もし運命が私の両腕をなんらかの形で奪ったら、絵が描けなくなるので、私は生きる意味も一緒に失うだろう。絵を描くことは、私にとって希望だった。別に、家族には画家なんていない。母は高卒後すぐに結婚した専業主婦。父はライン工。芸術とは縁遠い環境に私は生まれ落ちた。
 私が絵に目覚めたのは五歳の頃。幼稚園の遠足で、富士宮にある湖のほとりに行ったときのことだった。
 そこはまるで、ファンタジーのような世界だった。屹立(きつりつ)する山々に囲まれた湖。広大な芝生地帯。大自然から生成される空気のおいしさを、生まれて初めて知った。
「今、見ている景色を描きましょう」
 先生はみんなにF6サイズのスケッチブックを渡し、写生大会が行われた。雲一つ見当たらない、澄んだ青空の下、芝にシートを敷いて各々スケッチを始める。私は誰よりも上手にこの風景を描写したいと、強く思った。その場所を好きになったからだろう。いっそここに私だけの家を建てて住みたいと思ったし、他の人間には一切、立ち入られたくなかった。しまいには、今みんながこの場で絵を描いていることすら許せなくなっていた。
 一生懸命、白の画用紙に線を描く。五歳児にとってF6というサイズはとても大きくて、これで紙飛行機を折りそれに乗れば、どこまでも飛んでいけるような、そんな空想を抱かせた。それだけ大きな用紙に、私はあっという間に鉛筆を走らせ、風景を描いていった。この世界を私だけのものにしたい、私だけの居場所にしたい──。自然と筆圧も濃くなっていく。完成した絵は、まるで風景を切り取ったみたいに精妙だった。
 数日後、先生に提出した絵が返却される。そして、最も上手かった子の名前が発表された。それは、私ではなかった。三番目に上手な子まで挙げたのだが、私は呼ばれない。その理由がわからなかった。だから直接、先生に訊いた。
「決して下手じゃないのよ。でも、ちょっと描き方が乱暴かな。それに、絵の中に人物が描かれてるけど、どうしてその子は一人なんだろ? みんなと一緒に描いたのに、他の子はどこへ行っちゃったのかな?」
 見たままを描くのが写生だと、先生は言う。それならみんなを描いていたらこの絵は評価されたのか。私は、納得がいかなかった。もちろん描いた人物は、私自身。他の存在を許せない、と思考していた結果だった。
 一番に選ばれた女の子のところへ行き、私は自分の絵を、だしぬけに見せつけてやる。すると、クスッ、と笑われた。意味がわからず、私は更に絵を近づけてやる。傍に居た男の子が気づいて、私の絵を覗き込んだ。
「うわあ、汚い絵」
 その一言に耳を疑った。汚いというのは、人間の排泄物とか、生ごみとか、ポテトチップスを食べた手を衣服で拭うことなどによく使う言葉なのに、それを私の完璧な絵に対して使用するなんて──
 男の子は続けざまに私の絵を嘲罵(ちょうば)している。声に耐え切れなくなり、私は怒りで我を忘れ、その男の子と、一番に選ばれた女の子の絵を、破いた。女の子は泣き出し、男の子とは取っ組み合いに発展し、私の絵も破られそうになったけれど、命がけで守り抜いた。
 ちょっとケンカをしたくらいでは家庭に報告することは無いのだが、人の物を破損したので、バスでの送りの際に母親には伝えられた。その日の夜、私は両親にきつく叱られることとなった。
 ショックで、私は泣いた。もう幼稚園に行きたくない。その心理状態は両親が眠ったあとも続き、私は眠れない恐怖にも襲われた。布団から抜け出し、棚に仕舞った湖畔の絵を取り出す。それを見つめながら、実際の景色を想像していく。絵は、私にとって完璧に描写されており、それはあまりにもリアルに見えていたので、湖畔を思い出すのは至極、簡単だった。
 ふっと、芝の青臭い香りがする。少し肌寒くなり、鳥のさえずりが耳に入る。
 辺りを見回すと、私は、富士宮の湖畔にいた。芝の上で、横になっている。
 ──これは、夢なのか。さっきまで家に居たはずなのに、絵の場所に居る。
 母を呼んだ。父も呼んだ。だが誰も返事をしてくれない。衣服は、家に居たときと同じパジャマだった。右手には絵を持っている。
 私は泣き出した。明るんだ青空に向かって、叫ぶように声を張りあげた。しかしここは山奥にあり、滅多に人も来ないだろうから、一時間ほど泣き喚いても誰も助けにこなかった。仕方なく、歩き出す。途方に暮れるしかない。直に、アスファルトの道路に出て、通りがかった車の運転手に保護された。
 勝手に居なくなったことをまた叱られるだろうか。そう心配していたのだが、両親の反応は逆。私と対面するや、無事に見つかったことを喜び、泣き出した。すでに警察に通報した後で、なぜ私が家を抜け出たのかと事情聴取が行われた。私は素直に「絵を見つめてたらいつの間にかあの場に居た」と述べるのだが、警察はこれを信じず、誰かと一緒に居たのか、口封じされているのか、などと問い詰められ、しまいには私を警察署まで送り届けてくれた運転手を疑いだした。
 本当に、いつの間にかあの場に居たのだ。私はそれ以外、伝えられる言葉を持ち合わせておらず、私に大した怪我も無いのでそのうち警察は諦めてくれた。だが私のことは、地元紙の小さなニュース欄に不可解な事件として掲載された。
 私は、薄々勘付いていた。おそらく、自分の描いた絵に入ったんだ。
 もう一度試そうと考えるのは当然のことだった。けれど、行ってしまえば帰ってこられなくなるので、場所は近所に変えなければいけない。私は家の近くにある公園の絵を描いた。そこだって大好きな場所で、私の家族以外は足を踏み入れてほしくない。それなのに今は、子供たちが遊具に群がっている。
 家に戻ってから、いざ公園の絵に意識を集中させる。絵の中には、私が一人で立っていた。ここは私だけの公園。私しか居てはいけないの──
 卒然と、景色が切り替わった。
 両手には絵を持っている。しかし場所が公園に移り変わっていた。辺りは薄暗くなっており、周りには誰も居ない。
 もう間違いなかった。私は、自分の描いた絵に入ることができるんだ。
 家に帰るとお母さんが怒っていた。
「いつまで遊んでたの、外に出るのはいいけど、陽が落ちる前には帰ってきなさいって言ったでしょ?」
 以前の件もあるので、きつく咎められてしまった。

