第一話 「恋呪い」‐朝倉 優菜‐ この世には、ある呪いが存在している。 それはいつからあるのか、誰からはじまったのか、わからない。でも、確かにある。 その呪いは、人が忌み嫌うような呪いではない。自らが欲して呪いにかかるのだ。求めない者に呪いはふりかからない。 その呪いは、恋の呪いだ。 恋自体が呪いのようだと言う人はいるけれど、これは本物の呪い。その呪いにかかってしまえば、一切の抑圧から解放され、恋を成就させるために一心不乱になれる。 人々はそれを『恋呪』と呼ぶ。 1 恋呪にかかる方法 まず赤い糸を用意する。それを左手の小指に結びつける。たったそれだけでいい。 「ぷっ!」 思わず吹きだして笑ってしまった。 「こら、すぐそうやってバカにしないの」 「だって、最初の語りみたいなのは良かったのに、肝心の呪いにかかる方法が子供っぽくてウソ臭すぎるんだもん」 「そんなふうだから そのいわれは、ちょっと引っかかってしまう。 「関係ないよ」 「関係あるって、ほら、素直に続きを読みなさい」 雑誌好きの綾香は、こうやって自分の見つけた興味を私にごり押ししてくる。特に綾香が好きなのは、非日常的な幻想を誇張しているオカルト雑誌『オカルトオリジン』だった。うそ臭い情報でも、綾香は鵜呑みにして楽しむ。私はそれに付き合わされる。雑誌やオカルトグッズを学校に持ち込み、熱心に説明してくる。まあ、私なりにも楽しんでるからいいんだけど。それに、今回の呪いの話は、今までで一番私の興味を引いた。 再び、私の席に置かれている雑誌に視線を落とす。 “あとは恋しい人を想いながら、恋呪にかかりたいと望む。すると、悪魔があなたに恋の呪いをかけてくれる”“変化のない人もいるが、糸が赤い指輪に変わる場合がある” 突然出てきた意味のわからない指輪の設定。おかしくて笑ってしまう。 「指輪に変わるなんて、絶対ないから」 「そうやってバカにして否定しないの、優菜は占いすら信じないんだから。もうちょっと純情な乙女心を持ったほうがいいよ?」 オカルト雑誌にハマる人を、純粋な乙女というのだろうか。それに、これでも持ってるつもりなんだけどな。綾香以上に純粋で純情な恋心を。 「もう、アタシが続き読んであげるから」綾香は雑誌を手に取る。「恋呪は誰にでもふりかかるものではなく、一定の恋愛感情を持ち、更にそれを自分の気持ちで抑えつけてしまっている人がもっともかかりやすい。恋呪にかかった者は、その証として赤い糸が鮮血のような赤い指輪に変わるという」 「鮮血のような、なんて表現が怖いね」 呪いだからね、と綾香は適当に言う。「指輪に変わらなくても、呪いの効果で積極的になれる人もいる。恋呪にかかると、日を追う毎に恋愛感情の苦しみが募り、恋を実らせるために執着心が増していく」 そこまで言うと、雑誌を私の机に置き、綾香は私を睨んだ。 「場合によっては発狂する」 「スゴイね」と、苦笑いで返した。そうしてもう一度雑誌に目をやった。 “恋呪はほぼ解けることがなく、呪いの証である指輪は外すことができない。ただし指輪に変わらず、赤い糸のままの人は、簡単に解くことができる”“恋を成就させても指輪は外れない。しばらくすると外れることもある”“恋呪は何かのきっかけで恋する相手に冷めた時、解けることもある” その文章に作為的なものを感じて(最初から感じてたけど)興味はだいぶ失せた。 「よくできた作り話ね」 綾香は呆れたような顔をする。「そうやって信じない」 「信じるわけないよぉ」 空想好きな綾香とは違い、私は現実的だ。 「綾香は彼氏いるからこんな呪いいらないじゃん」 「だから、優菜のためにとこうやって学校まで雑誌持ってきたのっ」 言い聞かすように綾香は言うけど、いつも綾香は気に入った情報を発見すると、私に説明するために雑誌などを学校に持ってくるんだ。 「はいはいありがとぉ」気の抜けたお礼を口にした。「でも、私には好きな人なんていないから」 「そんなこと言って、ホントはいるんでしょ〜?」 「いないよ」ウソだけど。 