魔法シンドローム

第二話.魔力の再発現(page.B)



 夕飯の匂いがぼくの空腹に拍車を掛ける。想像以上に疲労が蓄積していて、密集する街並を抜けるだけでも一苦労だった。南武線の線路を渡り、県道を駆け足で横断すれば、家まであとちょっと。
 二階建ての家々に囲まれて建つ小さな平屋の家の窓には、明かりが灯っている。玄関を抜けると、右奥のリビングから慌ただしい足音。ぼくの姿を視認すると、お母さんはぴたりと停止。無言で見つめてくる。右手にはターナーを握っていた。
「学校から連絡あった?」
 そう問うと、お母さんは溜め息をついてターナーを下ろす。
「あったに決まってるじゃない。まこと、家にも帰ってないでしょ。いままでどこでなにしてたの」
 おじさんの顔が過ぎる。ぼくは視線を宙にさまよわせたあと、なにも返さず玄関をあがった。
「ちょっと、まこと!」
「公園で遊んでただけだよ」
 お母さんとは反対の和室に入っていった。学校に置いてきたランドセルがそこにあった。
 夕食ができると、お母さんはいつもと変わらぬ口調でぼくを呼んだ。ぼくが学校でなんかやらかしてお母さんが早く帰ってくる、というのはよくあることで、ぼくもお母さんも慣れていたのだが、今日は顔を合わせづらい。でも力を使いすぎた反動でお腹がぐうぐうと鳴ってしまうから、リビングに向かった。
 昔は学校でへまをやらかすとお母さんはよく叱ったのだが、いまや怒るような態度を持続させない。食事中は無言だった。ご飯のおかわりが四回目になると、お母さんが口を開く。
「どこでそんなに力を使ったの?」
 食事のペースが早いからか、それがわかるらしい。白米を頬張りながら、茶碗を置き、たくわんを口に入れ、箸を置き、両手を膝の上においた。
「わざわざ食事を止めなくてもいいわよ。お母さん怒ってないから。もしかして外でも怒られるような力の使い方をしたの?」
 ぼくは首を振った。少し、口を開く。でもすぐ閉じた。俺のことを喋ってはいけない、と念を押されていたから。
「悪いことはしてないよ。力の使い方を一人で学んでた。学校で暴れないようにってコントロールする特訓してただけ」
 お母さんは頷き、これを受け入れた。
 お母さんが洗い物をはじめる。ぼくは残ったおかずを平らげながら、お母さんの後姿を見つめる。ときおり見える横顔が暗い。ぼくのことで気を揉んでいるに違いない。その表情を変えたくて、言ってしまいたかった。かなりためらい続けたが、やっぱり言ったほうが良いに決まってる。ぼくは一度深呼吸した。水の音に阻まれそうだったので、大きく口を開く。
「お父さんに会ったよ!」
 甲高い音が鳴った。お茶碗を滑らせたようだ。お母さんは流しに手をいれ、茶碗を取る。それを持ったまま身体を横に向けた。茶碗は割れていない。
「いま、なにか言った?」
「お父さんに会った、って言った」
 驚くような挙動をみせたあと、お母さんの手からまた茶碗が滑り落ちた。ぼくはとっさに手を伸ばす。同時に魔力(マナ)を発していた。フローリングに向かってくる茶碗をイメージする。再発現(リブート)すると、一瞬だけ茶碗が動きを止めた。急なことで、更に重量もあったので、落下速度を減速させることしかできない。茶碗は床に衝突し、形を保ったまま転がった。
「お母さん見た? すごいでしょ、お父さんに力の使い方を教えてもらったんだよ!」
 お母さんは唖然としている。茶碗を拾わずにぼくの方へ素早く寄ってきて、両肩をがしりと掴まれた。
「シムズの人の会ったのね? その人、お父さんだって名乗ったの?」
 ううん、と首を振る。「名前は教えてもらってない。でもわかるよ、小さい頃からお母さんが何度も話してくれたお父さんの特徴と一致してたもん」
 ぼくと同じで、風を扱う能力が高い。空を飛ぶことだってできて、お母さんは抱きかかえられながら一緒に飛んだことがあった。細身だがしっかりとした身体つきで、背は高め。とにかく優しいのだけど、内に誠実な厳しさを秘めた人。外見はおじさんって感じなのだが、老いている風貌ではない。あとはショートヘア。お父さんは撮られるのを嫌い、写真は一枚も残っていないから、姿を想像したりお母さんが描いてくれた似顔絵を見たりすることでしかお父さんに会えなかった。
 今日会ったのは、それらと寸分たがわぬ人物だった。
「でも、まこと、ちょっと待って」左手で顔を覆った。「えっと、あなたは、シムズだからわかると思うけど、年齢がおかしい……何歳──いくつくらいだったの?」
 ぼくが二十五歳前後で死んでしまうという事実に直面すると、いつもお母さんは動揺した。
「四十歳って言ってたよ」
「四十?」耳元で大きな声がした。「それは、きっと嘘よ。だってあの人、まことを身籠もったときは三十八歳だったし……」
 ぼくのお父さんは長生きなシムズだった。ほとんどは三十歳を向かえる前に死んでしまう中、稀にそれを越える人もいる。そうして三十代で百パーセント死に至るはずだった。
「三十八歳っていうのが嘘だったんじゃない? 本当は、えっと……」
 四十歳からぼくの年齢を引いた数を出したいのだが、頭がもやもやとしてしまう。計算をしようとするといつもこうだ。数字を思い浮かべられない。
「本当は二十八歳だったってこと?」
 お母さんが答えを出してくれた。健常者の人がこうやって汲み取ってぱっと暗算できるところは感心してしまう。
「そうそう、それ。お母さんといたときは、二十八歳だったんだよ。ちょっと老けてたんでしょ?」くすっと笑ってみる。「だからそれを隠したくて、年上だとサバを読んだんだよ」
 そうかもね、とお母さんは言った。「まことは計算不得意だけど、そういうこと考えるのはほんと上手だね」
 お母さんはぼくを撫でてくれて嬉しかった。勉強なんかできずとも、シムズはそれ以外の力がある。思慮深いのもぼくらの特徴の一つらしかったので、たとえ寿命が短くとも、ぼくはシムズとして生まれたことを絶望的なことだとは思わなかった。

