な火柱が、突如として発生した。紅輝さんもこれに驚き、力を止める。自分の両手を見つめた。その手を、炎上するビルの周囲に向ける。発現したのは炎ではない。みるみる、鎮火していく。強力な冷気の風を発していた。消火を終えると、まだ燃えている藍にも冷気を与える。火が完全に消えると、そこにあったのはもはや炭。人の形をした、黒い塊でしかなかった。紅輝さんは力なく笑っている。 「もしかしたら藍さんは助かったかもしれないのに!」 「助からねえよ、あんな全身火傷、健常者なら死んでる。シムズだからかろうじて意識があったんだ。最後はなに言ってたかわかんなかったが、こうやって黒コゲになってるとこみると、俺にトドメを刺せって言ってたんだろうな」 それでも──。無数に言葉が浮かぶ。でも、全部、口にはできなかった。 ふと、足音が聞こえる。それと異様な気配。ぼくら全員がそれを察して、一斉に路地の奥に目をやった。そこに、不気味な形状の何かが、いる。頭部が三角に尖っていた。全体は真っ黒。視界に入った瞬間は奇怪な物体に見えたが、どうやら身を黒い衣装で覆っている人間のようだった。 「もう来やがった」 紅輝さんの言葉で、アレがなんなのか想像がついた。黒い三角頭巾が大きくてよく見えなかったのだが、後方には組織の人らしきスーツを来た男がついてきていた。髪色は落ち着いたブラウン。全体的に長めで、髪型は組織特有の派手さがないものの、きちんとパーマをかけてセットしている。その男は、忙しく携帯をいじっていた。胸元には黒と白のチェック柄のネクタイ。ボタンを留めておらず、ベルトが見えている。ネクタイがシムズのカラーではないので、組織の人間ではないのかと思った。 陽が、そいつらの前に出ていく。 「そこで丸焦げになってる人、俺がやったんです」 「陽、やめとけ。アホなこと言ってんじゃねえよ」 「俺が殺したんだ。だから、処刑対象は、俺です」 黒装束も携帯男も、陽に目もくれずすれ違っていった。そうして、紅輝さんの前で立ち止まる。男は携帯の操作を止め、焼死体の藍を見た。 「これぇ、確認するまでもないよな? どう見ても死んじゃってるし」 なあ? と男が黒装束に対して訊く。だが黒装束は微動だもしない。 「まあいい」男は紅輝さんを見遣る。「CIMSの掟に基づき、これより加賀紅輝の死刑を執り行う」 「覚悟はできてる」紅輝さんは、挑発するように両腕を広げておどけた。「はやくやってくれよ」 「ふざけんなよ、紅輝さんは何にも悪くねえだろ!」 陽が叫んでいた。紅輝さんが彼の名を力強く呼ぶ。 「これがシムズの運命なんだ。人を殺せば自分も死ななければいけない。難しいことはわかんねえけど、人殺しのシムズが問答無用ですみやかに処刑されることが、この世界の平和に繋がってるんだろうよ」 シムズを殺せば力を手に入れてしまうから。もし、一人が強大な力を獲得して誰も手に負えなくなれば、人類そのものが危険にさらされることだってある。それは理解できるけれど、でも、だからって、やっぱり処刑する必要のない人だっているんじゃないだろうか。 「あんたら、そもそもなんでこんな手際がいいんだよ、どっかで見てたのか? それならどうして止めに入らなかったんだよ!」 「──陽!」 周りの建物に、紅輝さんの声が反響した。 「みっともない真似はやめてくれ。俺はこの任務に就いたとき、こういう死に様だって思い描いていた」 ゴホン、と黒ネクタイが咳払いする。「紅輝、抵抗したければそれもいいと思うよ。最後に大暴れして、華々しく散るっていうのもいいじゃん」 「汚らしくあがく気はないっす。ただ一つ、お願いしていいっすか?」 なあに、と男は打って変わって優しく聞き返す。紅輝さんはぼくらを向いた。 「こいつらを、俺の処刑に立ち合わせてやりたい」 脈が乱れた。紅輝さんの言葉が、やはり死刑執行されるんだということに現実味を帯びさせた。男はぼくらを一人ずつ、確認していく。 「まあ、いいよ。本来は人を全て追い払って誰もいないとこで迅速に執行するのが決まりなんだけど、後学のために子供たちに見せておくのも悪くはない。いいよな?」 男が、黒装束に訊いた。やはり微動だもしない。紅輝さんが礼を言った。それから、ぼくらに見る覚悟はあるかと問う。見たくない、などとは言えなかった。見たいとも口にできない。紅輝さんはそれを、肯定ととらえた。 「もういい? はじめるよ」 紅輝さんが大きな深呼吸する。黒装束が紅輝さんに近づいて、頭に両手をかざした。 男は携帯のカメラを紅輝さんに向ける。「午後三時二十二分。加賀紅輝はこれより、シムズでありながら人を殺めた過ちを償うべく、死をもってその生涯を閉じます。紅輝、最後になんか言いたいことある?」 「何も」 「そっか。組織の一員として、立派に尽くしてくれました。ありがとう。代表として、心より感謝を述べる」 黒装束が、半歩後ろに下がった。 「あ、待ってください、やっぱ最後の言葉を言わせてください」 いいよ、と男は軽い口調で返す。紅輝さんは背広のポケットを探った。取りだしたのは、長財布。それをぼくに向かって勢いよく投げた。宙で、きちんと受け取る。 「八万くらいは入ってる。足りるだろ? 美味い店はそこの代表が知ってるから。三人ともマジでよくやってくれた。俺一人なら無理だっただろう。お前らのお陰で、使命は果たせたんだ。どんな道を歩んだとしても、きっとお前らなら、俺より何倍も最高に輝いた一生を送れる」 改めて、紅輝さんはぼくら三人を、見回す。それから、ありがとう、と小さく言った。 「以上です」 言葉を受けると、代表と呼ばれた男は、ひどく優しげに笑みを浮かべた。だがそれはほんの一瞬のこと。一転して、表情に威厳を漂わせる。 高らかに、手を上げた。 それを合図に、怖気立つような火柱が、紅輝さんの身体から立ち上った。陽の放った力はなんだったのか。充分凄まじかったのに、全く比にならない。周囲のビルと並ぶほどの炎が、渦を巻きながら空に立ち上っていた。まさに、 時間にして一分も経たなかった。けれど体感時間は長く感じた。冷奈だけは顔を背け、最後まで見られなかった。炎が静まると、驚くべきことに、何も残っていない。骨すらも、焼き尽くしてしまった。 ……あの執行人は、いったいどれだけのシムズを殺したんだ。 |
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