魔法シンドローム

第八話.執行人(page.A)



 電車が往来するたび、人も行き交う。時間帯的に東京方面から帰ってくるサラリーマンや学生が多かった。構内は別段、変わりがなく、警戒態勢を取る様子も見られない。ぼくは舐められているのだろうか。
 三十分が過ぎた。二時間も待つのは骨が折れる。だからって一時間にしちゃったら、仮に遠いところにいたらここまで来れないだろうし、すぐに時間が来てしまう。タイムオーバーになったって、誰かを殺す気なんかないので、そうしたらどうすればいいんだろう。おとなしく二人が帰ってくるのを待つか。それとも東京支部に乗り込むか。この二択になる。
 じっと待っているのは嫌いだ。シムズの血液型診断でも、ASS型は落ち着きがなくて忙しないって書いてあった。OFA型は冷静沈着で慈しみの心があるとか。反面冷血なところがある。そっくりそのまま冷奈のことを言っている気がした。BL型は、とにかく心が熱い。情が深い。たまに鬱陶しくて暑苦しくもなる。これを読んだとき、陽には当てはまらないなと思ったけれど、今改めて考えれば陽の性格に思える。紅輝さんは典型的なBLA型だったなあ。藍さんはシムズを殺して、9つの魔法式以外のZ型に変化したってことだったけど、元は何型だったのだろう。
 ゴー、という、唸るような強風が唐突に駅構内に吹き込んだ。元々外は木枯らしが吹いていたが、風は明らかに熱を持っていた。止むと、ぼくは外に向かって走りだす。歩道に出て周囲を見渡すが、それらしき姿が見当たらない。だったら──
 天を仰いだ。真っ黒な背景の中には無数の星が占領しており、他には何も見えない。夜空に紛れているのかと目を凝らすも、見つけられない。
 ふっと、顔を撫でるような生温かい風を感じた。背筋がぞくりとして、すぐ自分の魔力(マナ)で払いのけた。目の前を通る県道の向こう側に目をやる。人々が街灯に照らされ、歩道を行き交っている。特に変わった様子がみられない。もし不気味な黒装束がいれば、少しは周りの人がリアクションしてもいいのだが。
 パッ、と光が灯った。炎だ。歩道沿いにある、居酒屋の入った七階建てのマンションの、屋上。
 そこに、いる。
 炎の明かりで、ほんのりと輪郭がみえた。尖った三角頭。間違いない。執行人がいる。
 横断歩道に向かって、走りだす。心臓が早鐘を打っていた。本当は怖い。対峙したくない。それでも、落ち着け、と言い聞かせながら、足を動かし続ける。こんなところで逃げるわけない。それにあいつと戦うわけじゃないんだ。ただ二人の安否を訊きだすだけ。ここまで来てくれたってことは、何か情報はくれるはず。
 県道を渡り、ビルに近づく。隣にはバス停と小さなロータリーがあった。執行人は屋上の端に突っ立っている。ぼくはロータリーに入り、息を整えつつゆっくりビルに歩み寄り、奴を見上げた。背後に浮かぶ三日月が、まるで奴の心を投影しているように見える。
 黒装束は奥へと消えていった。屋上に行かなければいけない。地面に魔力(マナ)を溜めていき、そこに向かって背中から倒れ、再発現(リブート)により風を巻き起こす。足が地面から離れると、一気に身体を押し上げる──マンションの窓を通過していく。ちょうど窓際にいた女性がぼくを見て仰天した。建物が途切れ、屋上に出る。黒装束がいた。魔力(マナ)の放出と再発現(リブート)により、建物の方へと自分を押し込む。コンクリートに下り立った。
「ほう。か弱い魔力(マナ)を高度にコントロールできてるな。お前の力ではここまで来れないだろうと思っていた」
 黒装束の声は、低くて重い。それでいて鼓膜に刺さるような鋭さも備えた、不気味な声質だった。
