3 ウザイ夏休みで最もウザイお盆に入った。 ある日、バイトが休みで暇だったから、バイト先とは違う別の古本屋へ行った。休みなのに仕事先へは行きたくない。客としてバイト先の古本屋へ行くことは絶対になかった。 そこは二階にレンタルショップもある店で、当初は何かを借りるつもりだったけど、とりあえずは立ち読みをしていた。本が意外に面白くて、ガキの多さにウンザリしてたけど、そういうのが気にならないくらいに集中していて、気づけば日暮れになっていた。で、何かを借りるのはもうどうでもよくなって外に出た。 店から少し離れたところにガキ三人と、ガキに対して明らかに年齢差のある、グラサン掛けた男と茶髪の女が喋っていた。 「ごめんね、コイツ馬鹿だからさぁ」 ハッキリ言って他人の問題事なんてどうでもよかったし、さっさと行こうとしたんだけど、その女の台詞で俺の足は止まった。 「なぁ、痛いの嫌だろ? 俺にボコにされるか、一人ずつ一〇〇円貸せ」 「ごめんね、コイツホント馬鹿だからさぁ」 思わず吹きだしそうになった。男は小学生から一〇〇円タカってんだ。けど、面白いのはそんなことじゃない。女の方だ。小学生に「彼氏が馬鹿だから」という理由で恐喝を止めず、肯定する。最強のバカップルだよお前ら、笑える。 「早くしろって。俺タダシって言うんだけどさあ、今度どっかで俺見つけたら『タダシさん、あのときのお金返してください』って言えば返すからよぉ」 「ホントこいつ馬鹿だよねぇ、ごめんねー」 おいおい、そんな隅でそんなおもしれえコントしてんじゃねーよ。お前らウケるから、店の入口付近でそのコントしろって、そうしたら投げ銭稼げるって。 そんなふうに思いながら俺はさっさと原付に乗った。だけど──チラっとそっちに目をやったら、小学生の一人がこっちを見た。……スゲェ助けてほしそうな目で。 それで、俺は昔のことを思いだした。俺自身も過去にタカられたことはあるけど、念頭に思いだしたのはそれじゃない。真っ先に頭に浮かんだのは、俺が小学生の頃、明らかに不良的な奴らから、なぜか三十円のチョコバーをおごってもらったことだ。俺は友達と二人でコンビニにいて、駐車場でその不良的な奴らに絡まれて、色々喋った。その中の一人が「お兄さんがお菓子おごってやる」と言い「ほら、三十万円のチョコバーだ」とか言って渡してきた。俺は笑って、友達も笑いながら「三十円じゃん!」とつっこんでいた。すると不良の兄ちゃんは、「三十円だけどなぁ、それぐらいの気持ちがこもってんだよ」と言ったんだ。それで別れ際、その人はこう言った。 「お前ら、不良になるんじゃねえぞ!」 今でもハッキリ覚えてる。その出来事の影響は、今まで生きてきた人生の中で結構効いてると思う。 だから、本当は嫌だったけど……でも、力は守るためにあるんだ。それで絶対このことはあの小学生三人の中で一生尾を引くはず。だって、未だに俺はタカられたことを覚えてるんだから。けれど、良い兄ちゃんの記憶のお蔭で、いつだってタカられた記憶は道端の小石程度のものでしかなかった。 俺はしっかりとヘルメット被り、エンジンをスタートする。バカップルに、突っ込んだ。本当は轢殺してやりたかったけれど、少し離れた位置で停車した。 「あぁ? なにお前」 「お前ら早く行け」 俺がそう言ってやると、小学生たちは怯えながらも頭を下げ、逃げていった。 「おい待てよ!」 そうは言うものの、男はそいつらを追いかけない。 「お前、ボコにされたいの?」 俺を睨んで男が言った。 「さっきみたいな小学生じゃないとそりゃ無理だろ」 そう言ってやったらいきなり男は拳を構えてこちらに飛び掛ってきた。俺はビビッて、スロットルを一気に回して逃げた。 「テメェビビッて逃げてんじゃねぇよ!」 心ん中じゃ、俺は笑ってたよ。それで、だいぶ離れてから止まってやった。 ……なんであんなのがこの世の酸素吸って女連れてんだろうな。 「ガキにタカってんじゃねぇよ、バーカ!」 最近特にウザイことだらけだったし、俺は相当溜まってたんだろう。