「いないのかあ」 「なんで綾香がそんな残念そうな顔すんのよぉ」 「だって、アタシばっかり幸せ噛みしめちゃって申し訳ないんだもん」 「それはイヤミ?」私は笑みを浮かべてみせる。 「ちっがうよぉ、優菜にも彼氏ができたら、四人で遊びに行ったりできるじゃあん」 もし私に彼氏がいたとしても、私は二人きりでいたい。 「二人っきりで遊びにいけばいいじゃん」 「遊びに行くなら、二人より四人だよぉ。てか今度の秋の連休、三人でどっかイコ?」 綾香は、私の気持ちに気づくことなく、考えもせず、軽くこんなことを言っちゃう人なんだ。そんなことしたらユウヤ君とっちゃうよ、と私は言いたい。けれど、想いは抑えて、あくまでも自然な作り笑顔で、「遠慮しておく」と口にした。残念そうに顔を俯ける綾香。その感覚が私にはわからない。 「でーも」綾香は顔を上げ、私を見据える。「ジャーン!」 口で効果音をつけて、何かを私の目の前に出した。 それは、何の変哲もない赤い糸。 「わざわざ持ってきたんだ──」私は笑ってしまう。 「まーたそうやって友人のご好意をバカにする」綾香は糸の端と端を摘まんで、ピンと張った。「ほら、左の小指を出して」 「だから、好きな人いないってば」 「ほんとかなあ?」状況を楽しむように綾香は言う。「本当はいるんじゃないかなあ?」 私は少し動揺した。前に冗談交じりで、「もしかしてユウヤのこと好きなの?」と綾香に訊かれたことがある。私は、本音を心の奥底に沈めて否定した。 「いないよ」 「いなくても、何か効果があるかもしれないから、試しに糸をつけてみよ?」 今まで何度も恋のおまじないを綾香に試されたことがある。綾香自身も試したことがある。それによってユウヤ君と結ばれた、と綾香は思っていた。 「もうおまじないは信じないからやらない」 信じてそれをやったところで、私はユウヤ君と結ばれるはずもないから。 「信じないならやってみてよぉ、ほらほら」 綾香は私を煽るように両腕を振って、赤い糸をアピールする。 「つけるだけだから。それでオシマイ。痛みはありません」 仕方ないので、私は糸の上に左手の小指を乗せてあげる。 「おっ、さっすが優菜ちゃーん」 嬉しそうに綾香は笑みを浮かべた。私の指に、わざわざ切って持ってきた赤い糸をくくりつける。 「うんめいの、赤いいとぉ〜♪」 綾香はオリジナルソングを歌いながらに、上機嫌で蝶結びをする。私のためにやってくれてるんだか、自分が楽しむためにやってるのか、又は両方かな。 きつめにぎゅっと蝶を引っ張ると、「はい、できました」と綾香は言った。 「ありがとう」 綾香は満足げにうんうんとうなずく。 「優菜にいい彼氏ができたらいいなあ〜」 ふと綾香の向こう──開いてる窓の向こうの廊下に、ユウヤ君の姿が見えた。ユウヤ君は私を確認すると、細長い人差し指を唇の前に立てて私に合図した。 少し、私は嫌な気分になる。 「彼氏なんて当分できないよ」 「そっかな〜。まあ好きな人もいないんじゃあなぁ〜」 ユウヤ君が窓の傍に来ても綾香は気づかなくて、彼はその細長く綺麗な手先を伸ばし、綾香の髪に触れた。触れてすぐに身を引っ込めた。 「ん?」綾香は顔をしかめ、振り返って窓から顔を出す。「んなことするのアンタしかいないと思ったぁ」 ユウヤ君が立ち上がって姿を現し、綺麗な顔で笑った。 「なんのハナシしてたの?」 「優菜に彼氏できないかなぁ〜ってハナシ」 「ほんとオマエは余計なお節介だよなあ」 「余計なお節介じゃないよぉ。ねえ優菜?」 「うん」 「ユナちゃん、カレシほしいの?」 声をかけられた。綾香と彼が付き合い始めてから、そんなことは何度もあるのに、いつも胸が高鳴ってしまう。完璧にセットされた彼の髪、中性的な顔立ち、しっかりとした肩幅、優しい瞳。彼を意識すると、脈が乱れる。でも焦る姿を知られてはいけない、と、努めて平静を装った。 「いたら良いかなあってくらい」 「だよねぇ〜。ユナちゃんはなんか」ユウヤ君の視線が綾香に向く。「オマエみたいにガツガツしてないもんね」 「なっ!」 声をあげた綾香がユウヤ君に向かって拳を振るった。ユウヤ君は華麗に後ろへと身をかわし、綾香のパンチは空振り。 