魔法シンドローム第九話.風無命へ(page.A) |
冷奈が最後に家に来たのは、確か四年生の頃だ。久しぶりということもあって緊張していた。いつも会っているはずなのに、好きな子が家に来るというシチュエーションに、胸が高鳴ってしまう。 お母さんが出ていったすぐ後にインターホンが鳴った。駆け足で向かい、引き戸を開ける。ランドセルを背負った冷奈の姿があった。彼女を視界に入れると、ぼくは胸をなで下ろしてため息をついていた。冷奈は微笑みを浮かべる。 「心配してくれてた?」 無言で頷く。すると冷奈の手がぼくの頭へと伸びて、撫でてくれた。恥ずかしくて、でも嬉しくて、頭に触られている間は彼女の瞳を見られなかった。 「中に入っていい?」 ぼくが頷くと、なぜか冷奈は振り返って周囲に目をやる。それから敷居を跨いだ。ぼくは奥の和室へ向かう。 「ここでいいよ」 冷奈が玄関先で言った。 「いいの?」 「うん。家には誰もいないよね?」 うん、と返して冷奈の前へ戻った。 「じゃあ、まことくん。今から言うこと、ちょっとやってみせて」 ぼくは首を傾けた。 「冷気か炎を、発現してみせて」 くっと眉が持ち上がった。「ぼく、無属性の 冷奈は首を振った。「嘘つかなくてもいいから。私は全部知ってるから、大丈夫だよ。さあ」 さあ、と言われても困る。できないものはできない。 「冷奈、もしかしてぼくが誰かを殺したと思ってるの?」 「殺したでしょ、執行人」 「──はっ?」 つい大声をあげてしまい、冷奈は驚いて身をすくませた。 「急に大きな声あげないでよ、びっくりする」 「いや、殺すわけないよ、どうしてぼくが陽を殺すの?」 「陽くん? それ、執行人に教えてもらったの? 順調に事が運んでいれば、陽くんは今の執行人。そうじゃなくて、前の執行人のこと」 ぼくは、言葉を失った。思考も停止。意味がわからなくて、何を言ったらいいのか、思いつかない。 ……いったい、冷奈はなんのことを言ってるんだ。 「もしかして、殺せなかった?」 とにかく首を振る。小さく振り、次に思いきり大きく振った。「前の執行人って、渋谷に来たあの人のことだよね?」 そうだよ、と冷奈は答えた。ぼくはまた、首を振ってみせる。 「そりゃ、突然二人を連れてかれて憎いとは思ったけど。ぼくがあいつと戦って勝てるはずないよ」 今度は冷奈が強く首を振り、長い黒髪を乱れさせた。 「あなたがあの執行人を殺すことになってたんだよ? 失敗しちゃったの?」 今、冷奈の口から出た言葉が、うまく頭の中で処理できなかった。彼女が口にした台詞にも思えなかった。殺すことになっていた、って、なんだ。 「……もしかして、まことくん、昨日執行人に会ってないの?」 「陽じゃなくてあの強い執行人のことだよね?」 冷奈が頷く。 「会ってないよ、代わりに陽が来たけど」 彼女の表情が歪んだ。「それはおかしいよ。新道陽としてはもう誰かに会ってはいけないって話だったのに……そもそもまことくんが前の執行人に会ってないっていうのが、おかしすぎる。じゃあまことくんは、前の執行人に会うこともなく、陽くんと会って、どうしたの?」 悪戯とは言いがたい意地悪をされたけれど、それは話さないことに。 「少し話しただけだよ。これから世界を変えていきたいから、協力してくれって言ってた。それで、もう陽は学校に行かないし、仕事以外でぼくと会うこともないだろうって。それで去ってったよ」 冷奈は左手を唇に当てる。何か思考しているようだ。 ──と、ふいに、冷奈の目が見開いた。ぼくに目を合わせ、すぐに逸れる。なぜか息苦しそうにしだした。青ざめた、という言葉があてはまる表情をしている。 「冷奈、どうしたの? 大丈夫?」 顔を覗き込むと、視線を合わせてくれた。目が潤んでいる。まことくん、と呼ぶ声が震えていた。 「陽くんは、どうやってまことくんの所に来たの?」 「飛んできたんだよ」 ひっ、と、冷奈は息を吸い込んだ。更に大きく目を見開いている。両手を唇に押し付けていた。唐突に、彼女の目から涙が零れ落ちる。いったいどうしてしまったのかと、ぼくは慌てた。 「なに、わけがわからないよ、なんで泣いてるの?」 訊いても冷奈は答えてくれず、瞳が泳いでいた。ぼくは手を伸ばし、彼女の目元を拭う。すると冷奈は自分の腕で両目を拭った。 それから何も答えず、見つめ合う。ぼくも言葉を発することができずにいた。彼女の声を待っているのだが、動揺し続けており、口を開こうとはしない。