『河童国の冒険キャンプ
 参加費:無料
 持ち物:手ぶらでOK(電子機器は絶対に持たぬようお願いします)
 集合場所:青池の看板の前
 集合日時:7月25日(水)午後8時
 現代社会を離れ、河童の世界で冒険をしませんか?』
 こんなチラシに何人が申し込んだのだろうと来てみれば、誰もいなかった。午前八時の間違いだったのかもしれないが、そうなら時すでに遅し。
「帰ったら、オレが数日いなくなるのを喜んだ父ちゃんはがっかりだろうな」
 源は一応、看板の前に行った。街灯に照らされる文字を読む。
『津島市指定祖先の遺産 青池
 津島市内で見られる池の中で、最も水質のよい池である』
 源は最後まで飛ばした。
『この池は昭和二十年代までは、津島市の町はずれにあたり天王川堤防の松並木とヨシに囲まれ近づくのが恐ろしい環境にあった。そのため、この池にはヌシ(カッパ)がすみ、人や馬を池に引き込むから近づくなと恐れられたものである』
「駒引だっけ。河童はいたずら好きで、昔はそれで子供が殺されることがあったって婆ちゃんがいってたな」
 源は踵を返す。足が動かない。なにかに引っかかったのかと見ると、奇妙な手が足を掴んでいた。源は悲鳴をあげた。両足が滑り、背中が地面に落ちる。ものすごい力で池に引きずり込まれた。水の底にどんどん進み、源は大量の泡を吐く。暗闇のなか、何者かが源の顔を掴む。口が塞がり、空気が送り込まれる。源は無我夢中で酸素を貪った。さらに水中を進む。苦しくなり、口を開くが、今度は酸素をもらえず、源は失神した。
 眩しい光。肉体をいじられる感覚。人の声。「洗礼は無事完了した」「今年こそ牛頭天王様にお目通りせねば」「目覚めるぞ」
 奇怪な生き物が、周りを取り巻いている。源は叫んで暴れた。河童のような生物たちは、源を抑えつけた。
「怖がらんでもええ、ここは河童国だぎゃ、おみゃーさんは冒険キャンプに参加しにきたんだろ? ほら鏡見てみぃ」
 覗き込むと、河童の顔が映った。
「お、おおおおオレ、河童になってる!」
「人間はこの国に入れない決まりだもんで、一時的に河童になってもらっただけだぎゃ」
 妙な名古屋弁の河童は眼鏡をかけていて、口と耳が尖っていて、緑っぽい身体をしていた。背中の甲羅には藻が生えている。
「キャンプ止めるから帰して!」
「それはならん。冒険キャンプに申し込んだ以上、最終日までやり通してもらう。中途半端に投げ出すなら、元の姿に戻さん。河童のまま帰るがいい。しかし人間に見つかれば大騒ぎだ、誰も君だと信じないし、生け捕りにされて恐ろしい実験に使われるだろう」
 頭が混乱してくる。涙が溢れた。ひとしきり泣き叫ぶと、名古屋弁が咳払いした。
「じゃあさっそく始めるがね。ただキャンプするだけじゃなく、おみゃーさんには立派な目的がある。それは二八日までに牛頭天王様のとこに行き、七月の第四土曜がやってきたことをお知らせするんだ」
 キャンプ道具一式が入ったリュックとボストンバッグを持たされ、源は女の子の河童と歩かされた。
『この子はネネコ。立派な河童になる試練として、一緒に冒険キャンプに参加させるがね。ネネコはどえりゃー強いで、危ないことがあれば役に立つ。二人で仲良くな、ぐへへ』
 名古屋弁がそういっていた。……こんな小さい女の子が、そんなに強いのか? まあオレと背は変わらないけど。
「ネネコって、何歳?」
「人間風情が気安く名前を呼ばないでくれる? 私は由緒正しい血筋の河童なの。ちゃんと様をつけなさいよ。それと人のことを聞く前に自分の素性を名乗りな」
 うわあ、めんどくせえ。「川原源、十二歳」
「そんなこと知ってるわよ。ご両親のこととか、どういう立派な経験をしてきたかとかを教えな」
「……ウチは、父ちゃんと婆ちゃんとオレの三人家族。立派なことなんて、なんもないよ。学校はトーコーキョヒして行ってねえし」
「ガッコウ? なにそれ」
「大勢の子供を狭い部屋に閉じこめて強制的に同じこと教える場所」
「懲罰房みたいな?」
「違うけど、オレにとってはそんなようなもん。ネネコ様は、社会のこととか勉強とか、誰に教えてもらうわけ?」
「親や村の人たちよ」
 源は周囲に目を向ける。古めかしい町並み。河童たちが立ち話をしたり、水路で泳いだり、楽しそうに相撲したりしていた。
