魔法シンドローム

第七話.国際魔術師機構(page.B)



 学校ではあまり一緒に過ごせないぼくら三人は、いつも揃って下校し、時々は寄り道をした。もっぱら、行き先は八雲神社だ。やることがなくても、何をするでもなく短い時間を共に過ごした。安心感を得たかったのかもしれない。会話が見つからなくても、つまらないと感じることはなかった。そもそもぼくは冷奈が好きなので、一緒にいられて幸せだったし、陽は──たとえ冷奈と二人きりになれないのだとしても、いなければ物足りなくて困ってしまう。仲の良い健常者と一緒でも、孤立感というか、疎外感を覚えてしまうから、この広い世界で、同世代の身近なシムズはとても貴重な存在だった。
 いつもの神社で、二人がぼくを呼ぶ。何度もぼくの名を呼んでくれる。
「まこと!」
 光が視界に飛び込んだ。見慣れた天井。傍には、お母さんがいる。
「やっと、起きた……」
 お母さんが泣いていた。横になっているぼくに抱きついてくる。
「ここ、家だよね?」
 そうよ、という返答。なんだか、ひどく頭がぼんやりする。ぼくはとても面倒くさいことに巻き込まれていたような。
 ハッ、と思いだした。大切な二人の顔を。
「陽と、冷奈ちゃんは? ぼく、どうしてここにいるの!?」
 二人のことはわからない。あなたは組織の人に運ばれてきたのよ。お母さんの声を聞きながら、デジタル時計で日付を確かめた。今は、日曜日。正午過ぎだ。
「ぼく、ずっと眠ってたの?」
 お母さんは頷く。一生目を覚まさないんじゃないかと心配していたらしい。
「ぼくなら大丈夫だよ、力を使いすぎた反動だと思う」
 ただ、ここまで気絶していたのは初めてだった。
 お母さんにひとしきり撫で回されたあと、ぼくは家の電話に向かった。先にどちらに掛けるべきか少し迷ったが、施設に電話した。いつも応対してくれるおじさんが出て、陽に代わってもらうよう告げる。
「陽くんならいないよ。組織の仕事のお手伝いで、少しの間戻ってこないとか」
 それが嘘で、今最悪の状態にあるんじゃないのか、と過ぎった。電話を切り、次は冷奈の携帯に掛ける。だが電源が切れていて、繋がらない。すぐに冷奈の自宅に掛けた。出たのは継母だ。
「冷奈は、戻ってきてないわよ。なんでも組織の研究にあの子の力が役立つって言われて、しばらく借りたいって」
 二つ返事でそれを了承したのだという。冷奈の実母はシムズで、早くに亡くなり、再婚した健常者が新しい母となったのだが、やはり実母じゃないと平気で娘を手放せるのかと思った。自分の子じゃないから、なんの危機感もいだかないんだ。
 電話を終えると、無性に腹が空いていたことに気づいた。お母さんは、すでにたくさんの食事を用意してくれていた。それらを無心で頬張りまくった。
 食休みをしている間、支給された組織用の携帯を探したのだが、なくなっていた。そればかりか、紅輝さんの財布も奪われていた。ぼくらのためにとくれたものなのに、勝手なことをする組織の奴らに怒りを覚えた。
 二人の安否を確認したいのだが、どうしたらいいのか。無茶をしたあとだから今日は家でゆっくりするのよ、とお母さんは言い、出かけた。無茶はしないが、家でゆっくりもできなかったので、ぼくも外に出た。行き先は、とりあえず神社しかない。
 寂れた場所で、稀に老人の参拝者が訪れる程度のひと気しかない。子供たちはもっと広い公園に行くので、ここはぼくらの格好の溜まり場でもあった。
 ……いつもいる二人がいない。今は、ぼくだけ。
 執行人に連れて行かれて、それから帰っていない。じゃあどうなったんだろう。あの時点で陽は、……きっと生きていたはず。ぼくらシムズは丈夫なんだ。簡単には死なない。やっぱり、歯向かったことが連れていかれた理由だろうか。ぼくも何か攻撃して、連れていかれればよかった。
 石段に座ったまま、ぼんやり先を見つめる。雪はだいぶ解けてしまった。水気の多い雪を掬い、素手で固める。空に向かって投げた。同時に魔力(マナ)を一帯に放出する。雪玉に対して再発現(リブート)を行い、宙で運ぶ。細い幟用ポールの天辺に当ててみせた。雪は砕け、欠片が地面に降る。奥にある電話ボックスが目についた。立ち上がり、駆け寄る。中に入って電話帳を手にした。開くと、そこには組織の電話番号が載っている。そのページを破いた。
 急いで家に戻り、組織に電話を掛ける。
