魔法シンドローム

第九話.風無命へ(page.B)



 電車を降り、改札を抜ける。駅は空港内に直通していて、「3F国際線出発」と書かれた案内板に従いエスカレーターに乗った。興奮を鎮めようと、静かに深呼吸をする。今にも爆発させてしまいそうな自分の力を抑制し続け、三階の出発ロビーまで上がると、周囲を見渡しながら突っ込んでいく。天井の高い広々としたホールには、大勢の人が行き交っている。ざっと見た限りでは、奴の姿はどこにもない。……もう日本を離れてしまっただろうか。
 それでも、人の姿を懸命に追った。こんな場所で黒装束はまとっていないだろう。いくつも並ぶチェックインカウンターの周りをぐるぐると回り、子供の姿を探す。だが、見つからない。奥には「出発Departures」と書かれたゲート。その先で手続きを行うようだ。……無理やり突破してやろうか。
 ぼくは首を振った。奴がこの先にいるとは限らないし、傍で目を光らせている警備員たちにすぐ取り押さえられてしまうだろう。お母さんや組織にも迷惑をかける。逮捕されてシムズの刑務所行きになるかも。
 諦めるしかないのか。この憤りを抱いたまま、これから生きていかなければいけないのか。正直、ぼくは自分を保てそうになかった。今だって、頭の中では、ゲートに群がる人間たちをふっとばして突破し、奴の名を叫ぶ想像をしていた。勢いでここまでやってきて、何も晴らせないなんて、惨めすぎる。
 出発ゲートから引き返していく。係員に頼んで、せめて呼びだしをしてもらおうか。奴は自分の名前に反応してはいけない存在なので、名乗りでることはまずないだろうが、ぼくが純粋に見送りに来たのだと思ってくれれば、なんらかのアクションを起こすかもしれない。
 全面ガラス張りになっている壁の傍に、いくつも椅子が設置されている休憩スペースがあった。座っている人や、図々しく横たわっている人もいる。窓から飛行機が見えるだろうか。
 そちらに近づいていき、ふと、椅子に座っている人物の後姿が、目に留まった。そいつが横を向いて窓に目を遣る。その横顔を確認した瞬間、
「陽ァァァァァァ!」
 腹の奥底から、声が噴出していた。全身の血が一瞬にして沸点に達したかのような熱を感じ、激昂に身を委ねるように、魔力(マナ)を暴発させた。強烈な風が起こる。同時に奴はこちらを振り向いた。似合わない、黒いサングラスをしている。まるでぼくに挨拶でもするかのように軽く手を挙げた。力が相殺される。人々が「シムズだ」と叫び、逃げだした。ぼくは歩みを止めることなく、一直線に奴の元へ向かう。
「よくも……」
 昨晩の、陽とのやり取りが思い返される。彼と仲良くしていた自分の姿も思いだす。彼を慕い、心より尊敬もしていた、親友だと勘違いしていた、自分を呪い、憎んだ。
「よくも、父さんを殺したなァァァァァァ!」
 ぼくの声にかぶせるように、陽が強大な炎を発現した。周りに人がいるというのに容赦がない。波のような炎に対し、ぼくは自分の魔力(マナ)をぶつける。再発現(リブート)により上へと逃がす。炎が天井にぶちあたると、四散して消えた。さすがに耐火性の素材で建築されている。
 視線を正面に戻すと、陽がいない。逃げ惑う人々。そのなかに紛れる奴の姿があった。無心で、そのあとを追いかける。陽は上りのエスカレーターに乗り、駆け足で上がっていった。動揺する人々を縫うようにして、ぼくもエスカレーターを駆け上がっていく。四階は、大昔の街並みを再現したショッピングエリアになっており、瓦屋根のお店が軒を連ねていた。陽は奥にある、更に上へと行くエスカレーターを目指して走り抜けている。人ごみに紛れようとしているみたいだが、見失うほど密度は高くない。
 五階に出ると、その先は展望デッキになっていた。外に出ている陽が、今、上空に飛び上がった。まさかそのまま海外に逃亡するのか──
 自動ドアの動きがじれったい。少し開くと、隙間に身体を差し込むようにして外に出た。デッキを横切って助走をつけ、飛び上がると、一気に魔力(マナ)再発現(リブート)させて高度を上げる。高いフェンスを飛び越えていく。先の方に陽がいた。高度を下げている。どうやら、滑走路の方へ降り立つらしい。
「陽ァ!」
 止まれ、と口にする手前でやめた。言われて足を止めるとは思えない。地に降り立った陽は、芝の生えている方へ走っていく。あまり距離を縮められていないが、力の限界を感じて高度を下げた。地面に降り立つときは、足元がよろけ、ぼくは転倒した。陽に笑われたような気がして、すぐに立ち上がってみせる。だが、陽は、芝生地帯で足を止めて、ぼくに背を向けていた。全速力で奴の元まで駆け寄りながら、息を切らしつつ、なんとか口を開く。
「どうしてぼくのお父さん殺したんだ!」
 声を出すと、それは涙声になっていた。陽はこちらに振り返る。
「陽のこと信じてたのに、なんでなんだ! そのままぼくを騙しつづけるつもりだったのかァ!」
 喉が痛い。涙で前が見えない。拭うと、奴の姿がだいぶ近くにあった。十メーターほどの距離まで詰めると、ぼくは歩度を遅くし、息を整えていく。今攻撃されればされるがままになって何も対処できない。そのための用心だった。
「お前のためだよ、まこと」
 ……ぼくのためだって?
「ふざけるな、お前が欲望のままに父さんを殺しただけだ!」
