魔法シンドローム

第十話.人殺し(page.A)



「まさか殺せちゃうとは思わなかったよ。逆に殺されることを覚悟してたんだけどな。まあだからこそ、極限まで力を引きだせたんだろうけど。とにかく、おじさんは()ってもいいって言ってたんだし、何も問題ない。俺は正当に執行人の力を受け継いだんだ」
 卑怯者。かすれた声で言った。なんとでも言えばいい、と奴は返す。ただ悔しくて、それなのに、こいつに何もできない。力を使おうにも、何も起こせない。能力まで凍りついているようだった。
 ふいにメロディが鳴る。陽がジーンズのポケットを探り携帯を出した。少し話をして切り、周囲を見渡して「おぉ、あれか」とどこか嬉しそうに声をあげた。凍えながらも、首を動かしてそちらに目を向けると、遠くにある小型のジェット機が滑走路の方へ移動しているのが見えた。
「あれ、おじさんのプライベートジェットなんだ。億単位の維持費がかかってるらしいんだぜ」
 偉そうに、陽は腰に手をあてている。ぼくは、奴に一歩ずつ歩み寄っていった。
「動くのきついだろ。無理するなよ。ていうかさ、もうやめよう。死んだ人は生き返らない。それなのに、俺を攻撃してなんになる? もしかして、俺を殺したいのか?」
 鼻息を荒立て、腕を伸ばし、陽の胸倉を掴んだ。
「あぁ、そうだよ!」
 はっと笑う陽。「俺はお前を殺したくない。こんな状況でも大切な友達だと思ってるし、なにより冷奈が悲しむ」
「やっぱり──」
「ん?」
 声を張るため、息を吸い込んだ。
「やっぱりお前は死ななきゃいけなかったんだ! どんな理由があろうと、人を殺したお前は、シムズの掟で死刑にならなきゃいけなかった、お前は悪なんだよ──お前さえ死んでれば、少なくとも、お父さんの力はぼくのものになってたんだ!」
 怒号を浴びせ終えても、顔が熱くて、頭に血が上っているのがわかる。その熱だけでも、陽に浴びせられた冷気がだいぶ和らいだように思えた。
 陽は、ぼくの顔にため息を吐く。「心外だよ。お前、今自分が何を言ったのかちゃんとわかってるか? まことの考え方ってすっげぇ幼い。それに比べて、お前のお父さんはもっと先の未来をきちんと見ていた。死刑になる俺を生かしたのは、まことの父さんだ。手紙に冷奈のことは書いてあったか? 執行人代行である母親の力を、あいつは受け継いだ。人殺しイコール死刑という体制を肯定するなら、冷奈も死刑にならなきゃいけないよな。救われるべき死刑者だっているんだよ。誰も、故意に罪を犯すために生まれてきたわけじゃない。不運な境遇の末に、人を殺さざるを得なかった奴まで死刑になるのは、絶対に間違ってる」
 一瞬、思考が奴の言葉に流されかけた。ぼくは首を振り、陽を睨みつける。
「お前はそうやって自分を正当化しようとする。冷奈は違う。正式に力を受け継いだんだ。お前は」
 だから、と遮られた。「俺だって、殺す許可は貰ったんだよ。わからずやだな、しつこいぞ。もういい、お前の相手してると時間がもったいないよ。数年後に会える機会があったら、そのとき話し合おう。まこともちょっとは大人になってるだろうしな」
 突如、陽の魔力(マナ)がぼくを押した。体勢を崩して、尻餅をついた。陽は背を向ける。すかさず立ち上がり、絶叫しながら奴に向かっていった。陽がサッと振り向いてぼくに手のひらを向ける。お互いの魔力(マナ)をぶつけあう。かろうじて絞りだせた微量の力では当然太刀打ちできない。そもそも地力が違う。陽の力に飲み込まれ、また体勢を崩した。
 と、思いきり背を押し上げられる。再発現(リブート)により、ぼくは上空に飛ばされていく。空港の展望デッキと高さが並ぶと、陽の力が消失した。落下が始まる。なんとか自分を浮かせようと試みるのだが、まだうまく力が働かなかった。力を発現しすぎた疲労も重なっている。このまま、地面に激突して死ぬ。もういっそそれでも良い、などと過ぎった。
