7 今回の記事は渾身の作だ。 東京に戻ってからというもの、家でがむしゃらに今までの経緯をまとめ、記事を作り上げた。完璧に赤神について解説している。余すところはない。 「実に素晴らしいよ、夏陽子君」 ほら、言った。 わかっていても、褒められたのは嬉しくて、笑みが零れてしまう。 「ありがとうございます」 「うむ。だがねえ」 否定形の言葉。雲行きの怪しさを全身で感じる。 「ダメだ」 「え?」 意味がわからない。全然。全くもって。 「これ自体は良いんだよ。というか良すぎる」 「はあ」 「しかしねえ、夏陽子君特有のガチガチ感がモロに流露しているんだよ」 「はあ。私がやればそうなると、最初に言ったじゃないですか」 今度は編集長が「はあ」と溜め息を吐く。 「これは民俗学者に渡す資料じゃないんだよ? どんな目的でやるか、言ったはずだよねえ? 今時の女子高生がこんな堅苦しい文章をまともに読めるとでも思ってるのかい?」 まず女子高生はこんな陰気くさい雑誌読みませんよ、と反論したかった。 「真実よりは、面白いかどうかなんだよ。わかる? ルーツとかどうでもいいんだよ。要は分かりやすくて面白いか、なんだから」 私は苛々としてしまう。雑誌編集とは得てしてこういうものだ。 編集長がパソコンのモニターに目をやる。マウスを操作しながらざっと見ていって、私に視線を戻した。 「よく調べ上げている。それは実に素晴らしいんだよ。だが、読者の心は掴めない」 つまり、こう言ってほしいんだ。 「じゃあどのようにすれば?」 編集長は腕を組み、背もたれに身を預ける。椅子がキシっと軋む。 「連載にしよう」 「連載ですか?」 「ああ。一回で終わらせてしまうのが実にもったいない。連載にして、少しずつ赤神の謎に迫る。読者の探究心を煽る。きっと発行部数が伸びるだろう」 そんな簡単にいけばいいけど。 「赤神のまじないを流行らせるつもりで書いてほしい」 編集長が腕組みを解く。右手を上げ、何もない空間に字を並べる。 「題して、恋に悩む乙女必見! この世に存在していた伝説の恋のまじないが発覚! その名も、赤神のまじない」並べ終えると、手を下ろした。「どうよこれ」 「いいと思います」 本当はセンスが悪いと思ってるけど。 「そうだろう、そうだろう」 自尊心が満たされて、気分がよさそうだ。 「特に君、この指輪の設定は面白いじゃないか」 編集長は身を乗りだしてモニターを凝視する。 「設定ではありません。民俗学の教授も、昔そういった現象が起こっていたと言っていました」 「本当かね? だったら尚素晴らしい。これはきっと流行るぞ」 まともに聞いてないな。 「第一回は、我々が赤神のまじないを発見したところから始めよう。まじないのやり方を詳しく、それでいて取っ付きやすく作り上げて、記事にしてほしい」 「作り上げるんですか?」 「真実を捻じ曲げても構わん。面白さに重点を置け」 気は進まないけれど、もうどっちだっていいので「わかりました」と返事した。 「いや、待てよ」 編集長が独り言を呟く。 「赤神のまじない、などと言うのはまずい。知っている人間がいるだろう。我々はあくまでも、そういったまじないを発見したところから始めるのだから」 そうですね、と独り言に合いの手を入れる。 「赤神のまじないに代わるような、良い言葉はないかね? おおい、涼香君」 編集長は涼香さんを手招きで呼ぶ。「なんですかあ?」と彼女がやってくる。 「今、我々が発見した恋のまじないの呼び名を考えているんだが、何か良い案はないかね」 「全部聞いてましたよ」と、涼香さんは小さく笑う。「素敵なおまじないですね」 「そうだろう、そうだろう」 「夏陽子さんの書いた記事、見せてもらえますか?」 涼香さんは私を見て言った。私は編集長に目を向けた。 「プリントアウトしよう」 編集長はそう言って、パソコンを操作してプリントアウトした。涼香さんはそれを手にとり、黙読していく。彼女の反応が気になって、私は少し緊張する。 