「ちょっと上昇するくらいなら簡単だよ」とはいうものの、高く飛んでみたのはまだ二回目なのだが。「来てくれてありがとう。言っとくけど誰も殺してないよ。元々人を殺す気なんかないし」
「そんな度胸がお前にないことぐらいわかってる」
 少し苛立ちを覚えた。八雲神社では殺す手前まで実行できたし。
 感情が昂ぶらないよう、手短な深呼吸をする。「わかっててきてくれたんだ。あ、それとぼく、あなたと戦う気もないからね。二人をどうしたのか聞きたかっただけ。心配になったんだよ。連れてったのが執行人のあなただから、余計に色々と考えちゃったんだ」
 突然、黒装束は不気味な笑い声をあげた。
「なに、ぼく面白いこと言ったの?」
 黒装束が、裾から光る物を出す。それをこちらに向けた。携帯の、画面だ。
「これより、新道陽の死刑を執行する」
 耳に飛び込んだその音声に、血の気が引いた。今ぼくの目の前にいるやつと同じ声。
「やめろ、俺が何をしたっていうんだよ!」
 近寄り、目を凝らす。画面の中に陽がいた。両手両足を拘束され、横たわっている。画面に黒い手が映りこむ。黒装束が撮影しているようだった。
「渋谷のときは悪かった。でもお前は無傷じゃないか、俺は誰も殺してない、どうして俺が処刑されなきゃいけないんだ!」
「新道陽、お前は少し強い力を持ちすぎている。組織はシムズ喰いを未然に防ぐため、危険人物を秘密裏に処刑することになっている。なので、速やかな処刑を行う」
「ふざけんな、やめてくれええええええ!」
 陽が、燃え上がった。火中で叫んでいる。ぼくも、彼の名を叫んだ。いや、これは動画なのだから、すでに陽は──
 いっそう炎が高く立ち上り、渦を巻く。凶悪な火力。直に陽の声がなくなる。炎が静まると、もうそこに、人の姿はなかった。動画が、終わる。
「嘘だ……」
「仕方がない。世の秩序を守るためだ」
 黒装束を睨みつけた。強風を発現する。だが容易に相殺された。
「戦う気がないと言いながら、やはり力をふるう。自制ができないドロフォノスも危険因子とみなされるぞ」
「無茶苦茶なこと言うなよ! 大切な友達を殺されて怒りをこらえられるほうが異常だ!」
 目元に違和感を覚えた。反射的に顔を触ると、濡れている。泣いてしまっているんだと気づいた。
「激情に流されて人を殺しかねない。もし健常者を殺してしまえば、シムズ全体の信用に関わる」
 嗚咽がこみあげてきた。足腰にうまく力が入らなくなり、崩れる。先ほどの映像が勝手に脳内で再生された。あれは現実ではない、と頭を振るうが、払拭できない。
「不条理な立場で生まれたのだ。だから仕方ない。あの冷奈という少女も危険だ。聞けばKG氷牙のメンバーを半殺しにしたという」
 それは向こうが悪いんだろ、冷奈は身を守っただけにすぎない。冷奈は無事なのか、絶対に手を出すなこのクソッタレ──喉が痛むほどの声量で叫んだ。
「安心しろ、あれは利用価値がある。シムズの少女というのは、それだけで役に立てることもあるからな」
 全力を、敵に向けて発現した。風の轟音。噴き上げる憎悪をぶちあてるような感覚だった。それなのに、黒装束は身じろぎ一つしない。手前で完全に相殺されていた。視界が霞む。力が途切れる。気絶しかけたが、意識を保った。息が荒立つ。
「まさか今のがお前の全力なのか。私にとっては涼風も同然」
 駄目だ、絶対に勝てない。冷奈を救えないうえ、一矢報いることさえ不可能。いったいこいつは、今まで何人のシムズを喰ってきたんだ。
「頼む、冷奈には手を出さないで、無事に帰してあげてよ……」
 所詮、力に屈するしかない。ぼくはこいつに勝てない。だから頭を垂れるしかないんだ。ただそれだけでは必死さや本気さが足りない。和也くんが土下座をしていた姿を思いだした。ぼくも、執行人に対して、同じことをしてみせた。
「お願いします、ぼく、なんでもするから」
