魔法シンドローム

第十話.人殺し(page.B)



 音が聞こえた。
 声だ。
 それは、自分に向けられたものではない。淡々と内容を説明するようなもので、ニュースを伝えるものなのだとわかった。
 瞼を開いて、クリーム色の天井を視認したとき、自分が死んでいないのだと理解した。目玉をぐるぐると回して周囲を観察する。少し離れた位置に冷奈が座っていた。膝を抱えながら、テレビを観ている。空港、という言葉が聞こえた。どうやら、陽との件を話題にしているみたいだ。
「ここ、冷奈の家? ……にしてはなんか違うか」
 彼女が勢いよく振り向く。眼差しが鋭い。
「生きててよかったね」
 意味深な言葉。嫌味や憎しみがこめられている気がした。
「ここは、あなたのお父さんに渋谷から連れてこられた場所だよ。日本にいる際の別宅だと思う」
 どこか他人行儀な口調だった。やはり冷奈は怒っている。
 改めて部屋を見回す。床はフローリング。今寝ているベッド、テレビ。小さなテーブルの横に、大きな布で包まれた縦長の何かが置かれている。他に目につく大きな家具はない。殺風景で、必要最低限のものしか置かれていないようだった。
 身体を起こしてから、自分の体調を案じた。すると、すこぶる良好なのがわかる。気分は今まで生きてきた人生の中で最低なのに。ぼろぼろの服を着ていたはずが、見慣れぬ薄ピンクの長袖シャツを着ている。袖をめくって腕を確認するが、やはり火傷はない。その他の怪我や痛みなども完璧になくなっており、本当に陽と戦ったのかと自分の記憶すら疑った。こっそり、掌から炎を発現させる。思った以上の大きな火が飛びだして身がすくんだ。
 テーブルの横のものに目を遣る。
 それには大きな布が被せられていて、よく見ると、足先が少しだけ出ていた。元々、それがなんなのかはわかりきっていたが。
「もう体調はいいの?」
 冷奈が立ち上がる。ぼくは頷いた。そういえばあまりにも傷が綺麗に治りすぎている。もしかして数日が経過しているんじゃないだろうか。だいたい、ぼくはどうやってここまで来たのだろう。……いや、来れるわけないか。あの瞬間、ぼくは瀕死だった。
「冷奈がぼくをここまで運んだの──」
 パチン、とはじけるような音が鳴り響いた。頬がじりじりと痛み、頭の中が、真っ白になっている。
「どうして、陽くんを殺したの」
 そうだ。陽を殺す直前、きっと冷奈に怒られるだろうって、ぼくは思ってたっけ。けれど、いざ怒られて、平手打ちまでされると、彼女を睨まずにはいられなかった。お母さんにだって、きつく怒られたことはあっても叩かれたことはないのに。
 ほとんど勢いで動きだしていた。立ち上がると同時に腕を振った。冷奈の頬を目がけて。
 彼女の顔をぶつ感触。はじける音が鳴った。その直後は、まるで時間が止まったみたいだった。ぼくも、冷奈も、動かない。
 数秒経て、彼女は自分の左頬を押さえた。顔を歪め、信じられないというような眼差しでぼくを見ている。正直、ぼくも自分がした行動が信じられなかったけれど。
「ひっどい、なんてことするの! まことくんなんかもう大嫌い、死んじゃえ!」
 背を向けて彼女は去ろうとするが、とっさに手を伸ばして左腕を掴んだ。
「ごめん」
「放してよ、人殺し!」
 それは、と、声に出してから口を噤んだ。その先は言ってはいけない言葉だった。
「今、私も同罪だとか言おうとしたでしょ。手紙に書いてあったもんね、全部」
 彼女を置いて家を飛びだしたあと、読んだのだろう。ぼくは何も言えず、手の力を抜いてしまった。冷奈は腕を引いて離れる。
 出ていってしまうかと思ったけれど、冷奈は動かなかった。ぼくも動きだせず、お互い発する声もない。先に冷奈が動いた。やはり出ていくのかと思ったが、そうではなく、テレビを消した。
「どうしてこんなことになっちゃったの……」
 全部陽のせいだ。そう言ってしまいたかった。
「陽があんなやつだとは思わなかった」
 冷奈は何もコメントせず、大きな布に近づいて腰を下ろした。……それが陽の遺体なんだ。
「ずっと昔にね、あなたのお父さんに訊かれたことがあるの」
 彼女は陽を見つめ続け、黙った。一向に答えないので、「なんて」と言った。
「飢餓感はないか、って」
「どういうこと」ベッドに腰を掛ける。
「詳しく聞いたわけじゃないからわからないけど、シムズ喰いをした人に起きる症状だと思う。もっとシムズを喰らいたいっていう、欲望」