「……さすが夏陽子先輩。凄いです。たった一人で調べ上げたんですよね?」 「一応、協力してくれた人はいるけど」 「あたし一人だったら、ここまでできません。先輩はいつも細かくてキッチリしてて、尊敬しちゃいます。あたしはいつも抜けてるから」 あまり褒められたような気がしなかった。 「涼香君は涼香君のよさがあるから大丈夫だよ。若者の心を掴むようなものが書けるじゃないか」 「くだけた記事しか書けないだけですよぉ」 「そういうのも必要なんだよ。ほら、何か思いつかないか? 赤神のまじないに代わる言葉」 うーん、と涼香さんは唸り、紙を人差し指で曲げて顔を出した。 「まじないじゃなくて、もっと危険な要素をかもしだしたらどうですか? 例えば、恋呪い、とか。この記事にも、その身を呪ってしまう禁断のまじないとされていた、って書いてありますし」 「恋呪いか。悪くないねえ」 いいけれど、私はそれを音読みにした。 「レンジュ」 「れんじゅ?」と、編集長がわからなさそうに言う。 「ああ、なるほど」涼香さんは良い反応を示してくれた。「恋の呪い、恋呪。そっちの方がいいですよ」 「あ、そういうこと」ふむ、と編集長が唸る。「夏陽子君特有のお堅い雰囲気が表れている気もするけど」 この人は私の言うことに文句をつけたいだけなんだ。 「あたしは、恋呪いより恋呪のほうがいいと思います。呼びやすいし、名称って感じがします」 ふぅむ、と編集長は間延びさせて唸る。 「涼香君がそう言うなら、それでいこう」 私とたった四つしか違わないのに、編集長は若くて可愛い涼香さんの言うことをあまり否定しない。 「夏陽子君、恋呪をこの世に流行らせてくれたまえ」 多分、無理。 私はズレていた眼鏡を指で直す。 「努力します」 そう言うしかない。 8 編集長が気に入りそうな態と、女子高生でも読み取りやすいような文体で記事を書き上げた。私的には随分と質の悪い出来だし、納得がいかない。けれど、編集長はこれで良いと言った。まあ、私が納得のいく出来に仕上げたところで、きっと「恋呪」なんて流行らない。マイナー誌なので全く注目されないだろう。 雑誌が刊行され、会社はお盆休みに入る。私はお盆休みを二度貰ったようで、ちょっと得した気分だった。 休み中、藤原さんのことが気になっていた。……休み中だけじゃない。本当は、ずっと藤原さんのことを想っていた。 もう一度帰郷して、会いに行こうかとも考えた。それは、考えただけ。帰らないし行かない。 けれど、お盆も終盤に入ったある日、携帯に電話がかかってきた。最初は誰なのかわからなかった。登録されてない携帯の番号だったから。取ってみると、「もしもし、藤原です」と声が聴こえて、私は驚いた。 「どうして番号がわかったんですか?」 会社から訊きだしたのかと──けれど、会社はお盆休みのはず。 電話の向こうで藤原さんの小さな笑い声が聞こえた。 「俺に名刺をくれたこと、忘れたんですか?」 言われて思いだした。「そういえばそうでしたね」 なるべく私らしい口調を努める。 「電話かけて、迷惑でしたか?」 私は言葉に迷ってしまう。本当は嬉しいのに、素直に言えなかった。 問いかけを無視して、私は訊いてみる。 「なんのご用件ですか?」 口にして、他人行儀が強すぎるかと思った。彼からすぐに返答はこない。私は、心の中で自分の態度を謝った。 数秒経って、「オカルトオリジン……」と、彼の言葉が耳に入る。 「買って、読みました。なんだか随分と軽い出来だったので、どうしてだろうって……それだけなんですけど」 ごまかしのように藤原さんは笑う。 「もっと重々しい記事にしたかったのですが、編集長の意向であんなふうになりました。編集長は赤神のまじないを世間に流行らせたいようです。連載で毎月赤神のまじないの謎に迫り、発行部数を伸ばすのが目的とか」 「ああ、そういうことですか」 「はい」 言葉が切れる。沈黙する。 私の頭は勝手にあの日のことを思い返していた。