彼女が僕の中にいる

第十二話.僕は彼女の中にいる(page.B)



 木場は元々祭りに来る予定だったようで、雪兎が望海と共に来ることは一条から聞いていたらしい。そうして、もし鉢合わせしたら、憂さ晴らしをするつもりでいた。用意周到なことに打ってつけの場所も見つけていた。昔この辺りは栄えていたこともあり、古い住宅や商店が多くみられるのだが、今や商売は繁盛せず、働く場所も少ないため、ひと気のない朽ちた家々がみられた。
 入り組んだ路地を進んでたどり着いた場所は、資材が放置された空き地のようなところだった。右側に廃屋があり、周りは斜面になっていて竹藪に囲まれている。その向こうが天王川公園だった。
 雪兎は奥に立たされ、木場が指をポキポキと鳴らした。雪兎の脳裏には、僕との殴り合いが過ぎっている。あの経験のせいで彼は容易く殴られる覚悟をもててしまった。
 まずは一発、腹を殴られた。力を入れて耐えたが、それでもかなり痛かった。更に一発入ると身体はくの字に曲がり、持っていたペットボトルが滑り落ちた。何発も執拗に腹を殴られ、そのうち地面に倒れた。望海が傍に駆け寄ってくる。
「脆いサンドバッグだな。立て」
「立つから、ちょっと待って」
 なんでこんなことされなきゃいけないの、今からでも私が助けを呼ぶよ。そう彼女が囁くが、今後望海が目をつけられないためにも、雪兎は止めてほしいとお願いした。元はといえば自分が木場を挑発したから。先生に告発したから。自分にも落ち度がある。雪兎はそう考えだす。……こいつ良いところでもあり、バカみたいな悪い思考の癖だ。
「下手な真似はマジで止めろよ。これでも俺はフェアな人間なんだ。鬱憤を全部吐きだしたらそれで終わりにしてやるからよ。ユウダイ、女を押さえといて。タケシはこいつが倒れねえよう頼むわ」
 立ち上がった雪兎は、望海を守るように背中の方へ押しやった。
「僕は良いとして西村さんは掴んだりしない約束でしょ。それが守れないなら、こっちはおとなしくしてるつもりないよ」
 二人の男が迫ってくる。雪兎の言葉に耳を貸さず、望海に手を伸ばしてきた。雪兎は彼女を守ろうと盾になる。チビの男が威喝してくる。執拗に望海を捕まえようとしてくる。今更ながら嫌な予感がした。雪兎の脳裏には後悔の念が波のように押し寄せている。
 ……潔く逃げていればよかったんだ。
 その思考の直後、雪兎は望海の腕を掴んで走りだした。だが三人に行く手を阻まれ、容易く捕まってしまう。チビが雪兎を羽交い絞めにした。体格の割に力が強い。もう一人のゴリラ男が望海の身体を強引に掴んだ。彼女は叫んだが、口を大きな手で塞がれる。
「頼むよ、その子には乱暴なことしないでくれ!」
「だからさあ、てめえらがおとなしくしてりゃ済むことだっていってんだろ!」
 腹を一撃殴られる。眩暈がした。望海がこもった声をあげる。西村さんを放して。雪兎は掠れた声でいう。顔面に向かって拳が飛んできた。反射的に歯を食いしばり、ぶん殴られる。血の味がした。望海は「んんんー!」と必死で声を出そうとする。
「喘ぎ声みたいな音だすなよ、お前みたいなブスでもムラムラしてきちゃうだろ」
 雪兎は憤激した。望海はどうみても浴衣美人な上に可愛いし、そんな彼女にゲスな言葉を吐いたゴリラを八つ裂きにしてやりたくて、暴れた。だが振りほどけない。木場がへらへらと笑い、また殴った。
「ねえ木場くん、ここマジで誰も来そうにないな。オレさあ、こういうシチュエーション夢だったんだよね。こいつの浴衣剥いでもいいだろ、我慢できなくなってきちゃった」
「だとさ。俺は別にお前の女がどうなろうがどうでもいいけどな。もう朝西とは関係ねえし」
「そこの廃屋に連れ込んでさあ、これと一発ヤってくるわ。そんで携帯で撮影しちゃえばよくね? 口止めになるし」