 情けなかった。友達を殺されたのに、こんな惨めな姿をさらしている。
「どんなことでもできるのか?」
 そう問われると怯えてしまう。死ねと言われてしまったら、どうすればいいだろう。やはり命は惜しい。そう考えてしまうことに自己嫌悪した。
「それじゃあ、死ねるか」
 肩がぴくりと反応する。案の定、言われた。ここで頷かなければ格好悪い。でも、まだ死にたくない。それ以前に、腹を括って死を選べば確実に冷奈の身の安全は保障されるのだろうか。
「立て」
 命じられたので、ぼくは上半身を起こし、立ち上がる。心の中では、執行人の放つ処刑の劫火に構えていた。スッと、奴の手がこちらに伸ばされる。
「今から、お前に高濃度の魔力(マナ)を浴びせる。抵抗したければするがいい。背を見せて去るもよし。見逃してやる。だがそうすれば、冷奈という少女は無事では済まない。二度と会えないものと思え」
 動悸がする。今から、ぼくは処刑されるのか。
「簡単な二択だ。少しでも力を放出すれば、お前は助かる。無抵抗であれば、冷奈は助かる」
 どっちも嫌だ。選べない、こんなの。
「覚悟を決めろ」
 身を守れ、と脳が命令していた。風で相手の力を相殺する──数え切れないほどその訓練を繰り返してきた。くる、と思うと、反射的に能力を発現してしまう。
 だが、全身の力を抜いた。
 脳裏には、自分もあと十数年も経てばそれで寿命なんだと過ぎっていた。もう人生を半分近く生きている。ここで逃げて、あとは後悔しながら生きることを思うと、そっちの方が苦痛だ。冷奈を守って死ぬほうが、紅輝さんの言う輝いた人生なんじゃないかと、結論が出た。
 正面に衝撃を受ける。ぼくは体勢を崩した。何が起きたのかわからぬまま、今度は背を思いきり風が突き上げてくる。身体が浮いた。勝手に反転すると、地上が見えて、数人がビルの周りに(たか)っていた。いつの間にか、執行人も浮いている。
「素晴らしい覚悟だ。その心に免じてお前に機を与える」
 身体が、流され始める。屋上を離れていき、加速していく。死を選択した度胸に免じて、どうやら何かチャンスをくれるらしい。力のない笑いが零れてしまった。飛行速度が上がっていく。目を開けていられなかった。百キロくらい速度が出ているんじゃないだろうか。どこかへ連れて行きたいみたいだから、何もせずに身を任せたほうがいい。
 直に夕摩川が見えてきた。水面が夜の闇に染まっており、どこが岸と川の境目か判然としない。川を越えるのかと思ったが、唐突に減速した。黒装束がぼくを追い抜いて先に地に降り立った。いったん、風が消えうせる。地面に向かってぼくは落ちていく。自分で降り立つべきなのか。いやきっと黒装束が最後までぼくをコントロールしてくれるだろうと、硬直する。地に激突するすんでのところで風に巻き上げられた。ぼくは勝手に宙返りして、それから再び風が吹き上がってクッションとなる。全く衝撃を受けず、足を着いた。
 身体を、黒装束の方に向ける。
「こんなところに連れてきてどうする気?」
「死を覚悟したお前には簡単なことだ。同じ覚悟を持って俺と戦え」
 つい軽く嘲笑してしまった。「それ結局死ぬじゃん。ただ黙ってやられるより、些細な抵抗を示してかっこよく散れって言ってんの?」
「そうだ。だからこのような広い場所にお前を連れてきた」
 小馬鹿にするように首をかしげてやった。いくら頑張って抵抗しても勝てるはずない。数え切れないシムズたちの力が、この執行人に凝縮されているんだ。そんなものに単身で立ち向かうなんて無謀。なぶり殺しにされるだけだ。
「かかってこい。それとも黙って殺されるほうがいいか」
 玉砕することを前提での戦闘。そこになんの意味があるだろう。バトル漫画やアニメじゃあるまい。眠っていた力が覚醒するとでも?
