1 ママはあたしが幼い頃から、もし死ぬなら練炭自殺が楽よといっていた。もしやるならママの睡眠薬をあげるから、アルコールと一緒にたくさん飲み下したあと練炭に火をつければ眠っている間に逝けると、ことあるごとに教えてくれた。まるで、あたしに死ねといっているようだった。でもママはあたしをちゃんと育ててくれた。あたしを叩いたことは一度もないし、ご飯も作ってくれる、洗濯だってする。母子家庭なので仕事にも行って、家庭を支えていた。 ママは過去に何度も自殺を 一番初めにやったのは首吊りだったと、あたしが五歳の頃に聞かされた。恋人に見捨てられそうになったので、目の前で飛び降りたのだという。アパートの二階のベランダだった。首に紐をくくりつけ、柵に縛って繋いでいた。だが当時ママの体重が七十キロあり、紐が太くもなかったため、ちぎれて落下して未遂に終わった。 二回目は電車に飛び込もうとした。男に浮気相手がいて、突き放された直後だった。けれど怖くて線路に入れず、止めた。自殺未遂ではないのかもしれないが、計画して実行する手前まで動いたのだから、あたしは自殺未遂だと思う。 ママは昔からリストカットや あたしが色々考えられるようになってくると、なぜあたしを産んでしまったのか疑問だった。訊ねると、ママはいった。 「産んでみるのも面白そうだったから。どうせママはそのうち死ぬ気だったし」 いまもママは死にたいと思っている。けれどあたしを産んだせいで死ぬきっかけを掴めずにいた。いざ育ててみるとあたしが可愛くてひとり残しては逝けない。ママはそういっていた。 ママはあたしに死んでほしいの? そう訊ねるとママは首を傾げる。わからない、という。 「でも確実にいえることは、あなたが死んだらママもすんなり逝けるから」 そんなふうにいわれたら、あたしだって自殺できなかった。 2 ママはあたしの前でよく腕を切る。初めてその光景を目の当たりにしたとき、あたしは絶叫した。元々、叫ぶように泣いていたのだが。 あたしがCMで見た可愛いお人形が欲しいというと、買える余裕がないの、とママはいった。駄々をこねて泣き叫ぶと、ママはリストカットしたのだった。 「ママの稼ぎが少なくてごめんね。ごめんね、ごめんね」 そういいながら何度も切っていた。あたしは必死になって謝り返した。ごめんなさい、ごめんなさい、二度とわがままいわないから、と。それからママはたくさんの薬を飲んで眠ったのだった。 それからあたしも腕を切るようになった。八歳のことだった。先生に叱られたり、友達に迷惑をかけてしまったりしたときなどにやった。幼心で自分を切り刻むことが謝罪の仕方なのだと認識していた。腕を切ると先生は絶叫した。友達も叫んでいた。すぐに友達はいなくなり、先生はあたしに対応しきれずノイローゼになって学校を去った。次から担任になる先生は、あたしを徹底的に無視していた。腕を切ってみせても知らない顔。なんの反応もしてもらえないのが虚しくなったので余計死にたくなり、授業中、ベランダから飛び降りた。でも場所が二階だったことと、下は芝生だったので打撲で済んだ。後日、スクールカウンセラーが家に来た。 カウンセラーの先生は若くてかっこいい男だった。ママが気に入ってしまい、懸命にあたしたちのことをなんとかしようとする先生を、ママが一生懸命誘惑した。先生は頑なに断っていたけれど、いつしか心が折れてママとセックスするようになった。カウンセリングどころではなくなり、先生が来ると毎回ただセックスするだけになった。 でも色々と効果はあった。ママはリスカをしなくなった。精神もちょっと安定した。セックスが始まるとあたしは しかしその安定は長く続かなかった。 現場を見ていないので詳しくわからないが、先生がママとのセックスを拒んだ。こんな関係を続けてはいけないといったらしい。ママは憤激してナイフを振り回し、それを自分に刺すことはできず、首にロープを巻きつけ、ベランダから飛び降りた。すぐに先生がロープを切り、ママは二階から一階に落ちて助かった。以後、先生は家に来なくなったのだった。 ママは先生に見捨てられたのが悲しくて毎夜泣いた。お酒をいっぱい飲んで、溜め込んだ薬をたくさん飲んで寝まくった。ときにあたしも付き合ってお酒を飲んだ。ママを励まし、なだめた。すると、必ずママはあたしを褒めてくれる。 「あなたを産んでよかったわ。 ママはよく口癖のようにそんな言葉を零した。 |
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