 一瞬、ぼくは納得しそうになった。「陽は、自分の意志でお父さんを殺したんだよ。それを説明するのは難しいけど……」
 でも、もしかすると、その飢餓感も手伝って、あんなことをしたんじゃないだろうか。
「冷奈は、そういう飢餓感を感じることはあるの?」
 すぐに首を振った。「ないよ。そんな症状が出たら怖いけど、でも、かなり稀なことなんだと思う。だって頻繁にあることだったら、あなたのお父さんが誰かにシムズ喰いをさせようなんて、思わないはずだし」
「その稀が陽の身に起きてたって、冷奈は思うの?」
「可能性の一つとして挙げただけだよ」
 冷奈は布を撫で、大きくため息をついた。

 これまでのことや、これからのことについて、ぼくらは話し合った。ぼくは丸一日眠っていたようで、今着ているシャツとピンクのラインが入った黒のジャージズボンは、冷奈が家から持ってきたものなのだという。ぼくのボロボロの服は一応捨てずにベッドの傍に置かれていて、そこにはトランクスもある。今のぼくは何も下着を穿いてないという。野暮な突っ込みはよして、素直にお礼を言った。
 空港まで一人で来れたこともそうだけど、冷奈がどうやって空港からここまでぼくらを運んできたのかが疑問だった。
「空港まで来れたのは、人に道を聞きまくったから。二人を連れてきた方法は、空を飛んだから」
 冷奈も、執行人のように飛行できるらしい。だがそれは、八雲神社でぼくが再発現(リブート)を見せたあとに身につけたもので、それまでは力の使い方を知らなかった。あんな、少しの説明で冷奈は再発現(リブート)と飛行の技術を習得した。
「空を飛ぶことにはずっと憧れてたの。けどやり方はわからないし、おじさんから元の自分のレベルを超える力を不必要に発現しちゃいけないって言われてたから。でも渋谷で戦闘する可能性があるっていう話になって……危険な事態に陥ることだってあるから、それに備えるつもりで色々と試して、すぐにやり方がわかったの」
 冷奈は執行人代行の力を受け継いでいる。ちょっと悔しいけれど、できて当然の技術なのだろう。
 現在のぼくは、世間的に結構不味いことになっているみたいで、空港のカメラにはばっちり映ってしまったから、一連の出来事の重要参考人として組織と警察が探しているらしい。場所が良かったのか、運が良いのか、滑走路の方でもめていたぼくらの姿は撮られておらず、冷奈があの場にいたことも知られてはいないらしい。だが、捜査が進めばいずれ、ぼくが人を殺したことはバレる可能性が高い。
 お母さんが心配しているんじゃないか、と思った矢先、ぼくの身の安全については冷奈がお母さんに電話で報告してあると言った。居場所は教えておらず、冷奈からの連絡については、堅く口止めもしてある。
 冷奈が立ち上がり、両手を腰に当てて、ベッドに座るぼくに目を向けた。一瞬、陽とだぶってみえた。
「色々と不安があるかもしれないけど、安心して。私が全部どうにかするから。まことくんは、これから私の指示に従って動いて」
 そうすれば、ぼくは何事もなく社会に戻れるのだという。
「陽くんをここまで運んできて正解だったよ。まことくんは、一生、私に感謝しなきゃいけなくなるよ。もしあの場に陽くんの遺体が放置されてたら、隠蔽することができなかっただろうから」
 何も言えず、ぼくは冷奈から目をそらした。言いたいことはある。ぼくは命を投げだす覚悟だったわけで、あとのことなんかどうだってよかった。冷奈が勝手に守ってくれただけ。そんなことを言ったら、また頬をひっぱたかれるだろう。そのときはやり返すことなんてできない。
 冷奈は執行人代行の力を受け継いだだけでなく、その仕事も一緒に引き継いでいたのだという。しかし一度も仕事をしたことはない。今、この世界には執行人が一人欠けていて、早急にその穴を埋めなければならなかった。
 ぼくか冷奈が執行人になるのか。……と、いうわけではないようで、それは別の人間に引き継いでもらうらしい。
「おじさんに教えてもらったことがあるの。他の国にも執行人代行が存在するのかどうかって。おじさん、担当する各国に一人任命していたみたい」
 だから、東アジアを担当する執行人は、中国の執行人代行に任せるつもりらしい。ぼくのお父さんが選んだ人だから、人格については絶対に保障できるはず。もし請け負ってもらえなかったら、他の国の人にやってもらうと言った。
「連絡する手段はあるの?」