特に、彼と愛し合ったあの瞬間を。 「流行ったらいいですね」 「きっと、流行らないと思います」 「そうでしょうね」 藤原さんは愛想的に笑う。 「できたらウチの神社も載せてください」 「そのつもりです」 「そうなんですか? なら今後が楽しみです」 原崎さんの書いた記事も読めるし、と小さな声が聞こえた。 また言葉がなくなる。無言になる。 私は、部屋の中を歩きだして、木製ラックに置いてある小物箱を開けた。装飾を好まない私は、そこへ乱雑にアクセサリーを押しやっている。ほとんどが貰い物だ。 そこから、指輪を取りだす。 「そういえば、“鮮血の指輪”はどうしました?」 載せた記事にも「鮮血の指輪」という言葉を使っている。彼は、そのことも示唆しているのだろう。 「はめてる」 二度としないつもりだったのに。 「はめてるんですか?」 正確には、今はめた。根本に押しやった。 すると、指輪をつけた指に、妙な痺れを感じた。そのあと、腰の辺りから何か、熱い感覚がこみ上げてくる。背筋がぞくっ、として震える。 顔が、熱くなった。いつの間にか舌の上に唾液が溜まっていた。それを飲み込んで、口を開く。 「さみしい」 極自然に言葉を言えた。素直に彼を求める台詞が、たくさん浮かんでくる。全部言いたいと思った。 「さみしいよ、藤原さん」 「……さみしいの?」 「うん。会いたい……来てほしい、お願い」 彼は黙る。私は、声を震わせてみせる。 「やっぱり、めいわく、ですか?」 「いや、迷惑じゃない。俺も、原崎さんに会いたかった」 「ほんとうに?」 「本当だよ。ずっと気にしてた」 「私もだよ。また、あなたに愛されたい。身体が、藤原さんを求めてるの」 返答はすぐにこない。私は、彼が口を開くまで待つことに。 少し経って、「じゃあ」と聞こえた。 「今から車で行くから」 「車で?」 「うん。東京は何度か車で行ったことがあるんだ」 「遠いよ? いいの?」 「うん。その代わり、泊めてもらえる?」 「泊まってくれるの? アパート狭いけど、良い?」 「いいよ」 「じゃあ、待ってる」 「うん。待ってて」 「気をつけてね」 「うん。じゃあね」 電話が切れた。私は携帯を閉じる。 指輪を外して、小物入れに戻す。すぅっと、顔の熱が引いた。ベッドに仰向けで倒れた。後悔はしていない。 何時間経ったのか、わからないけれど、陽が暮れた頃に「近くまで着いたよ」と電話があった。 出迎えにいき、藤原さんの車を見つけると、車に乗って有料駐車場へ案内した。 「 「仕方ないよ、都会だし」 車の中はとても男くさかった。惹きつけられるようなニオイだ。私の部屋をこの香りでいっぱいにしたくなった。 部屋へと案内し、藤原さんは適当に部屋の感想を述べる。彼が来る前に掃除したから、藤原さんは「あなたらしい、整然とした空間ですね」と言った。 そうして、私がベッドに座ると、彼も隣に座って、すぐに手を出してきた。指輪をしていなくとも、私はそれを望んでいたから素直に受けた。抱かれる心地好さを知った。 営みを終えると、二人で食事に出かけた。といっても、なんの飾り気もない近くの居酒屋だけど。私はよくお一人様で行く。 「あれれ? 夏陽子ちゃん、その人は誰?」 店内に入ると、「いらっしゃい」の代わりに店長が言った。 「知り合いです」 「珍しいねぇ。恋人じゃないの?」 私はそれでいいのだけど、藤原さんは迷惑に思うかもしれないので、彼の顔を見て判断を委ねた。 彼は店長に顔を向け、「はじめまして」と言う。 「夏陽子の恋人です」 ふわっと、三センチほど浮いた気がした。 「やっぱそうなのか。こりゃ、明日は大雪が降るな」 冗談を言って店長は気さくに笑った。 楽しいひと時はあっという間に過ぎてしまう。 カウンターでお喋りしながらお酒を飲み、食事をした。私は気分が良くなって、いつもより飲みすぎた。べろべろに酔っ払ってしまって、彼に介抱されながらお店を出た。お代を彼に支払わせてしまい、私の分を渡したかったのだが、彼はいらないと言った。