第三話 「愛しい男」‐三橋 五郎‐


 くそっ、どうしたらいいんだ……。アイツは、めちゃくちゃ可愛い。マジで最高だ。これほどまでに本気で好きになれる相手なんて、この先見つかるとは思えない。
 俺の想いを伝えてしまいたい。けど……絶対に報われない。頭がイかれてると思われる。アイツは引いてしまうだろう。もう二度と、会話も触れ合うこともできなくなる。
 でも、もう俺は我慢ができないんだ。アイツに触れ、間近で吐息が首元に当たるだけで、俺の全身が煮えたぎり、アイツを犯したい情動が湧き上がる。
 先輩と後輩の立場だけど、俺は恋人という関係を切に欲していた。
 大好きだ、信也!


  1


「あっ、五郎(ごろう)先輩、おつかれっす!」
 武道場に入ると聞きなれた威勢の良い挨拶が飛んできた。可愛いやつめ。
 名前は、滝川(たきがわ)信也(しんや)。一年の後輩。小さくてひょろい身体つきのくせに、我が柔道部に入部してきた。信也の入部してきた理由が実に愛らしい。「強くなりたいから」「弱い身体がコンプレックスだから」。それを聞いたときから、俺の中で愛が芽生えたんだと思う。
 生まれつきそうなんだが、俺は女を好きになれなかった。好きになるのはいつも男。男以外興味はない。どうしてかは自分でもわからない。
 初恋は小学校四年。そのときの俺は「俺」とは言わず「私」と言っていた。そのほうが自分のなかでしっくりきていた。自分を男として指すような言葉に、違和感しか覚えなかった。
 相手は学校の同級生。告白はした。ハッキリと想いを伝えた。すると、翌日から俺はいじめられるようになった。オカマ、と呼ばれるようになった。
 それが嫌になり、俺は自分を偽るようになった。男らしい態度を他人から学び、中学になると柔道部に入った。そこからは柔道一筋。高校生になった今なお、俺は柔道に励んでいる。頑張りが認められてしまい、三年になると部長になった。
 中学では同じ柔道部の先輩を好きになった。しかし想いは伝えなかった。……怖かったんだ。だから、組み手で触れ合っているだけでも充分だった。
 けれど、信也に対する想いの強さは今までとは違う。弱いながらも柔道に対して一生懸命で、さりげない優しさも持っていて、本当に可愛いやつなんだ。多分、女にもモテるだろう。だが信也を誰にも渡したくはない。
 練習は率先して俺が信也の組み手の相手になる。組み合うときの吐息が心地よかった。息遣いが傍で聞こえ、息が俺に当たるだけで、理性が吹き飛びそうになる。そうして、抑えられない激情を発散させるように信也を投げ飛ばす瞬間が、俺は一番幸せだ。その後に「大丈夫か?」と信也を気遣うときは、ぞくぞくとした興奮を感じる。他のヤツと組んでいる姿は目にしたくない。他のヤツに投げ飛ばされる姿、それでも真っ直ぐな目で立ち向かっていく姿。その姿が一番嫉妬してしまう。その瞳を自分に向けられたいと思う。俺の胸だけに飛び込ませたい。
 今日も率先して俺が信也と組む。信也自身、俺のことが気に入っているからか、よく俺の下に来る。
 やれるものなら、頭を撫でたい。唇を奪いたい、柔道着越しに見える白い素肌に触れたい……。
 激しく愛撫したい欲求を押し殺しながら、俺は信也を投げ飛ばす!


  2


 部活の終わりに、よくやることがある。特に信也とたくさん触れ合った後、抑えきれない激情を処理するため、俺は学校のトイレに籠もる。
 何をするか。もちろん、性欲の処理。信也を触った感触や投げ飛ばした感じを思い浮かべながら、マスターベーションする。
 男としての考え方はわかる。だからこの行為がどれほど変態で異常かってのもわかっている。でもやめられない。抑えきれない。これをしなければ、いつか俺は行動を起こしてしまうだろう。そうなれば、愛する信也との関係が壊れる。それだけは絶対に嫌なんだ。
 信也が欲しい……。信也の許可を得て自由に触れたい。二人きりの時間が欲しい。
 どうすれば叶えられるのだろう……やはり俺には、永遠に恋愛を手に入れられないのか。


