彼女が僕の中にいる

第三話.僕が僕にストーカーをさせる(page.A)



「弥城だから打ち明けるんだけど、僕は自分の守護霊と会話することができるんだよ」
 弥城は速度を上げて「本当か!?」と真顔で振り向いていう。
「試しに守護霊と話してみてくれないか? 俺のことをどう思ってるかをぜひ聞いてみたい」
 なぜそんなことを真白雪兎の守護霊に聞きたいのかはさておき、彼は適当に喋って僕に回答を要求してきた。弥城は身長が一八〇超えてて強くて男らしいところがすごく尊敬できるけど、女性がめちゃくちゃ苦手で純粋すぎて騙されやすいところが玉に(きず)だよねと答えてやる。彼はそれを口にすると、弥城のハンドグリッパーを握る手が止まった。
「本当はそれ、真白が思ってることじゃないのか。いや、そう取ると色々と恥ずかしいな。それに俺は、女性が苦手なんてことはない」
 弥城はハンドグリッパーを持ちながら頭を掻く。いまなら話題を変えられると判断した。
「弥城、今日朝練は?」
「休みだ」ハンドグリッパーを再開。「朝練の参加者が少なくて、今週は無しになったよ。ウチの部は熱心なやつがそんなにいないからな」
 弥城はどこか寂しげな顔をする。
「そうやって自主的にトレーニングするから、弥城はすごいよ。登校するときはかかさずハンドグリッパーやってるんでしょ」
「ああ。握力を軽視するやつもいるが、鍛えておけば必ず有利になる。それはどんな武道やスポーツにおいても、だ」
 握力を過信しすぎなのでは。
「ということで真白、俺の右ポケットには軽いやつが入ってる。後はわかるな?」
 また一緒にやれ、と。彼は面倒くさがった。
『やったら? そうすれば独り言についてこれ以上突っ込まれずに済むかも』
 二時間目過ぎまで指の関節に違和感が続くから断りたい、と彼は思う。
「ほら真白、取れ、一緒にやってくれ」弥城の掌でハンドグリッパーが軋む。
 彼は嫌々、弥城の学ランのポケットに手を突っ込んだ。昨日と同じ赤いハンドグリッパーを取り出す。力いっぱい握った。固い。握力は回復が早いそうだが、まだ昨日の疲労が癒えていないような辛さがあった。
「続けていれば、こんなふうに軽々握れるようになるぞ」
 弥城はかなりの速さで開閉を繰り返す。やはりそちらの方が軽いものに見えてくる。学校に着くころには、両手ともまともに握りしめられなくなっていた。
「おめでとう。真白の握力はレベル5に上がった」
 昨日とは別の友達に声をかけられた弥城は、笑みを浮かべてそういった。
「昨日レベル2になったから、今日は3じゃないの?」ハンドグリッパーを返した。
「トレーニングは単純な足し算ではない。継続すれば加速的にレベルが上昇するんだ。だから、明日もやろうな」
 嬉しそうな笑みを残して弥城は速度を上げ、去っていった。

 二組のドアの傍まで来ると、ちょうど木場が出てきた。警戒レベルが即極限まで上昇する。落ち着けよ、と僕は笑った。木場はこちらを睨んでいる。というよりは、部屋の中で昆虫の死骸でも見つけてしまったような、歪んだ表情だった。
「相変わらず気色悪い顔」
 すれ違い際、木場が言い放ち、一瞬呼吸が止まった。平常心を取り戻せぬまま二組へ入る。僕がフォローするべきなのだが、安い台詞しか浮かばない。席に目を向けると、またそこに姫宮さんが座っていた。
『木場はあんなこというけどさ、姫宮さんは平気で席に座ってくれてるね』
 姫宮さんは僕のことなどどうでもいいだけなのでは。彼はそう考えつつ、彼女の背後に立った。
『おはようございます姫宮お嬢様、あぁ今日も一段とお美しい。お嬢様の繊細な脚に負担をかけさせるのは心苦しいですが、どうか畜生のわたくしめに席をお譲りいただけないでしょうか』
(君は僕の中だからって言いたい放題だね)
『僕は他になにもできないんだよ? 君に向かって話しかけることしかできない。永久に黙ってた方がいい?』
(いや……ごめん)
 彼は浅はかな思考を後悔した。僕も悪いと思い、強くいったことを謝った。周りの女子がこちらに気づいて、姫宮さんに伝えてくれる。
「いたならいってよ、それともこのまま座ってていいの?」
 もろに喋りかけられ、動揺した。
『美しい女神様に見惚れてたんだよ。僕の膝の上で良ければ座るかい?』
 僕がそういってやると彼は笑いそうになり、咳をした。代わってください、と声を出す。姫宮さんは立ってくれた。
『そして君は一発ギャグを披露する』
 否定を浮かべながら席に腰を掛ける。つまんないの、と僕はいった。僕はつまらない人間だから孤立してるんでしょ、と彼は開き直った。