「どうした、こないのか。中途半端な戦い方をすれば、少女の一生を惨たらしいものにしてやる」
 またその脅し。もう、聞き飽きた。
 魔力(マナ)を放出する。当然、相殺されて到達しないが、ぼくは斜め後ろ方向に走って距離を置いた。そこから、とにかく微弱な魔力(マナ)を送る。一帯を流れる自然の風に紛れ込ませる。気づいているのかわからないが、黒装束が炎を放った。風の障壁を張る。完全な相殺なんか、不可能だ。いくら魔力(マナ)を振り絞っても熱が身体に到達する。目を開けていられない。
 炎が止むと、眩んでいた。目が慣れるまで時間がかかる。凝視して奴の姿を探すものの、黒い衣装が闇に同化しているせいか見つけられない。移動したのか。でも地上は開けているし、微かな輪郭すら見つけられない、というのもおかしい。
 気づいて、顔を上げた。奴が滑空しながらこちらに向かってきている。どうすればいい──とにかく、風をぶつけるしかない。芸のない攻撃。黒装束の強い風に押し返されてしまう。絶対に周辺を奴の魔力(マナ)で満たしてはいけない。再発現(リブート)で火の海にされるか、一気に凍らされてしまう。
 意識が途切れる寸前の力で、風を起こし続ける。気を失えばその瞬間、相手の魔力(マナ)に飲み込まれるから。それでも、どうしようもなく太刀打ちできない。すでに奴の起こす風はぼくの元に連続で吹き付けていた。
 強烈な衝撃が身を襲った。目の前の世界が歪み、かと思うと景色が前に飛んでいく。地に背を打ち、転がったとき、飛んでいたのは自分だとわかった。黒装束が、目の前に降り立つ。逃げろ、と脳が全身に命令するが、身体は言うことを聞かない。能力もうまく発現できなかった。直に奴が胸倉に手を掛け、持ち上げられる。ぼくは腕を振った。相手の肉体を、拳で打つ。しっかり殴ったはずなのだが、黒装束はぴくりともしなかった。
「がっかりだ。まこと、お前はあまりにも弱すぎる」
 こいつは、ぼくで遊んでるだけなのか?
「いいかげんにしろ、戦力差があるのは当然だろ。ぼくはお前のような殺人者じゃないんだ! 組織のやり方に従ってきてたまたまお前だけが強い力を持っただけ。偉そうなこと言うな」
 声を荒らげてみせると、奴は黙り込んだ。意外とメンタルは脆いのだろうか。
 黒装束が、ぼくを突き飛ばす。後方によろけつつも、地にしっかりと踏みとどまった。正面を向くと、掌を向けられている。目映い光を放ち、炎が発現された。だが、その威力は見た目にも弱い。軽く魔力(マナ)を放出するだけで難なく進行を止めた。距離を置こうと、急いで後退する。
 ふっと、風が吹き抜けた。悪寒が走り、直後、背を思いきり打たれる。前のめりになり、正面にぶっ倒れた。
「俺の力がどうという話じゃない。お前は、弱いんだよ」
 戦闘の技術面のことを言っているのだろうか。……そんなこと、どうでもいい。明らかにおかしなこの状況は、なんだ。
 こいつは、どうして、ぼくをすぐに殺さない。
 今だって、なぜ風圧を再発現(リブート)した。炎や冷気を再発現(リブート)すれば、確実にダメージを与えられたはず。さっきだってそうだ。風で吹き飛ばすのではなく、渋谷でやってみせたような一帯を凍りつかせる技を使われれば、ぼくは魔力(マナ)を発現できなくなるし、それからどうとでもできる。こいつは、殺傷能力の高い炎や冷気の多様を、明らかに避けているんだ。
 ……信じたくないけれど、ずっと頭にまとわりつく可能性を捨てられない。確かめるべきだろうか。でも、どうやって。
 黒装束が悠々とこちらに歩み寄る。立ち上がり、一か八か突撃していった。奴は魔力(マナ)を発現する。ぼくは再発現(リブート)により宙に向かって飛びだす。上空から魔力(マナ)を放射。奴はこれを相殺してくる。ぼくは、手を伸ばした。黒装束の三角頭に向かって。
 奴の風に突っ込むよう、ぼくは全力で風を吹いて推進力を得る。長細く尖った頭巾に、手が届いた。しっかりと掴み、引く。奴の背後に、着地した。視界が眩む。頭を振り、意識を保った。手には、まだ頭巾を握りしめている。
 振り返り、その姿を確認した。意外にも奴は逃げも隠れもせず、黒いマントに包まれた身体の正面をこちらに向けた。
 ──瞬間、息が詰まった。
 混乱がぼくの脳を引っ掻き回す。現実感が一気に失われた。今、ぼくは幻覚を見ているのだろうか。いつの間にか毒を盛られたのか、それともぼくの知らない力による作用なのか。
 ありえない人物が目の前にいた。ぼくのお父さん、ではない。
 新道陽がそこにいる。



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