彼女が僕の中にいる

第八話.僕は彼女にハグをする(page.B)



 ガレージの方へ歩いていく。西村さんは軒下に入る手前で立ち止まっていた。どうしたの、と僕は気遣う声音でいう。彼女は何か言いたそうにしていた。だが言葉にならず胸を押さえた。僕は雪兎から傘を奪い、彼女の元に駆け寄る。傍に立ち、傘に入れた。
「風邪ひくよ」
 西村さんはまた口に手を当てて、息を呑んだ。なぜか涙目になり、首をぶんぶんと振りまくる。
「ど、どうしたの、落ち着いてください」
「だって、こんなにも可愛い人が、私の友達だなんて、全然信じられなくて。私なんかが友達でいいんですか」
 なるほど。一連の彼女の心境を理解できた。
「逆に、こんなセンスの欠片もない身なりの僕が友達でもいいんですか」
「ボク……!」掠れた高い声だった。「本当にボクっていった……」
「うん、おかしいよね、言葉遣いも容姿も。それに比べて西村さんは、大人っぽくて素敵な、とてもセンスのある服装ですね」
 街灯に照らされる彼女を確認する。ざっくりと開いた黒のVネックニット。ブラの肩ひもを隠すためのインナー。下は薄紫のデニムパンツ。ファッションは洗練されていた。
「雪ちゃんの方が絶対可愛い、ボーイッシュっていうか、変に着飾ってなくて良い」
 無理やり褒めてくれているのだろう。
「あ、あの、申し遅れました、私は西村望海と申します。字は、望む海と書いて」
「それは知ってます」
「あ、そうか……ごめんなさい。えっと、本当に私と、友達になってくれますか?」
「今までは友達でもなんでもなかったってことですか?」
「そうじゃないんです、どうしても信じられなかったから、つい訊いてしまって……」
 悲しみが心を過ぎった。僕らの間には壁がある。まあ僕は雪兎の中でずっと彼女を見ていたから、勝手に慣れているだけかもしれないが。
「よし、僕とハグをしよう」
 え、という声が西村さんと、後方の雪兎からも聞こえた。
「嫌ならいいんだ、でも女の子同士って、気軽に抱き合うじゃん。つまりハグで親しい友人関係であることを証明しようというわけさ、へへへ」
 などと僕は自分の欲望丸だしでいうのであった。
 と次の瞬間。がばっ、と音がたつくらいの勢いで西村さんが抱きついてきた。驚いて傘を放した。あまりに唐突なことだったので僕は放心した。雨音と、彼女の温もりと微かな息遣いが、僕を現実に引き戻していった。雪兎が傘を拾って傍に来て、僕らにさす。西村さんは微動だもしなくなった。やべえ良い匂いする、風呂に入った後なのかな。
「ご、ごめんなさい、私、急に抱きついちゃったけど、し、失礼なことしてますか?」
 しどろもどろになりつつも離れない西村さん。
「何も間違ってないよ。僕も手を回していいのかな」
「ハグって、そういうことじゃないの?」
「そうだったね、では遠慮なく」
 彼女の腰に手を伸ばす。セクハラというワードが脳裏を過ぎった。完全に手が回ると、思いきって力をこめ、西村さんを抱き寄せた。ん、という色っぽい声が耳元で聞こえてしまい、僕は小さな欲情を感じた。今夜は君を寝かせないよ、とか囁きたい。
「来てくれて、ありがとうございます。とても嬉しいです」
 西村さんがそう囁いた。不純な思考を巡らせた自分が汚らしいものに感じた。
 雨に濡れる雪兎が、そろそろ部屋へ案内してほしいと頼み、僕らは動きだした。車の奥に隠れるようにして鉄骨階段がある。二階へ上がってすぐのところと、突き当りの所に扉があった。奥は物置らしい。手前のステンレスのドアを開けると、「おぉ」と僕は感嘆を漏らした。勝手に事務所のような内装を想像していたのだが、そこはどうみても立派な女子の部屋。広さは六帖ほどか。薄いピンクのカーテン、窓の傍に置かれた白いベッド、フローリングに敷かれた白いカーペット、小さなテーブル、テレビラック。本棚が四つあるが、雑誌や教科書、ほんの少しの漫画があるだけでスカスカだった。スケルトンの衣類ケース、多数の服が掛けられたハンガーラック、姿見。部屋の片隅には布団が積まれている。第一印象では、あまり物がない、すっきりとした部屋だと思った。
 僕らはテーブルの前の熊型座布団に腰を下ろす。飲み物を持ってくるから変なとこ触らないでね、といい彼女は出ていった。僕はすっくと立ち上がり、衣装ケースの前に移動する。