 隣の布団にいるお母さんから、お父さんの話を聞いた。何度も聞かされていることだが。お母さんがお父さんと過ごした時期は短くて、一年もない。二人の出会いはまるでドラマみたいなもので、酒気を帯びた男に絡まれているところを、偶然その場に居合わせたお父さんが助けた。相手は健常者で、もちろん相手が健常者だろうがシムズだろうが、相手に向かって能力を行使するのはいけないことなのだが、それが自分や相手を守るためなら──特に、健常者を助けるためなら、大いに許されている。無論、殺傷してしまえば即刻死刑だが。
 助けられたお母さんは、去ろうとするお父さんをかなり強引に食い止めた。
「この人しかいない、って思った。行かせちゃったら二度と会えないって感じて、絶対に離さないぞーってなって食いついたのよ」
 それまでお母さんには劇的な恋愛体験がなかった。けれど、お父さんに対しては是が非でも一緒になると決めたという。観念したお父さんは、その日からこの家で暮らし始め、数日後には婚姻届を出した。
 お父さんは子供を持つことを頑なに拒んでいた。自分のような、すぐ死んでしまう子を誕生させたくないからだ。健常者同士が交われば、まずシムズが生まれることはないと言われている。けれどシムズと健常者が交われば、先天的に寿命が短く、学校の授業についていけず、魔法や魔術などとも呼ばれる力を使える妙な病気を患う子供が生まれる可能性が出てくる。
 もし子供ができて、それがシムズであっても構わない、とお母さんは言っていた。お父さんだってシムズだし、そのお父さんを心から愛していた。だから同じシムズの子も愛せる、と。
 案の定、ぼくはシムズとして生まれた。お父さんは愕然とした。お母さんはなんとも思わなかった。お父さんはすまないと謝り、ぼくが生まれる前に突然姿を消した。
「絶対に亡くなってると思ってたけど、まだ生きてるなんて……。お父さんの遺伝子は長命なのかしら」
 顔を綻ばせてお母さんは言う。そうだったら嬉しい。ぼくはお父さんを恨んだことはなかった。なぜいなくなったのかはわからないけれど、お父さんの行動を理解できるというか、文句なく受け入れられるというか。
「お父さん、この街を離れるって言ってた。だけど……もしまた会ったらさ、絶対ここに連れてくるよ」
「あの人にも色々事情があるんだと思うけど……お母さんも会いたい。気軽に立ち寄って、って伝えておいて」
 任せて、と意気込んで返事をする。お母さんは微笑み、頭を撫でてくれた。

  *

 ぼくが教室に入ると、生徒の大半がお喋りを止めて白い目を向けてきた。慣れっこなので気にせず窓際の自分の席に向かう。
「おはよう、まことくん」
 お喋りの輪にいた冷奈が挨拶してくれた。しかも微笑みを浮かべている。つられてぼくも口元が綻んでしまった。おはよう、と返して奥に進む。ふっと、微弱な風が顔に触れるようにして通過した。窓は全て閉まっているのに。そういえばぼくが割った窓も直っていた。小学生までのシムズによる器物破損は全て組織が負担しているのだが、いつも対応は迅速だ。
 風の発生源に目をやる。奥の席で頬杖をつく陽が片手を挙げていた。あいつはすぐに教師の目を盗んで力を使う。
 席に座って教材を机に入れていると、誰かがぼくの席の横に来た。目の端で和也くんの姿を捉える。



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