「なんかここって津島に似てるな」
「似てるんじゃなくて、ここは津島よ。人間風情では理解し難いから簡単に教えてあげると、牛頭天王様の神通力で一八六九年の津島村をそっくりそのままここに写したのよ」
 その時代の津島を丸ごとコピーした、ということだった。そんな力を持った人に会いにいくのかと思うと、源は意気軒昂とした。
「詳しいことが知りたいならセイジン様にお尋ねすれば? ほら、あそこが牛頭天王社よ」
 朱色の大きな鳥居が遠くに見える。津島神社と同じ鳥居だった。
 境内に足を踏み入れる。社の前に、杖を持った河童が立っていた。若くて、河童だとしても容姿が整っている。
「ようこそ河童国津島村へ。君が今年のギセイじゃなくて稚児の川原源だね。さあ、ついておいで」
 案内されて本殿の奥へ進むと、階段があった。そこをひたすら下りていく。十分ほど経っても階段は終わらなかった。むちゃくちゃ長いですね、と源はいった。三三三三段あるからね、と河童はいった。
 階段を下りる間に色々なことを教えてくれた。河童の名はセイジン。牛頭天王の御子神で、五〇〇歳は超えているそうだ。河童は長生きで、普通の河童だと二八〇歳くらいが平均寿命らしい。ネネコは三六歳で、人間でいうと一三歳に相当するとか。
 階段が終わり、洞窟の出入り口にジグザグの線のような光があった。セイジンが手をかざして謎の言葉を発すると、光が消滅。その先には大自然が広がっていた。
「私の役目はここまでだ。社を留守にはできんからな。お守り代わりにこれを預ける」
 セイジンから杖を受け取った。
「道中、山猿の襲撃に遭ったり天狗に喰われることもあるだろう。去年の稚児は……いややめておこう。杖の頭は、牛頭天王様の気に強く反応するので、道に迷ったら地に杖を立てて手を放し、倒れた先に進めばよい」
 セイジンと別れて、道なき道を進む。あっという間に夜がきた。源はセイジンの忠告に怖気立っていたものの、荷物の重さが面倒なだけで特に危険はなかった。キャンプの場所を決めて、源はバッグの物を出す。大半がキュウリだ。生のキュウリだけでなく、様々な漬け物のキュウリがタッパーに入っている。あとはレトルトカレー、ランタン、紙皿、マッチ、鍋、飯ごう、ロープ、キャンプの本(裏に津島市立図書館のシールがある)など。ネネコはキュウリに飛びついて丸かじりした。源もキュウリを口に入れると、歯がなくなっていることに気づいたが、口先が少し尖って硬くなっているので、ついばむようにして潰すことはできた。
「う……うまああああああい!」
 味気ないキュウリが、大好きなスイカより遥かにうまかった。無心でキュウリを口に入れていく。
 パコーン!
 ネネコが、源の頭をぶん殴った。皿の水が零れて、源の目の前が真っ白になった。
 次に目を開くと、真っ白な光が飛び込んだ。夜が明けている。
「いつまで寝てんの、置いてくわよ。……昨日のことは謝らないからね、キュウリは牛頭天王様に捧げる大事なものだから食べ過ぎるなってセイジン様が仰ってたでしょ」
 理不尽。横暴。逆らう言葉が飛び出しかけて、源は両手で口を塞ぎ、唾を飲み込んだ。
 源たちは険しい山を登っていた。ほぼ崖だ。やっと頂上に着いたと思うと、さらに高い山々に囲まれていた。
 ふっと二つの黒い影が飛び出す。小さい影がネネコに抱きついた。
「ケケケ、いたぶりがいのあるかわいこちゃんでやんす」
「そっちのガキは荷物を置いて去りな」と大きい方。
 それは毛むくじゃらの、河童に似た猿だった。ちゃんと歯が生えている。放しなさいよ、と暴れるネネコ。君たちも河童なのかと冷静に訊く源。
「こいつらは猿猴、同じ河童でも別種、野蛮で横暴でむちゃくちゃするやつらよ!」
「へえ、ネネコにそっくりだね」
 捕まっているのをいいことに口走ると、ネネコの顔が真っ赤になった。次の一瞬、二体の猿猴が空に投げ飛ばされる。源が驚嘆の声をあげる間に、ネネコが一気に距離を詰めてきて、パコーン、と頭をぶん殴られた。
 気づいたとき、源はおんぶされていた。死んだ母を思い出したが、妙に毛深い。
「ゲン……大丈夫?」
 目の前にネネコの顔があった。「は、はい。え、待って、オレ、誰に背負われてる?」
