魔法シンドローム

第八話.執行人(page.B)



 この状況をどう解釈すればいいのかわからなかった。いや、その前に、まず目の前の人物は、本当に陽なのか。身長がおかしい。陽の背の高さではない。
 紅輝さんと藍のことを思いだした。陽も、双子だったのか。
「よお」
 軽快な口調で挨拶された。その口から出た声は、まさしく陽のもの。さきほどの低くて重たい声質が消えている。
「……陽なの?」
「ああ、俺だよ」
 本当に陽らしい。そうは言われてもまだ信用できない。ぼくは改めて、彼の頭から地面に触れている布地までを見た。すると、陽が微かに笑う。右足を持ち上げ、黒装束の裾をめくり、足がどうなっているのか見せてくれた。陽は、十センチ以上はある底上げ靴を履いていた。
「面白いだろ? 背が低い場合はなるべく身長を合わせるためにこんなの履いてるんだぜ」
「合わせるってどういうこと? 陽は執行人だったの?」陽の処刑動画が過ぎる。「わけがわからない、死刑になったんじゃなかったの? もしかして、ぼくと初めて会ったときから、陽は執行人だったの?」
 陽は黒い手袋をはめた両手を出す。ストップ、という具合に掌を見せていた。
「落ち着けよ、きちんと話すからさあ」
 こんな混乱した状態に陥って、落ち着けるはずないのだが、陽がそういうのだから、と深呼吸をした。俯いて、再び顔を上げると、遠くにある街灯を微かに反射する陽の眼をしっかりと捉えた。
「そんな怖い顔するなって」
 別に怖い顔してるわけじゃない。真剣になっているだけだ。
「俺、今日執行人を引き継いだんだよ」
 はっ? と大声をあげると陽が肩をすくめた。
「じゃあ執行人になったから、ぼくを止めにきたってことなの?」
 陽は腰に両手を当てる。「まあ、そんなところだ」
「制裁を加えにきたんだ」
 敵意を込めて口にすると、陽はすぐ首を振った。
「俺とお前は友達だろ? そんなことするわけない。まあ、さっきは驚かすつもりで色々したけどな。……嬉しかったよ、俺の処刑動画を観て、まことが本気で怒りを抱いてくれて。やっぱお前は良いやつだ」
 今は、言いあらわせぬ怒りを覚えている。自分が馬鹿みたいだ。実際に馬鹿なんだけれど。
「あの処刑動画は、なんだったの。執行人と陽が協力して作ったもの?」
 そだよ、と軽い返答。
「なんで、そんなことしたの」
「だから、俺が執行人を引き継いだからだよ。俺は処刑された。世の中から存在を抹消したんだ。組織にはすでに提出してある。お前に見せたのは、面白半分と、あれで騙せるかどうかを知るためかな」
 納得はできたけれど、ムカムカする気持ちは消えない。
「ちょうど俺が執行人になってよかったな、じゃなかったら大変なことになってたかも知れないんだぜ」
 今でも充分、大変なことになっている。
「どうして、陽が執行人を受け継ぐことになったの?」
 訊くと、陽はどこか得意げな、誇らしげな表情を浮かべた。
「それはな、俺が、この世界の新しい道を切り開くためだよ」
 ぼくは首を傾げた。
「世の中の法律はおかしいと思うだろ? いくらシムズ喰いで力を手に入れてしまうのだとしても、そこには不可抗力で殺してしまった不幸なやつもいる。そいつらまで死刑にするのは、やっぱり間違ってるって思うだろ?」
 少しは反論もあるんだけど、頷いた。
「あとは執行人が力を貸さないこととか、健常者の法律では守られていないこととか。とにかくさ、俺はシムズの革命ってやつを起こすんだよ。本物の正義を俺の手で創り上げる。それと、もっとシムズにも夢が持てるような世界にしたい。組織の仕事して人生終わるだけじゃなくて、別の道も選べるようにしたいんだ。どうだ、すげえだろ? かっこよくねえ?」
 陽は目をきらきらと輝かせていた。彼の瞳にぼくの心も少しは引っ張られていたけれど、そんなことができるのだろうかと訝った。ぼくの反応の薄さを見てか、陽は表情を落ち着かせる。