  3


「それでねぇ、恋呪にかかったそのヒト、最後は元カレの前で首切って自殺したらしいよぉ」
「うそぉ、こわぁい」
「アタシそんな呪いにかかるくらいなら、自力で男をモノにしたいなあ」
「あんたにできるのぉ?」
「えー、できるよー」
 最近、女どもが恋呪という呪いの噂をしている。話でしか聞いたことがないが、その呪いにかかれば抑制する気持ちがなくなり、好きな相手に対して一心不乱にぶつかっていけるようになるという。聞いたときは俺もそんな呪いにだけは頼りたくないと思った。自分の意志で、自分の力で信也をモノにしたいと思った。けれど、今はもうそんな呪いにすら縋りたい。その呪いに身を任せて、信也に対して一心不乱にぶつかりたいと思う。だが、どうやって呪いにかかるのかがわからない。そもそもこれは同性相手にかかれるのか?
「ねぇ、その恋呪ってどうやったらかかれるわけ?」
 聞き耳を立て続けていると、俺の知りたい質問がされた。
「なに? あんたかかりたいの?」
「そういうわけじゃないよ、気になっただけ」
「ふーん。恋呪はねぇ、赤い糸を左手の小指に結いつけるの。それで、『恋の神様、どうか私に力をお貸し下さい』って言えばいいの」
 ありきたりなまじないだな。
「へぇー。簡単だねぇ」
「うん。でも誰でもかかれるってわけじゃないから。よほど自分を抑えつけてるかぁ、よほど想いが強くなければかかれない。言っちゃえば、不器用な人ほどかかりやすいんじゃない?」
「そうなんだぁ……」
 俺は、どれも当てはまる。
「それでね、恋の神様が降臨した人の赤い糸は、赤い指輪に変わってるんだってさ」
「本当? すごいねえ。アタシやってみようかなぁ」
「あれ? 自力で男をモノにするんじゃなかったの?」
「その赤い指輪を見たいだけだって」
 赤い指輪に変わる、か……。

 心の底からは、信じていない。
 だからって、試さないという選択肢もなかった。
 家の中を探して、赤い糸を見つけて、それを指に結った。ベッドに腰を掛けて、祈るように両手を握り合わせる。脳裏には信也のことが過ぎる。
「恋の神様、どうか私に、力をお貸し下さい」


  4


 翌日。
 起きて、小指を見て、驚いた。
 赤い糸が、赤い指輪に変わっている。
「マジか……」
 信じられん、本当に恋の神様がいたなんて。
 それにしても、なんて真っ赤な指輪だろう。血の色のようだ。
 俺は指輪に触れてみる。小指から動かなかった。ぴったりとはまっているようで、抜けそうにもなかった。俺の恋が叶うまで、神様が面倒をみてくれるということだろうか。それは好都合だ。生涯信也を愛しぬく覚悟はとっくにできている。

「信也」
 土曜は三時に部活を終えたので、信也に声をかけた。
「なんすか先輩」
「今日は暇か?」
「うーん……暇ですね」
「何も用事はないか?」
「ないですよー。なんなんですか?」
「いやぁな、折り入って信也に相談したいことがあるんだ。お前、見た目が賢そうだしな」
「ははっ、ボクは頭よくないですよぉ〜」
「でもお前に聞いてもらいたいんだ。よかったらこれから俺の家に来てくれ」
「いいっすよー、行きます」
 相談事なら別にこの場で言えばいい、なんてことを信也はつっこまない。
 純粋なやつめ。ますます気に入った。