 ゴリラの荒立った息遣い。彼女の泣き声。掠れた悲鳴をあげる雪兎。それを黙らせようと、木場が顔を殴りつけてくる。
 ……僕は、なぜこれを傍観しているのだろう。
 だいたい、どうしてこんな状況になっている。あまりにも理不尽じゃないか。いや、僕も最初は雪兎とほとんど同じ思考だったんだ。殴られて木場の気が済むのならと思ってしまっていたんだ。よく考えたらそりゃおかしいだろ。仮に殴られる程度で終わるだけならまだしも、状況がエスカレートしている。引き返せない状態になっている。
 僕は、どうしたらいい。
「いってえ!」
 突如、ゴリラが痛みを訴えた。
「このクソアマ、指噛みやがった!」
「私をヤれるもんならやってみろよ! めちゃくちゃに暴れて、絶対そんなことさせないんだから! だって私の肉体も魂も、全部、雪兎君だけのものなんだからああああああ!」
 その声のあと、静まり返った。全員があっ気に取られている。望海の激しい息切れだけが聞こえた。
 ハッ、とゴリラが嘲笑する。「面白いじゃん、君のこと気に入ったよ」
 ゴリラが望海を引っ張って連れていってしまう。望海は必死で抵抗していた。雪兎も暴れた。だが顔と腹を何度も殴られ、呼吸困難に陥り、拘束を振りほどけない。弱い自分がどうしようもなく情けなくなった。乱暴される望海の姿が脳裏に過ぎると気が狂いそうになった。このままでは、自分たちの未来は最悪なものになる。それなのに、もう為す術がない。
 ……雪兎は、諦めるように、全身の力を抜いた。
 罪悪感を胸に溢れさせ、ごめん、と呟いた。
「幽霊!」
 雪兎は精一杯の声をあげた。「はあ?」と木場が威圧的にいう。
「そこの廃屋、自殺した人がいるんだよ」涙声で続ける。「君たちは地元の人間じゃないから知らないでしょ。首つりの名所なんだ。だからここはね、幽霊が出るんだ……心霊スポットなんだよ」
 少しの間、全員が黙っていた。木場がわざとらしく笑いだす。
「俺らをビビらせてるつもりかよお前、頭おかしいだろ。信じるかそんなこと」
 ガキみたいな作り話だなあ、とチビがいう。中を覗いたらそんなのわかるだろ、とゴリラがいう。三人とも、多少は怖気づいているように見受けられた。
「嘘じゃない、名所っていってもまだ三人しか死んでないけどね。最初は借金まみれになった廃屋の持ち主、次は虐めを受けてた男子中学生、三人目は未だに自殺の動機が解明されてない、この辺りでは有名なほどめちゃくちゃ美人な女の子だよ。夜も深まると、そのうちの誰かが出るっていう噂で持ち切りなんだ。僕は神に誓って、嘘をついてないから」
 ……わかったよ、雪兎。
 やってやるよ。
「はっ?」
 木場が、僕を視界に捉えていった。僕の真横にいるチビはまだ気づいていない。僕は白シャツの内側にある黒髪を出した。
「お、おい、タケシの横……」
 木場が震えた声で教える。こちらを見られる前に、それっぽい雰囲気を出すため、ロングストレートの黒髪で顔面を覆った。すると、チビが思いきり息を吸い込む。
「うわああああああ! マジで出たァァァァァァ!」
 今の僕って相当怖いだろうな。雪兎の話が効いてるし、突如傍にそれらしいのが現れたんだから。
 尻込みするチビの腕を掴んだ。当初は全力で殴ってやろうと思ったのだが、この分だとその必要はない。握りしめる力をこめた。
「お前を呪い殺す」
 幽霊っぽい声を意識していうと、チビが悲鳴をあげ、謝罪を始めた。お前みたいな奴が憎い、と僕は適当にいう。チビは必死になって腕を振りほどこうとした。離す前に、トドメの台詞を言い放つ。
「名前と顔を覚えた、タケシ、死ぬまで離れない、呪い殺す」
 腕が離れ、タケシは逃走した。……あっけない奴め。
 地面にうずくまる雪兎を素通りし、木場も無視してゴリラの元へ。不気味さを意識して肩をガクガクと揺らしながら近づく。前方がかなり見にくいが、ゴリラはすでに望海から手を離していた。