 一時限目が終わり、作戦開始のときがきた。二時限目は英語で、西村さんも番号順が後半の生徒なので空き教室へ移動となる。だから、なるべく周りに人がいない状態で接触できるチャンスだった。西村さんが教室を出ると、彼は嫌々ながらも、友達になるという目的にほんの少しでも近づくため立ち上がった。
 ストーカーみたいになるのが嫌で、距離を置いて歩いた。
『いっそ彼女の肩を叩いてさ、僕ってかっこよくない? とかいってよ』
(いえるかよ)
 場所は同じ三階の奥なので、すぐに着く。西村さんは教室の前の窓際で止まった。両腕を交差させて教材等を抱え、外を見つめている。他には三名の生徒が待っていた。だいぶ距離を置いて彼は止まってしまう。
『もっと近づこうよ、声かけらんないって』
 他の生徒の目を気にしている。西村さんに話しかける想像をするが、恐怖心が働いて悪い結果を描いていた。
『いまの段階じゃ、君がそれを決めつけてるだけだよ』
(でもこんなの前代未聞だよ、僕のような、いじられて馬鹿にされてる人間が女子生徒にナンパまじりのことするなんて)
 でも彼は心奥で、西村さんと友達になることに魅力を感じている。
『つべこべと思考してないで、ほらもうちょっと近づいて』
 彼は唾を呑んだ。足を動かす。残り二メートルまで迫った。
『もうあと一メートル縮めよう』
(それはもうカップルの次元だ、てかもう絶対西村さん僕に気づいてる、横目で見えてるはずだよ。不気味に感じてるかもしれない)
『いくじなし』
(それは、君だってそうなんだよ。同じ立場なら躊躇するに決まってる。無理だ)
『そりゃそうだろうね。でもそれって言い訳じゃん。君はこの先、僕にできないような壁にぶち当たったら、そんなふうに諦めるのか?』
 彼は苛立つが、言葉を失っていた。効いている。その感情を僕も得ているので、なかなか不快だ。しかし僕は容赦なく畳みかけてやる。
『自分の行動で、自分の狭い世界をぶち破る瞬間ってのがある。いままでにも何度かあったあったはず。いまも、やるかやらないかで、自分を劇的に変えられる瞬間なんだって』
 彼の中に強烈な迷いが生じる。西村さんとの距離を詰めることが、自己を変革させるきっかけのようにとらえていた。こういうとき僕≠ヘどうするのか、よくわかる。彼は距離を狭めていく。まだ手を伸ばしても触れられないが、彼女を近くに感じられた。口先は迷う。しかし目の前のことから逃げたくなくて、真白雪兎は大概、実行するんだ。
「こんにちは」
 挨拶が、できた。西村さんは気づいたように目を動かし、ゆっくりとほぼ無表情な顔を向けてくれた。彼は脳内で「なあにコイツ、キモっ、なぜわたくしに挨拶してきたのかしら、ここから飛び降りて死ねばいいのに」などと勝手に西村さんの心境に着色している。
「こんにちは……」
 彼女が、挨拶を返してくれた。いや、訝しんでいる可能性はある。僕もそう思うからこそ、彼の中の悪いイメージを払拭してあげなければいけない。
『やったじゃん、挨拶を返してくれたよ!』
 嬉しくなったのか、口角が上がった。が、それを見た西村さんの瞳には怯えの色が宿る。引かれてしまっただろうか。いけそうな雰囲気なら連絡先を聞く段取りだったが、それから彼は当惑して目を泳がせ、西村さんも困った様子だった。
「おまたせー」
 先生が来て、西村さんがそちらを向く。傍から離れていき、彼は安堵した。
 まあ僕≠ノしてはよく頑張ったよ。

