魔法シンドローム

第三話.組織の魔術師(page.A)



「人生は辛いことや苦しいことのほうが多いって、父さんは言ってた。甘いものじゃない」
「本当にそうだと思うのか?」陽は真剣な表情になる。「それって苦痛を味わってる自分を諦めさせたり慰めたりするための言い訳みたいなものじゃないのか」
 和也くんが唇を震わせてたじろぐ。
「俺は和也より早くこの世を去るんだけどさ、それを不幸だと思ったことはないし、与えられた天命を必死で全うしたい、なんてことも一切考えたことないんだよ。それは俺にとって、つまらないんだ」
 先生が教室にやってくる。異様な雰囲気を察したのか、出入り口で立ち止まった。陽は席を立って歩みだす。和也くんの目の前で止まった。
「和也の生き方を否定する気はないよ。俺は本気でお前を立派だと思うから。それでも、和也より俺の人生のほうが楽しいって、胸を張って言える。みんなには絶対に扱えない力を使えて、部活で自由に遊べて、あと少しで勉強からも解放されて組織入り。そこで存分に能力を使った活動を行うようになる。今でも充分面白い人生なのに、これから更に盛り上がるのかと思うと、すっげぇわくわくしてくるよ」
 遠目からでもわかる。陽の目が輝いていた。あの顔を見て「そっちのほうがつまらない」などと否定できるはずない。遊びを提案して意見がぶつかった際、ああやって説得されて、ぼくはよく折れていた。和也くんは唇をぎゅっと閉じている。陽は、両手を腰に当てた。
「和也。同じように堂々と胸張って、俺より自分の人生の方が楽しいって言えるか?」
 彼の自然な微笑には、気迫すらうかがえる。ただの理論では太刀打ちできない。楽しさの質、という漠然とした内容なのにも拘わらず、陽が圧勝しているのは誰の目にみても明らかだった。
 陽が出入り口に顔を向け、先生と視線が合う。すると彼は和也くんを見て、肩に触れたあと、傍を離れていった。みんな席に着いて、と先生は声を響かせる。生徒たちは各々、自分の席に戻っていった。
 この日、和也くんがぼくにちょっかいをかけてくることはなかった。時折ぼくを睨むことはあったけれど。そういう眼差しを、陽に向けることはない。和也くんは昔からシムズの存在そのものを嫌っているのだが、憎悪はほとんどぼくにしか向けられなかった。冷奈は女性だし、陽は衝突しても今朝のように丸め込まれてしまう。なので、和也くんは唯一対抗できる背丈の小さなぼくに突っかかってくるのだった。
 交友を狭めてしまうからという理由で、学校内ではあまりシムズ同士で話したり遊んだりしてはいけないというルールがあった。これは校則ではないので、仮に休み時間中シムズ同士が一緒にいて、それを先生が見ても指導することはない。部活の時には「部活以外の学校時間では極力、健常者の友達と一緒に過ごすように」と促されるのだが。
 しかしどうしても今朝のことを訊きたかったので、給食後の昼休み、健常者の友達と喋っている陽の元に行った。彼は陽射しを背にして腕組みをしながら窓に寄りかかっている。ぼくが近づくと、みんなピタリと言葉を止めてしまった。
「どうした、まこと」
「喋ってるとこごめんね。幸村先生が三人揃うようにって言ってたんでしょ? そのことが知りたくて」
 ああ、と言い陽は笑んでくれた。「組織の講師がようやく来るんだよ」
 ぼくも、ああ、と声をあげた。「ていうことは明日の土曜日に実地活動するの?」
「多分な。今日は、明日の活動についての説明に来るんだろ。どうせなら先輩が来てくれたらいいな」
 来る人物は決まっていないらしい。ぼくは同意と理解を含めてしっかりと二度頷いた。
「どんな仕事するか楽しみだね」
 意外にも彼は鼻で笑う。「そんなに早く働きたいのかよ」
「うん。陽も今朝、組織の仕事は楽しみだーって言ってた」
 陽は腕組みを解き、腰に両手を当てた。「まあな。学生生活が終わるのは淋しくもあるけど」
 ぼくはそんなこと微塵も思わないけれど。
「お前ら、偉いよなあ」椅子に座る陽の友達が言った。「来年からスーツ着て社会人としてやってくんだもんなあ。信じらんねえよ。おれたちはただ学校が中学に変わるだけって感じだし」