「先輩の部屋、綺麗ですね」
 俺の部屋に入って開口一番に言われたその言葉は、まるで自分が褒められたようで嬉しかった。
「そうか? 何もないだけだけどな」
「ボクの友達の家めっちゃ汚いんですよ」
 ぴくり、と俺の心は反応する。
「先輩?」
 唇に指を当てて、じっと信也を見つめていた。
「なんでもない」
 ただの友達だってわかっているが、どうしても嫉妬してしまう。汚い家に信也が男と二人きり……想像するだけで胸が締め付けられる。
「なんか飲むか?」
「いえ、お気遣いなく」
「遠慮するな。ちょっと待ってろ」
 部屋を出て一階に移動した。コップを二つ用意し、部活終わりなのでスポーツ飲料を注いだ。適当な菓子を器にあけ、お盆を持って部屋へ向かった。
 ドアを開けると、信也はテーブルの前にちょこんと大人しく体育座りをしている。そんな姿が、俺の恋心をつついて刺激するようだった。
 可愛いぞ、信也……。
「ありがとうございます」
「あぁ……」テーブルにお盆を置く。
「いただきます」と、信也はコップを手にした。ちょろちょろっと飲むだけかと思ったら、信也のやつはグビグビと飲みだし、三分の一程度残してお盆に置いた。そんな姿に俺は思わずふふっと笑ってしまった。
「お前、本当はすごく喉が渇いてたんだな」
「はい」信也も笑う。「めっちゃ喉渇いてました」
「そうか。よしっ」
 信也のコップを俺のコップと取り替えた。
「なにしてんすか先輩──」
「遠慮なく飲め。飲み物なんて後で注いでこればいい」
「……五郎先輩は、優しいっすよね」
「そうか?」もちろん嬉しかった。
「優しいっすよ。ほんと、良い先輩です」
「ありがとう」
 信也のコップを手にして、信也が口をつけた場所を意識しながら、ジュースを一口飲んだ。コップをお盆にトン、と置く。
「部活はどうだ? 辛くないか?」
 全然、と信也は首を振った。
「先輩がいつも気遣ってくれるから、辛くないです」
「そうかそうか」
 信也がジュースを一口飲む。コップを置くと、器の中のお菓子を見て、「食べていいですか?」とわざわざ聞いてきた。
「お前と食べるために器にあけて用意したんだ、勝手に食べろ」
「はい」と信也は笑い、菓子を一つ口にした。俺も菓子を一つ手にする。
「それ、なんすか?」
 口に放り込もうとして、信也がそう言ったから俺は止まった。なんのことかと信也の視線を追って、それが菓子を持つ左手の小指に注目していることに気づいた。
「ああ、これな。貰ったんだよ──あ、ただの友達の女からな」
 なぜか信也はクスッと笑う。
「赤い糸をですか?」
 赤い糸? 思わず眉を顰めてしまう。
「これのどこが赤い糸に見える」
「いや、どう見ても赤い糸ですよ? 先輩、ボクを引っ掛けようと思うんなら、もうちょっと捻りを利かせてください」
 ……わけがわからない。どう見ても赤い指輪だ。三六〇度見回しても、絶対に糸には見えない。
「純粋なやつには赤い指輪に見えるんだよ」
 さりげなく言って、手に持っていた菓子を口に放る。
「じゃあボクは純粋じゃないんですね」
 そう言って信也は笑った。俺のギャグだと思っている。
 つまり、本当に信也には赤い糸にしか見えないらしい。恐らく、恋の神が降りた本人にしか指輪を認識できないんだろう。
「なあ、信也」
 咀嚼しながら「なんすか?」と信也は言う。
「好きなヤツはいるか?」
「好きなヤツ?」信也は俺から視線を外し、適当な空間をぼんやり見つめて考える。答えが出ると、また俺に目を合わせてくる。「いないっすね」
「いないか。だったら、昔好きだったやつはいたか?」
「小学校の頃、周りが好きだ好きだって言ってた女子のこと、ボクも好きだなあって思ってました。可愛かったし、性格もいいと思ったんすよ。でも周りの真似して好きになってただけかもっすね」
 やはり恋愛対象は女か。だが構わない。
「もしかしたら信也はゲイかと思ったぞ」
 吹きだすように信也は笑う。「そんなわけないですよ、ちゃんと女が好きですよ」
「そうか。いやぁ、俺の中学校の、友達の友達なんだけどな、そいつ、女みたいな男で、男しか愛せないんだよ」
「えー、ホントですかぁ。身近にいるもんなんすね」
「怖いだろ? そいつに俺、好かれちゃってさあ、この前好きだって告白されたんだよ」
「ええ! マジすか? 先輩優しいからなぁ……同性愛者の人にも好かれるでしょうね」