「廃屋から立ち去れ」
「ま、まだ入ってないだろ!」
 奴も相当怯えている。意外だ、こういう奴らって霊的なものが怖いんだな。
「ユウダイ、お前の家族を呪い殺す。お前だけは生かして後悔させる」
 おおお、と奴は声を震わせる。「上等だこのヤロウ!」
 家族がいなかったらまずかったわけだが、いるようだ。家族を呪い殺す、お前を孤独にさせる。僕は微動だもせずその二つの言葉を幽霊っぽい口調でしつこく繰り返した。奴の息遣いで怯えていることがわかる。やがて、
「ぬわああああああやめろおおおおおお!」
 ゴリラは気が触れたように叫び、僕の頭と肩を掴んできた。身の危険を感じて僕は一切手加減なく腕を振った。拳がわき腹にめりこむ。一撃では沈まない。ゴリラはとにかく握力を強めてきた。まるで僕の存在を押し潰そうとしているみたいだ。僕は何度も拳を突き刺した。手の痛みは気にならない。自分の骨を砕く勢いで攻撃を続けた。木場以上に、こいつは許せなかった。やがてゴリラは後ずさりを始め、嘔吐(えず)く。地面に吐瀉物が落ちる。短い呼吸を繰り返し、泣きだして、よろけながらこの場を離れていった。
 髪をしっかりと前に下ろした状態で、望海の方を向く。ありがとう、と彼女はいうが、僕が作った設定はここにいる全員に怨恨を持つ態なので、「呪い殺す」といっておく。
「……あなた、雪ちゃんなんでしょ?」
 ──バレてるし。
「それは誰だ。私は霊だ、ほら、有名なホラー映画でもこんな感じのを見たことがあるだろう、こうやって白い服も着てる。ワンピースじゃないけれど」
 などと僕は霊口調のまま調子にのっていう。
 次の瞬間、がばっ、と音がたつほどの勢いで、望海が抱きついてきた。
「きっと雪ちゃんは、神様みたいな存在なんだ。私、このお祭りがあなたを呼んでくれるって、なんとなく思ってた」
 また会えて嬉しいです、助けてくれてありがとう。そう彼女が呟いた。僕は諦めるようにくすりと笑い、ほんの一瞬、彼女を抱きしめ返した。その直後に、無理やり引きはがす。動揺する望海。彼女に聞こえるかどうかわからない声量で、さようなら、といった。
 振り返り、今度は雪兎を目指す。木場はこちらを傍観していた。雪兎は立ち上がっているが、腹部を抱えている。
「お前はクズだ、能無しだ、弱すぎる、バカ、アホ、間抜け、絶対に呪い殺す!」
 雪兎は力なく笑った。
「女と共に今すぐ立ち去れ。さもなくば今すぐ殺す」
「いや、うん、あなたも一緒に」
「いいから即刻二人で立ち去れ! じゃないとぶん殴るぞ!」
「……どうしてだよ」
 真白君、と望海が声をかけ、傍に来た。「いうとおりにしよう」
「いや、駄目だよ、この人を放っておけない」
「この幽霊には、何か考えがあるんだよ。ここは任せて私たちは行こう」
 雪兎は拒む。連れて行け、でなければ地獄送りだ、とかいってみる。望海は雪兎を引っ張ったが、彼の足取りは重い。とっとと立ち去れえ、と一喝すると、それでようやく雪兎は望海と共にここから離れていった。
 さてと。僕は振り返る。木場は変わらない位置で突っ立っていた。
「あんた何者だ」
「幽霊だけど?」
「他の奴は信じても、俺の目はごまかせない。幽霊なんかじゃない……でもいきなり現れた。なあ、髪を払ってくれ、もう一度顔を見せてくれよ」
 こいつは、まともに僕の顔を見ていた。だから幽霊だとは信じられないのだろう。まあいい。今後雪兎たちに手を出させないためにも、この男には調教が必要だし。そのために僕は残ったんだ。
 前髪をかいて、耳にかけ、しっかり顔を見せてやった。花火が打ち上がり、大玉の花が夜空に咲き誇る。木場が鋭く息を呑んだ。
「やっぱり……めちゃくちゃ綺麗だ」