「お電話ありがとうございます。こちらは、国際魔術師機構、ISOです。大変申し訳ございませんが、休日は一般回線での受付をお休みしております」
 女の人の声が聞こえたときつい喋ろうとしたのだが、よく聞けば録音メッセージだった。平日じゃないと組織とは連絡が取れないようだ。
 何もできない。明日を待つしかない。いくらなんでも明日になれば戻ってくるだろう。学校があるんだし……会えるはず。

 教室に、陽と冷奈の姿は見当たらなかった。
 きっと来るはずだとぼくは信じていたので、朝の時点ではまだ望みを捨てていなかった。けれど朝のチャイムが鳴り、担任の先生がやってくると、二人は休みだと告げた。
 その理由を、先生は知らなかった。ただ「組織の仕事を手伝うため」だと聞かされたらしい。逆に、なぜ二人が休みでぼくは出席しているのかと問われた。何も答えられないので、ぼくは首を振るしかない。
 休み時間、同じ質問を冷奈と陽の友達にもされた。二人は優秀だから仕事を任されたんだよ、それが終わり次第戻ってくるはず。脳裏に土曜の出来事を過ぎらせながら、そう適当に答えた。こんな発言をすれば、いつもなら和也くんが罵ってくるはずで、それを無視する自分の姿まで想定していたのだが、何も言ってこない。和也くんは席でずっと顔を伏せていた。ちょうどぼくの席に来ていたユースケくんに、和也くんはどうしたのかと小声で訊いてみる。
「あー、たぶんひきずってるんじゃね?」
 意味がわからないので、それはなんのことかと訊く。
「金曜のこと知らんの? 陽から聞いてない?」
 眼球をぐるぐると動かして記憶を探るが、陽が喋った和也くんの情報なんてなかった。
「陽と、魔術部の下級生が剣道部の道場に乗り込んだんだよ。試合を申し込んで、剣道部のやつら全員叩きのめしたんだってさ」
 ぼくは、打ち震えた。その様子が頭のなかで想像されて、息を漏らすように笑った。そのことを知っている子、知らない子といて、各々が感嘆の声をあげる。
「それって、陽が、和也くんに剣道で勝ったってことだよね?」
 ユースケくんは頷く。「つっても、真剣勝負ってわけじゃないぞ? あいつらは魔術部として来てるからって言って、風魔法を使って戦ったらしい」
 ……ああ、そうか。なるほど。それなら勝ってもおかしくはない。風を当てて隙を作るだけでも、断然シムズの方が有利になる。
「それだったら陽が勝って当然だよ。ぼくらが健常者のスポーツで能力を使うのはチートと一緒ってよく言われるし。本当に真剣勝負だったら陽が勝てるわけないじゃん」
 ダン、と物音がたった。和也くんが席を立っていて、こっちを睨んでいる。
「あいつはほんのちょっとしか力を使ってねえよ」
 そう言って、和也くんは歩きだす。なぜか、こっちに向かって。そうして、ぼくの席の前に立った。ようやく嫌味を口にするのか。
 だがその予想に反して、和也くんは腰を下ろし、正座した。何をしようとしているのか、わからない。和也くんの呼吸が荒くなり、両腿に置かれた拳は震えている。唐突な行動に、みんなが彼を注目した。
「なんでそこに正座したの? ここ武道場じゃないよ」
 そう言ってみると、和也くんは両手も床に着いた。腰を曲げて、頭を床に押し付けた。
 これは、土下座だ。
「今まで、風無命様に対して、失礼な発言や野蛮な行動を取ってきたことを、深くお詫び申し上げます。藤堂和也は今後一切、そのような無礼を働かないことをここに誓います。本当に、申し訳ありませんでした」
 唖然としていた。数秒、誰も口を開けなかった。
「どうしたの、急に」
 と、ぼくが言うと、急に和也くんは立ち上がる。目が潤んでいた。洟をすすり、目元を拭いながら、ポケットから紙を出す。それをぼくの机に叩きつけてきた。そうして、一目散に教室の外へと走りだす。出て行ってしまった。
 生徒たちがざわつきだす。アレなんだったんだ、とユースケくんが呟いた。ぼくは折りたたまれた紙を広げる。そこには、パソコンを使用した文字で「誓約書」と書かれていた。
 剣道の試合で負けたらぼくに対して土下座をし、さっきの台詞を言うこと、と書かれている。反対に陽が負けたら、和也くんの子分になって小学校卒業までなんでも言うことを聞く、と記されていた。ご丁寧に二人の拇印まで捺されている。
「陽……」
 こんなことして、それで試合にも勝ってくれた。彼の熱い想いがうかがえる。強烈な友情を感じずにはいられなかった。