加えて奴から離れてたし、なんでも言えた。 「こっち戻ってこいガキ!」 多分俺の方が年上だけどな。 「金が欲しかったらバイトでもして稼げクソガキ!」 そう言ったら奴は威圧的に身体を揺らしながらこちらに向かってきやがって、俺はさっさと行こうと振り返ったら──背中に衝撃を受けた。痛かった。何か硬い物が当たったことはわかった。落ちたものを確認すると、石ころだ。奴の方を向くと、また石が顔面に向かってきていたので、思わず顔を下に向けたら、 バン! とヘルメットに直撃した。 俺は、ついにキレた。バイクを出して、少し先でターンして、野郎と向き合った。 「オラァ、来いよ!」 言われなくてもそのつもりで、スロットルを回してスタートする。奴はまた石を投げるが、今度は車体に当たる。そのタイミングでほぼフルスロットルで加速し、どーせ根はチキンだろうと踏んで真っ直ぐ突っ込んでいった。けれど、予想外にも野郎は避けようとしない。一瞬の内に思考が巡った。このまま行っていいのか、それとも俺が避けるか。そうすれば俺がチキン呼ばわりされる。でもアイツは避けない。 「どけバカ!」 俺がそう叫んだ。すると野郎はギリギリのところで横に飛んだ──ドン、と車体に衝撃を受けた。俺は奴の足先を撥ねていた。 停車して振り返ると、男は地べたに転がっている。痛そうに足を抱えていた。俺は、笑ってやる。大きな声で。だけど心の中では笑っていなかった。 「自業自得だ」とか、「俺、馬鹿だから止まれんかった」とか、「足の骨折れたんじゃない? いい気味」とか、何か言ってやりたかったけれど、伏せてこちらを見ていない奴に対して中指を立てただけで、その場を去った。 少し先で、絡まれていた小学生たちが止まってこちらを見ている。 「俺みたいな馬鹿なマネすんなよ!」 そう言って、俺は急いで道路に出ていった。 ヤバイことしたからもうあの店に行けねぇって思った。アイツ馬鹿だから、ナンバーは覚えてないだろうけれど。 4 あの日以来、家に警察が来るんじゃないかとビビッていた。 ビビッてたけど、盆が終わって次の次の週頭、つまり夏休み最後の一週間の月曜日まで警察が来ることはなく、あの件についてはもう安心していていいだろうと自分に言い聞かせていた。けれど、あの日以来やはり古本屋には行っていない。バイト先じゃなくてよかった、と心の底から思っていた。 それでその月曜、俺は友達二人と友達の車でカラオケに行った。 その二人は中学時代からの友達だった。高校は違う。俺は東高というクッソ真面目な高校に進学し、言っちゃ悪いけどあとの二人は西高という馬鹿学校に進学していた。馬鹿学校、ってのはその二人もそう言ってるんだけど。だが、二人はちゃんと職に就き、働いている。一人は高卒で就職。もう一人も、大卒から職に就いていた。俺だけが取り残されている。だから、ぶっちゃけ良い高校や良い大学に行ったかどうかなんて、関係ないんだと思うね。 それで、カラオケに行ったは良いんだけど、俺は歌がうまくないし、気分も全然ノれなくて飽きていた。でもフリータイムで入っていて、友達二人は俺の知らないアーティストの曲をガンガン歌ってノッていたもんだからウンザリだった。たいして尿意もないクセにトイレに立ったほどだ。 トイレには誰もいなかった。 「はぁ、つまらんなあ。帰りてぇ」 愚痴を漏らして便器の前に立ち、微かな尿意に対して粘る。 ガチャン! 突如、鍵の開く音が聞こえた。俺は肩を竦ませ、背後を通っていく気配を感じる。個室に一人いたとは。まあ大した独り言でもなかったし、聞かれたのはどうでもよかった。 トイレを終えて相手を見ると、それは俺の嫌いな「夏休みくん」だった。金髪のツンツン頭で、顔は明らかにガキ。高校一年ぐらいだろう。一瞬目が合って、そいつは微かに笑っていた。苛立ちを覚え、舌打ちしそうなのをグッと堪え、拳に力が入る。洗い場は二か所あるが、狭いため、二人が並ぶと圧迫感を感じる。肩が当たりそうだ。俺は逃げるようにさっさと手を洗い終えた。 「つまんないすか?」 いきなり、話しかけられた。