 冷奈は頷いた。「私が本気出せば、執行人としても動けるんだからね。各組織に執行人として繋いでもらうためのパスコードも全て把握してるし、組織も知らない、執行人専属の秘書を動かすこともできるよ。今回の事件を隠蔽することは、すごく簡単なことだと思う」
 ……知らなかった。ずっと同じ場所で育ってきて、特出した点をあまり見せたことのなかった冷奈は、本当はとんでもない権力を発揮できる人だったんだ。
 執行人代行というのは、このような不測の事態に備えて用意していた存在でもあるのではないだろうか。冷奈が執行人として連絡も取れる、ということは、それをお父さんが許したことになる。冷奈のことは、もしものときを考えた人選の一人なんだ。
 冷奈が動く前にやらなければならないことがあった。それは、新道陽という存在の完全消滅。夜になったら陽を人目につかない場所に運びだし、抹消する。冷奈は淡々とそう説明した。
 今いるこの場所は、ぼくらが住む町からそう遠くないのだという。一応東京なのだが、お父さんと会った河川敷から、夕摩川を越えて少し行った場所らしかった。そんなにも近くに別宅を構えていたなんて夢にも思わない。東アジアを飛び回っていたので、ほとんどこの家にはいなかったのだろうけれど。
 夜を待つまで時間がある。ひどくお腹が空いていた。ぼくは外に出ない方がいいからと、冷奈が買だしに行ってくれる。大量の食材を抱えて帰ってきて、さっそく調理にとりかかってくれた。ぼくは一切料理ができないのだけど、何か手伝えることはないかと申し出て、それは断られた。代わりに、洗い物を全て任された。
 と、そんなやり取りがまるで夫婦のように思え、ぼくは不謹慎にも喜んでいた。テーブルの横には陽の遺体があるというのに。

 うつらうつらとしつつ眠気を堪えながら、深夜一時を迎えた。布でしっかりと包まれた遺体を、ぼくが一人で背負った。事前に決めていたことで、冷奈には一切手伝わせるつもりがなかった。
 先に冷奈が家を出て、ひと気を確認する。誰もいないことがわかると、ぼくは外に出て、すみやかに上空へ飛んだ。闇夜に紛れ、スポーツパークに向かう。そこは冷奈が陽を処理するためにと目星をつけていた場所だった。お父さんの家から数キロ行った先にあり、テニスコートやゴルフ場のショートコースがある。冷奈に誘導されながら、目的地を目指した。
 やがて、広大な敷地が見えてくる。なるほど。その全貌を見たとき、なぜここを選んだのか納得した。広い上に周りは背の高い木々に囲まれており、まず人目につくことはないだろう。
 冷奈が先に降りて、ぼくも続いて着陸。こっち、と彼女が手招きして、それについていった。バンカーに入っていくので、そこで燃やすのだとわかった。
 ようやく、背負っていた重荷を下ろす。砂の上に転がる遺体。触っていて人の形をしているのは理解できていたのだが、ずっと布で包まれていたので、これが陽だという実感は薄かった。
「ぼく一人でやるんだから、冷奈は離れてて」
 それまではきはきとした口調で声を出していた冷奈が、少しトーンを濁らせて返事をした。冷奈がバンカーを出ていく。ぼくは深呼吸をして、遺体を見つめる。
「陽の馬鹿野郎」
 つい口をでて呟いていた。両手を伸ばし──だが魔力(マナ)を発現する手前で思いとどまる。勢いで動き、布の端を掴んで引っ張った。
「なにしてるの」
 冷奈の声を無視して、一気に布を剥ぐ。
 ぼくは、息を飲んだ。もしかしたら、これは陽じゃないのでは。ぼくを陥れるための罠とか、悪戯なのかもしれない。頭の片隅で、そんなふうに現実逃避をしていた。
 だが、布の中にあったのは、まぎれもなく少年の遺体。顔面が、内側から破裂したように盛り上がっており、ぐちゃぐちゃになっていた。それなのに、これは陽なんだとわかるくらいの特徴が残っている。
 まるで喉の奥から噴出するかのように、嗚咽が吐きだされた。すぐさま口を押え、声を噛み殺す。
 ──ぼくがやったんだ。
 滑走路付近での一連の出来事が、突如、脳裏に過ぎっていく。ぼくが陽の顔面に指を突き刺して魔力(マナ)を放出し、体内で再発現(リブート)させた瞬間で映像が終わった。そのときの感触が、まざまざとよみがえった。
 ぼくの身体が震えている。そんな自分に安心感すら抱いてしまった。だって、ぼくは殺人を犯して、恐怖しているんだ。大切だった友達の顔をめちゃくちゃにして、おぞましくなっている。陽はそんな自分を正当化していた。自分の家族を殺してしまった罪は感じていたのかもしれないが、ぼくのお父さんを殺したことについては、間違いなく、今のぼくのような恐怖は微塵も感じなかっただろう。