 アスファルトが目前に迫ると、勝手に身体が曲がった。というより、目には見えないクッションに乗って斜めに滑った、という感覚。そのまま滑走路すれすれを進んでいき、やがて風に巻き上げられ、ぼくはバク宙して、地に足を着いた。きちんと踏みとどまると、遠く離れた奴に目を向ける。陽は腕を下げ、背を向けた。
 何もできないとわかっていても、ぼくは走りだす。陽はチラッと顔をこちらに向けた。
「来るなよ! 今、俺が何もしなかったらお前は死んでたぞ、命拾いしたんだよ。お前は普通のシムズより魔力(マナ)の生産性が高いタイプだけど、俺とまともに張り合ったら即、潰れる。その意味がわかるか? 俺は全くお前に対して本気を出してないんだよ」
 聞く耳を持たず、拳を握りしめ、とにかく陽に向かって走った。奴は足を止め、こちらに振り返る。ぼくは左手で無意味に魔力(マナ)を放出。相殺される。
「お前さあ」
 何かを喋ろうとしたが、打ち消すようにぼくが声を張り上げた。それは、もはや奇声と呼べるものだっただろう。なす術がないぼくの、唯一の攻撃手段。勝てないとわかっていても、陽の目の前まで来ると、右拳を振った。転ばされることを注意していたが、普通に手で受け止められる。だからそのまま陽にしがみついてやった。爪を立てて、目玉に指をぶつけようとする。魔力(マナ)を発現されて退けられた。地面に踏みとどまり、ぼくが魔力(マナ)を発現する。相殺される。ぼくは、力の放出を止めない。
「そのへんにしとけ、お前、異常に力を発現しすぎてる。興奮しすぎて意識レベルも低下しない状態になってるんじゃないのか。このまま続けたら死ぬぞ」
「殺せよ!」
 心の底から出た言葉だった。一瞬、陽は動揺をみせ、その隙に飛びついた。押し倒して、陽にしがみつきながら右手で顔を掴もうとする。腕を掴まれ、止められた。
「ほら、どうした、殺せよ、やってみせろよ。もういっそ死なせてよ……」
 泣くつもりはないのに、涙が溢れる。
「はやくしないと、お前の顔面を手で掴むぞ」
 陽は、真っ直ぐぼくを見ている。
「本気で死にたいのか」
「ああ」涙声になった。「正体を知るぼくを生かしておかないほうが、好都合だろ。それに、ぼくは今後何をするかわからない」
 まるでぼくの瞳の奥にある意志を図るように、陽の目は、細くなったり開いたりを繰り返した。憎悪を込めながら、どうにでもなっていいと強く思いながら睨み続ける。涙が零れてしまい、陽は反射的に目を伏せた。
 熱を感じる。その刹那、視界が炎で塞がった。
 力に押され、横方向に投げだされる。あまりの熱さで、ぼくは地面を転げながら魔力(マナ)を発現していた。頭の片隅では、ぼくがどう言おうが陽はぼくを殺せない、などと考えていたのかもしれない──炎に耐えている最中は、陽の殺意が信じられずにいた。
 身が危険になってしまえば、やはり死を回避したくなる。熱による痛みが、余計に生に執着させた。力の発現によりこらえ続ける。火勢が鎮まる様子が見られず、目玉が燃えているような気がした。
 死にたいのか、死にたくないのか。もう自分ではわからない。しかし、このままこの状態を保たれれば、ぼくが先に力尽きる。その瞬間、この劫火に呑み込まれ、骨すら残らずこの世から消えるんだ。
 死後の世界というものを信じてはいなかった。でも、そこに行けたらいいな、などと救いを求めるように思考していた。この数日で知り合えた人たちがそこにはいる。汐穏代表、紅輝さん、青輝。それと、お父さん。
 脱力して、服に引火する──
 バッと音がたった。突如、青空が広がり、目が眩んだ。
 炎が、跡形もなく消滅している。
 衣服がぼろぼろになっていた。ところどころ火傷しているが、じっと目を凝らしていると、酷い傷を負っていないと知った。上半身を起こし、数メートル離れた陽を見遣る。だが陽はこちらを見ておらず、横を向いていた。その視線を追っていくと、すぐ目の前まで人が迫ってきていた。ぼくに、ぶつかる。
 そうではない。その人は、ぼくに抱きついてきたんだ。そうして、火照っていた身体を冷ましてくれる。劫火を掻き消したのは、彼女だ。