 一縷の望みを勝手に抱いていたのだが、陽も冷奈も、学校が終わるまでに顔を見せることなどなかった。幸村先生もこの件に関しては何も知らなくて、ぼくは迷ったのだが、やはり土曜にあったことは全部黙っておくことにした。
 まだ、できることはある。部活が終わり、家に帰ると真っ先に組織に電話を掛けた。
「お電話ありがとうございます、こちら国際魔術師機構です」
 昨日とは違う女の人の声。だが口調というか、声の使い方が似ていて、また自動音声なのかと思った。少しだけ待ってみる。すると「もしもし?」と問いかけられたので、これはちゃんと繋がっているんだと理解できた。
「あの、ぼく、風無命と言います。陽と冷奈という人は、そちらにいませんか?」
「アキラ様とレイナ様ですね。どちらの支部の者でしょうか?」
 どちら? それはぼくのことだろうか。いや陽と冷奈の話に決まってるか。
「えっと、東京だと思います。そこいなければ神奈川に」
「東京支部か神奈川支部ですね。了承しました。少々お待ちください」
 メロディが流れる──と思ったらメロディじゃなくて宣伝だった。携帯会社のCMが流れている。携帯が欲しい、などと思ってしまった。
「もしもし、マコト様。大変お待たせしました」
 いや、一分もかかっていない。
「申し訳ありません、アキラ様とレイナ様という方は、どちらの支部にも籍を置いていません」
 そんな──「いや、絶対いるはずです。組織の人が言ってたんです」
「左様ですか。念のため、全支部に登録されている魔術師のデータと照合を行いましたが、一致する方はいませんでした」
 いや、データとかそういうのじゃないんだ。「そうじゃなくて、二人は一時的に組織が預かってるらしいんです。ぼくはその二人の友達で、今どうしてるか心配で、少し話したいんです」
「申し訳ありません、そういうことでしたら、お繋ぎできる魔術師の名前を挙げていただけますでしょうか? その方に改めてお尋ねください」
 まどろっこしいなあ。「じゃあ、東京支部の汐穏代表をお願いします」
「えっと、お客様、大変申し上げにくいのですが、春日野は先日、亡くなりました」
「えっ!」
 送話口に向かって、叫んでいた。受付の人の小さな悲鳴が聞こえた。
「汐穏代表、死んだんですか?」
 はい……、と一遍して声色が暗くなる。「昨日未明、息を引き取ったそうです」
「……死因は、なんですか?」
「マスコミ各記事の発表によるものですが、寿命を全うされたそうです」
 もう公表されていたんだ。
「他にお繋ぎできる方はいらっしゃるでしょうか?」
 ウチの学校を出た先輩はどうだろう。でもだいたいは神奈川支部に入っているだろうし、仮に東京に知っている先輩がいたとして、こんな内情を教えられているだろうか。
 それでも可能性はあるのだから、ぼくは知っている先輩の名を挙げ、東京にいる人を教えてもらった。数名、籍を置いていた。そのなかで、一番年上の先輩に繋いでもらった。陽と冷奈が東京の組織の人に連れていかれた。何か知っていませんか。そう問うも、何も知らないと返答される。二人の姿も見てないのだという。どうしようもないので、礼を言って切った。
 執行人が連れていき、組織には行かなかったのか。それとも単に口止めされているのか。もっと年上の人じゃないと、詳しいことは聞けない気がした。そんな魔術師の知り合いはいない。
 ……待て。いる。一人だけ、いるじゃないか!
 組織に電話を掛けた。さきほどと同じ人が応対する。
「あの、風無シンジをお願いします。どこに所属しているかはわからないけど、組織のシムズとしてどこかにはいるはずです」
 お待ちくださいといわれ、CMが流れる。先ほどとは違う携帯会社の宣伝だった。
「お待たせしました。申し訳ありませんが、そのような魔術師は在籍しておりません」
「嘘だ! そんなわけない」
「全支部のデータと照らし合わせましたが、そのような名前の方はおりませんでした」
「あの、シンジというのはぼくのお父さんなんです。この前、会って、でもまたどこかに行っちゃって……。確かに組織にいるはずです。これで最後にしますから、できれば、シンジという名前の人を探してください。漢字は、マコトという字に、ツカサドる、で真司です。複数いたら、その人たち全員にぼくの名前を出して掛け合ってみてください」
 お姉さんが無言になる。保留にならない。怒らせただろうか。
「お客様、申し訳ありませんが、その漢字で真司という方は該当しませんでした」
 なんだよ、くそっ!