「ホントのことだろ?」 そう言って、ユウヤ君は子供みたいな笑顔を見せるんだ。 「アタシのどこがガツガツしてんのよぉ」 「フンイキ」 「フインキで決めないでよ〜」 そう言いつつ、綾香は嬉しそうな笑みを浮かべている。好きな人と会話をしているというだけでも、そんな顔になるのだろう。 私は愛想笑いをしていた。綾香を見つめるユウヤ君の瞳を見つめながら。 2 ベッドの上で、何をするでもなくひたすらユウヤ君を想う。 「ユウヤ」 名前を呼ぶだけで、ほんの僅かでも自分のモノになったように感じられた。 「ゆうや、ゆう、ゆうゆう」 ふっと小さく笑う。 「ゆぅゆぅ……」 私には、彼のいないところで密かに名前を呼ぶことが限界だ。確かに綾香の方がガツガツしてる。私が先に告白していたら、今ごろは私がユウヤ君の隣にいるのかな。 「友達の恋を応援した結果がこれか……」 自業自得? そういうことだよね。 ユウヤ君を奪いたい? 綾香に恨まれたくないけど、ユウヤ君のことが好き。 「実は私、ユウヤ君のことが好き」 『ゴメン、アヤカのこと好きだし、裏切れないから』 それが一番怖い。そのあとが気まずくなっちゃう。 「苦しいなぁ、恋愛」 綾香はいいなぁ、楽しい恋愛ができて。 イマはなにしてるんだろ? 二人でユウヤ君の家にいるのかな。それとも綾香の家? イヤだなぁ……想像したくないのに考えちゃう。 ふと、いつもは忘れている綾香のおまじないを思いだした。左手を上げて、目の前に小指を持ってくる。しっかりと蝶結びのまま、赤い糸が付いていた。 「恋呪かあ」 一定の恋愛感情を持っていて、それを自分で抑えつけている人が最もかかりやすい。恋しい人を想いながら、恋呪にかかりたいと望めば、糸が赤い指輪に変わる。変わらない人もいる。 「しっかり覚えちゃってるよ」 もしあったらかかりたい? 「かかりたくない」 それは、本音じゃない。 いっそのこと、そんな呪いにかかるのもいいと思う。あるわけないけど。でもあるとしたら、恋呪の力でユウヤ君を奪いたい。 いいよね? 人生は一度きりなんだし。 「ハハっ……」 よくできた呪いだ。 3 教室に向けて廊下を歩いていると、私のクラスの前に例の二人が立っていた。私が「おはよ」と声をかけると、二人は気づいてこちらを向く。 「おはよ……」 「おはよー──って優菜!」綾香は驚いて笑う。「スカート短すぎだよ!」 ユウヤの視線は、私の足に釘付けになっていた。それだけ私はスカートを短くしたんだから。 「そうかなぁ?」 「そうかなあって、アタシより短いよ、それ。先生に言われるよ?」 「言われたら元に戻すだけだし」 ふっとユウヤが笑った。嬉しい。 「そうだけど……今まで優菜はずっと真面目な長さだったのに、急にそこまで短くなってると衝撃的だよ」 「ユナちゃんって真面目キャラだもんね」 私はユウヤの瞳を捉える。「どっちがモテるかなあ?」 「俺は、前のユナちゃんの方がいいと思うよ?」 「アタシもそう思うよ? あっ、昨日アタシが言ったこと気にして、無理にカレシ作ろうとしてんの?」 「うん、そう」愛想笑いを浮かべ、左手を背中に隠す。 「オマエが余計こと言ったから、ユナちゃんの真面目キャラ崩壊しちゃただろ」 ユウヤは軽く綾香の肩を叩く。一瞬、苛立ちを覚えた。綾香の肩をぶち切ってしまいたい衝動を感じた。 「昨日言ったこと気にしないで、優菜は優菜のままでいいから」 それじゃ、ダメなんだよ。 「そうだよね。やっぱりスカート直してくる」 私は鞄を置くため、教室へと動きだす。 ユウヤとのすれ違い際、流し目で彼に合図を送った。こうしたのはあなたのためよ、という想いを籠めた合図を。 これはよくあることなんだけど、綾香は完全に“おまじない”のことを忘れていた。何も私に言ってこなかった。 私は、学校が終わるまでバレないように、ずっと小指を綾香から隠し続けた。 学校を出て道を真っ直ぐ進み、最初の十字路を私はそのまま真っ直ぐ。ユウヤと綾香は左へ。「ばいばい」といつも通りそこで別れて、私はユウヤの背中を見つめながらゆっくりと自転車を漕いだ。