 授業中、守丘がペンで首筋を突く嫌がらせをしてくる。それを無視しつつ、ほぼ僕が考えた次の作戦に移る。それはメールアドレスと一言を添えて西村さんの靴に入れるというもの。声をかけた伏線もあるし、名前は書かない。それを大胆にもこの授業中に入れにいく。手を挙げると、首に押しつけられていた守丘のペンが離れる。お腹の調子が悪いことを告げ、トイレに行くという名目で教室を出た。
 GW明け、西村さんが学校に来ない期間があった。四月からずっと教室で独りだったことが原因かもしれない。僕は彼女を気にかけていたから、靴箱に靴がないのをよく見かけていた。
 靴箱にくると、女子はほぼ黒のローファーなのだということに気づいた。僕はずっとスニーカーだ。西村さんはダークブラウンのローファー。「こんにちは。気軽な知り合いになってくれませんか? メールを待ってます」そう書いたメモを折り曲げ、入れた。
 その日、西村さんからメールをもらうことはなかった。

 メモを見て、ちょっと戸惑っているのだと汲んでいたのに、翌朝になってもメールはこなかった。
 習慣からうまく抜け出せず、いつもより数分しか早く家を出られなかったが、弥城との遭遇を避けられた。靴箱で西村さんの靴を見かけ、その周辺を確認したが、メモは落ちていない。教室で西村さんはいつも通り、机に顔を伏せていた。
 今日は五時間目に、外国人の英語講師が来るOCの授業がある。英語と同じくクラスを半分に分けるため、西村さんに接触するチャンスはあるのだが、しかし、彼とのかかわりを迷惑がっていたらどうしよう。ましてや男友達なんていらないと考えているかも。こっちで勝手に盛り上がって友達になろうとしていたけれど、案外、孤独なほうが気楽だと思っているのかもしれない。
 だが彼は西村さんに接触する気ではいた。友達になるという目的が使命として定着していた。不安になっているのは僕と一緒だが。
 休み時間中に遊びにきた木場が顔を伏せている僕に対しスリッパで頭を叩き笑いを取る、ということ以外には特別な嫌がらせを受けることなく、昼食も終わり、五時限目が近づく。荷物をまとめた西村さんが動きだすと、彼も教材をまとめて席を立った。
 空き教室の前には人が溜まっていた。守丘もいる。彼は気まずくなった。西村さんとは二メートルほど距離を置いて止まり、話しかける気は失せていた。僕も止めたほうがいいと思う。人が多いから、目立って西村さんに迷惑をかけてしまう。せめて、彼は西村さんと同じように、窓外に目をやった。塊の雲が本館の向こう側にゆっくり隠れていく。
 がくん、と膝が折れた。思わず、おうぅぐ、と呻く。なんとか体勢を保って転ばずに済んだ。後ろで舌打ちが鳴る。目を鋭くさせてそちらを向いた。
「なにその目、おれを睨んでるの? 真白君の癖に生意気だな」
 変なことするなよ、と彼は怒りっぽく守丘にいった。
「真白君はわかってないね、いまの場面は盛大に転ぶべきだったんだよ、そしたらおれが笑ったのに。もう一回やるから向こうむけよ」
 窓を背にして守丘を見据えた。「向かない」
「あー、つまんねえな真白君って。やっぱ存在価値ねえわ」
 守丘が離れていった。苛立つ彼。あんなのに構うことないから、と僕が落ち着いた声でいい、彼は心で頷いた。西村さんが気になって視線をやる。彼女の暗い表情がこちらに向いていた。その顔をサッと背け、窓の向こうを見つめる。同情してくれたのかな。僕はそういうが、彼は、自分のせいで気分を悪くしていたのでは、ととらえる。守丘の言葉も引っかかっていた。自分は存在価値のないゴミクズ。西村さんに近づいてもこうやって迷惑をかけてしまうだけ、と、どんどん深みにはまっていく。
『そういう気持ちになるのは理解できるけどさ……。もし、自分のことを価値がないって信じ込んでしまうときは、僕も一緒に貶めるんだってことを意識してほしい』