「なんか俺、変なこと言った?」
 いや、と首を振る。「ていうか、それ答えになってない。どうして、陽が執行人にならなきゃいけないの?」
「あー、えっとな、……どう説明したらいいだろう。たまたま俺が採用された、ってことかな。執行人って、長い期間勤めることになるんだ。そうすると、いつか辞めたくもなるだろ? あの執行人──渋谷に来たやつな。あいつも代わりを探してて、それで俺が選ばれたってこと」
 執行人の仕事なんて、聞いたときはやりたくないと思ったけれど、陽が特別なことに選ばれた、というのはやはり羨ましかった。
 一つ、疑問がある。「全く関係ないんだけど、腑に落ちないことがあるんだ」
「なんだ?」
 軽い口調で返された。一連の言葉遣いも重たい雰囲気ではないので、今からぼくが口にすることも、間違っているような気がした。
「陽さあ……どうして、空を飛べたの?」
 ああ、とまた軽い返事。「訊かれると思ったよ。その答えは、執行人を引き継いだから、ってことかな」
「どういうこと」
「そのまんまだって。まあ、いくら親しい間柄でも、ちょっと説明はできないな。執行人だけの企業秘密ってやつだ」
「シムズを、殺したんじゃないの?」
 喉の奥から声を絞りだした。少しだけ陽が動揺したように見える。言葉が消えて、静かになった。堤防の方で車が行き交う音。こちらから、更に突っ込んだことを訊こうと、口を開きかけると、「えっと」と陽が先に声を出した。
「誰にも言ってない秘密があるんだ。本当は黙ったままでいたかったけど、お前にはきちんと話す。聞いてくれるか?」
 当然、と返した。すまん、と陽は言う。
「前に、頭のいかれた父親のせいで家が火事になったって言ったよな。そいつは義理の親で、それで俺以外の一家全員が亡くなった、ってことまでは喋ったよな?」
 うん、と答える。
「実は、俺がそいつを炎で殺したんだよ。そのせいで火事になったんだ」
「あー」ぼくは数度頷いてみせた。
「なんか、お前反応薄いな」
 渋谷で陽の異様な力を見たとき、なんとなく察していたんだ。だから驚くことができないのだろう。そう伝えた。
「なるほどな。まあ、そういうことだ。だから、空も飛べる」
「元々その力があったってこと?」
「そうだ、って言ってるじゃん」
 なんていうか、噛み切れない物を口に入れているような、彼の言葉をそのまま飲み込めないような、そんな感じがしていた。
「今まで黙っててごめん、話しづらくてさ」
 うん、と小さく言った。信じあった仲だからといって何もかも話さなければならないわけじゃない。どうしても言えないことだってある。本当の信頼関係というのは、それも考慮できる間柄なんだ。それくらいぼくにはわかっていた。
「俺、もう行くよ」
 唐突だった。いや、陽は執行人だし、忙しい身分になったんだとは思うけれど、でも急な言葉に聞こえた。
「学校は、もう来ないよね。でもこれからもどっかで会う機会はあるでしょ?」
 陽は首を振った。「社会的には死んだ存在になってるし、もう人前には出られない。お前と次に会うのは随分と先のことだろう。まことが組織入りして、執行対象者を捕まえる任務に就いたときかな」
「そういうことがなかったら、もう会えないってこと?」
「そうなるな。組織の仕事してればあるだろ、そういうの」
 違う、そういうことじゃない。「もう一緒に遊ぶこともないの? 人前に出られないとしても、ぼくらには会えるでしょ? 人目のつかない場所でさ、息抜きでたまには会って、冷奈とも遊ぼうよ」
 陽は、首を振ってしまう。依然表情は柔らかい。
「難しいと思う。執行人の仕事ってかなり忙しいらしいし、あんま親密な関係も作っちゃいけないんだ。それに、拠点は日本に置かないから」
「どういうこと?」