 アッシですよ、と猿猴の声。もう一匹の大きな猿猴がランタンを持って歩いている。顔がボコボコに腫れていた。ネネコがロープを持っていて、二匹の猿猴に繋がっている。源は二度とネネコを怒らせないでおこうと胸に誓った。源をおぶっている猿猴はチョイ、ボコボコの顔はコーハンと名乗った。ネネコはロープを引っ張って黙々と先を歩いていく。
「ケケケ、親分の後ろ姿はそそるなあ。しかも腕っぷしはめちゃくちゃ強い。良い女だ」
「聞こえてるわよチョイ。次に無駄口を叩いたら谷底に突き落とすから」
「そしたらこの兄貴も道連れになっちまうやケケケケ!」
 グギュルルルルルルウウウウウウ……。
 怪物の鳴き声のような音が聞こえ、源もネネコも身構えた。チョイは笑った。コーハンの腹の虫だった。脅かさないでよデカブツ、とネネコ。腹減ったんだからしょうがねえ、と泣きべそをかくコーハン。
「じゃあ今日はもうキャンプしない? オレをおぶってくれたお礼に食べ物だすよ」
 感激する二匹。怒るネネコをよそに、源は準備を始めた。キュウリは一本も食べさせないから、とネネコはいう。キャンプの本を見ながら、枝を組んで石の囲いを作り、着火剤で火を起こす。ネネコはきゅうりをかじりながら、二匹は源の傍で、それぞれ様子を見ていた。できあがったカレーライスを紙皿に盛って渡す。チョイは初めての食べ物に警戒した。コーハンはためらわずがっつくと、咆哮をあげた。察したチョイもカレーを食べると、うまいという言葉を連呼した。
「アッシ、こんなうまいもん食ったの初めてでやんす。人間はすごいなあ……」
 人間、と口にしたチョイに疑問を持ち、話を訊くと、津島村のことも毎年の冒険キャンプのことも二匹は知っていた。源のニオイに違和感があって、河童になった人間だということにも気づいていた。
 そんなにおいしいの? とネネコがいう。源は用意していたネネコの分を渡した。彼女は一口食べると、あたたかい、といって小さな笑みを零した。
 猿猴と別れ、源たちは遅れを取り戻そうと走った。しかし、大地が裂けたような崖谷が行く手を阻んだ。遥か下に川が流れている。ネネコは不機嫌そうに俯いた。
「どうするネネコ、あ、じゃなくてネネコ様」
「もういいわよ、いちいち様つけなくて。……これなら飛べる。河童にはできるのよ。ゲンもいまは河童だから、飛べる」
 すごい、河童の超能力? 空を舞うなんてかっこよすぎる。
「どうやって飛ぶの? 強く念じればいい? ふっ!」
 ブボッ! 屁が出た。しかもすごい勢いで。軽く浮かび上がったほどだ。
「それよ」
「……え、うそでしょ。え?」
「恥ずかしいからいわせないで!」
 ほんとに屁で飛ぶんだ……河童ダッセー。そう思いながら源は、セイジンの杖だけを持って助走をつけようと後ろに下がった。
「待って、私が先に行くわよ、もしかしたら届かないかもしれないし……」
「だから、まずオレが先に試すんだ」
 源は駆け出し、ジャンプして、強く念じる。屁が一気に放出された。完全に飛んでいる。汚い音と屁をまき散らしながら。そして着地。源は得意顔をネネコに向けた。
「ばかあ! ひやひやしたじゃない!」
「余裕で飛べたから大丈夫だよ、でも荷物は重いから置いてこう!」
 しかしネネコはボストンバッグを持って、飛んだ。すさまじい放屁で飛距離を伸ばす。だが勢いは半分を過ぎたところで切れて、届かない予感がした。ネネコはバッグを投げる。源は全身で受け止めた。ネネコが、落ちていってしまう。セイジンの杖に引っ張られる感覚があった。源は全力で崖の外に飛び出す。ネネコをお姫様抱っこでキャッチして、残りの屁を振り絞った。少し上昇して、ネネコを放り投げる。ネネコを地に渡せたので、源はほっとしながら谷底へ落ちていった。

 源は川岸で意識を取り戻した。そこに、死んだはずの母がいて、思わず抱きついた。ここはあの世の三途の川だと母はいい、源が河童になって早死にしたことを嘆いた。三途の川に迎えに来るのは最も親しい者と決まっていた。三三三三段のあの世の階段を上りながら、源は堰を切ったように話題を口にする。ほとんどは父の文句だった。母が死んだことで腑抜けになり、祖母の財産を食いつぶしながら、酒に博打に女に溺れている。夢枕に立って叱ってやる、と母は顔を真っ赤にした。