しばらくして、冷奈はランドセルを肩から外した。しゃがんで、中を開け、何かを取りだす。長方形の茶封筒だった。 「本来なら、まことくんが炎と冷気を発現したら、これを渡すことになってた。でも……」 封筒をぼくに差しだす。そこには、「風無命へ」と書かれていた。手を伸ばし、右手で掴み、引く。が、冷奈は封筒を放さない。 「本当は読まないほうがいい……駄目なの。でも、私、黙ってることなんてできない」 漠然と、嫌な予感がした。これは手紙なんだ。誰が差出人か、考えただけで血の気が引いていた。悪い想像をしてしまう。読みたくない、と思った。でも読まなければ、ぼくは前に進めないのだろう。読まなければ、この世界から仲間外れにされる気がした。 無言で引っ張る力を強めていく。冷奈は抵抗するが、更に力を加えると、破れることを危惧したのか放してくれた。 改めて、ぼくの名前を見つめる。達筆で力強い。糊付けがされており、中身に気を付けながら破いていく。 「ごめんね、まことくん……私、中身は読んでないけど、どういうことが書かれているか聞いてて……それ読んだら、きっと私のことも憎んでしまうと思う」 現状、言葉の意味を理解できないので、彼女をフォローする気もなかった。無視して中を開くと、便箋が入っている。ざっと十枚は束になっていた。 広げて、最初の一枚から目を通していく── 「まずは、お前に謝らなければならない。 この手紙に目を通しているということは、私がお前をたくさん傷つけているはずなのだから。実をいえば、これを書いているとき、まだ私の決心は鈍っていた。決意を何度も固めたはずなのに、あれこれと考えが過ぎると、どうしても揺らいでしまう。それは自分の死を恐れているからではない。お前に掛けるであろう心理的負担や、お前に対してもう他には何もしてやれないことが忍びないのだ。 もう知っているだろうが、私たちシムズは、同じシムズを能力によって殺めることにより、力を奪うことができる。私は、自分の力を全てお前に譲渡するために、今回の騒動を起こした。今回、というのは、加賀紅輝をお前のいる学校の講師として派遣し、加賀青輝討伐の任務に就かせるところからだ。普通、まだ組織にも入っていない子供をあのような危険な任務に就かせることはないのだが、些細な方針を決める権力くらいは、私にあった。そうしてお前と接触する機会を作った。そのときはどう動くかを決めていなかったが、一先ず新道陽と柊冷奈の両名を連れていった。お前の怒りを私に向けさせると同時に、力を明け渡すに相応しいかどうかを見極めたかったのだ。これを読んでいるということは、私のなかで命の人格は問題ないと判断し、無事に私を喰ったということ。罪悪感に苛まれているかもしれないが、私が決めてそこに至ったのだから、罪の意識を感じる必要は全くない。 お前に喰われるにあたり、新道陽と柊冷奈にも協力してもらった。機会があれば、二人に礼を伝えておいてほしい。実をいえば、この二人と私はすでに知り合っており、渋谷の時点では陽のみ、執行人が私だという事実に気づいていただろう。陽から聞かされたかもしれないが、詳しい経緯を書いておく。 陽は六歳の頃、実母、継父、妹、その他数名を殺害した。妹は二人の子で、三歳だった。もちろん陽はそんな幼子まで意図的に殺したわけではない。 彼は、両親から凄惨な虐待を受けていた。家族全員がシムズで、継父の炎による虐待が主だった。一時は児相のケースワーカーの介入もあり、施設で暮らす時期もあったのだが、両親が改心をみせ、児相は問題なしと判断し、二週間だけ親元に戻すことになった。それからわずか五日後に事件は起きた。陽は数日、ろくに睡眠も食事も与えられることなく、両親から一方的な人格否定を浴びせられ続け、折檻を受けていたのだろう。そうして死の淵に立たされ、意識は朦朧としていたに違いない。生命が息絶えるとき最後の輝きをみせる、とはよく言うのだが、陽は自身のもつ全ての力を解放し、継父と母を炎上させた。彼は、生まれついてのLS型のドロフォノスだったのだ。 住んでいたアパートは全焼。彼だけは外に逃げ延びた。夜中だったということもあり、同アパートに住んでいた住人たちも焼死させてしまった。歪な家族関係のもつれによってシムズの子供が親を殺す、というケース自体、実は決して少なくない。私は何度もそういった子供たちを、問答無用で死刑にしてきた。それが、絶対に守られなければならない鉄の掟だからだ。 