「一緒に死んで!」
 突如、ハニーが枕の下から包丁を出した。
 首元をかすめる――間一髪。
 さきほどまで肌を重ねて愛してるわと囁いていたハニーが、目を血走らせ、包丁を振りかざしている。
 俺は素っ裸でアパートから飛びだした。
「ユウジが逃げたよ!」
 ハニーが叫ぶ。それを合図に、曲がり角から大勢の女たちが姿を現した。
 鉄の棒、スコップ、ハサミ、スタンガンなどなど。みんな凶器を握っている。
「浮気者!」
「子どもを認知して!」
「何股かけてたんだクソ野郎!」
「結婚するっていってたのに!」
「あたしの200万返してよ!」
 10000股ハーレム計画は残すところあと一人だったのだが、さすがに無茶しすぎたか。
 反対の道へ駆けだす。そちらからも女が波のように押し寄せてきた。俺はちょっと興奮した。
「みんな誤解だよ、いっぺんにこんな大勢の女性と関係持つなんてぜーーーったい無理に決まってるじゃん! 落ち着いて話しあおうよ!」
 俺の叫びは女たちの(とき)の声にのまれた。懸命に、得意の微笑をみせる。だいたいの女は「その笑顔に弱いのよね」といって罪を(ゆる)してくれるが、こんな状況ではまったく通用せず。
 ……俺、ここで死んじゃう。
 右、左。どこにも逃げられない。
 ――こっちだよ。
 声が聞こえた。
 ――こっちこっち。
 声を辿って、視線をアスファルトに落とす。マンホールがあって、蓋が開いていた。
「死ぬよりマシ――」
 俺は穴に飛び込んだ。

 目を覚ます。
 半裸の美しい少女が俺をのぞき込んでいる。
 ロリコンの趣味はなかったはずなのだが「うっひょー! 10000人目の恋人みーつけたっ!」と心はその気になっていた。
 しかしよく観察すると、少女の頭にツノがあった。うおっ、と俺は驚いた。少女は目を丸くする。これのこと? とでもいうように、ツインテールのようなツノを人差し指でさす。
「君は、何者?」
「リリだよ」
 あ、声めっちゃかわいい。
「リリか。そのツノ、コスプレかな?」
 リリは首をかしげる。ちょっとした仕草もすごくかわいい。
「まあいいや。こっちだよっていって俺を助けてくれたのは、君?」
 うんうんとリリがうなずく。愛らしさに我慢できず、俺は飛び起きて、リリを抱きしめた。
「ありがとう。君に命を救われた」
 頬に口づけ。そしてしっかり目を見つめる。リリの瞳はもうハートマークになっていた。ガキは落ちるのが早い。
「リリのこと、お嫁さんにしてくれる?」
「……え? あ、うん。ははっ、ずいぶん積極的だね」
「お嫁さんにするの? しないの?」
「うん、するする」
 やったー! と大声で喜ぶリリ。なんかよくわからんがついに10000股を達成した。俺もリリと一緒に喜んだ。
「そうだ、これ貸してあげる」
 リリは汚い頭巾を俺に渡してきた。ここで「きったねぇ」なんて正直にいってはいけない。「おしゃれな柄の頭巾だね」と俺はいった。
「汚れてるだけだよ? こんなのがおしゃれに見えるなんて、変わってるね」
 くすくす笑うリリ。舌打ちしそうになる俺。
「これを被って外に出てみてよ」
 リリがいうには、この汚い頭巾を被れば姿が見えなくなるそうだ。まだ知り合ったばかりなので「んなことあるわけねえだろ」とはいわず、素直に被って、マンホールから少し顔を出して外をのぞいた。
「あのクソ男、どこに消えやがったんだ」
「ユウジ、なんで裏切ったの……」
「宇宙が消えても私への愛は永遠だっていってくれたのに!」
 女たちはまだうろついている。コホン、と咳払い。
「いまの咳、だれ?」
「わたしじゃないよ」
 ……気づかれない。
 思いきって外に出た。
 誰も俺を見ない。
 試しに、えっと……なんて名前だったっけな。アサコだっけ? ユウナだっけ。まあいいや。ケツを触ってみた。
「キャッ――なに、おしり触られた」
「え、あなたの後ろ、誰もいないけど?」
「いまの触り方、絶対にユウジだ。どこよ! 隠れてないで、堂々と触りなさいよ!」
 アサコかユウナかどっちか忘れたけれど、ブンブンと鉄の棒を振って怒っていた。
 ……本当に見えてないんだ。