後ろから人が来ていることも構わず、かなり遅く進んで、ユウヤの姿が見えなくなるとスピードを上げ、次のT字路を左へと曲がった。 すぐに、二人に追いつく。姿を見失わないよう、見つからないように距離を置いて、時折隠れながら、道を変えながら、後を付けた。今の私がどういうことをしているのか、なんてよくわかっている。でも見つからなければ問題ない。 二人がなんの話をしているのかはわからないけど、時々綾香の笑い声やユウヤの笑い声が聞こえてきた。なんとなく、私のことを言ってるんじゃないかと過ぎった。綾香が私をネタにしてユウヤを笑わせる。考えただけでむかつく。綾香の口を、ホッチキスで留めたい衝動に駆られる。 どちらかの家に一緒に行くだろう予想していたけど、予想外に二人は別れた。ユウヤが一人になるのをずっと待つつもりでいたので、好都合だった。 私は気づかれないよう、ユウヤの行く道へ。 どうしてこんなことが思いつくかはわからない。ただ私は思うままに、ユウヤが家に着いた後、自転車を下りて、目薬を両目にたくさん点した。 玄関の前に立ってインターホンを押す。私は“それらしく”演技に入る。中で物音がして、そのときふと、「もし出てくるのがユウヤ以外だったら」ということが過ぎったが、それでも演技のスイッチはオフにしなかった。 ガチャリ、と玄関が開く。 「はい?」 予測していた通り、顔を覗かせたのはユウヤのお母さんらしき人だった。 「あの、ユウヤ君は、いますか……」 すすり泣きしながらそう言ってみせる。 「ああ──ちょっと、待ってね」 私の演技を見てか、少しばかり急ぐようにお母さんは奥へ進んでいき、扉は閉まった。 少し経って、扉が開く。 「えっ、ユナちゃん?」 ユウヤはまだ制服のままだった。私はえぐえぐと泣き続けてみせる。 「どうしたの、なんで泣いてるの?」 私はしゃがみこんで、両手で顔を覆ってみせた。 「大丈夫? 何があったの?」 思った通りの優しさで、ユウヤは私の肩に触れてくれる。でも今朝、その手は綾香の肩を触っていた。ちゃんとユウヤは手を洗っただろうか。 「……家の中、入っていい?」 「あっ、うん、いいよ。ほらっ」 私を励ますように軽く肩を叩いてくれた。私は泣きの演技を続けながら、私の肩に伸びているユウヤの左手首を掴み、立ち上がる。 そのまま、ユウヤの家の中へ。 ユウヤの部屋に入り、ユウヤが扉を閉めたのをきっかけに、泣きの演技の強くする。 「ホントにどうしちゃったの? なんでウチがわかったの? アヤカに訊いた?」 「ちがう」 「泣いててもわかんないよ、ほら、座って」 座るつもりはない。 私は身動ぎして、ユウヤに身体をぶつけた。 「ちょ、ユナちゃん──」 縋るように抱きつき、ユウヤの鎖骨の辺りに顔を寄せる。 「つらい」 「つらいって、何が?」 ユウヤは触れる程度に私を抱きしめてくれる。 もっと強く抱きしめて欲しい── 「苦しいの、もう耐えられない」 「どういうこと?」 上目遣いでユウヤの瞳を覗く。私は口をぱくぱくとさせ、迷う素振りをみせた。 「言ってくれないとわかんないよ」ユウヤは戸惑う。「なに?」 私は顔を伏せて、またユウヤの胸に顔をすり寄せた。耳が胸に当たると、鼓動が聴こえる。ユウヤの温もり、におい、心音。どんな手を使ってでも全て私だけのモノにしてやる。 「あなたのことが、好きなの」 「えっ、俺?」 腕の中でうなずいてみせた。 「俺のことが好きなの?」 もう一度うなずいて、ぎゅっとユウヤに抱き縋った。 「だめだよ、俺アヤカいる」 だから、と遮った。「つらい」 綾香が消えればいい。以前は友情を感じていたのに、不思議だ。今は綾香に対して憎しみしか感じない。綾香を消去したくてたまらない。 困っているのか、ユウヤは何も言わない。 「綾香が告白する前から、本当は私もあなたのことずっと好きだった」 「そんなこと言われても──」 「綾香の方が好き?」顔を上げてユウヤを覗く。 ユウヤは黙って、私から視線を外す。それは、迷ってるんだ。畳み掛ければ必ずいける。だってあんな女より本当は私の方が可愛いから。