 抑えきれず、全力で魔力(マナ)を放った。意識が眩みかける。それなのに、やはり苦もなく相殺されてしまう。陽はサングラスを外し、胸ポケットに突っ込んだ。
「落ち着いて話を聞けよ、お前はいつもそうだ。どのみち、今のお前がどう頑張っても、俺には勝てない」
 澄まし顔で言うのが余計に腹が立つ。いったい、今までの友情はなんだったのか。考えただけで気が狂いそうだ。いいや、もう狂い始めてる。
「なあ、どうやって知ったんだ? 冷奈が言ってたのか?」
「冷奈から、お父さんの手紙を受け取った。本来ならぼくがお父さんを殺して力を引き継ぐ計画だったみたいだけど、ぼくは絶対にそんな残虐なこと、しない。家族で一緒に暮らしたかったのに……お父さんの命と引き換えなら、力も寿命も、欲しいわけない。それなのに、なんで、陽が殺すんだ! 納得のいく説明をしてみせろよクソォ!」
 叫び、魔力(マナ)を上空に放った。陽を攻撃すれば、また落ち着けといわれるだけだから。ふっと全身の力が抜ける。足腰が崩れ、膝を着いた。
「マジで落ち着けって、説明したいのにさせてくれないのはお前だろ」
 ひどく癪に障る言葉だ。陽の息の根を、今すぐ止めてしまいたい。憎悪がぼくの胸を蝕む。今は堪えろ、と心の中で叫んでいた。
「まず、おじさんはお前を完璧に騙して自分を殺させるつもりだったんだ。冷奈をだしにしてな。お前は冷奈のことになると、すぐ自分を見失う。冷奈に汚い暴行を加えたと言い、煽り、殺意を抱かせ、一切自分の正体を明かさずまことに力を使わせて死ぬ気だった。それを止めることは無理だったと思うぞ。それで、おじさんは力を譲渡する前に、お前の適性を見極めるつもりだった。この力はあまりにも強大すぎるからな。明け渡すのにふさわしくないと判断すれば、そこで止めるんだけど、でもおじさんは死なずに生き続ける、っていう話じゃないんだよ。おじさんが死ぬ、ということだけは揺るがないことだったんだ」
 病気にでも罹っていたのだろうか。
「誰かに力を明け渡すことになっていた。おじさんの生きていた世界は広いからな。他にも候補者はいたんだろ。だけど、そうなるよりは俺が執行人だけじゃなく力も受け継いだほうが絶対に良いと思ったんだ」
 ──どうしてそうなるんだ。
「俺は本気でこの世界を変えたい。どこの誰かもわからない奴が執行人クラスの力を持ったら厄介だろ。だから、おじさんに力をくれって頼んだんだ。まことには絶対に荷が重いから」
「お前の言ってること、おかしいよ! 荷が重いって、なんで勝手に決めつけるんだ──」
「父親を殺した罪の意識を背負って生きるんだぞ! 母親に顔向けできなくなる。お前は、弱いから」
 何かあるとすぐに出る台詞。弱い者扱い。
「クソ陽、お前いちいちむかつくんだよ! お前の言うことは全部、屁理屈だ! 殺さない選択肢だってあったはずだろ!」
「だから、おじさんはもう死ぬつもりだったんだって。おじさんが死なないという道はないんだよ。まことの意志なんか関係ない。力がお前に渡るくらいなら、どこかの見知らぬ誰かに渡るくらいなら、俺が手に入れたほうが絶対に良い結果になっていく。約束するよ、俺は理不尽なシムズの死が存在しない、もっとシムズにも夢がもてる世界にしてみせる」
 奴のくそったれな戯言を、これ以上に耳に入れたくなかった。無意味でも、また全開で魔力(マナ)を放出する。放ったあとぼくは意識が薄れるのに、奴は平然と相殺してきた。
「お互い無駄に魔力(マナ)を消費するだけだ、やめろ」
「お前、頭おかしいよ、いつからそんなわけのわからないこと言うようになったんだ!」
 呆れるように奴は笑う。「何もおかしいことないって。今は結果も何もないから、俺の正しさがわからないだろう。でもいずれ知る日がくる。そのときお前はこの件について、認めざるをえなくなるさ」
 ──そんな日、来るわけない。
「うわああああああ!」
 突撃していった。もはや拳を使うしかない。そう思っての行動だったのだが、そもそも陽に魔力(マナ)を使われたら、殴ることもできない。そうとわかっても、一度動かした足を止めることはできなかった。だが意外にも陽は何もしようとしない。右腕を引き、目前まで迫った奴の顔面目がけ、拳を振った。
 バッと音が鳴った。拳の先に陽の顔があったはずが、消えている。単純に、避けられただけだったのだが、動きが速かった。
 顎に、衝撃を受ける。陽の腕がぶち当たっていた。かと思うと、突然右足が宙に浮いた。陽の右足が、奴の後方に反るように持ち上がっている。ぼくの足が外側から払われていたのだと知ったのは、背中から地面に落ちたときだった。強く打ち付け、息が詰まりかける。柔道の授業で習った技に似ていた。
「お前の父さんの言いつけで、俺は道場に通ってたんだ。純粋な肉弾戦でもお前は勝てない。だからやめとけよ」
 ……なんで、お父さんは、こんなやつの世話をしたんだ。どうしてぼくには何もしてくれなかったの。
 いや、ぼくには、力を全てくれることになっていた。でもぼくはそんなものいらない。ぼくが必要としていたのは、お父さんとお母さんと、家族三人で暮らせる時間。それさえあれば充分だったのに。
「クソッ……」



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