 どうやらこいつは僕に魅了されていたらしい。こういう男はコントロールがしやすい気がした。試しに傍に近づいて、そっと微笑んであげる。すると木場が頬を緩ませ、純真無垢な少年のような顔つきになった。僕はその隙をつくようにして、
「がはッ!」
 木場にボディーブローを入れた。続けざまに、雪兎が教室で殴られたときを意識して、頬をぶん殴った。痛い、と声を震わせ、木場は頬を押さえる。やり返してこない。僕は咳払いして、女性らしい声を意識する。
「君はどうやら、女の子に手を出さないとっても良い子みたいだね」
 木場は頷く。「女には、手を出したくない」
「素敵。でも矛盾してるよ、さっき女の子を争いに巻き込んでたし」
「俺が直接手をかけないなら、どうでもいい──」
 僕は木場の腹を殴った。すると、あぁん、となぜか気色の悪い声を出しやがる。
「君は惜しいよ、中途半端だ。せっかくそこそこ整った顔立ちしてるのに。それじゃあ女にモテないよ」
「俺はモテたいわけじゃない。お前みたいな、俺が良いと思う女にだけ好かれたい」
 僕は嘲笑してやる。手を伸ばし、木場の頬に触れ、瞳を覗き込んだ。
「私に惚れちゃったの?」
 木場は素直に頷いた。僕は笑顔を見せて、木場の頬を強くつねる。
「私はあなたみたいな男が大っ嫌いなんだけど」
 いてててて、と声をあげ、僕の手を掴んできた。だが引きはがそうとせず、ぎゅっと握りしめてきた。奴の目は笑っている。
「もしかしてこんなことされて嬉しいの?」つねる力を更にこめる。
「だって、あんたはとびきり可愛いくて美人だから」
 ああ、こいつあれだ。ドMだわ。
「薄汚い手で私の手を握るんじゃねえ!」
 顔を殴りつけてあげる。木場の身体が大きくよろけ、地面に尻餅をついた。僕はしゃがみ、すかさず髪の毛を掴んでやる。が、木場の顔は綻んでいた。
「あんたは、優しいな」
 ……どういうことだ。木場の思考回路が全くわからん。こいつにとって痛みは優しさなのか。それとも一連の僕の台詞について言及しているのだろうか。
「そうよ、私は優しい幽霊なの」
「本当に幽霊なのか? こんな美人で、しっかり実体もある。とてもそうは見えねえよ」
「実のところ、女神みたいなものなのよ」などとでまかせを口にする。「知らないだろうけど、天王祭は神をお持て成しするものなの。だから私も見に来たわけ。どう、信じる?」
 木場は笑ったまま、頷いた。良い子だ、と頭を撫でてあげる。へへへ、と気色悪い声を出す木場の視線が、僕の胸元に落ちた。
「おっぱい、大きいな。触っていい?」
 そう聞いているくせに、すでに僕の胸の上部に手が置かれていた。遠慮なく揉んできやがる。かつて教室で僕に嫌がらせをしてきた木場にセクハラされるというのは、とんでもなく気味の悪いものだった。男女という間柄の生理的な嫌悪はあまり感じないが、一応、バチンと大きな音がたつくらいの平手打ちをかましてやった。
「女神様の神聖な胸に触れるとか罰当たりすぎるだろ」
 ごめんなさい、と奴は謝罪するもへらへら笑う。僕はため息を吐いた。木場はそのにおいを嗅ごうとしてくる。気持ち悪っ、と思わず呟いた。もう元の木場の見る影もない。一年の頃からこんなやつに苦しめられていたのかと思うと、アホらしくなってきていた。
「なあ、私と約束してほしい。もう二度と人に暴力をふるうな。それとお前のポリシー通り、女はきちんと守ってやれ。さっき去っていった二人には今後一切手出しをするな。どうだ、これを守れるか?」
「守るから、俺と寝てくれよ」
 一瞬想像するのだが、その絵は完全にホモセックスだった。結局僕は「自分が真白雪兎である」という意識から抜け出せていない。僕の肉体は女だし、やはり木場との間でも欲情の痛み≠ヘ一切起きないので、男女の営みはできるが。
「いいよ、寝てあげる」
「え、マジで?」
 僕は頷いた。「私ね、すごいテク持ってるんだから。今、この場で、木場君にしてあげるよ」