「じゃあ、……それじゃあ、さっき最後って言ったけど、本当のホントにこれで最後ですから、別のシンジは? その人がぼくのお父さんかもしれない。問い合わせてみてはもらえませんか?」
「少々、お待ちください」
 保留になった。今度はCMではなく、聴いたことのあるクラッシックだった。
 お姉さんが再び出ると、全国の支部で四人いるシンジに問い合わせたと言った。だが、全員が口を揃えて、ぼくのことは知らないと言った。
 もう打つ手はない。きちんとお礼だけ述べ、電話を切った。無力感をいだき、それから無性に腹が立ってくる。我慢できなくなりそうで、外に飛びだした。
 だからといって、何もできない。まだ行ったことも見たこともないから、組織がどこにあるのかわからなかったし、仮に調べて乗り込んでも、さっきの電話のような扱いを受けるだろうから、行動を起こす気になれなかった。
 当てもなく歩いていたのに、八雲神社にたどり着き、縁の隅に座った。晴れが続いたので、もう影の部分にしか雪は残っていない。
 いったい、この状況は、どうしたらいいんだ。
 受付の人は全く組織の内情を把握していないようだし、問い詰めても無駄。事情を知っている魔術師に繋いでもらわない限り、何も聞きだせないようになっているのか。もうお父さんしか頼れる人はいないのに、どこにも所属していない。もしかしたら海外の支部に籍を置いてるとか? その可能性はある。……それか、この前会った人は、お父さんではなくて別人なのかもしれない。
「ひゃっ!」
 突如、人が短い悲鳴をあげた。肩をすくませて顔をあげると、目の前には女性が立っている。お母さんより少し年上に見えた。参拝客だろうか。
「びっくりした、今日はいないと思ったのに。あんたら、迷惑よ。いつも神社占領して。わかってるの?」
 全く意味がわからず、首を傾ける。「ぼくたち、ただここで遊んでるだけですけど」
「それが迷惑だって言ってるの。普通の子ならまだしも、あんたらはシムズでしょうが。いい? 世の中にはねえ、あんたたちのことを忌み嫌う人って多いの。気味の悪い力を使って遊んでること、この辺で有名よ? 近所の噂になってるんだから。変な子供がいるから八雲神社には近寄れないって。あー、気持ち悪い。あんた、風無さんのとこの子よねえ?」
 ぼくは微動だもせず、おばさんをじっと見つめていた。
「今十二歳かしら。あと十四年くらい? あんたらはすぐ死ぬからまだいいけど。これでもしあたしらと同じくらい……それ以上長生きするようだったらって思うと、ゾッとするわ。さぞ不気味な世界になってるでしょうね。あー、気色悪い」
 おばさんは両肩をさすり、背を向け、ぼくの前から立ち去っていく。
 ぼくは、ゆっくりと地面に立った。気づかれぬよう、静かに魔力(マナ)を発現し、おばさんを追い越す。腹か、喉か、顔面。どこに再発現(リブート)して風圧をぶち込もうか。喉を潰したら死ぬだろうか。呼吸器に風を送り込み続けたらどうなるだろう。内臓をぐちゃぐちゃにしてやれるだろうか。
 首を、思いきり振った。深呼吸をする。馬鹿か、と自分に言った。おばさんの姿が見えなくなると、ぼくも神社を離れた。
 お母さんが帰ってきていて、居間でテレビを見ていた。ちょうど、東京の組織の代表が寿命で亡くなったことを報道していた。お母さんはぼくにおかえりと言い、テレビに視線を戻すと、サッとリモコンを取ってチャンネルを変える。
「お母さん」
「なに?」
 口を開く。その奥に、多くの言葉が溜まっていた。お父さんのこと、さっきのおばさんのこと、冷奈と陽のこと、汐穏代表の話。
「ただいま」
 何も言えない。お母さんはぼくを少し見つめ、それからふっと笑みを浮かべた。
「何か、思うこととか、不安があったら、なんでもお母さんに言うのよ」
 うん、と返事をする。お母さんはテレビの方を向いた。
 ……打ち明けるのは、後回しにしよう。最後にできることがあるから。



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