「……大丈夫だよね?」
 冷奈の声はか細く、泣いているようだった。生きてるよ、とぼくは小さく返した。
「ねえ、まことまで殺そうとしたの」
 ドスの利いた声色。それは、ぼく向けられた問いではないようだった。
「信じないだろうけど、まことが殺せって俺に言ったんだよ」
「……本当なの?」
 静かな声。ぼくに向けられたものだとわかったのだが、申し訳なさを感じてしまい、肯定の声を出せず、無言になった。
 徐々に、ぼくの身体が締め付けられていく。冷奈は指を突き立てていた。痛いほど、強く、抱きしめてくれる。怒ってくれているんだ。
 その力がパッと抜けた。「陽くん、自分がおかしいって、ちゃんとわかってるよね。もしかして、最初から私たちとは友達ごっこしてたの? 私も、まことだって、陽くんのこと信じてたのに」
 陽は頭を掻いている。それから、背を向けた。
「冷奈はまことより頭が固いし、何を言っても無駄だろうな」
 そう言って歩きだした。プライベートジェットへ向かっていく。
「すぐに暴走するその馬鹿を頼むよ」
 ぼくは全身に力をこめ、立ち上がろうとした。冷奈が邪魔になっているので、「家に置いてきてごめん、来てくれてありがとう」と伝えると、抱きつく力を弱めてくれた。立ち上がり、彼女の少し怒っている顔を見つめる。今から更に怒らせることになるだろう。
 ぼくはこのとき、自分の肉体を破壊していいと、心の底から思っていた。
 魔力(マナ)を発現していく。振り絞れる全ての魔力(マナ)を、自分の背後へやる。頭からつま先まで、充満させていった。命を削るように、身体の奥底から魔力(マナ)をひねりだしていく。本来ならとっくにぼくは気絶しているだろう。そうならないのは、火事場の馬鹿力のように、リミッターが外れているからなんだと思う。
 魔力(マナ)が視認できないものでよかった。ぼくのしていることに冷奈は気づいていない。一緒に、去っていく陽の背中を見送っていた。
 魔力(マナ)の発現が、鈍くなる。視界が悪くなった。力の放出を止める。あと数秒続ければ、ぼくの鼓動が止まるだろう。
「あきら」
 大きな声は出せなかった。それでも、二十メーター以上は離れている陽に届いたようで、足を止め、振り向いてくれる──
 背後に溜めた高濃度の魔力(マナ)を、再発現(リブート)した。
 そのときのぼくは、まるで銃弾だっただろう。凄まじいGが身体を襲った。大砲のように肉体が撃ちだされた直後、全身が鈍い音をたてて、骨が粉砕したのがわかった。口いっぱいに血の味が広がる。
 陽にとって、それはまさに瞬きをするような間の出来事だっただろう。死に繋がる全身の苦痛と引き換えに、ぼくの手の、指は、陽の瞳に届いた。その醜い顔面に、指が突き刺さっていた。陽の顔の硬い部分に当たった指は全部ひしゃげている。アスファルトに、ぼくの肉体ごと、陽を叩きつけた。陽と一緒に地面を転げ、止まる。親指が奴の前歯を折っていて、上顎にえぐりこんでいた。陽が、ようやく絶叫を始める。ぼくは無理やり親指を動かし、陽の口の更に奥へ挿入していった。
 これができる、という確信はなかった。でもなんとなく、こうすればやれるという想像はできていた。指先から、陽の体内に、ぼくの最後の魔力(マナ)を放出する。ごぼごぼと音がたっていた。五感が途切れかけ、視界には何も映らなくなった。死が、直前に迫っている。暗闇のなかで、陽の内臓の奥をイメージする。
 ──再発現(リブート)を行った。
 水気のあるものが自分の顔に当たったことはわかった。それのにおいは一切わからない。かろうじて雑音が聴こえる。冷奈が悲鳴をあげているようだった。
 その音も途切れ、死を意識する。
 陽と一緒に死ぬのだから、寂しくはない。裏切られ、傷つけられたのに、心からそう思えた。



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