 色っぽい声音でいってやると、木場が飛びついてきた。僕は左腕でそれを止め、右拳でぶん殴る。
「いってぇ! なんでだよ、ヤっていいんだろぉ?」
「私、責められるのは嫌い。木場君はドMでしょ。こっちからいっぱい責めてあげるんだから、おとなしくしててよ」
 僕は胸を押さえ、ぶりっ子のような眼差しを奴に向けた。はあはあと木場は息を荒立て、わかった、と返事をした。僕は微笑み、「良い子」といって頭部を撫でてやる。俺の下のモノも早く撫でてよお、と木場は甘えた声を出した。
「それじゃあ横になって」
「待って、ズボン脱ぐから」
「脱がなくて大丈夫、私に身を任せて。絶対にいかせてあげるから」
「本当か?」木場は嬉しそうな声音でいい、地面に寝そべった。
 僕はにこにこ顔で木場の右手側に回る。横から覆いかぶさり、自分の左腕をしっかりと木場の右腕に回して顔の前に持ってきた。胸が当たっているため木場が喜ぶ。僕の右手は、木場の右手首を掴む。そのまま、木場に寝返りをさせるような形で横に起こしてやり、右足は相手の腰の下に差し込む。左脚は木場の首を押さえる形に。
「え、ちょっと待ってよ、これって──」
 一気に身体を後ろへ倒し、木場の右腕を僕の大きな胸にしっかりくっつける具合に引っ張って腰を浮かせた。
「イテテテテテテ!」
 腕挫十字固が完璧に入った。
「そっちの寝る≠カゃねえってええええええ!」
「え、私はこっちのつもりだったよ」
 木場は絶叫を続ける。僕の左足を叩きまくっていた。
「絶世の美少女に寝技かけてもらって嬉しいだろこのクソドM野郎! ほれ、胸に触りたかったんだろ」木場の腕をひん曲げ、無理やり胸に当ててあげる。「どうだ私のおっぱいは。柔らかいだろう」
「イエエエエエエ!」
 その叫び声は痛がっているはずだが、笑い声もまじっているように聞こえた。
「話を戻すけど、さっきの約束をきちんと守れるか?」
「マモオオオオオオルアアアアアアア!」
「私は自分のエゴでいってるわけじゃないんだよ、木場君のために親身になっていってるんだよ。君の家は両親がギスギスしてるよね。お母さんは威圧的で冷たい人、お父さんは中途半端に君に接するだけだ。君はさぞ寂しい思いをしてることだろう」
 どうしてわかるの、スゴイ。木場はオカマみたいな口調でいった。
「女神様はなんでもお見通しなんだよ。そんな環境にいて辛いだろうけど、だからって誰かに暴力的になっていいってことにはならない、それは理解してるんだろ。君はせっかくイケメンっぽい顔してるんだしさ、もうちょい性格良かったら僕は君に憧れてただろうよ!」
 やああああああ、と声をあげる木場。あまりの痛さに泣いているようだった。でも僕は心を鬼にする。トドメのつもりで更に腰を持ち上げ、腕をひん曲げた。木場は金切り声をあげる。
「本当の意味での強い男になれ。その方がお前は幸せになれる。これは神のお告げだよ。弱い立場にいるやつを虐めるんじゃなくてさ、その立場を理解してやるくらいの男気を持て。傍で女の子が理不尽な目に遭ってたら守ってあげて、んでさっきの二人には二度と手をださないこと。私との約束守れよ!」
 木場はまともな言葉を発することができていないが、守ります、という声が微かに聞き取れた。僕はようやく力を緩めてどいた。木場はしくしくと泣いている。僕は顔元でしゃがんだ。少しだけかわいそうなので髪を撫で、涙を拭ってあげる。優しい、と奴は甘えた声でいう。僕は木場の上半身を持ち上げてやった。まだ寝技かけるの、と不安げな声で奴はいう。でも言葉の奥に期待がほのかに見受けられるが。
「背中払ってあげるんだよ」手でぱんぱんと汚れを払う。
「うぅ、やっぱ優しい、めちゃくちゃ美人なのに……」
「そうだよ、私は顔もプロポーションも性格も宇宙一良いんだから。ほら立って、お尻も叩いてあげる」