 他に二人いる陽の友達は、同意するように頷いていた。
「将来何するかなんてまだわかんないし、働くとかそんなこと考えたくないよな」
 そうだな、と陽の友達が言う。陽はくすっと笑った。
「俺たちはシムズである以上、小卒で組織入りってずっと決められてたことだし。なんも偉くないって。どう生きるのか、これから長い時間かけて自分で決めなきゃいけないみんなのほうが大変だよ。たとえやること決めても、そのための技能を自分の努力で習得していかなきゃいけないだろ? たとえば、ユースケ」
 ぼくはユースケくんに目を向ける。さきほどから一言も口を開いておらず、しゃがんだ姿勢で机にしがみつき、鋭い二重の目をぼんやりさせていた。
「なにぃ?」
「お前は将来、美容師になるとか言ってたよな」
「ああ、うん。なんかかっこいいじゃん」
「俺、調べたんだけどさ、スタイリストになるには高卒後、二年間専門学校に通ったあげく、更に就職した店で何年も修行して何回も試験に合格しなきゃいけないらしいじゃん」
「うん、そうだよ。陽はよく調べてるなあ。早くても高卒からちゃんとした美容師になるまで六年はかかるんだぞ」
「マジか、六年も勉強するのかよ。その間に俺らはたぶん死ぬ。……いや、ギリギリスタイリストになれるのか?」
 高卒から六年なら何歳だろうかと、ぼくは指を折って数えた。陽も同じことをしている。そうしている間にユースケくんが「二十四歳だよ」と教えてくれて、陽が噴きだした。
「俺らなら、一生懸命勉強して早くスタイリストになっても、それから一年働けるかどうかわかんねぇじゃねぇか」
 陽は笑い続ける。ぼくもユースケくんも釣られて笑っていたが、あとの二人は苦笑いだった。陽が一転して大きく溜め息をつく。
「ちゃんとした仕事というか、知識や技術の要る職に就こうものなら、気の遠くなる年月をかけなきゃいけないよな。それって、俺たちシムズには絶対にできないんだよ」
 うんうんとぼくは頷く。髪を切るのもそうだし、建築家とか、大きな会社の重役に就いている人とか、テレビの芸人さんとかも、そうなるまでには長い時間をかけて努力する必要がある。ぼくらには、絶対できない。
 だから、いくら健常者がシムズを馬鹿にしたとしても、ぼくは健常者を蔑むことはできなかった。ぼくたちはみんな、組織入りして残りの寿命を全うするしかない。夢を選ぼうにもその幅はあまりにも狭い。劣等感を覚えずにはいられなかった。猶予のある生。二十五歳からでも余裕で夢を追いかけられる。三十代からでも何かを始められる。自分の子供の成長を傍で見届けられる。好きな人とより長く共にいられる。……有り余る時間が羨ましい。自分がシムズであることは悪いことだと思っていないが、圧倒的な時の差異を意識すると、学校生活そのものが苦痛になる。
 健常者にとっては少し重い話をしたせいか、みんな黙ってしまう。傍で会話を耳にしていた生徒たちも黙然としていた。
「おれさあ」ユースケくんが立ち上がった。「二十四歳で必ずスタイリストになるから、それまで絶対生きてろよ。それで、お前らの髪を切らせてくれ。めっちゃかっこいい髪型にしてやるから」
 陽が笑う。「俺、あんま組織の人がするような髪型って好きじゃないんだよなあ」
 えー、とユースケくんが声をあげた。「あれ、すっげぇいかしてるじゃん。綺麗にパーマかけてさあ、髪ツンツンにしてうまくセットしてる感じの、最高だよ。低迷してた美容師業界を盛り上げたのってシムズの人たちがああいう髪型にするようになったから、って聞いたことあるし、だからお前らも組織入りしたら洒落た髪型にする義務がある」
 強引さにぼくはくすっと笑った。
「アホっぽくて好きじゃないんだけどなあ」陽が言った。同時にチャイムが鳴る。
「アホっぽくねぇって、女子にも好きなやつ多いし。マコちゃんもかっこいいって思うだろ?」
 なぜかユースケくんはぼくをマコちゃんと呼んでいた。かっこいいとは思うんだけど、いきすぎたスタイリングは陽の言うとおり馬鹿っぽくみえる。そう伝えようとしたのだが、その前に先生が教室に入ってきた。ぼくは陽たちに手を振り、すぐその場から離れた。