そうして、彼も酔っていたのだが、私を負ぶさってアパートまで連れていってくれた。 酔った勢いで私は積極的になれた。一緒にベッドに入るよう促し、クーラーもつけずに私たちはいちゃついた。もう一度、性の営みをした。 恋が、こんなにも時間を忘れてしまうものだとは思ってもいなかった。激しい情動を起こし、心に活力を与えてくれて、この世の何もかもを手に入れたような気にさせてくれるなんて知らなかった。 二十八年間、私は随分と彩のない生活を送っていたんだ。 9 彼が帰ってしまうときは、ひどく淋しい思いだった。でも、一切その心を伝えない。迷惑をかけたくないから、 彼は「また来たい」と言ってくれた。いつでも来て、と私は返した。私も、機会があれば彼の家に行くと伝えた。 お盆が終わり、仕事が始まり、学生達の夏休みもあっという間に過ぎ去る。夏の暑さと共に。 赤神のまじないは、なんの反響も得られぬままだった。怪奇来歴の購読者は主に四、五十代。家の父親が赤い糸を小指に巻くなんて、想像したくない。有り得ない。 次号刊行の二日前。事態を変えてしまう電話が会社に入った。その電話を取ったのは編集長だった。編集長は真に迫るような声色で電話を受け、受話器を置くと「夏陽子君」と私を呼んだ。呼ばれたので立とうとすると、「立たなくていい」と言われた。 「素晴らしいできごとが起きたよ」 編集長はあまり見たことのない顔をしていた。悲願を達成したような、そんな感じ。 「どうしたんです?」 「電話を取りたまえ」 ポカポカと赤いランプがついている。私は受話器を持ち上げ、ボタンを押した。 「もしもし、お電話代わりました、編集者の原崎です」 返答を待つ。すぐには言葉が返ってこない。 ちゃんとボタン押したよね、と電話を確認する。 「恋呪の解きかたを教えてください」 「──え?」思わず訊き返した。 「恋呪の解き方を、教えてもらえませんか?」 これはどういう事態なのか、把握できない。イタズラだろうか。 「少々お待ち下さい」 送話口を手で塞ぎ、編集長の方を向く。 「どういうことですか? この電話は読者ですか?」 それが一番の疑問。だって、読者にしては声が若いから。しかも女性。 「読者だよ。しかも女子高生。友人に恋呪を試したところ、友人が恋呪にかかってしまって、自分のボーイフレンドを取られたとか」 私は唖然としてしまう。まだ信じてはいないが。手を外し、受話器を耳にあてる。 「あの、差し支えなければご年齢を教えていただけないでしょうか?」 「あたしは、十七。友達はまだ十六だけど。高二だよ」 本物の 「恋呪にかかったんですか?」 「あたしじゃなくて、友達です。友達に赤い糸を結んだら、まるで人が変わっちゃって、あたしの彼氏を奪ったんです」 「それは、赤い糸を結ったことを利用して、その友達があなたの彼氏にアタックしたんじゃないの?」 「ユナは、赤い糸を指輪だと言い張ってます」 友達の名前はユナというらしい。そんな情報より、その後の言葉が強く引っかかった。 「赤い糸を、指輪と言い張ってる? その意味が少しわからないんだけど……」 「どう見ても赤い糸なのに、ユナはそれを指輪だって言い張るんです。外してって言っても外さないから、無理に外そうとしたんですけど、ユナはすっごく抵抗して、あたしを……平手打ちしたんです」 洟を啜る音。声が震えていた。 「信じられなかった……ユナは、高校入って最初にできた友達で、あたしたち、ずっと仲良くやってきたのに……真面目でおとなしいあのユナが、あたしをはたいたんですよ?」 そんなふうに言われても知らない。こういう他人との壁を持たない子って、私が高校時代にもいた。 「ユウヤを取られたのも嫌だけど、あたしはそれ以上に、元のユナに戻ってほしい」 そうそう、こういった子ほど友達思いが激しい。 「だから、なんとか恋呪を解く方法を教えてください……それとも、やっぱり無理なんですか? 