「こらこら雪さん、おとなしく待とうよ」
「女物の服に興味があるからちょっと見るだけだよ。望海、センスあるし」一番下の衣装ケースを開く。「よし、下着発見。ブラとかパンティいっぱい種類持ってるんだなあ。すごく綺麗に収納してる。これが圧倒的女子力というものか」
「お願いだから止めてください」
 下着を取る。「ほら、僕らの好みの水色ブラと水色パンティだ」
「君は西村さんをなんだと思ってるんだよ……」
「友達だよ。こんなことしても最悪少しだけしか怒らない仲だと信じてる。なんなら告げ口してもいいよ」下着を戻し、ケースを閉じた。立ち上がって、ハンガーに掛けられた服を見ていく。「どれも良い服だなあ。こんな素敵な趣味があるじゃないか」
 雪兎は壁にいくつか設置された棚を見ていた。そこは小物置きになっている。彼は服に興味がないらしい。僕はこんなにも貪欲に女性物の衣類が気になるってのに。
 足音が聞こえると、僕らは素早く元の位置に戻る。ドアが開き、大きな袋とコップを持った西村さんが入ってきた。
「そういえば、高級そうな菓子折りをくれてありがとう。そんなことしなくても大丈夫だったのに」西村さんは座布団に座る。「お母さん、若いのにしっかりした子だねっていってたよ」
 そうやっていってもらえたなら持ってきてよかったよ、と雪兎はいう。胸中は罪悪感で満たされていることだろう。
「私がいない間にどこか漁ってないよね?」
 急に彼女はいう。違和感があったのだろうか。
「雪が衣装ケースを漁ってたよ」
 本当にちくりやがった。
「勝手に触らないでっていったのに……」
「違うんだよ、見ての通り僕って超絶ダッサイ恰好してるでしょ。西村さんはファッションセンスあるから学ぼうと思って」
「それじゃあいいです。それに雪ちゃんになら漁られても全然いいよ」
 ほらみろ、といわんばかりに雪兎に対して微笑を浮かべた。
「仮に雪兎だったら?」
「もちろん怒るよ、男の子だし。一緒になって漁ってないよね?」
「僕は雪を止めようとしたよ」
「とかいって、こいつ絶対に下着とか見たかったんだよ。僕にはそれがわかる」
「変なこというのやめてくれ」
 西村さんはくすくすと笑った。「二人って、やっぱり仲がいいんだ。それに親戚同士だから、顔もどこか似てる」
「まあ僕の方が超美形だけど。雪兎の顔面は大変残念だね」
「真白君は悪い顔立ちじゃないよ。二人は、目元がそっくり。いいなぁ、ぱっちりした二重の目で。私は小さくて奥二重だし、二人よりもまつ毛が短い。太ってるし……」
 僕は耳を疑った。「いや全然太ってないよ」
「太ってるよ、BMIはぎりぎり標準だし……デブだよ」
「それは気にしすぎだよ、西村さんがデブなら世の中デブだらけになっちゃう」
 西村さんは首を振る。「私、すごくスタイル悪い。ねえ雪ちゃん立ってみて」
 僕は立ち上がる。彼女は僕を見回し、大きくため息をついた。
「雪ちゃんスタイル良すぎる……」声が消え失せた。彼女は僕の胸を凝視している。「ええっと、今から失礼なことをいうけど、嫌なら拒否してね。ちょっと、胸を確認させてほしいの。触れる、っていうことなんだけど」
 おっ、大胆だな望海。逆にこちらから頼んで揉んでみてもらうつもりだったのだが。
 快諾すると、西村さんは瞳を輝かせた。おそるおそるとした動作で僕の胸に触れる。主に下乳を責めてきた。
「……やっぱり。雪ちゃん、なんでブラをしてないの」
「えっ、ああー、なんかつけるの苦手で、持ってないんだよね」買いに行く気がなかっただけだが。
「ダメだよ、ブラはちゃんとしないと。せっかくこんなに立派な胸をしてるのに」ふみふみと触ってくる。「明日、一緒に買いに行こう。近くにデパートあるから」
「ついでに女もののパンツも買ったほうがいいかなあ」ズボンを少しめくる。「僕、トランクス穿いてるから」
 ヒョー、というような音が西村さんから聞こえた。思いきり息を呑んだのだが、それは人間が発するような音ではなかった。
「雪ちゃん! もうっ! いったいあなたのご両親はどんな人なの、ありえない、おかしい!」そう言い放つと、思いきり僕に抱きついてきた。「もっと自覚してよ、あなた、信じられないほど可愛くて美人なのよ。それなのに、衣服が、やっぱり変だよ。ボーイッシュさは嫌いじゃないけど、下着まで男物って……」