過去、といってもかなり大昔だが、同情によって死刑を行わなかったことにより、一人のシムズが凶悪な力を手にしてしまったことがあった。彼もまた、虐待による被害者だったのだが、抱えさせられた憎悪をはらすべく、人間の惨殺を始めたようだった。シムズ喰いの知識を得てからは、主にシムズをターゲットとして殺していった。最終的には一個師団を投入するに至り、多くの犠牲を伴って彼を殺害した。 このようなことが起き得るからこそ、人を殺したシムズはどんな事情があろうと速やかに処刑する必要があるのだ。陽も例外なく殺さなければならなかった。だが、私は、そのときどうしても、殺めることができなかった。彼は自分の死を受け入れ、抵抗を示さなかった。天国では家族が優しく自分を迎え入れてくれるようにと、祈りすら捧げていた。 結局、死刑を偽装してしまった。本来はそのようなことがないよう、各支社の代表が立会人として付き添わなければならないのだが、だいたいは野外での執行なので、炎に紛れさせて空に逃がすこともできる。あとは苗字だけ変えさせ、組織のデータベースを改ざんし、この地に送り込んだ。私はそのときから、執行人を彼に引き継がせようと考えていたのだ。 それからは一度も会っていないが、彼には執行人としてもやっていけるように語学や武道などの教育を受けさせた。我々は学問を極めることはできないが、その他、自身が興味を持ち、数十年生きるために必要な知識や技能を身につけることに関しては、多少健常者より優っている。彼には、将来組織の重要なポストに立ってもらうためだと告げ、塾や道場にも通わせていた。 柊冷奈に関しては、直接的な面識はなかったのだが、あの子の実母とは長年の付き合いがあった。彼女はいわゆる、日本の執行人代行という立場の者だ。組織は彼女の存在を知らない。どうしても私が動けない場合に限り、代わりを務めてもらっていた。それは本当に極稀だったが。彼女もまた、娘に力を譲渡したいと考えていた。そういうことをする場合、できるだけ幼い頃のほうが世間に知られにくいという利点もあり都合がいい。冷奈から、母は寿命で亡くなったと聞かされているだろう。そうではなく、幼い冷奈を騙して力を使わせ、殺させた。遺書を用意していたが、それを理解するには幼すぎたため、すぐに私に電話をかけるようにと誘導してあった。私は実母がそうすることを聞かされていたので、とにかく長い時間をかけて、全てを説明した。彼女が請け負った能力と、それに伴う責任。本来自分が持つ能力以外、決して人前にさらしてはいけないということ。実母がどれほど君を愛していたか、これはその末の行動。簡単には納得できない彼女だったが、私と何度も話す機会を持ち、いつしか受け入れてくれた。 実は、彼女から命のことも聞いている。というのも、冷奈は小さな話題すら私に話してくれていた。それで、私は話すつもりがなかったのだが、命のことをつい喋ってしまった。お前は、冷奈からは何も聞かされていないそうだな。それだけあの子は口が堅く、自己を律する強い精神力も秘めていた。お前が全てを知ったとき、きっと彼女のことも責めたくなるだろう。それほどの親密な仲だということを、私は知っている。シムズ同士というのは、身を寄せ合いやすいものだ。 唐突だが命は冷奈のことを好いているようだな。彼女との会話だけでも、命が冷奈に恋情を抱いていることは察していた。お前は脆くて、優しいから、事情を話してしまえば私を殺すことなんかできなかっただろう。それでは困る。だから、友達と恋の相手を想う気持ちを利用することが、最も有効だと思った。人格の良し悪しを量る材料にもなる。陽も冷奈も、そこを踏みにじられれば必ず命は私を殺すに至るだろう、と教えてくれた。 嫌な報告や今の気分も最悪で辟易しているだろうから、お節介だとは思うがお前に一つ良い報告をしよう。命さえ自分の気持ちをはっきりと示せば、冷奈は必ずそれに応えてくれる。あの子は、陽と命のことを両方、好いている。もちろん恋愛感情を持っているという意味だ。だが、仮に二人から好意を示されれば、命を選ぶと言っていた。陽はしっかりしていて、信頼の置ける頼れる人物。命は危なっかしい。あの子はお前たちをそう見ている。だからこそ、命だけは傍でしっかりと監視する必要がある、と言っていた。 実を言えば、私も彼女の実母に惹かれていたこともある。だがお互いの立場を考え、深い仲になることはなかった。後に私は最愛の人と巡り会うので、これでよかったのだと心底思うのだが。 