指輪に変わったら、外せないんですか?」 それは私がそれらしい態で書いたこと。ほとんどがそうなんだけど。それがまさか、現実のものになるなんて……。 「それは、あくまでも赤い糸なんですよね?」 「はい」 「だったら、それを外すしかないと思います」 「それしかないんですか?」 「ええ……」どうすればいいのかなんて、わかるはずない。 ただ一つだけ言えることは、現代に赤神のまじないが復活した、ということ。 「なら、ユナの赤い糸を外します」 「どちらも怪我をしないよう、気をつけてね」 「はい。ありがとうございました」 「うん。あ、私の携帯を教えておくから、何かあったら連絡して?」 「じゃあ、あたしの番号もお伝えしておきます」 「あ、うん」 携帯の番号を交換した。彼女の名前は、加藤綾香。友達の名前は朝倉優菜というそうだ。 「ねえ、一つ気になったんだけど、綾香ちゃんは東京の子?」 「いえ、愛知です」 愛知、か。なるほど。それにしてもよくオカルトオリジンなんてマイナー誌を愛知で手に入れたものだ。藤原さんはわざわざ予約してくれたらしいけれど、まさかこの子もそうなのだろうか。……熱狂的なファンなのだろうか。 電話が終わり、編集長を向く。 「どうかね、本物だろう?」 「それはまだ断定しかねます。思い込みかもしれません」 ふぅむ、と編集長は唸る。 「今後の動向を見守るしかないか」 「そうですね」 私も、赤神のまじない──恋呪の今後が気になる。 10 それからはあっという間だった。 爆発的に恋呪現象が各地で巻き起こった。愛知だけではない。詳しくいえば、最初は赤神神社がある愛知からしか問い合わせがこなかった。だが次第に、急速に恋呪は全国に広まった。その効果も現れたらしい。 話を聞いているうちに、恋呪の効果の現れ方に法則性があることに気がついた。 まず、「鮮血の指輪」が男には現れない。男は恋呪の効果をぼんやりとしか体感できないらしい。中には凄い力を感じた、という男もいるみたいだけど。個人差はあるようだ。だが全員口を揃えて「指輪にはならなかった」と言っていた。 女性には、鮮血の指輪が現れる。赤い糸が指輪に見えるという。周りの人がそれを見ると、赤い糸にしか見えないらしい。でも恋呪にかかった本人には指輪に見える、と。 不幸な事件も起きている。そのことで、この恋呪が問題になっていた。自殺や傷害事件が起きているらしい。自殺者や事件の加害者は、全員女性。 私は綾香ちゃんのことが心配になっていた。あれから一度も連絡はない。そこで、連絡を取った。彼女は、優菜ちゃんが抵抗して暴れるから、結局外せなくて諦めた、と言っていた。 第一回目で私が記したように、糸は本人には外せないらしい。鋏で切ることもできない。それは、女性に限ってのこと。まさに記した通りなのだが、糸にしか見えない男性には簡単に糸を外せる。女性の赤い糸は、他人なら外せるようだ。外すことも切ることもできる。 怪奇来歴は編集長の狙い通り、発行部数を伸ばした。ネットやテレビでも話題になると、雑誌の売り上げは何十倍にも膨れ上がった。編集長もとい社の重役は、当然それを喜んだ。私は、複雑な気分だった。 様々な雑誌でも恋呪は取り上げられるようになるのだが、初めに記事を書いた者として、編集長と私がテレビ出演を果たした。しかし、編集長は恋呪について大して知らない上、誇張癖があって話がつまらないということがバレると、私だけがテレビに呼ばれるようになった。他社の雑誌の取材も受けるようになった。 後に私は、恋呪体験者に取材を行い、様々なケースを当雑誌に載せていった。それをまとめた本も出版した。 11 これでよかったのか、よくなかったのか。 半年以上経った今でも、恋呪熱は冷めていなかった。むしろ更に恋呪は世間に知れ渡り、流行していた。恋呪特集は次回で遂に十回目を迎える。 中には恋呪によって幸せになった人もいる。その裏側で、当然不幸になった人もいる。死人だって出ている。私は、そのことで責任を感じていた。