 ぎりぎりと僕を締めつけてくる西村さん。雪兎はくっくと笑っていた。女の子の日はどうしてるの、と小声で訊かれる。生理を指しているのはわかるが、質問の意図が掴めない。迷った末、どうにかする、と適当に答えると、彼女は納得するふうに頷いてくれた。身体が離れると、髪の綺麗さを褒めてくれて、触りたいといってくれた。頷くと、西村さんは僕の髪に触れ、小さく息を呑む。どんなシャンプーを使うのか訊かれた。なんだったか思い出せない、と無難に答えておく。
「私は癖があるほうだから、こんな完璧な黒髪のストレートだなんて、本当に羨ましい」
 僕の髪を撫で続けてくれる。彼女に髪をいじってもらうのは、不思議と安心感が持てた。西村さんは僕と目を合わせる。じっと見つめ合う。が、先に彼女が逸らす。
「どうしよう、雪ちゃんの何もかもが眩しくて直視できない」
 ふっと笑った。「西村さんは同じ女性でしょ。それでもそんな気持ちになるの?」
「なるよ、本当に私なんかが友達でいいのかなってまだ申し訳なくなるくらいだし」
 その口を黙らせるためにキスしてやろうかと一瞬いけない想像をする僕。
「ねえ、二人は何を飲む」
 すっかり放置していた雪兎が飲み物を入れようとしていた。レモンティーとお茶があったのだが、全員がレモンティーを選択し、一息つく。
 何気なく本棚の雑誌に視線をやる。察するにほぼファッション誌だ。西村さんに許可を得て、二冊取った。一冊は無理やり雪兎に渡す。ページを開いていくと意外に心惹かれた。モデルの何気ない着こなしを素直に良いと思える。隣に西村さんが来て、無言で一緒にページを眺める。彼女は時折、僕を見ていた。脳内で服を着せられているのだろうか。
「どれを着ても雪ちゃんなら似合うよ」
「ありがとう。こういう服もいいね。僕、一度も女物の服って着たことないから」
 ギョー、という、まるで排水溝に水が流れるときのような不気味な音がした。西村さんが息を呑んだのだが。彼女は俊敏に立ち上がってハンガーラックの前に行き、取り憑かれたように服を数着選んで戻ってきた。
「どれにしようか迷ったけどどれ着ても大丈夫だと思うから」
「着てみていいの? その……、人に自分の服を着られるの、嫌じゃないの?」
 男に自分の服を着られるの、といおうとしてしまった。彼女は首を振りまくる。
「一番似合うものを一着あげるから、お願い、着て! 雪ちゃんのほうが少し身長あるけど、でもサイズは問題ないだろうから」
「着ていい上にしかも一着くれるの? なんか悪い気が……」
「私は真白君から菓子折りを頂いたし、そのお返しです」
 それは彼に返すべきものでは。
「雪は、そういう女性らしい服が着たいの?」雪兎はお茶を一口飲む。
「そりゃ女になっつつつ」
 女になったからにはそれらしい服を着てみたい、と口走りそうになった。
「真白君、今のは失言だよ。女性に生まれたからには、女として美しい姿でいたいと誰もが思うものよ。……きっと真白一族の感覚が独特なのね」
「あぁ、いや、うん。雪が望むなら良いんじゃないかな。僕も雪のそういう姿をぜひ見たいし。それで一着、菓子折りのお返しに受け取っておきなよ、西村さんが良いっていってくれてるんだし」
 遠回しに勧める感じがいやらしいが、まあ良い。女性の服を着たいのは僕の望みだから。
 雪兎を一旦、場外に追いだす。上の服を脱ぐと、彼女は僕のたわわに実った乳房の大きさと形を褒めてくれた。また触りたい、といってくれるので快諾した。……さて。このタイミングならいっても不自然ではあるまい。
「僕も……西村さんの胸を触っていいかな」
 さすがにそれを口にしたときは思いきった。
「私のなんか、触る価値ないよ」両手で自分の胸を隠してしまう。「雪ちゃんの方が大きくて形も整ってるんだし」
 遠回しに拒否されているのだろうか。「変に大きすぎるよりも、西村さんくらいのほうが自然だし、身体に負担も少なくて良いと思うんだけど。それにこれはあれだよ、女同士の親睦を深める儀式さ。西村さんだって僕の胸を触ったんだから。ねっ?」
 うーん、と悩む彼女。渋々という具合に胸の上の手をどけて「それなら仕方ないか」といった。
 ウヲッシャアアアアアアヤッタゾオオオオオオ!