 獲物を待つゾンビのように街を徘徊する女たち。頭巾のお陰で俺は一切見つからなかった。女たちの家に入って食い物や金目のものを盗りまくった。
「リリのお陰だよ」
 リリのツノを撫で、額にキス。大好き、と耳元で囁いてやる。それなりの行為は済ませたが、それでもソフトな愛し方を心がけるのが俺のやり方だった。そして女の求める雰囲気を察して、一気に濃厚な愛を注ぐ。どんな女もこれで骨抜きだった。リリはガキすぎて、いままでのどの女よりも単純にメロメロになってくれた。
 あまりにも簡単すぎて、リリと愛し合う日々は五日で飽きた。
「ユウジ、頭巾そろそろ返して」
 ちょっと馴れ馴れしい口調でリリがいう。
「は? 嫌だよ」
「返してくれないと困る。それがないとリリ、ツノが目立つし、外に出られないんだよ」
 ほう、そりゃいい。
 俺はリリをぶん殴った。何度も何度も何度も。
「調子にのってんじゃねえぞ、俺のいうことが聞けねえのか?」
「いや、やめて――わかった、従うから、殴らないで!」
 よし、リリは暴力でコントロールできるタイプだ。
 もう少し殴ると、リリが涙をみせた。俺はピタリと手を止める。
「あ……ご、ごめんよリリ! ああ、俺、なんてことを……」リリを抱きしめた。「最低だ、こんなにも愛しいリリに手を出してしまった」
 俺は幼少期に母に虐待されながら育ったことを打ち明けた。嘘だけど。
 リリは俺を許してくれた。仲直りの深い口づけ。いまは必要で返せないから、やることが片付いたら返すと約束した。もちろん返す気はない。
「ちょっと、頭冷やしてくるな」
 リリのツノを撫でる。リリは嬉しそうに笑う。頭巾を被り、ハシゴを上ろうとすると、リリが後ろから抱きついた。うざい。振り向くと、リリは俺の首元に腕を回し、きつく力をこめて身体を引き寄せ、精一杯背伸びをしてキスをしてくる。ガキなのに、いまは異常に色っぽくみえた。性衝動をグッとこらえ、微笑む。頭を冷やしてくるといった手前、ここでリリを求めたら俺の負けだ。
 俺は外に出た。
「あ、ユウジ!」
 女が俺を指さしている。
「――え、俺が見える?」
「当たり前じゃない! このクズ男、殺してやる!」
「待てってマナミ、なにか勘違いしてる」
「私はアヤノ!」
 アヤノは縄を持って俺を追いかけてきた。あれで俺を縛るのか、それとも首を絞めるのか。後者だろうな。
 とにかく逃げた。だが、いたるところに女がいて、そのうち集団になっていた。
「なんで俺の姿が見えるんだよ!」
 女たちが連絡を取り合い、続々と数を増やしていく。どこへ行っても女たちが待ち構えていた。
 やがて高架下のトンネルに行きつく。他に道はない。俺は抜けられるよう祈って、トンネルに入った。
 向こう側から、女の大軍が来ている。
 ……ここまでか。
 ライオンのメスは連携して狩りを行うらしい。「君たちはまるでライオンのようだね」とかなんとか自分でも意味のわからないことをいって、微笑んだ。
 あっという間に群がる女たち。
 殴る蹴るの暴行。
「やめろ、暴力は最低だってお前いってただろ――あ、乱暴な男のほうがかっこよくて好きだっていってたっけ」
 歯が折れる。鼻が曲がる。ボキボキと体中で鈍い音がする。
「こいつ、去勢しちゃおうよ!」
 やっちゃえやっちゃえ、と声が響く。ズボンを脱がされる。不覚にも勃起していた。
「やめてくれええええええええええええ!」
 性器がえぐられる。高笑いする女たち――