 シムズは健常者にない力が扱えるので、普通の部活には入れない。部活動自体は四年生から始まるものなのだが、ぼくらシムズは学校入学と共に『魔術部』に入部しなければならなかった。いわば、そこが小さな組織≠セ。活動内容は明確に決まっておらず、みんなで意見を出し合って方針を決める。といってもやることはほぼ自由なので、バスケやサッカーでも、鬼ごっこやかくれんぼでも、意見さえまとまればできる。時には他の部に試合を申し込み、対戦することだってあった。
 ぼくと陽と冷奈、三人揃って部室に向かった。一階の、職員室の隣にある、校長室に。
 ドアを開けると、デスクにいる学校長兼顧問の幸村(こうむら)先生が「おはよう」と、優しそうな笑みを浮かべて出迎えてくれる。たとえ夕方でも、「おはよう」と挨拶することが決まりだ。ぼくらも先生に向かって「おはようございます」と口にした。
 すでに下級生が部室に来ており、みんなが挨拶をしてくれる。肝心の、講師の姿は見受けられない。
「幸村先生、組織の人はまだ来てないんですか?」
 ぼくが訊くと、先生は腕時計に目を遣る。「部活が始まる時間には来れないって仰ってたからねえ。たぶん一時間後かな。それまで今日は外で何か活動をしていてください」
 はーい、とみんなが声を揃えた。いつの間にか──いや、いつも通り冷奈に下級生の女子が抱きついている。別の女の子が手を引っ張り、「れーちゃん、今日は雪合戦したい」と言った。冷奈は相好を崩し、くっついてくる子の髪を順繰りに撫でた。
 そういえば先生、と陽が口を開く。「講師の人は俺たちの先輩ですか?」
「いいや、残念だけど全く関係のない人だよ。くれぐれも粗相のないようにね」
 ちぇ、と陽が呟いた。先生はふふと笑い、デスクに置かれている書類に視線を戻した。
「先輩たちに会いたかったなあ」
 陽は同意を求めるように視線をぼくに向ける。
「先輩が来るケースは稀だったみたいだし、仕方ないよ」
 先輩、と傍で声がする。下級生たちがぼくらの前にいて、何をするのかを訊いてきた。陽が腰に手を当てて、冷奈に群がる女子を眺めていく。視線を男子に戻した。
「雪合戦でいい人、手を挙げて」
 ぼくも含め、みんなすぐに手を挙げた。いや一年の子がひとり、カーペットにしゃがみこんだまま手を挙げず、不服そうにぼくらを見上げている。陽が「夏季(なつき)」と彼を呼んだ。
「お前は何をやりたいんだ?」
 夏季は俯く。「外、寒い。出たくない」
 そうだな、と陽は同意する。「先生、室内で活動していいですか?」
「できれば、外で何かをしてくれないかな。魔術部は主に能力を使うことが前提だし、外はまだ雪が残ってて、ちょうど他の部もグラウンドは使わないから君らの貸し切りだよ。先生はちょっと仕事があるし、気を遣ってくれるとありがたいかな」
「だってさ、夏季」
 夏季は、意見が通らないことに怒っているようで、頬を膨らませていた。他の子たちはどうするか悩んだり、夏季を雪合戦に誘ったりする。ぼくらは、たとえ意見が一方に偏っても、一人がそこに賛成していなければそれを行わない。誰一人、文句は言わなかった。ぼくらも同じように、下級生の頃は先輩にこうやってどんな意見も尊重してもらっていたからそうするのだ。脈々と続く魔術部の姿勢だった。
「じゃあ、こうしよう」陽が声をあげた。「他のみんなは雪合戦でいいんだよな?」
 陽は、夏季を除く十三人それぞれに指をさしていく。各々が頷いていった。
「じゃあみんなは雪合戦。俺と夏季は構内で何かする」
 夏季は顔をあげ、目を(みは)った。
「先生、いいですか?」
 幸村先生は柔らかな表情を見せた。「いいよ。けれど、くれぐれも他の部に迷惑をかけないように。構内でもきちんと部としての活動を行うこと。夏季くん、わかったかい?」
 夏季は、素直に頷いた。先生も応えるように二度頷いたあと、机に視線を戻した。やることが決定すると、みんなすぐに動きだす。
「陽、いいの?」
 ああ、と彼は言う。それからふっと笑った。「だって俺も寒いの苦手だし」
 ぼくは得心が行ったように頷いた。陽は、冷気の能力が高いにも拘わらず、寒さは苦手なんだ。



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