 僕は胸中で叫んだ。
「じゃあ、遠慮なく触るね……」
「ゆ、雪ちゃん、なんか顔がいやらしい、普通に触ってね」
 僕は頷き、手を伸ばす。……背徳感がやばい。まるで、そう、女の皮を被った男が、女性を騙してえっちな悪戯するみたいな──僕のバカ、なんて想像してるんだ。
 自然を装い、衣類の上から揉む。不思議な感覚だ。自分の胸は散々揉みしだいたわけだが、他人となるとまた違う。「うおー、おっぱい触ってるぜー」という感じだった。
「ねえ、君の服の中に手を突っ込んでもいい?」
「いいけど、雪ちゃん、その言い方が怖いよ」
 彼女の肌に手を滑り込ませる。遠慮なくブラの上から欲望に任せて揉んだ。
「イヤ、そういう触り方しちゃダメだってば」
「いいだろ、ハア、ハア、望海も服脱ごうよ……」
「脱ぐから、いやらしい触り方しないで」
 いいのかよ。さすがに断られると思ったのだが。手を抜くと、彼女はなんのためらいもなく上の服を脱いだ。
「ブラを外すから、私の胸を見てて」
 そういって彼女から積極的に背中のホックを外してブラを取る。生乳が露わになった。
「それでは揉みますね」僕は指先をちろちろ動かしつつ手を伸ばす。
「そうじゃないの、胸の位置や形が結構変わったでしょ」
 ああそういえば、と口にしつつ彼女の右胸を揉む。
「それに、私の胸はCカップで雪ちゃんより絶対小さいけど、それでもブラをせずに激しく動くと胸が揺れて痛むんだよ。雪ちゃん、きっと歩くだけで胸の辺りが痛いでしょ」
「うん、でも慣れた」
「慣れちゃダメですからっ! 明日一緒にちゃんとしたブラを買うの、それは女の子にとってとても大切なことなの。それにノーブラだと服の上から綺麗に見えない。雪ちゃん自体は綺麗だから、どんな服装でも美しく見えるけど。まずは私のこの服を着て」
 いわれるがまま、彼女の温もりが残るVネックニットを着用。鏡の前に立たされた。下がジャージなのがなんともダサいが、自分でも驚くほど、女性服の破壊力を感じた。
「うわあ、雪ちゃんセクシーですごく良い。さっきの男物の服の印象が強すぎて、ギャップだけでもかなりいけるよ。真白君にちらっとだけ見せてみよう」
 僕もあいつに見せてやりたかったので、呼んでやった。雪兎が扉を開ける。
「おぉ、雪、すごく──」
 なぜか雪兎は言葉を切り、しかも扉を閉めていった。
「どうしたんだよ」
「西村さん、上の服なにも着てないけど、よかったの?」
 えっ、と彼女が声をあげる。あっ、と気づく。
「キャアアアア!」
 すでに扉は閉まっているが、悲鳴をあげて身体を隠した。僕はすっかり西村さんのことを意識していなかった。彼女もなかなかの天然ドジっ子だ。
「真白君、今、絶対見たでしょ」
「何も見てないよ、視力は悪いしすぐ目を逸らした。てかなんで僕を呼んじゃったの」
「真白君が男の子だってすっかり忘れてたのよ! もう、私のバカ!」
「まあまあ西村さん、あいつは僕の裸体を何度か見てるから平気だよ。あ、もちろん事故で見られたんだよ、僕が積極的に見せたとかじゃないから」
「それフォローになってるのかどうかわからない……」西村さんはブラをつけた。「相手は真白君だから見られてもまだいいけど」
「それは、あいつが男らしくないからってこと?」
 ううん、と首を振る。「真白君は繊細だし、優しいから。見られても許せる感じがするというか……」
 僕は適当に数度頷いて、上の服を脱ぎ、彼女に返した。それから、西村さんが選んでくれた服を次々と着用していった。下は、スカート、タイトなパンツズボン、ショートパンツ、キュロットなどを着ていく。僕は思いの外、胸が躍っていた。新しい服を着て鏡の前に立つたびに、新しい魅力を持った自分がそこにいる。女性が服にハマる理由がわかった気がした。雪兎は、僕の姿を見るたび、携帯のカメラのシャッターを切っている。
 ……僕は、やっぱり女なんだ。