目立ちや鼻立ちの良さ、肌の色の白さ。ニキビ一つない顔。どれをとっても、私のほうがあの女より優秀だ。ついでに、頭の良さも。 ユウヤから離れて、両手を後ろに組み、彼の瞳を覗いた。 「私のカラダ、ほしくなぁい?」 そう言って小首を傾げてみせる。わかりやすいほどにユウヤは動揺した。 「ユナちゃんは、そんなこと言う子じゃないよ」 「あなたの前だからそんなこと言う子になれるんだよ」 今なら何でもできそう。なんでも言えそう。 「いらない?」 可愛いことに、ユウヤは目を泳がせている。 「アヤカはアヤカで好きだけど……」 先の言葉にグッと期待感が膨らむ。泳いでいたユウヤの視線は私に合う。 「ホントは、俺もユナちゃんのこと気になってた」 「私のカラダがほしくてそんなことゆってるの?」 「いや、違う、ホントのことだよ」 「ふーん」と、疑う素振りをしてみせる。私が選ばれるのは当然の結果なんだけど、本当はすっごく嬉しい。 「綾香とは、もうした?」してない、ということは事前に綾香との会話でわかっていた。 「いや……してないよ」 「そうなんだ。ユウヤ君ってオクテ?」 ユウヤは私から目を逸らす。「かもな」 本当に、なんて可愛いんだろう。普段カッコよくて明るくて、よく悪戯をするユウヤは今、こんなことでたじろいでいる。 「どっちか選んでほしい。綾香か、私か」 ユウヤはチラッと私を見て、顔を逸らした。無言になって、返事をしてくれない。 けれど、私は確信に近い自信があった。それがどうしてかはわからないけれど、私を選ぶはずだという自信がみなぎっていた。この気持ちは、小指についてるモノが与えてくれているのかもしれない。 「考える時間がほしい」 「どれくらい?」 「明日、答えるよ」 その時間がユウヤの心を必ず変える。 私はユウヤとの間を詰めて、そっと抱きついてみせた。 「あなたのそういうところが好き。今この場で、私に手を出さないんだね」 「だしたいけどできないよ」 素直な人。だしたい、って思ってるんだ。 「そういう真面目で優しいところが好き。ますます好きになれそう」 縋る力を加えてみせる。するとユウヤも私の腰と肩に手を添え、そっと力を加えてくれた。このまま、時間が止まればいい。この幸せな時が永遠になればいいのに。 「帰るね」 少し冷たげに言い、サッとユウヤから離れた。 「うん……あっ、ケータイの連絡先、教えてよ」 「うんっ」 嬉しそうに微笑んでみせた。 抱かれることを一応覚悟してはいたけれど、親がいるのだから“思ったとおり”することなく、私は帰った。 4 綾香にはなにも言っていないようで、学校での綾香はいつも通りだった。私もいつも通り振舞った。普段通りでいながら、時折来るユウヤには何度か目で合図を送った。 今日はユウヤの後を付けることなく真っ直ぐ帰宅した。帰ってきてからはずっとベッドの上で、何をするでもなくユウヤの返事を待った。 ほんの少しだけ、結果が怖い。でも万が一ユウヤが綾香をとったとしても、不思議と私はそれすらもどうにかできる自信があった。 「ユウヤ……」 大丈夫。彼はもうすぐ私のモノになる。 唐突に着信音が鳴った。 小指を弄ることに集中していたし、着メロはユウヤ用に設定したものだったので、私は心臓が飛びだしてしまうんじゃないかというほどに驚いた。 すぐに電話を取る。 「もしもし?」 「アヤカと別れたよ」 全身を、高揚感が駆け抜けた。 「私を選んでくれるんだ?」 「うん、ユナちゃんが良い」 「ありがと、大好き」 ユウヤが微笑む声。大好きだよ、と返してくれた。「隠しててもアヤカには絶対バレるし、だからもう話しておいたよ」 「全部言っちゃったの?」 「うん。ダメだった?」 「ううん、ユウヤ君の口から言ってもらえて良かった」 「アヤカ……すっげえ怒ってた」 「そうなんだ」どーでもいいけど。 「今からウチ来ない?」 ふっと抵抗が湧く。「いかない」 「来てくれない?」 「ヤる気なんでしょ?」 「……ダメ?」 軽く笑ってみせた。「やっぱりそうなんだ」 「良い、みたいなことゆってくれたじゃん。