彼女が僕の中にいる第二話.僕が僕を変える(page.B) |
「あれ、違う」 と、そいつはいう。なんですか、と彼。 「悪い、人違いだ。遠目で見たときは不思議なくらいそっくりだったんだよ」 もしかして僕に思い当たる人物なのかと、彼は思考で問う。 『昨日ここを出たときに何か困ってるのかって声かけられた』 そのときは集団で下校していたが、今日は一人だ。確か、国崎っていったっけ。もしや僕を待ち伏せしていたのか。彼は何か話すべきなのかと思考する。その必要はない、お別れを告げて行こう。そう彼に伝えた。 「そうですか。じゃあ」会釈した。 国崎は笑う。「君さ、気づいてる? 自分がダサいってことに」 「はっ?」と僕らは同時にいった。 「遠目から見たときはあの子にそっくりだったんだけどなあ。近くで見たらブサイクを極めてるね。ミステリアスだよ」 マジでなんなんだこのクソ野郎。『ねえ、こいつ殴って』 ショックを受けていた彼は、僕の声に意表を突かれて驚く。無理だと思考した。そもそも真白雪兎という人間は、小学一年の頃に取っ組み合いの喧嘩を一度したことがあっても、人を殴ったことは一度だってなかった。それでも僕は、 『いいから殴れよ、君は僕のしもべなんだろ、殴って殴って殴って殴って!』 そう駄々をこねた。僕が怒りを表現しているせいか、彼は平常心を取り戻していってしまう。顔を背け、無視して行こうとする。 「待てよ」腕を掴まれた。「悔しくないのか」 「はっ?」とまた僕らは同時にいう。 「普通むかつくだろ。もっと闘争心的なものを露わにしないか?」 「そりゃ嫌な気分になりましたよ。でも争う気もないですし、無視して行こうかと」 奴は首を振ってため息を吐く。「俺はそういうすかしたのが嫌いなんだよ。女に無視されるのは逆に燃えるけど? お前はあの子にすっげぇ微妙に似てるから余計腹がたつ」 なんだこの超面倒くさい男。 「もっとこう、男らしく怒りを見せろよキモ男。よくそんなダサいナリで生きてられるな。心も歪んでそうだ。そこの屋上から今すぐ飛び降りたほうがいいぞ」奴は両手を上げて指をちろちろと動かす。「ほら、悔しかったら手を出してみろ──」 凪いでいたはずの彼の心が、荒れた。自転車に乗ったままで右拳を放つ。頭部にヒットし、奴はよろけて二歩横に動いた。拳が痛み、手を振る。怒りによる興奮が引かない。 「イッテー、貧弱だから大したことないと思ったのに」奴は弱々しい声を出し、顔を押さえる。「殴り返したいが、これでおあいこな」 そんなふうにいわれ、怒気が困惑に紛れた。 「さっきのことは謝らねえぞ」奴は手を出した。「俺は心から思ったことをお前にいっただけだ。殴ったからいいだろ。ほら、手を差し出せ。握手を交わすのは人と人との間にある素晴らしい礼儀だろ」 わけがわからない。ただ、彼はいわれるがまま手を出し、握手を交わした。 「もしかしてわざと殴らせたの」手を離す。 「今のは、俺オリジナルの挨拶だ。だから俺に対して悪いと思うなよ。名前はなんていうんだ?」 「……真白雪兎」 「マシロユキト。漢字でどう書く?」 字を教えた。すると奴は目を輝かせる。 「お前、見て いちいち人の傷つくことを平気でいう。だが一発殴ったことを認められた彼は、相手に慣れてきていた。 「俺の名はお前とは対照的だぞ。ダサいんじゃなくて、属性が逆ってことかな。知りたいだろ?」勝手にそういい、胸ポケットを探る。「あの子に渡すつもりで作ったが、特別にお前にやろう」 奴が出したのは名刺だった。受け取って、名前を見る。 それが視界に入ったとき、僕はぷっと笑った。彼はそれを堪えた。 「これ本当に本名なの?」 「あまりにもかっこいい名前だから信じられないだろ。裏に連絡先が書いてある。携帯持ってるだろ、雪兎も後で連絡先とか飛ばしてくれよ」 教えなくていいよ、と僕はいう。彼は心の中で頷いた。 「雪兎よ、女神様を実際に目にしたことはあるか」 いきなり何いっているんだこいつは。 「こんなしけたド田舎に、女神が住んでいたんだ。昨日、俺たちはここで運命の出逢いを果たした。美少女なのに学ラン着てて、またそれが似合うんだよ。おっぱいはめちゃデカくてさ、髪は隠れてて長さがわからないけど、綺麗な黒髪だったなあ。