 服を着こなして鏡に映る回数が増すほど、自分が女性として覚醒していくようだった。西村さんが褒めまくってくれるので、余計に女心が刺激されていった。ノリにのって女っぽいポーズを決めていく。鏡の雪に惚れて、それが自分である自覚も持ち、自信と誇りを色濃くしていった。
「僕ってさ、もしかしてほんとにこの世界の誰よりも可愛い存在かもしれない?」
 今着ている真っ白なノースリーブハイネックニットワンピースがあまりにも似合っているので、勢い余っていってみたが、西村さんはうんうんと頷いてくれた。
「それくらい自信持っていいよ。雪ちゃん、モデルになれる。グラビアもいける。そのまま芸能界でタレントとして活動してもおかしくない。そうなっても、私のことを忘れないでね」
 僕は彼女の両手を握った。「そんな面倒な世界に入る気はないよ。僕はこれかも望海の彼氏でいたいから」
 えっ、と西村さん。へへっ、とごまかすようにいう僕。
「それに匹敵するほど仲のいい友達でいたいってこと」
 西村さんは明るい顔をみせて、抱きついてきてくれた。
「私、雪ちゃんと知り合えて幸せ。最初は緊張しちゃったけど、なんだかもう、今日会ったばかりの人じゃないみたい」
 一応、何度も会っているわけだが。「せっかくだから、もっと親しく呼び合わない? 僕は呼び捨てにされるのも構わないから。西村さんのこと、望海って呼んでいい?」
 くすっと笑う声。「さりげなく何回かそう呼んでくれてるよね。親しくなってもらえた気がして嬉しかった」
「じゃあ望海も、僕を雪って呼んで」
 彼女は試すように「雪」と呟く。小首を傾げ、それから「雪ちゃん」という。すると数度頷いた。
「私は雪ちゃんがいいかな。語感が可愛いから」
 などといい頬に手を当てる望海。それは妹を呼ぶような感覚なのではないだろうか。
「服、それが一番似合ってる。雪ちゃん、黒髪が綺麗だし、変に着飾っちゃうより単純な白一色の服だけで、雪ちゃんの全ての魅力が存分に引き出されてるみたいに見える」
 なるほど。僕は瞳の大きさや髪色で黒がかなり際立っているから、明確な白黒のコントラストができ上がっている。気安く触れてはいけないような、高貴な雰囲気を纏っているようだ。たった一着の服でここまで印象が変わるのか。その上、丈は短めなので、露出する桃色の太腿がエロい。そして大いに自己主張をする僕のおっぱい。ブラをすればもっと綺麗に見えるそうだが。裾をめくればトランクスというギャグ付きである。
「下着を私に見せなくていいから」彼女はデニムのショートパンツを取り出した。「下はこういうの穿くといいかも。これ、ぴっちりしすぎて私は使わないから、一緒にあげる」
「一緒にって、このワンピースもいいの? 高そうだけど……」
「古着屋で買ったものだから高くないよ。私の服、ほとんどそうだから。いっぱい古着屋知ってるんだよ。近場には良いお店がないんだけど、名古屋にたくさんあるから」
「名古屋によく行くの?」
「よくじゃないけど、たまにね」
「友達と?」
「前はそうだったけど、今は一人」
 意外だ。あんなゴミゴミとした場所に一人で平気で行くなんて。こやつ、行動力があるな。
「よかったら雪ちゃん、今度一緒にどう?」
 サッと望海の手を握った。「師匠、ぜひそこで僕に色々ご教授ください。ついでに雪兎も連れていってファッションセンスを叩きこんでやりましょう」
 ふっと笑う。「男の子のコーデは詳しくないから力になれないかもしれないけど」
「それでも雪兎よりはセンスあるはずだって。いっそ明日行こうか?」
「私も明日行きたい気分だけど、でもテスト前だし、日曜は勉強しようって約束だから」
 そういえば学校でそんな約束してたっけ。二人の学力向上の邪魔はしたくないから、今度行こう、と僕はいった。雪兎を呼んで僕の姿を見せると、瞳孔がはっきり開くほど好意を示していた。でもって写真を撮りまくっていた。