 自分の力を理解した私は、それからも好きな場所に行けば必ず写生した。絵の数が増えれば、自由に行ける私だけの世界が増えていく。行けば帰ってこられなくなるので、自分の部屋の絵も用意していた。
 そして、何度も試していった。すると一つわかったことがある。いくら絵の中に入っているとはいえ、どうやらそこに行く分の時間がかかるようだ。なので警察沙汰にならないよう、両親を心配させないよう、いつもかかる時間を考慮しながら、自分の絵に入っていた。
 たびたび忽然と姿を消す私に対し、最初の頃は両親も嘆いていた。放浪癖がある。いつか変質者にさらわれるのではないか。時には外出を禁じられることもあり、鍵つきの倉庫に閉じ込められたこともあった。だがそれでも、絵を持っていれば、私は絵の場所に逃げることができた。
 成長するにつれて、そんな私のことを、両親は諦めていった。無事に戻ってくるのだし、余計な心配をしなくなったのだろう。
 行ったことのない場所の絵を描いたこともある。海外の絶景を紹介するテレビで、『空中の庭園』と雅称(がしょう)されるマチュピチュ遺跡を観て、感奮(かんぷん)した私はスケッチブックに筆を走らせ、描いた。だがその絵に集中しても、中に入ることはきなかった。

 陸上競技がなぜか得意になっていた私は、高校はスポーツ推薦で進学した。長距離ランナーとして誰よりもずば抜けており、いつも先頭を一人で走っている。だが、その脚力と持久力を周りから褒め称えられるたび、言い表せぬ不快感を覚えていた。部活のおかげか、いくら食べても痩身で、肌はいかにも健康的な褐色だった。けれど、それって昔から変わっていない気がする。
 私の部屋の、大きな引き出し。そこには、地名を五十音で整理した、大量の絵を保管している。
 どうしてだろう──昔描いた、距離のある場所の絵に入ると、それによって経過する時間が明らかに短くなっていた。幼稚園の頃に描いた湖畔の絵──思い返せば、夜、絵に入って、明くる日の朝に着いていた。家から湖畔に移り変わるまで、約九時間は経過していたはず。
 それが、今となっては、半分以下の四時間ほどに縮まっている。いや、あのときはまるで目が覚めたふうでもあったので、私は芝生の上でずっと寝ていたのかもしれない。
 ……だが、いつも、絵の中に入ったあとは、激しい息切れが起きていた。

 棚を開けて、一番大好きな絵を取り出す。頭の片隅で、薄っすら気づいていたとしても、上機嫌でうそぶき──
 今日も、絵の世界に入っていった。



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