そんな女神が今もこの地域の酸素を吸って二酸化炭素を吐きだしているのかと思うと、俺のあらゆる器官が興奮の極みに達しそうだ」口をぱくぱくとさせ、呼吸している。「ああ、生きていることのなんと素晴らしいことか!」 僕と彼は唖然とし、思考停止していた。夕空を仰いでいた奴は、顔をこちらに戻す。 「雪兎、協力してほしい。もし学ランを着た巨乳の美少女を見かけたら、できれば知り合って俺に引き合わせてくれ。無理そうなら後をつけて家を突き止めろ。てかそんな女を見たことないか? あれほどの美貌なら、知ってる人間も多いんじゃないかって睨んでるんだが」 首を振って、と指示した。首が横に振られる。そうか、と奴はいうと、ふいにこちらを見回した。 「なんか似てると思ったら、まさか雪兎は朝日西高校の生徒か?」 「そうだけど」 「やっぱり!」奴は指を鳴らす。「顔の雰囲気もそうだが、なるほど、だから余計に似てると思ったんだよ俺は。なあ、朝日西高校はセーラー服だよな? なのに学ラン着てるとびきりの美少女っていないのか?」 「悪いけど見たことないよ。マンモス校だし。女子なのに学ランって、それ自分のものじゃなくて朝日西高校に通う男のものなんじゃないかな」 奴は目を見開き、口を開ける。だが一転して不敵に笑った。 「その可能性を考えなかったよ。彼氏持ちでそいつの学ランを着てたってことだろ? だがな雪兎、俺がそれくらいで諦めるような経験の浅い男に見えるのか? いいや逆に燃えるね、そいつから意地でも奪って、あの 僕と彼は再び唖然とし、思考停止。 「なんか情報掴んだら教えてくれよ。もちろん礼はする。そうだなあ……世の中のイケメンを増やすのは癪だが、徹底的にダサいお前を超イケメンにする方法を教えてやる。俺の見込みだと、お前は簡単に化ける。なっ」親指を立てて、白い歯をちらりと見せた。 僕はその方法とやらに興味を持った。国崎紅蓮は、確かに見て呉れだけはきちんとしている。整髪していて、気取ったふうにネクタイを緩めてボタンを開けており、靴は高そうなローファーを履いていた。しかし彼は礼に興味を示していない。というより、自分の変身を拒んでいる。 「長いこと引き留めて悪かった。もう行っていいぞ。いや一つだけ訊ね忘れてたが、お前二年だろ」 「そうだよ、よくわかったね」 「ああ。俺は勘が冴えてるからな。奇遇にも俺も同じ二年だ。だから遠慮とかするなよ。よろしくな」 彼は少し安心する。「こっちも一つ訊ねたいんだけど、国崎君はどこの高校?」 この男から離れたかったのだが、彼は安堵感からそんな質問をした。奴はなぜか失望したような表情で「あー」と息をつく。 「雪兎って見た目通りだなあ。俺のことは紅蓮って呼び捨てにしろ。次に国崎君なんて呼んだら絶交だからね」 奴はギャグのつもりか、両頬を膨らませてそっぽを向く。こっちは友達になった覚えもないのだが。と、僕は鬱陶しく思うのに、彼は少し紅蓮の人柄に惹かれた。 紅蓮は、難城学園高校という有名な進学校に通っていた。悔しいが僕より遥かに頭は良い。紅蓮はまだ僕のことを待つようで、そんな奴に対して彼は少しだけ罪悪感を抱きつつ別れた。 散々なことをいわれたくせに、彼の胸中には紅蓮への尊敬の念があった。 『僕はあいつの中身を全否定するけどね。でも外見は認めるよ。そんなあいつが君をイケメンにできるっていったのが引っかかる。適当な僕の情報を与えてさ、君をかっこよくする方法を教えてもらうのも良いよね』 が、彼はこれを全否定。努力しても外見が全く変わらない自分に絶望するだけだと考えている。 『今よりはマシになるでしょ。少しでも自信がつけば、西村さんに声をかけられるかも』 即、拒絶。そんなことはできないの一点張り。 『変身したくないの? 僕はそんな自分≠見てみたい。紅蓮がいった、君が簡単に化けるって言葉は嘘じゃないはずだよ。僕の勘だけどさ』 彼はうーんと悩むふりをする。胸中は否定だらけ。自分が変わってしまうことを恐れ、更には変身を押し付けられることに嫌気が差していた。……これが僕≠ネんだ。 家のスロープに入るとき、ちょうど母の車が道路の向こうに見えた。 服を着替える頃、母が玄関を抜けて台所へ直行する音が聞こえる。彼は疲れを癒すようにベッドに沈む。……母は仕事を終えたその足で夕飯を作るんだ。ずっと変わらない生活のスタイル。