ちょっとだけ、なんだけど。 これは、本当にただの推測にしか過ぎないんだけど、もしかしたら私は遥か昔、赤神の巫女だったのかもしれない。輪廻転生して私に生まれ変わり、そうして、再び指輪を手にした。元々の緋色なのかはわからないけれど、やはり赤神神社から掘り起こした指輪は、巫女の恋人から送られたものなんだと思う。それが輪廻した私の手に戻ってくるなんて、素敵な話だ。 私が指輪を手にして、赤神の巫女がここに復活。この世に赤神のまじないの力が蘇った。きっとそうに違いない。そうして、藤原さんは巫女の恋人の生まれ変わり。だったらもっと素敵だ。 指輪を手にして眺める。本物の“恋呪の指輪”を私が所有していることは、まだ雑誌でもテレビでも言っていない。言えば、これを取り上げられそうだから。 絶対に手放したくはない。これがなければ、私は大胆になれないし素直にもなれないから。 テレビの仕事を終えてアパートに帰ると、スーツから普段の外着に着替え、事前にまとめてあった荷物を手にし、コーヒーカップと一緒に置きっぱなしにしてあった指輪をポケットに入れて家を出た。最近は仕事が忙しくて藤原さんと会う時間がなかったので、私は明日のスケジュールだけ全部真っ白にして、今日は藤原さんの家に泊まるつもりでいた。 新幹線に乗り、二時間半ほどで帰郷する。移動中、なぜか藤原さんは、指輪を持ってきているかどうかということをメールで聞いてきた。藤原さんのところへ行くときは大概持っていく。どうしてそんなことを聞かれたのか──もしかしたら警察とかに知られて、それで指輪を渡そうとしているんじゃないかと過ぎり、私は「持ってこなかった」と嘘をついた。 電車を乗り継ぎ、藤原さんの住む町へ向かう。妙な不信感を抱きながらも、町へ近づくと私の胸は躍っていた。彼の肌が恋しかった。 電車を降り、改札を抜けて小さな駅舎を出る。まだ陽が落ちて間もないはずだが、今日は日本列島の広い範囲を低気圧が覆っていて、辺りはすでに薄暗くなっていた。夜だと勘違いした駅前の街灯が、一帯を蒼白く照らしている。 ポツ、とコンクリートに丸い染みができた。それを皮切りに、ポツ、ポツ、とコンクリートの染みが増えていく。こういうことって、たまにある。外に出た瞬間降ってきたり、部屋に入った瞬間止んだりしたことが以前あった。 駅を出た先は、真っ直ぐ伸びた道と右方向に伸びる道がある。すぐ傍に建物はない。周りは手入れされていない畑があって、草が生い茂っていた。二十メートルほど真っ直ぐ行くと、ようやく家が一軒建っている。右の道を覗くと、そこに見慣れた車が停まっていた。連絡がないからまだ来ていないだろうと思っていたが、すでに待っていたようだ。私に会いたくて堪らなかったのかな。 道に出て、歩いていく。運転席のドアが開いた。私を見つけたのだろう。藤原さんが出てきた。 バタン、とドアが閉まったタイミングで、なぜか助手席のドアが開く。 「夏陽子、ごめん」 浮かない顔で唐突に謝罪された。助手席から出てきた人物は、私に近づいてくる藤原さんの傍へと駆け寄る。追いつくと、その人物は気安く彼の腕を抱きしめた。 「こら、神楽さん」 神楽……? 「誰?」 私たちは対面した状態で立ち止まる。 「初めまして。あたし、佐乃介の恋人の、神楽ナミと申します」 解釈しきれないことがありすぎて、私の思考は麻痺した。 私の藤原さんにべったりくっ付いているのは、まだあどけなさが見受けられる少女。街で一緒に歩いていたら通報されるんじゃないかというほどに年齢差があるように思える。 彼女の左手の小指には、赤い糸が結われていた。 そういったことよりも、私は少女の髪の色に一番戸惑わされていた。 蒼白い街灯の中に浮かび上がる、見事なまでの真っ赤なロングヘア。 赤髪の少女だった。 〈第八話 「はじまり」end〉 |
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