 ぼんやり目が覚める。
 半裸の美しい少女が俺をのぞき込んでいた。
 ハッとして、股間をみる。血だまりの上に性器が転がっていた。
 俺は絶叫した。トンネルに響き渡る。リリは両耳を押さえた。
「ユウジ、痛そう」
「痛いに決まってんだろ――こんにゃろテメェあの頭巾、なんだよ、なんで俺の姿が見えてんだクソが!」
「治してあげるよ」
「あああああああ、えっ? 治すって? 全身を? おちんちんも?」
 うんうんとうなずくリリ。俺は痛みをこらえてリリを抱きしめた。
「信じられるのは、君の愛だけだ」
 よしよし、とリリは俺の頭を撫でる。
 道具を取りにいくといって、リリは去っていった。

 時間が経つ。
 意識がかなり薄らいでいるので、はっきりとした時間の感覚はわからないが、遅いと思った。はやく戻ってきてくれないと、失血死してしまう。
「ふっざけんな……はやく、しろ、バケモノ……クソッ、あいつ……ゼッテー他にも便利なもん持ってやがる……治ったらいいようにこきつかってやる」
 突然リリが正面に現れた。
「……はい?」
 リリの手に、姿が消える頭巾がある。
 息も絶え絶えに、俺は自分の頭巾を取った。
 ボロボロの布切れになっている。
「どういうことだ……」
「それはユウジが出てくとき、ツメで裂いたの」
 リリが鋭利に伸びたツメを見せる。
「お肉くらいなら軽く引き裂けるんだよ」
 リリの爪が伸び縮みする。そんなことより、リリが持っている頭巾が気になった。
「あ、これ? お願いしたらまたくれたんだよ。二つしかない宝物なのに……すっごく優しいオトコなの」
 オトコ? 他の男?
 二股をかけていたのかクソアマ、などと咎めてはいけない。少なくともいまは。
「そ、そうだったのか。いや、とにかく、戻ってきてくれて、ありがとう」歪んでいく表情を必死で笑顔にする。「君は本当に、最高の女性だよ。これまで出会ったどんな――」
 パチン。リリが指を鳴らした。空間がぐにゃりと歪みはじめる。
 歪みが戻ったとき、無数のバケモノが俺を取り囲んでいた。
「えっと、どっから出てきたの、この方々」
 リリは俺の性器を拾う。血が滴る。ふふ、とリリは笑った。
「サキュバスの私ですら、1000のオトコを同時に愛するのが限界だった。人間風情が9999股もかけてるって噂をきいてあなたのモノになってみたけれど、あまりにも雑な愛で拍子抜けよ」
 リリが舌を伸ばし、性器をあじわうように舐める。その淫猥な姿に昂った。リリの口に、俺の性器が放り込まれる。リリは咀嚼する。ごくり、と飲みこむ音。なぜだか俺は笑みを零した。
「ごちそうさま。あとは全部食べていいわよ」
 その言葉を合図に、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が俺に襲いかかる。もう叫ぶ気力はなかった。
「愛し合った男がなぶり殺される姿って、たまらなく愛しいんだけど、あなたからはなにも感じないわ。最期までつまらない男ね」
 リリが去っていく。
 視界が機能しなくなるまで、俺はリリの後ろ姿を追っていた。
 生涯で最高にいい女だった。



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