父が生きていた頃も、兄が父やその友人が起こした会社に入るべく建築を学ぶため都市の大学に行ってからも、ほぼ変化はない。母が家のことを全てやり、兄や僕はやりたいことを自由にしている。兄がいなくなっても、僕と母しか住んでいないこの広い二階建ての家の中は、同じような日常をリピートしていた。 「今日も宿題あったよね、面倒だなあ。ゲームでもしようかな」 『お母さんの手伝いしよう』 「へっ?」 『宿題もやらずゲームするくらいなら、夕飯作るの手伝いにいこう』 それは宿題より面倒くさい、という思考で満たされる。 『だろうね。でもお母さんはさ、仕事を終えたその足で台所に立ってるんだよね。なんか僕、急に考えちゃってさ』 母の苦労はわかってる、と彼。わかってることをわかってるよ、と僕。彼は昔のことを思い出した。父が仕事の事故で亡くなって一年ほど経った頃、母の手伝いをしようと台所に向かったことがある。小学四年生だった。やることないから何かしたい、と申し出た僕に対し、母は「してもらうことなんかないよ」といってせっせと動いていた。それでもその場にいる僕に、「気が散るからゲームしてるか勉強でもしてなよ」といった。思い返せば、母は僕に何も手伝わせなかった。父が亡くなってからは特にそうで、なんでも一人でやってしまう。それは、動いていなければ哀しみに呑まれてしまうからなのかもしれない。そのうち手伝おうという考えもなくし、ゲームばかりするようになった。今や、家のことをするなんて億劫になる始末だ。 母に呼ばれると、台所へ向かう。よそったご飯は普段より多かった。椅子に座ると、 『いただきます……』 僕だけがそういった。彼は無言で食べ始める。 「雪兎、陸上部を再開したの?」 ふいに母が訊いた。いや、と首を振る。脳裏には体育会系顧問のことが過ぎっていた。一年の夏休み、唐突に「もうお前来なくていいよ」とさばさばした声でいわれた。部活に出ない日が幾度かあって、練習に身が入っていないのを見抜かれたからだろう。 「帰り、遅かったわよね。普段よりよく食べるし」 友達と遊んでた、と呟く。 「ふーん。その友達は家に連れてきたことある?」向かいの母は箸をこちらに伸ばし、つぼ漬けを摘まんで口に入れる。 彼もつぼ漬けを摘まむ。「ないよ」 「そう。お母さんに遠慮しなくていいからね」 返答に困り、無言でつぼ漬けをガリガリと咀嚼する。 「まあ雪兎は見る目あるとは思うけどさ、でも一応いっておきたいから口にするんだけど、変な子だけは連れ込まないでよ」 うん、と適当に返事。すると母の食事の手が止まった。 「やっぱり女の子なの?」 ぶぐ、と噎せるような音を発したが、それは僕だけで、彼は自分の動揺を覚られぬように無表情だった。 「違うよ、なんでそうなるの」 「お母さんの超適当な勘。まあこんなこといったのはさ、きちんとこういう話をしておくべきかと思っての口実でもあるけど。親しい女の子の友達ができたら、堂々と連れてくればいいから。お母さん空気読めるし、ここで三人、賑やかにご飯食べてもいいし」 僕は疎外感を覚えた。ここにいるはずなのに母に認識されていない。 突拍子もない話題だったので、彼は焦って食事のペースを速める。もう少しゆっくり食べてくださいお願いします、と丁寧にいうと、お茶を飲み、ペースを意識してくれた。 母が先に食べ終え、お皿を下げていく。 「雪兎、ゆっくり食べるようになったのね」 僕にとって彼の食事は、無理やり口に物を突っ込まれているふうだった。昨日の夕食でそれを訴えれば、僕のいうことを聞いて丁寧に食事を 『母さんの料理が美味しいからよく味わってるんだよ』 ジョークのつもりで僕が発する。彼は無言だ。食器を水に浸けておくよういい、母は出ていった。 食事を終え、台所におかずなどを残したままで行こうとする。 『僕がテーブルを片づけよう、お皿も洗うよ』 「えっ?」足を止めた。「君は出れないよね」 『うん、生憎僕は出ることができないね。でも片づけた状態にしたいんだよ、君の中で思考の存在としてしか意味をなさないのが虚しいから。それがどれだけ退屈で辛いことか。僕は実行ができない無力な存在だ』 台所を出るかどうするべきかと葛藤して苦しむ彼。かわいそうになってきた。 『変なこといって悪かった。