 望海との濃密な時間を過ごしたはずなのだが、まだ九時にもなっていない。何をしようかということになり、
「よし望海、僕と朝までイチャイチャするぞ!」
 などといって無理やり抱きついた。そのまま床に押し倒して、はあはあと息を荒くしつつ肉体を擦り寄せる。望海は戸惑いの声をあげるが、離れてほしいとはいわない。僕は耳元で望海の名を呼び続ける。ふいに両腕を引っ張られ上半身が浮いた。
「西村さんが迷惑してるでしょ」
「雪兎さあ、ツッコミが遅い。もうちょっと早く止めようよ」
 呆れるように彼は笑う。望海は顔を赤らめ、息を切らしながら僕をじって見ていた。……まんざらでもなかったのだろうか。
 手を繋ぎ、望海を起こす。ふいに彼女は僕の髪に触れ、乱れを直してくれる。自分も乱れているのに。だから僕も望海の髪を手グシで梳いていった。ふと視線が重なると、手が止まり、見つめ合う。なんとなく彼女の唇を見る。
「キスしてみていい?」
 雪兎が噎せていた。飲み物が変なところに入ったのだろう。
「それは、うーん」
 おや、拒まないぞ。「いいじゃん、女同士なんだし。女とファーストキスは嫌?」
 当惑する望海。ファースト、に特に反応をみせない。僕は雪兎を指した。
「じゃあアレとファーストキスする?」
 望海の目が泳ぎ、唇がよく動く。雪、と彼が咎める声を出した。
「西村さんを困らせちゃだめだよ。僕なんかとそんなことしたくないに決まってる。ごめんね、西村さん」
 望海は口をパクパクとさせ、ううん、という。それから目を伏せた。面白いので僕は背を向け、歩きだす。
「望海さ、本当は僕のこと大して受け入れてくれてないんだね」
 窓際に立ち、カーテンを少し開けて雨に濡れる窓を見つめる。さあどんな反応をするんだ望海。もしこちらに近づいてきたら、素早く抱きしめて「軽い冗談だよ」と優しくいってやる、ふっふっふ。
「とりゃああああああ!」
 唐突に、かけ声が聞こえ、同時に背後から両胸を鷲掴みにされ、僕はひぎゃあと声をあげた。むちゃくちゃに胸を揉みしだかれている。その腕を掴み、離した。振り返ると、そこにはニコニコと笑う望海。その向こうでくっくと笑っている雪兎。
「真白君がこうしろって」
 奴は携帯を手にしている。声で気づかれないよう画面に文字を打って指示をしたんだ。
「雪ちゃん、性格も可愛らしい人ね」
 西村さんの気を引くためにあんなことやってる、と奴が伝えたに違いない。
「キスをしたいという僕の気持ちは本物なんだよ」
「その気持ち、嬉しいよ。女同士でも、私なんかとそうしたいって……不思議と嫌な気持ちはないんだよ。でも、できれば頬にキスがいいな」
 少し上目遣いでいわれ、その視線が愛欲のツボに突き刺さるようだった。望海、君は最高だ。こんなにも愛らしい女性(ひと)に出逢えて僕は幸せだよ。ふっ、悪いな雪兎、一足先に望海の頬に口づけするぜ。
 雪兎を見てみる。こちらを盗み見るように横目が向いていた。僕の視線に気づくと、彼はいもけんぴの方に逸らす。
「ふふふ、雪兎君、そんなに望海のファースト頬にキスを奪いたいのか」
「え、僕、何もいってないんだけど」
「ねえ望海、仮に雪兎との頬にキスは、やろうと思えばできる?」
 望海の目が泳ぎ、パチン、と音が鳴るくらい手で自分の両頬を押さえた。
「それは、恥ずかしいよ、だって男の子だよ? 雪ちゃんと頬にキスってだけでも頭がくらくらしそうなのに」
「でも絶対にできないってことはないよね?」
 まあそれは、と小声が聞こえる。よっしゃ、と僕は声をあげ、部屋の中心へ移動した。そして、高らかに手を挙げる。
「これより、望海への頬にキスを賭けた、ガチンコゲームバトルを開催します!」
 言いきると、しーん、と静まり返る。遅れて、「え?」と二人が同時にいった。



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