 木場は機敏に立ち上がった。強めに尻の汚れをぱんぱん払ってやる。奴はハアハアという息遣いを増していた。可愛い、という冗談を口にして、木場の正面に回る。
「よし、復習だ。私との約束事を口にしろ。うまくいえたら愛のご褒美をあげるから」
 木場はまた純粋無垢そうな顔をし、目をぐるぐる動かして思い出していた。あの二人には二度と手を出さない、女をしっかりと守る、男気のあるかっこいい人になる。そう答えた。要点はきちんと押さえているので、合格、といい微笑んであげた。
「じゃあご褒美。目を閉じて」
 木場はハッとした顔を見せ、瞼を閉じた。気色の悪いことに顎を持ち上げている。鳥肌が立った。でも木場とこれからコイツに関わる人間のためにも、嫌悪感を押し殺して──
 僕は、木場の唇にキスをした。
 木場は目を見開いて、僕はさっと離れた。
「マジでしてくれた……」
「うん。頬にしようか迷ったけどね」木場の胸を拳で軽く突く。「私は空の上からあなたを見守ってるから」
 花火が、夜空を照らす。素直な木場は頷いてくれて、僕は最後に頭を撫でた。
「いっておくけど、私はもうこんな場所に現れないから。来年の祭りの日もね。期待して来ても無意味だから。君は来そうな感じがするからこういっておくんだ。わかった?」
 木場は悲しげな目をした。
「これでお別れだ。さあ行って、仲間のところへ」
 僕から離れたくないのか、木場は迷いをみせるも、背を向け、歩きだす。僕は大きく手を振り、じゃあね、といった。木場もなんとなくで手を振り返してくれた。やがて角を曲がり、姿は見えなくなる。
 僕は声が出るくらいのため息を吐きだした。唇の汚れを飛ばすように、ぺっ、と何度も噴く。木場とは反対の道へ進みだした。近くに古い長屋がある。そには誰も住んでいないようだ。
 長屋の陰には雪兎が立っている。
「僕がここにいること、わかってたんだ」
 なんとなく存在を感じていた。「おい、望海はどうした。なんでお前一人なんだよ」
「西村さんは祭りの警備本部の傍にいるから大丈夫だよ」
 ならいいか。でもさっさと戻ってあげたいから、彼に近づいて手を伸ばす。だが雪兎は下がって僕と距離をとった。街灯に照らされる雪兎の眼差しが、僕を真っ直ぐ見ていた。
「もう二度と君を僕の中にいれない」
 ……こうなる気はしていた。でも僕は中に入りたい以上に彼の心を確かめたかったんだ。しかしこれでは身体に触れさせてもらえない。仕方ないのでシャツのボタンを外していく。
「ちょ、何してるんだよ雪」
「汗をたくさんかいたから上半身裸になって走りだそうかと」
 彼は焦って手を伸ばそうとする。その隙をついて僕も腕を伸ばした。
「はい掴まえたー」
 あっ、クソッ、と彼は悔しそうにいう。彼から強烈な気持ちが流れ込んでくることはなくて、意外に平静なのかと思った。心の奥を知ろうと、意識を雪兎に同化させていく。
 ……恐れていた感情が、そこにはあった。いや、もはや予定調和ともいうべきか。封じていたはずの恋情がぶり返し、僕への愛しさを我慢できずにいる。そうして、望海への想いが、かなり薄まっていた。せっかく望海とうまくいきそうだったのに。二人だけの時間を積み重ねさせたのに。もうほぼ恋人同士の状態だったのに。僕が出ただけで、その全てをぶち壊してしまった。
「望海は、お前のことが大好きなんだぞ! なんで現実の女性を愛さないんだ! あんなにも素敵な人なのに! 僕に好意を向けたって、僕と恋愛したって、それは結局、自己愛でしかないんだ。そういわれたってお前はその自覚すら持てないだろう。でもやってることは、鏡の自分に恋してることと同じなんだよ、お前は僕を愛することで内面に引き籠もってるんだ。そうだよな、相手が自分と同じなら、全部わかるし、絶対に信頼できる。でもそんなことじゃいつまで経っても、本当の意味で人を愛せない。それじゃあ一生、お前は、孤独なままだ! せっかくここまで変わったのに──」