今日は親がいないんだ」 露骨に求められると、身を引きたくなる。私が餌をチラつかせたんだけど、それ目的で選ばれたみたいで嫌だ。すぐに肉体関係を持てば、長続きせず、結婚までいけない気がする。私は彼の子供も欲しい。ユウヤの人生の全てが欲しい。 「簡単にはあげられないよ。私は、そんな軽い子じゃないから」 返答はない。ユウヤは無言になった。 「冷めた?」 「そんなことないよ、真面目な方がユナちゃんらしい」 「あの時はあなたのために積極的になれたんだから」 「うん。ユナちゃんがイイってゆってくれたときで良いよ」 「ユウヤのそういうところ、大好き」 受話口からくすっという嬉しそうな笑みが聴こえた。 「ユナ」 「なぁに?」 「呼んだだけ」 くすっと私は笑った。「ユウヤ」 「なに?」 「よんだだけ」 するとユウヤも小さく笑った。 「アヤカのことで問題あったら、俺に言ってね」 「うん、ありがと」 「じゃあ、また明日。あ、明日帰りさ、デートしない?」 「いいよ。身体はあげないけど」 「わかってるよ、俺はそんなスグやるような軽いヤツじゃないって」 「うん」 「じゃあ、ばいばい」 「ばいばい」 電話が切れ、ケータイを離した。ポスっ、と布団に当たった。 「ふっ、ふふっ」 こうも簡単にいくとは。 「ふふっ、ははははっ──」 笑わずにはいられなかった。だって、これはそもそも綾香が招いた結果なのだから。自業自得。くだらない友情はなくなって、もっと大切で意味のある恋が手に入った。 ふいにメロディが鳴り響く── ビクッ、と身が竦んだ。音源を見遣ると、ケータイが光ってる。綾香だ。溢れる笑みに歯止めはかけず、優越感に浸りながら電話をとってあげる。 「もしもし」 すぐに返答はない。怒っているのだろう。 「アタシに、何か言うことはない?」 そんな言葉は鼻で笑い飛ばしてやった。 「ありがとう」 「ありがとう?」 「今まで綾香のおまじない、信じなかったけど、アレは本物だったよ」 左手を目の前に掲げ、小指を立てる。 「アレ?」 「そう、アレ。わからないの?」 すぐには思い当たらないようで、私は綾香に考えさせてあげた。 「恋呪……」 「そう──」と、 「それ、指輪になったの?」 「なったよ」 血の色のような、真っ赤な指輪。小指には赤い糸がついていたのに、いつの間にか指輪になっていた。最初は驚いた。気味が悪かった。外そうと引っ張ったけど、外れなかった。焦って、怖くなって、すぐ綾香に連絡しようとした。けれど、ふいに気が変わった。綾香になんて頼りたくないと思った。綾香は私の敵で、殺してもいいような憎むべき相手なのだから。 そう思うと、激しくユウヤを奪いたくなった。その歯止めが利かなかったし、止めたいとも思わなかった。思うままに行動して、私はついにユウヤを手に入れた。 「全く信じなかったけど、綾香に糸を結んでもらった次の日、指見たら赤い糸が赤い指輪になってるの。すごいでしょ? 綾香のおかげで彼と結ばれたよ。今までずっとユウヤへの想いを抑えてたけど、不思議なくらい積極的になれた。ユウヤ、明日は学校帰りに私とデートしたいってさあ。ごめんねえ綾香」 口元から笑みが零れ続ける。憎い女から大切なものを奪い、勝った、という優越に浸ると、ひどく気持ちよかった。 「……優菜、アタシはアンタにユウヤのこと好きかどうか、訊いたよね?」 「うん」 「どうして正直に言ってくれなかったの?」 「あのときは私、優しかったから」 綾香は黙った。さぞ悔しがっていることだろう。 「きっと」 ふいに綾香は口を開く。 「アンタ、幸せになれないよ」 「どうして?」 返答はなく、そこで電話を切られてしまった。 「なによ……」 何が、アンタ幸せになれない、よ。 私は今までずっと、アイツとユウヤの関係に苦しんでた。不幸だった。でもようやく大好きなユウヤを自分だけのモノにできたんだ。 恋呪のおかげで、私は最高の幸せを手に入れたんだよ。 〈第一話 「恋呪い」end〉 |
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