 そびえ立つ大きな門を抜けると、大勢が列を作っていた。人間だけでなく、よく知る動物、あらゆる妖怪、見覚えのない生物たち。すべての生き物が、ここで閻魔と面接し、天国か地獄かの審判を受ける。
 意外にも行列はするする進んでいった。源の番がきて扉を抜けると、巨大な怪物がいてすくみあがった。源の家よりも大きい。ミノタウロスのような牛頭の下に、顔が三つ。十二本ある腕は、せわしなく机の上を動いていた。どの顔も書類に目を通している。
「おかしいのう、お前の資料がない」「ありえん事態だ、死んだ者の書類がないなんて」「河童よ、名をなんと申す」
「川原源です。オレ河童じゃないんですよ、本当は人間だけど、河童にされて、牛頭天王様に七月の第四土曜がきたことをお知らせするために旅をして、谷底へ落っこちて」
 閻魔が椅子と机をガタンと揺らして立ち、周りの鬼たちは固まった。
「グオオオオオオ休みがきたぞおおおおおお!」三つの顔が叫んだ。
「休まれては困ります、閻魔様が仕事を止めてしまっては、ここがありとあらゆる死者で埋め尽くされてしまうというのに!」
「余の、一年にたった一日の休みだぞ!」「それなのに三年も稚児がこなくてずっと働き詰めだ、うぅ……」「天王祭のために人間が遠路はるばる、危険を冒してまでワシを呼びに来たのだ、行ってやるのが義理というもの」
「またそうやって言い訳を……」
「あの、どういうことですか?」
「うむ。ワシが牛頭天王だ」
 ……驚いた、閻魔様が牛頭天王様だったなんて!
 時間が惜しい閻魔は、大きな手でさっさと源を掴むや、引き留めようと群がる鬼たちをためらいもなく吹き飛ばし、「留守を頼む」といって鼻歌まじりに部屋を出た。死者の行列に母がいた。話す暇もなく閻魔は景色のない外の空間へ飛び降りた。源は「オレは死んでなかったかあちゃんありがとう」と早口で叫んだ。立派なおじいさんになるまでこっち来ちゃだめよ、と微かに聞こえた。風も感じず、なにもない空間がずっと映っているので、落ちているのか空間に留まっているのかわからなかったが、パッと牛頭天王社の境内が現れて、どすん、という音と共に着地した。
「お久しぶりです、父上。ご降臨感謝いたします」
 セイジンがお辞儀をした。源は牛頭天王の手から飛び降りると、脇目も振らず本殿へ走った。引き留めようとするセイジンに、源は事情を話した。
「そなたの役目は終わったのだ、なにもしなくてよい。ネネコのことは任せなさい。なくした杖も問題ない、どこにあるか私にはわかる。迎えの者を呼ぶので、もう人間界へ戻りなさい。大儀であった」
 津島村は牛頭天王が降臨したことでお祭り騒ぎだった。立て役者の源には見向きもしない。自分の苦労はなんだったのかと、源は虚しくなった。名古屋弁から袋に入った源の衣服を受け取り、一緒に最初の広場へ戻った。小さな池があって、そこが青池と繋がっているらしい。名古屋弁を追って泳ぎ進む。ざばん、と水しぶきをあげて外に出た。辺りは薄暗く、しかし大勢の人が歩いている。天王川公園に向かって。通行人は、陸に上がる源たちを見なかった。ほとんどの妖怪や幽霊は、その存在を認めて「ここに居る」と気づかない限り姿は見えないのだと、名古屋弁がいった。名古屋弁は源の背後に回り、ふいに尻に触った。肛門に名古屋弁の指が入る。
「なにすんだ変態ガッパ!」
 源は怒号をあげて尻を引っ込めた。すると通行人が驚く。素っ裸でなにしてるんだ、とか、青池で泳いでたんじゃね? とか聞こえた。源は自分の姿を見回す。人間に戻っていた。
「ほれ、おみゃーさんのケツから出した尻子玉だ、持ってけ」
「いやいらないよ、汚いし……」といいつつ受け取る。「これなんなの?」
「おみゃーさんに移植した河童の魂だがね。おみゃーさんに宿って安定したから、次はそれ飲み込むだけで河童になれる。大事にしろよ」
 名古屋弁が青池に潜る。水面が静まると、すべてが夢だったように思えた。
 源が家に帰っても、父はなにもいわない。祖母はキャンプのことを聞いた。源はただ一言、死ぬほど面白いキャンプだったよ、と答えた。源は母の遺影の前に正座し、手を合わせ、目を瞑った。



colorless Catトップ


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