「中国に拠点があるんだよ。ほら、あっちの方が人口も多いじゃん? だから色んな問題も起きやすいし、執行人の仕事も多いんだ。前任者も、ずっと中国に住んでたから」
「ちょっと待って、陽は中国の執行人もやるの? 日本だけじゃないの?」
 ぼくを小ばかにするように陽は笑う。「いや、知らないよな。執行人の人手なんか増やせないし、これは仕方ないんだ。明日の朝には日本を発つことになってる」
 明日の朝ということは、さすがに自力で飛んでいくわけではないのだろう。明日には飛行機に乗って海外へ行ってしまうんだ。
「陽、本当に遠い世界に行っちゃうみたい」
 ふいに陽が手を差し伸べてきた。なんなのかと、その手をじっと見つめる。ん、と言い更に伸ばすので、繋げば良いのかと、近づいて手を重ねた。強く、握られる。
「俺一人だけじゃ世界を変えられない。協力者が絶対に必要だ。まことも、俺と同じ志を持ってくれないか?」
「それはいいけど、陽にとっては非力なぼくなんか、役に立たないよ」
「そんなことないよ。さっきは一方的に力をふるって悪かった。危ないマネするお前を懲らしめたかったんだよ」
 苛立ちを覚えるも、陽の優しさなのだと受け入れた。具体的にどう変えていくのか、いまいちわからないけれど、それでも不条理なことはなんとかしていきたい。
 陽の手が離れる。「いちおう言っとくけどさ、冷奈にも伝えてあるが、俺の存在は絶対に口外するなよ?」
「うん。わかってる」
 だよな、と陽は言い、手を離した。それから俯いて、どこか淋しそうな表情になる。
「悪いな、まこと」
 なぜそう言ったのか判然としない。陽は再び黒い三角頭巾を被った。言いたいことが頭に浮かんでいたのだが、口元が迷う。
「じゃあな」
 彼は背を向ける。あのさ、とぼくは声を出した。
「渋谷のときのこと、ごめん」
「渋谷?」陽は振り返った。説明しようとしたが、ああ、と彼は声をあげた。「冷奈と俺を信じられず、能力で吹き飛ばしたことか?」
 無言で頷く。
「気にも留めてなかったよ。まことはこういうやつだ、ってわかってるから。だからこそ俺は、友達として、お前のことすごく気に入ってるんだ」
 意外な言葉に「え」と声をあげ、小さく笑ってしまった。
「俺は好きな子のためにあそこまで感情的にはなれないからなあ。お前、すっげえ必死だったよな。どう考えたって冷奈なら大丈夫なのに」
 ぼくは目を細めた。「それ、馬鹿にしてるの?」
 半分くらいな、と言われ、軽く傷ついた。でも、と陽は付け加えるように口にする。
「……お前が冷奈を想う気持ちには勝てないって気づいた」
 消え入りそうな声だった。
「それ、どういう意味」
 陽は再び背を向ける。「二人で仲良くやれよ」
 風を感じた。陽が後方に倒れる。と、次の瞬間、強い風が巻き起こり、陽は宙に浮いた。ぐんぐん高度を上げていき、スピードも上げ、黒装束が夜空の闇に溶けるように、消えていった。
 まさに嵐が去ったようだった。胸にぽっかりと風穴が空いたようで、それを埋めるように、一連の陽の行動や台詞を思い返していく、
「そういえば……」
 冷奈のことを訊いていない。あまりの衝撃と陽の思考に圧倒され続けて、彼女の無事を知ることが頭から抜け落ちていた。しかし、陽が執行人を受け継ぎ、二人で仲良く、と去り際に言っていたのだから、大丈夫だろう。
 そう考えられてもやはり心配で、ぼくは走りだした。家に向かいつつ、陽のことを考える。もう長らく会うことはない。世界を変えるために協力してほしいと言っていたけれど、やっぱり陽は、すでにぼくとはかけ離れた世界に行ってしまっているんだ。
 街路で足を止める。息を切らしつつ、夜空を見上げた。
「さようなら、陽」



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