どうでもいい話だったな。 長い手紙になったが、あと少しだけ伝えておかなければいけないことがある。それは力に関してのことだ。今から書くことは、できれば口外はしないほうがいい。もはや未来はお前たちに託すので、これは強請しない。だが仮に世間が知れば、間違いなく混乱が起きるだろう。執行人という絶対的な存在の意味もなくなる。この手紙も焼却処分するべきなのだが、もし大切に保管したいというのなら、これ以降の用紙だけを炎で消し去るといい。 今から書くことは、私が知る限りの、CIMSについての情報だ。 CIMSは私が生まれたときから世の中にあったもので、病の起源はわからない。あくまで一説にすぎないが、不老不死を得るための儀式のなかで、魔力、マナと呼ばれるウィルスが発生したと言われている。 マナ自体は脆いウィルスで、宿主がいなければ何もできず死んでしまう。感染力が非常に弱く、その性質上、胎児にしか寄生できない。マナに感染した胎児は、血と一緒にマナを生むようになり、肉体の生命活動を完全に乗っ取られる形となる。そして宿主の意識と深い結びつきを果たすんだ。 健常者は、息を吸い、肺から血管に酸素を取り込み、全身の細胞にそれを送る。栄養物質と酸素を用いて化学反応を起こしエネルギーを作りだす。CIMSもこれは同じだが、後は決定的に違う。このエネルギーは全て、マナを増殖させるために使われている。そしてこのマナが、肉体を動かすエネルギーにもなっているんだ。 健常者なら、使われなかったエネルギーは脂肪として蓄えられる。CIMSも似たように、余分なマナは体に蓄えられる。そして別のシムズの能力による攻撃で致死に値するダメージが加わった場合、マナは死滅を免れるため、攻撃者に寄生する。マナの総量が増えれば、より強い力を発現できるようになる上、魔法式は複合型になるため、発現できる能力の幅が容易に増える。 力を使いすぎれば、これを抑制するために一時的に意識レベルが低下する。私たちが著しくマナを失うということは、そのまま死に繋がるからな。前述したように、私たちは生命活動の全てをこのマナに依存している。これの働きにより、細胞の再生や分裂が活発に行われている。怪我をしたことはあるだろ? 健常者に比べると、驚くべき速さで肉体は再生する。もちろん、あまりにも深いダメージを刻まれれば、死に至るが。 ここまで書けば、ある事実にお前は気づいたのではないだろうか。 以前、私とお前は河川敷で出会った。それ自体は全くの偶然だったのだのが。あのときは驚いたよ。運命すら感じてしまった。 そのとき、私は現在の年齢が四十歳だと、お前に嘘をついた。本当は違うんだ。ここに十倍した数字が、私の実年齢だ。計算が不得意でも〇を一つ加えることはできるだろう? 私は、四〇〇歳の誕生日を迎えたばかりだったんだ。 通常、肉体そのものに成長の限界があるため、二十歳前後でマナを作る機能も劣化する。二十五歳前後で、ほとんどその機能は終わってしまうんだ。そうして、マナを使い尽くして死に至る。だが他人の蓄えたマナを喰らい続ければ、半永久的に生きることだってできる。再生能力も並ではなくなり、文字通りの怪物になる。 今のお前が、それだ。 再三述べたが、この事実はできるだけ、口外してはいけない。正しい心を持ったものだけが大きな力を持つことを許されるべきだ。さもなくば、たった一人の反逆により、世界が滅びてしまうことだって充分ありうるのだから。 私は、あまりにも長く生きすぎた。執行人を続けている限り寿命で死ぬことはないし、辞めたとしても、この生の終わりは見えない。こんなことをいうのはなんだが、もう疲れていたんだ。私がしようとしていることはある意味、自殺。 これを目にしているとき、きちんと命の手で私の人生に終止符を打ってくれているだろう。それは同時に、終わりのみえぬ膨大な時を、お前が受け継いだことになる。時間をかけて、生の苦渋を味わうことになるだろう。そんなものを赤の他人に背負わせることなど私にはできなかった。かといって、誰にも渡すことなく死を選ぶこともしたくはなかった。 この力と残り何百年と続くであろう寿命。これは私が生きてきた証でもある。傍にいてやれず、何もできなかった。そんな私ができる、せめてもの贈り物でもある。 すまない、命。 お母さんを、どうか、よろしく頼む。 心から愛する、何よりも大事だった我が子へ 不甲斐ない父より」 |
NEXT » colorless Catトップ |