 俺は、やはりこいつが好きだ。おかしな拒絶を見せない。俺の目に狂いはなかった。
「ボクも先輩のこと、好きです」
 胸が、高鳴った。「──マジか?」
「はい。もちろん同じ男としてですよ?」
「あ、あぁ……そうかそうか」
「強いし、優しいし、男らしい。五郎先輩は、ボクが目指す人です」
「そこまで言ってくれるのか、お前は」
「はい。全部本音です」
 憧れとかじゃないんだよ……俺が欲しいのは。
「俺はそんなお前が好きだ」
「ははっ、ありがとうございます」
 笑顔の信也をじっと見つめる。愛しい感情を交えながら、信也の瞳を見つめ続ける。
「先輩?」
「実はな、俺は本気で信也が好きだ」
「は?」
 身を信也へと近づけた。
「恋愛感情でお前のことが好きなんだよ」
「やめてくださいよ、そういう冗談──」
「冗談じゃない」四つん這いになり、信也に迫る。「唇、奪っていいか?」
 信也は少し身を引く。「本気で言ってんすか?」
「当たり前だ、だから家に連れ込んだんだ」
「やめてください、先輩──」信也は更に身を引いていく。
 俺はどんどん信也に迫っていき、俺が迫る度に信也は身を引いていく。壁に当たり、とうとう後ろに下がれなくなった。
「ボクは、ゲイじゃないですよ……」
 口調がだいぶ戸惑っていた。
「そんなことは関係ない……お前が欲しいんだ」
 ついに信也と身体が触れ合った。信也は身を震わせ、怯えていた。そんな信也の挙動に、俺は興奮していた。激しい欲情に突き動かされていた。頭の中では、信也を力づくでめちゃくちゃにしていた。それを現実のものにしたい。
 唇を近づける──
 だが、一センチ手前で、俺は止まってしまった。
「──ってことを、俺はその男にやられたんだよ」
「……え! はっ」ははは! と信也が笑いだす。「なんだぁ……びっくりした」
「悪かったな」俺は身を引いた。
「マジでそんなことされたんですか?」
「ああ。しかも本気でキスされた」
「えぇ!」信也は一段と大きな声をあげる。「されたんですか!」
「最悪だろ?」
「最悪っすね、うわぁ、嫌だなぁ……」
「俺が味わった恐怖を、知ってもらいたかったんだよ」
「充分わかりました。すっごい体験したんですね先輩」
「ああ」
「なんで抵抗しなかったんすか? 柔道技で投げ飛ばせば良かったのに」
「俺がそんなことできるやつに見えるか?」
「あぁ……。先輩、優しすぎますよ」
「そいつだって、外見は野郎に見えるけど、根は女なんだよ。オレは、女には手を出さない」
「うわぁ、先輩めっちゃカッコイイ」
 ふっと笑ってみせた。そしてジュースを、……触れられなかった信也の唇を意識しながら、全部飲み干した。
 信也もこちらに戻ってきてジュースを口にする。
「はあ」
 信也はコップを置いて、嘆息(たんそく)した俺を見た。
「そりゃ溜め息もつきたくなりますよね」
「ああ。あいつの身体も、女として生まれてればな……」
「そうっすねー」
 信也はお菓子を一つ、口に放り込んだ。
 しようと思えばキスができた。その先だって、今は家に誰もいないんだし、やりたいように犯せた。でもふいに、俺は冷静になれた。だって、ここで信也を犯したらもう二度と触れ合えなくなる。信也はゲイじゃない。俺の想いを知られたら、今まで積み上げた信頼が壊れるだけ。
「信也、俺の話を聞いてくれてありがとな。なんかあったら俺に言え、力になる」
「はい! 先輩も、またなんかあったら言ってください。ボクでよかったら、力になります」
「ありがとう」
 こんな信也を失いたくない。
 時間はある。今は壊さないよう、努力をしよう。俺が部活を離れるまでは信也と適切な距離を保っていたほうが良い。柔道で触れ合えなくなるのは避けたいから。
 俺たちの信頼関係を護っていこう。俺たちの間に芽生えている情を、これからもっと濃くしていこうな、信也。
 希望はある。どんな形にせよ、いつかお前が俺の愛を認めてくれる日がくるかもしれない。まずは、キスをしたところで壊れない関係を作ってやる。
 可能な限り信也を俺のモノにしたい。
 だから、愛しいお前になら、いくらだって優しくしてやるよ。


〈第三話 「愛しい男」end〉


第四話 »
colorless Catトップ


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