ゲームの続きしてよ、君のプレイを感じるのもなかなか楽しいし』 彼は少し気を楽にして、ガラス戸を開けて出ていくが、胸中には小さな後悔の念があった。 変わった行動をとりたくない。自分を変化させたくない。彼はそう考えている。目立って周りに刺激を与えたくない。いじられていても現状のままでいい。無意識でそれを選択している。僕はどうやら、彼よりも随分と真白雪兎のことを客観的に見つめられるみたいだ。そんな僕という存在が色々いうことで、容易に迷いを生じさせることができた。そういえば、平凡な主人公の人生に介入する神になれるゲームがあったっけ。この状況は、まるで僕がその神になった気分だ。 彼はゲームをしながら、時折話しかけてきた。そのとき、紅蓮には連絡をしないことに決めた。惹かれていたくせに、関わって面倒なことになるのが嫌だから、と。風呂へ行き、歯を磨いてからまた少しゲームをして、眠くなると常夜灯にしてベッドに入った。彼はぼうっとして、僕への好意を寄せていた。それを読まれてしまっているだろうな、それにしても肉体を持っていた僕は本当に素敵で、理想の君≠ナ、紅蓮が惚れてしまうのはよくわかる、などと思考している。僕はそこに触れない。そんなことより、僕という存在のない仮定で、真白雪兎の明日の様子を想像してみることに。 起きて、朝食を摂り、ギリギリの時間に家を出る。教室で席に着くと、それからは移動する授業がない限りその場を動かず、休み時間はほとんど顔を伏せる。授業は惰性的にこなし、時折一条や守丘、木場に虐められるがそれはいじり≠セと誤魔化しつつ一日を耐え、今日もなんとかやり過ごしたなあと自分を褒めつつ解放的な気分で下校。夕食までゲーム。食後はテレビかゲーム。そして風呂。歯を磨いてまたゲームかテレビ。ベッドに入ると、「ああ瞼を閉じればまた明日が来るんだ、もう嫌だ、いっそ死にたい」とか思いながら就寝。次の日も想像しようか。朝起きて学校に行き机に顔を伏せて過ごして虐められてじっとそれに耐えながら一日をやり過ごして── 『ぬわああああああ!』 「うおぉ!」 まどろんでいた彼は驚いた。僕は気を落ち着け、急に叫んだら君はどうなるかと思って、と説明。彼は訝しんでくれた。何もできないから鬱憤が溜まっているのでは、と。 『眠そうにしてるところ、不意打ちで大声をあげたらどんな反応するのかというただの実験だって』 彼は納得して、そんな僕をかわいげに思った。彼にとっては、大好きな女の子が自分で遊んでくれるというシチュエーションなんだ。 自分に好かれることに僕は慣れてきていた。最初は気色悪かっただけなのに、今は僕が彼にとってそれほど価値のある存在なのだと理解している。真白雪兎の肉体は彼のものだが、僕が主導権を握ることも可能だろう。意固地な彼を導くのは容易ではないけれど、時間をかければ真白雪兎の平凡な人生を大きく変化させられる自信もあった。 『ねえ、君は僕のことを例の名前で呼びたいんだよね。でも僕の不快感をわかってくれてて、口にしないようにしてる』 うん、と彼は薄暗いスギの天井に向かって発する。 『呼ばせてあげるよ。僕もそれを受け入れる』 (ほんと?) 『だけど条件がある。これをクリアしたら、好きなだけ僕を妄想の名前で呼んでいいよ』 「なに、その条件」 『西村さんだよ。彼女と、友達になること』 (そうきたか。……無理だろうな) 『できるよ、根拠はないけど。僕は君の中でできる限りフォローするから』 それを心強いと思ってくれた。不可能だと拒み続けてはいるが、心置きなく僕を妄想の名前≠ナ呼べることには、ひどく魅力を感じている。……やっぱちょっと気色悪いな。 「無理だろうけど、西村さんと何かしら話せるようになるのは夢だし、努力するよ」 ふっと僕の中で強い喜悦が沸き起こった。僕の力で真白雪兎の殻をぶち破り、その夢を現実にできるんだ。 ……やれる。僕なら僕≠変えられる。 真白雪兎を今とは一八〇度違う人間にしてやろう。充実したリアル、誰からも嫌がらせをされない高校生活。男女ともに新しい友達に囲まれ、幸せに笑いあって過ごし、更には女子から告白されるような、そんな超イケメンの男に変えてやるよ。 |
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