7.なんでもない


 インターホンを押す。
 リオンくんのお母さんが出てきて、ぼくに頭を下げた。
「今日もありがとうございます。よろしくお願いします」
 こちらこそ、とぼくも頭を下げた。
 二階に行って、リオンくんの部屋のドアを叩く。
「リオンくん、遊びに来たよ」
 少しドアが開く。リオンくんがぼくを睨みつつ、手招きした。
 部屋に入ると、リオンくんは鍵を閉めた。
「んっ」
 持っていたコントローラーをぼくに突きつける。
 二人でゲームを始めた。
「今日は何時間一緒に遊べる?」
「二時間くらいかな」
「短い。もうちょっといてよ。仕事でしょ」
「いや、ぼくお金もらったりしてないけど」
「じゃあボクのお金あげるから、今日は一日付き合って」
「お金は受け取らないってば」
「カズくん、生活してけるの?」
「実家に住んでて親のスネかじってるから大丈夫」
「ふーん。あ、クソ! ふざけんな、ぶっ殺すぞ」
「わははは」
 荒々しい声をあげてゲームをするリオンくん。面白くて笑うぼく。
 一時間遊んでから、ぼくは切りだした。
「フリスビー持ってきたんだけど、今日、ちょっとやろうよ」
「外は嫌だって。出たくない。寒いし」
「ぼく、リオンくんとフリスビーしたい。このゲーム、リオンくんがうますぎて勝てないもん」
「カズくんが弱いから悪い」
「フリスビーならめっちゃ上手なんだよ。リオンくんびっくりすると思う」
「じゃあわかった」
「え、ほんと?」
 何度誘っても、リオンくんは頑なに外には出たがらなかったのに、急な心変わりだった。
「その代わり今日は一日中遊んで」
「それは、難しいけど、できるだけ長めにいるよ」
 リオンくんは突然コントローラーを放り、ゲーム機の電源を落とした。
「じゃあ早く行こ」
 ぼくの表情がほころびかけて、こらえた。なんでもないという表情でいた。
 部屋を出て、二人で階段を下りる。リオンくんを見たお母さんは、一瞬驚いた顔をした。でもすぐになんでもないという顔になった。特別な反応をしてリオンくんを刺激しないようにと約束したことを守ってくれた。
 リオンくんが不登校になって、家から一歩も出なくなってから、半年。久しぶりに外に出たリオンくんも、それがなんでもないかのように振る舞って、ぼくを近くの公園に案内してくれた。
 疲れてすぐにやめてしまうかと思ったけれど、一時間もフリスビーを投げ合った。
「カズくんみたいにうまく投げれない。また今度やる」
 リオンくんは悔しそうに言った。
 ぼくが飲み物を買って、ベンチで休憩した。リオンくんにスポーツドリンクを渡すと、勢いよく飲んでいた。
「カズくんはなんでボクにこんな優しくしてくれるの。お金にならないのに」
 ふいにリオンくんが言った。優しい、という言葉で、藍里のことが浮かんだ。
「うまくわかってもらえないかもしれないけど……ぼくのためなんだ」
「カズくんのため? ボクにいろいろすることが?」
「誰かに優しくすればするほど、自分が楽になるんだよ」
「おかしいよ、損するだけじゃん」
「もちろん限度があるよ? たとえばぼくが借金をして、リオンくんにたくさんのゲームを買ってあげる。これは自分を苦しめるだけ。自分を苦しめない範囲で、誰かに優しくできれば、それは絶対にお得なんだよ」
「わけわかんない。カズくんは、一時間かけてボクの家にくるんでしょ? カズくんになんの得があるの」
「得してるよ。だってぼくには他にやることがないから。バイクでここまでくるなら、そんなにお金かからないし、リオンくんと遊べて楽しいし。ほら、前も言ったじゃん。ぼく、あまり遊べる友達いなくて、長く付き合った恋人とも別れて、孤独だったって。でもこうして色んな人と会えて、いまは幸せなんだ」
「ふーん」
「ぼくといつも遊んでくれてありがとう」
 リオンくんは笑った。「カズくんって面白いね」
 ぼくも微笑んだ。