 彼は胸を詰まらせた。少し葛藤して、落ち着くと、僕の存在に感謝の念を抱いた。
 全ての授業が終わり、清掃に入る。職員室や様々な特別教室のある本館へと移動し、三階の西トイレに入る。水と薬剤を広い部分にだけ雑に撒き、デッキブラシで適当にタイルを擦りはじめた。
『僕≠チて案外いい加減だね』
(真面目に掃除しろってこと? どうせ今日も松本君は来なくて僕一人なんだし、担当の先生も来ないんだし、まともに掃除する必要なんかないでしょ)
『そんな真に受けて反応するなよ、むしろ僕は、自分がクソ真面目にしか生きられない不器用な人間だと思ってたから、実はそうじゃないんだと知れて安心したんだ』
(ああ……そう。ごめん)
『もっといい加減になってもいいよ。窓の外を眺めよう。先生が来たらやってるフリすればいい。君は清く正しそうにみえるから手抜きはバレないって』
 彼は手を止めた。デッキブラシを持ったまま窓際へ。雲の流れや生徒の動きに目を向ける。僕も彼も、なにも考えなくなった。脳が休まる。
『西村さんと友達になるの、もう無理かもね』そう僕は切り出した。
(僕を責めてるの?)
『そうじゃない。でも、肝っ玉の小さい真白雪兎がこれ以上、西村さんに接近できる?』
 彼は黙然とする。見知らぬ同性と友人関係を結ぶことすら困難な僕が、ましてや異性に喋りかけるなど至難の業だった。メールをくれれば顔を見ずにやり取りもできるので、まだ楽に関係を作っていけただろうけれど、その手段がなくなった以上、面と向き合って話すしかない。たとえば紅蓮のようなタイプならいい、あれは向こうから勝手にフレンドリーに突っ込んできてくれるから。そういうタイプとはうまく会話を成立させられる。弥城だって、中学のとき向こうから接してくれたから友達になれたわけで。高校ではそんなふうに近寄ってくれる人もおらず、色物にすら見られ、孤立する生徒として定着した。様子を窺うタイプの異性に接するなど不可能に近い。彼もそう考え、諦めはじめている。しかし、なんとか二人きりで話せるような場を強制的に持てれば、と望みを捨ててはいなかった。でも西村さんに迷惑かも、でもきちんと話せる機会を持てれば、くそおおおおおお──などと葛藤している。
 それほどやる気があるなら僕も腹を決めてやろうか。
『ストーカーしよう』
(へ?)
『あとをつけるんだよ、学校が終わってから』
(いや、そりゃ相当まずいでしょ……犯罪じみてるし)
『確実に二人きりで喋る方法なんて、もうこれしかない。ストーカーしよう、そして不気味に思われて嫌われよう』
(いやいや、嫌われたらダメだよ)
『いいじゃん、この件をさっぱり終わりにできるんだし』
 彼は深い悩みの中に沈んでいく。でも腹を決めている僕は、容易にそこへダイビングしてやれるわけで。
『僕が外に出られたらキスしてあげる』
 壁の向こう側には女子トイレがあるにも拘わらず、大音声で「え」を発した。
『西村さんをストーキングしたら、というのが条件ね。大サービスで、声をかけれなくてもいいよ。一緒に帰る友人がいるから、彼女が一人になるまで尾行する。それだけで僕がチューしてあげるよ』
 ぐらぐらと揺れ動いている。僕との口づけを魅惑的に感じ、妄想していた。……提案しておいてそれが信じられない。自分が男だという意識がどうしても拭えないからだ。でも彼の喜ぶ姿を知ると、自分がとことん価値のある存在なのだと、否が応でも自覚させられる。悪い気分ではない。支配欲を満たすこともできるし。
『さあどうする? ああ、もう決まってるか』
 ストーカーをする方に完全に傾いていた。



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