 突然、何かが背後にぶつかった。その瞬間、ぼくは絶叫して、思いきり身体を捻った。だが背後のものは離れず、ぼくにしがみついてくる。
「大丈夫だから。私だって、同じようなものだから」
 その言葉で、ほんの少し落ち着きを取り戻した。でも涙と震えは止まらない。歯が、ガチガチと鳴る。冷奈がぼくの頭を、首元に抱き寄せ、髪に触っていた。しばらくの間、そうして慰めてくれた。
 何分が経っただろう。涙が治まった頃、「私がやるから」と彼女は言った。震え声で「ううん」と返してみせる。
「ぼくが殺したんだから、ぼくがやる。冷奈に迷惑かけたくない」
 冷奈が正面に回ってくる。ゴツと、額をぶつけられた。
「そんなこと言うんだったら、隠蔽もこれからの作業も全部、やってあげないよ?」
 冷奈が優しすぎて、また泣き声が噴きだしかけた。なんとかこらえて、ごめん、とだけ吐きだす。
「私と一緒にやる?」
 間近で、彼女に目を合わせた。ぼくが一人でやることだと頑なに突き通したかったのだが、葛藤の末、首を縦に振ってしまった。そんなぼくの頭を、また冷奈は撫でてくれるのだった。
 二人で、陽の遺体の前に並ぶ。一緒に魔力(マナ)を浴びせていった。
「こんな罪を背負わせて、本当にごめん」
「気にしないで。こんなことになったのは、私にだって責任があるんだし」
 そんなの全くないはずなのだが、ぼくは何も取り繕うことができなかった。
「ぼく、冷奈に一生を捧げるから」
 代わりに、そんなことを口走っていた。彼女はくすっと笑う。
「どういうこと?」
「ぼくは、きっとこれから先、冷奈を裏切ることなんかできない。冷奈が……どんな人になっても、味方でいるってことかな」
 ふーん、と返事をされる。まるでどうでもいいというような声色に聞こえた。少しの間、ぼくらは無言になる。
「もし私が、陽くんにみたいに、まことくんの大切な人を殺してしまっても?」
 意地悪な質問だ。一瞬の間で、膨大な思考をめぐらせ、答えを決めた。
「そのときは、きっと相応の理由があってのことだと受け入れるよ」
「だめ」
「え?」
 唐突な否定に当惑した。
「私だって、道を踏み外すことがあるかもしれない。過ちに気づかず、激情に任せて突っ走ってしまったら、誰が私を止めてくれるの? そんな私を止められない人にはついてきてほしくないな」
 ぼくはハッとしていた。本当に彼女は、しっかりしているというか、人格が優れているというか、とにかく自分を律することのできる人なんだ。こんな状況にも拘わらず、ぼくは更に彼女に惚れていた。いつまでも、どこまで、彼女のことをきちんと見ていよう。そう胸に誓った。たとえ冷奈が誰か別の人とくっつくことになったとしても。
 十二分に魔力(マナ)を注いだ。ぼくらはバンカーから出て遺体との距離を置く。冷奈が左手をぼくに伸ばしてきた。繋ごう、ということだと察し、右手を重ねた。握り合い、陽の方を見据える。
「せーの、でいくよ」
 そう言って、彼女は右手をバンカーに向けた。ぼくも、左手を向ける。今一度、大きく深呼吸した。冷奈もしていた。いくよ、と彼女が呟く。
 せーの──
 劫火を、再発現(リブート)した。
 ごう、と音がたち、炎の塊が上空に向けて渦を巻く。火柱が高くなりすぎないよう、一生懸命、二人でコントロールしていた。あまりの高熱に耐えられず、お互い、じりじりと後退していく。冷奈の様子を気にしたとき、頬が炎を反射して鈍く光っていた。冷奈は声を出さず泣いている。
「冷奈のことが好きなんだ」
 ぼくは、何を言っているんだろう。泣いている顔をみたら、愚かなことに平気で告白していた。
 冷奈は、何も答えない。そればかりか、ぼくの方を見向きもしなかった。炎に集中していて聞こえなかったのかもしれない。
 視線を炎に戻した。
「知ってるよ」
 微かな声に反応して、さっと横を向いたが、彼女は変わらずこちらを見ていなかった。幻聴だったのだろうか。依然、頬を濡らしている。
 再び正面を向いた。……陽は骨になっただろうか。それとも、もう焼き尽くせただろうか。
 ふいに右手がきつく締め付けられた。
「ねえ、まこと」
 はっきりと彼女の声が聞こえた。なに、と返す。彼女はこちらに顔を向けた。
「あのね──」
 陽を焼き尽くす炎をコントロールしながら、冷奈は真情を吐露していく。



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