魔法シンドローム第十一話.神奈川支部の入社式(page.A) |
四月七日。春うららな晴天。 昨日の夜、何度もやり方をチェックしたのに、またぼくはネクタイの締め方に手間取ってしまっていた。そうこうしている間にチャイムが鳴り、お母さんが応対してくれる。 「まこと、冷奈ちゃん来たよ」 待たせるわけにはいかないので、ネクタイと格闘しながら、ナップサックを肩にかけて玄関に向かう。 そこにいた、彼女の姿にハッとした。男女平等というか、男も女も同じく男性物のスーツを着用するのだが、冷奈はとてもよく似合っていた。おでこを見せるポニーテール。真っ白のワイシャツに黒スーツはぼくと一緒だが、卒業式に支給されたネクタイは白藍なので、その爽やかな色が冷奈の印象を更に清らかにさせていた。なんていうか、なんでもこなしてくれそうというか、とにかくかっこいい。もちろん冷奈自体は可愛いんだけど。 「まこと、スーツ似合ってる」 ふいに言われ、恥ずかしくなった。冷奈もよく似合ってる、と返しておく。お母さんもぼくの言葉に同意していた。 「髪はシムズらしくセットしないの?」 これでもワックスをつけてセットしているのだが。いつもと全然変わらないなどと言われた。まこと、とお母さんが呼ぶ。 「またネクタイの締め方を忘れたの?」 「だって難しいんだもん。こんなの覚えられないよ」 冷奈が小ばかにするように笑っていた。 「私がやってあげるよ」 そう言って手を伸ばすので、おそるおそる顔を近づけた。お母さんの前で冷奈にネクタイを締めてもらうのは、緊張してしまう。彼女は手際よく締めてくれた。 「うまいね」 「うん。めちゃくちゃ練習したんだから。まことも、できるようになるまで何回も練習しなきゃだめだよ」 ぼくは軽く肩をすくめた。お母さんがくすくすと笑っている。 「冷奈ちゃん、まことをよろしくね」 「はい、こちらこそよろしくお願いします」 ぼくがローファーに足を入れると、玄関は狭いので冷奈は外へ出ていってくれる。ぼくはお母さんを向いた。 「いってきます」 「道に迷わないようにね。いってらっしゃい」 笑顔で見送ってくれた。 てっとり早く飛んでいってしまいたいのだが、朝っぱらにそんなことはできない。恥ずかしいけれど、駅では駅員さんにお願いして横浜までの切符の購入を手伝ってもらった。 無事に横浜駅で降り、そのときすでにスーツを着た明らかなシムズが大勢、傍にいた。同じ神奈川支部の新入社員だろう。 構内から出ていくと、人だかりができていた。黄色い声援、甲高い声を浴びせられ、中には携帯で撮影している人もいる。可愛い、かっこいい、素敵、シムズ様、などなど。カメラクルーも来ている。ぼくらは忌み嫌われるのと同じくらい、逆に世間から愛される存在でもあった。短命で特異な生き物だからだろう。昔にあった一般人のアイドル文化を潰してしまったのはシムズたちだと、いつかどこかで聞いたことがある。人ごみが苦手な冷奈は、ぼくにぴったりとくっついていた。髪型もそうだけど、気取った男がサッと手を挙げ、それだけで一気に視線が注がれていた。 渋谷と大差ないビル群に圧倒されつつ、神奈川支部を目指す。横浜駅から約二キロ離れたところにあり、バスやタクシーといった移動手段もあるのだが、ぼくらは徒歩を選択した。 「す、すいません!」 突然、声をかけられた。ツインテールと、眼鏡を掛けたショートカットの女性がいる。高校生くらいの年齢に見えた。……だとしたら学校はどうしたのだろう。 眼鏡の人が一歩こちらに迫ってくる。 「あの、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」 ぼくは当惑して、冷奈を見る。彼女は目を細め、「撮ってあげたら」と言った。 「いや、ぼくら二人一緒ってことだよ」 「あ、いえ」と、ツインテールの女性が口を挟む。「そちらのシムズ様なんですけど」 冷奈を指さしていた。つまり彼女たちはぼくなんかどうでもよくて、女のシムズである冷奈のファンということである。 若干ショックを受けつつも、撮ってあげたら、と冷奈に勧めた。彼女はおそるおそる承諾する。ぼくに携帯が二つ手渡された。撮ってくれ、と。 「お名前はなんていうんですか?」 「柊、冷奈です」 やだ超可愛いんだけど、とツインテール。冷奈、恥ずかしそうに礼を述べる。眼鏡の人が冷奈に一歩迫った。 「黒スーツ、とっても似合ってます。今日見かけた女性のシムズ様のなかで一番、似合ってます」 だから声をかけたらしい。ぼくが「撮りますよ」と言うと、冷奈を挟むように並んでこちらを向いた。携帯二つ分、撮影する。そのあと冷奈も「撮ってほしい」と携帯をぼくに渡した。 冷奈の分を撮り終えると、彼女たちは連絡先を教えてほしいと言った。だが冷奈は丁重に断った。代わりに、組織から名刺をもらったら送りたいと言い、彼女たちは喜んで自分たちの連絡先や住所を教えていた。 「組織に仕事を頼むときは必ず冷奈様を指名します」 眼鏡の人が言い、ツインテールの人が何度も頷く。懸命なことだ。人ごみが大嫌いなのと交通機関に疎いのが大きな弱点だが、それでも冷奈は今年の新人のなかで最も優秀だろうから。 「営業がうまいね」 二人と別れたあと、ぼくは口を開いた。 「ただ名刺を送るって言っただけじゃん。まこともそのうち固定客を得られるようになるよ」 意外と彼女はおそろしい性格をしている。もうさっきの二人を固定客候補と見ているんだ。……いや、やっぱそれって冷奈らしいや。 人の流れに乗って歩いていけば、いつの間にか目的地に着いていた。 「でかい……」 ぼくも、冷奈も、その規模に圧倒されていた。普通の会社のようなビルを想像していたのだが、予想を見事に裏切る造りだ。まるで学校のような門。「国際魔術師機構」その下に「神奈川支部」と刻まれた立派な銘板。敷地面積はかなり広い。まるでどこかの大学のような建物。会社というふうにはみえない。 「京都、東京に比べたら大したことないけど、神奈川支部も規模がでかいからなあ」 などと言いつつ、男が立ち止まっているぼくらの前に出ていき、足を止めた。 「神奈川支部、初めて見るんか?」 なれなれしく話しかけてくる。その男は、よく見れば駅前の群衆に手を振っていた人だった。そうです、とぼくが答える。 「あんたら、駅でも俺の近くにいたよな? 覚えてる?」 こっちは印象的だったから覚えているのだが、相手もよく記憶しているもんだ。周りに手を振って目立ってたね、と言ってやった。すると男が笑う。 「健常者に積極的にアピールしなきゃ、顔を覚えてもらえないだろ? 俺はいっぱい客をつかまえて、誰よりも稼ぎたいんだよ。実家出てきた身だから社宅に入るつもりだけどさ、長々と社宅の世話になりたくないし、さっさと自立したい。金がありゃ美味いものいっぱい食えるしな」 彼の髪型に注目する。金色に染めており、ショートヘアをパーマによってツンツンにさせて浮かせていた。胸元には紅のネクタイ。 「二人、名前は?」 ぼくらは名前を答える。立ち話をしている間に、シムズたちが次々に門を抜けていた。ぼくは彼の名を訊ねる。 「俺の名前はアキラだ」 ぼくと冷奈が同時に息を呑んでいた。 |
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