 それから散歩がてら、遠回りでリオンくんの家に向かった。
 学校のチャイムが聞こえる。リオンくんが遠くに見える中学校に顔を向けた。
「学校……行った方がいい?」
「うーん……いいかどうかだけで言うと、行った方がいいのは間違いないよ。ちなみにぼくは小中高大と通ったよ。でも、高校だけはすごく辛かった」
「どうして辛かったの?」
「環境が大きく変わって、ついていけなかった。友達もできなくて、そのうえ、孤立してるから馬鹿にされつづけてた」
「それでもカズくんは、高校に行くの正しかったって思うの?」
「あの高校生活は間違ってたかな。他の選択肢があるなら、辞めたかった。行った方がいい、というのは、学校にいてなにも問題ないことが前提ね。心も身体も健康だったら、学校に通うのは良いことづくめだから。社会に出る準備がしっかりできるし、いろんな体験ができるし、いい友だちと巡り合えれば、その後の人生がとっても素晴らしいものになる」
 リオンくんは険しい表情をしていた。小難しいことを言いすぎただろうか。
「……学校、もう一度行ってみたい。でも、怖いんだ。あの空間が。友達が。自分が自分じゃなくなるんだ。自分をどうしたらいいのか、わからなくなる。苦しくなって、逃げたくなる」
「うん。それでもまた行ってみたいの?」
「逃げたくなるけど、逃げたままなのも嫌だ。自分に腹が立つ」
「そっか。試しに保健室登校からはじめたらどう?」
「それはかっこわるい」
「まあね。でも、自分ができる一番小さなことからやるのが効果的なんだよ。ぼくだっていまの活動、ブログから始めたんだから。こういうことやってみたい、って一方的に書きつづけたの。そしたらリオンくんのお母さんが連絡くれたんだ」
 それを皮切りに、ぽつりぽつりと依頼が舞いこんできた。自分が行ける範囲限定だが、それでもいまではほぼ毎日、どこかのお宅に伺っている。
「リオンくんのお母さんには感謝してるし、リオンくんにも感謝してる」
「ふーん」
「保健室登校してみてさ、嫌ならやめちゃえばいいんだよ。無理してまで学校に行く意味、ぼくはないと思ってる。それどころか、無理を続けて心が病んじゃって、ずっと暗い人生を送ることになる子だっているんだよ」
 リオンくんは黙っていた。
「もし、ほんのちょっとでも保健室登校に楽しみを見いだせたら、もう一日、もう一日、って通ってみればいいよ。すごく苦しかったら、先生とか誰かに相談してさ、なんの解決方法もなかったら、学校を離れて、他の選択肢を探そう。これでどう?」
 リオンくんは帰るまで、一言も口を開かなかった。
 家に戻ると、お母さんがケーキを用意していた。特別なことをすると、リオンくんが気にしちゃうのではと焦ったが、リオンくんは特に気にするでもなく、リビングでケーキを食べた。
「保健室に登校したいから、それ先生に話しておいて」
 ケーキを食べ終えて、リオンくんが言った。
 お母さんが目を見開いて、口元を押さえた。でも、すぐになんでもないように落ち着いた顔をして、うなずいた。
「お母さんに任せて」
「試しに行くだけだから。嫌だったら、やっぱりもう学校行かない」
 そう言って、リオンくんはさっさと二階へ向かった。

 リオンくんの家を出ると、お母さんがぼくを追ってきた。何度も頭を下げ、お金の入った封筒を渡そうとしてきた。
「頭を下げないでください、お金もいらないです。ぼくはこれでお金をもらう気はないですし、そもそもぼくがお母さんとリオンくんに感謝してるんです。おいしいケーキもいただいたし、それで充分です」
 お母さんは涙を浮かべ、何度もぼくにお礼を言っていた。
「また来週遊びにくるので、ケーキもらえたら、うれしいです」
 お母さんは明るい顔で「買っておきますね」と言ってくれた。



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