「僕は孤独じゃない、君がいるし、西村さんだっている。僕は君を鏡の自分だなんて思ってないよ、自己愛だなんて全く考えてない。僕は、やっぱり、雪を愛してるんだ。同じ真白雪兎を愛してるわけじゃないんだよ。君は外にいるし、もう二度と僕の中にも入れない。それでいいじゃないか」
 僕は首を振った。「やっぱり何もわかってない。僕は意志と身体があるだけで、生物としても女としての機能も皆無なんだ。お前とは安っぽいプラトニックな恋愛しかできない。一生、それでいいのか」
 いい、と彼はきっぱりした声でいった。
 ……もう、ダメだ。僕のせいでこいつは今以上の先の世界へ進めない。僕が真白雪兎をここまで変えてきたのに、その僕が、こいつの成長を拒む最後の壁になっている。
 それなら、残された道は一つしかないじゃないか。
「……わかったよ雪兎。それでいいなら僕は君を受け入れる」
「受け入れてくれるの?」
 その声は疑いを持ち、同時に喜悦の片鱗も含んでいた。
「本当はね、君の愛情はたまらなく心地好かったんだ。最初は気持ち悪かっただけだけど、いつのまにか、君の好意に悦びを感じてた。自分自身に求められることが快感だった。そんな自己愛に溺れたくなかったんだよ。でも、もう、拒むのは止める」
 雪兎に抱きついた。力強く抱擁した。
「君が僕をそれだけ本気で望むなら、もうなんにでもなってやる。親友でも、彼女でも、嫁にだってなってやる」
 唐突に一転したこの状況を、まだ雪兎は受け止めきれていない。だがその両腕は、僕をしっかりと抱きしめた。
「僕の彼女になってくれるの?」
「なってやるっていったじゃん。そこを飛び越えて内縁の妻でも構わない」
 ついに雪が自分のものになった。雪兎はそう強く思考し、ずっと押さえこんでいた感情を爆発させた。雪、と何度も僕を呼び、全身をこすりつけるように抱きしめて僕の背中をさすってくる。露骨に触れたがっているが、それは我慢していた。
「もう僕に対して自分を抑えなくていいよ。たくさん触って。好きなところをどこでも。いっそさ、ここで結ばれようよ。つまり、今すぐ僕とセックスしようってこと」
 まるでダムが決壊したように、雪兎の内部で濃厚な欲情が噴出した。口から涎も零している。僕は雪兎と顔を合わせ、いやらしく舌を出してみせ、吐息を吹きかけながら唇の端の唾液を舐めとった。するといきなり、雪兎は僕の口腔を貪りだす。
 彼はもう止まらなかった。こみ上げる液体の全てを僕の内部に吐きだしたがっていた。僕は長屋の壁に押しつけられる。胸を揉みしだき、勢いよくしゃぶりつき、股に手をかけられる。喘いでみせると、興奮した雪兎がまたひたすらに僕の口に舌を突っ込んできた。
 君は僕だけのものだ。
 君さえいれば何も望まない。
 他の女性なんてもう必要ない。
 支配欲を込めてそんな思考を僕にぶつけ続ける。まるで、僕は喰われているようだった。足の力を失くした僕は、彼にもたれかかる。雪兎は僕を地面に倒した。ズボンを脱がされている。身体に力が入らない。彼は性器を、無理やり僕に押し付けているようだった。花火の眩い光が夜空で華麗に散っている。彼は一生懸命に腰を振っていた。雪、愛してるよ。微かにそう聞こえて、唇が塞がれる。僕は彼の瞳を一切見ない。もはやラブドールとの性交となんら変わらなかっただろう。でも彼は心から僕と愛を交えているつもりだった。きっとこの様子は、客観的に見れば、随分と醜い光景だっただろう。それでも、僕は、こんな真白雪兎でも、それが本来の自分の姿なのだから、たまらなく愛おしかった。自分自身≠ノ一方的にヤられるのは、ひどく気分が良かった。
 雪兎は僕の中で、絶頂に達した。



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