驚き、肩が揺れてしまい、とっさに言い繕う。 「おぉ──つまらん。ツレは俺の知らん曲ばっか入れるし、気分はノらんし、帰りてぇけどフリータイム入れちゃったし」 ……どうしてだろう。多分、溜まってたんだろうなぁ俺は。ストレスを吐きだすような言葉が飛びだした。 「あー、イヤっすね、それ」そいつは紙を取って手を拭く。 「しかも俺あんま歌うまくねーしさぁ、余計飽きてんだよ」 「オレも歌うまくないっすよ」 「あぁ、ほんと?」 そう返事して、紙を取ろうと手を伸ばすと、意外にもそいつが一枚取ってくれた。 「お、サンキュー」受け取って俺も手を拭く。「なんかノリノリで巧みにラップ言ってそう」 そいつはふっと笑った。「オレ、ラップ系は好きじゃないんすよ」 「あー、そうなん? 俺もあんま好きじゃない」そう言って俺もぎこちなく笑った。 「オレはエグザイルが好きっすね」 「あっマジで? 俺も俺も」 「ホントすか?」 「おぉ、ツレは全然歌わんのだけどな。俺は下手なりに頑張って歌うよ」 「エグザイルは歌いやすいけどたまにキー高いっすよね」 「あーわかる、確かにな。お前、ここらへんに住んでんの?」 「はい、結構近いっすよ」 「高校生だろ? 高校どこ」 「東高っす」 ウソだ、と俺は大きな声をあげていた。相手は声量に驚き、軽く身を引かせる。俺の母校だと教えた。 「ホントすか? 先輩じゃないっすか」 「すげー偶然、こんなこともあるんだなぁ」 「歳はいくつなんすか?」 「今、二十二歳」 「学生すか?」 「いや、大学卒業して就職もせず親に迷惑かけてる」そう言って自嘲した。 「ニートすか?」 「バイトして就職活動しとるよ。ニートじゃないな」 「なんか大変そうっすね」 「おぉ、大変大変。あの先生ってまだおる? えっと、バスケの顧問で、ちょっと太ってて眼鏡かけた──」 「いますよ、バスケ部だったんすか?」 「おぉ。途中から部活行かんくなったけどなぁ」 「オレももう部活行ってないっすよ」相手はハハっと笑った。 「何部? つーか何年?」 「オレはサッカーっす。今は二年すよ」 「二年か。てか、その頭いいの? やばくない?」 「モチロン学校始まったら黒くしますよ」 「だよねぇ、あの高校頭髪が厳しいもんなぁ」 「ちょっと過剰っすよね。地で茶色いやつすら染めようとするんすから」 「なぁ、やりすぎだよなぁ。お前なんか喋りやすいな」 「あ、オレも思いました」 「いーよ、敬語みたいなのつかわんでもタメで」 そう言ってやったら、そいつはまた嫌味のない笑顔を浮かべる。 「名前はなんていうん?」 「カズヒコ──って名前」 「おっ、またちょっとしたグーゼン。俺、カズマ」 自然と、握手する手が出た。カズヒコは躊躇することなくスッと手を出し、握手を交わした。聞けば、カズの漢字は「一」らしい。一彦という名前だという。 「漢字が違うけど、でも偶然っすね」そう言って一彦は笑った。 「だからいいって、敬語みたいなの」 「目上の人に敬語使うの染み付いちゃってんすよ」 「そんな外見してそりゃねぇだろ」 「外見は関係ないっすよー」 「ねーの? 所構わず相手を睨みつけてそうに見えるけど」 「気にいらん奴やナメられたくない奴にはガンとばしますよ」 「まぁな。俺もそうだった。つーか、ちょっと前にさあ──」 俺は一彦に改造原付に乗っていた奴のことを話す。「夏休みくん」という単語は使わず、なるべく気を悪くしないように努めながら睨まれたことを話した。すると一彦は笑った。 「粋がってるヤツは粋がってる分、身構えてるし、しかも一人だったから余計に和馬さんのこと気にしてたんすよ。それでジロジロ見てたんじゃないすか?」 なるほど。一彦はなかなか賢いようだ。 「一彦も同じことすんの?」 「オレはそんなことしないっすよ。原付持ってないしチームに入ってるわけでもないし」 「その髪はただ金色に染めてるだけ?」 「そおっすよ、普段はめっちゃ真面目な東高の生徒なんすから」 東高は本当にクソ真面目すぎる。それなりに頭のいい学校だったし、進学率も高い。女子がひざ上三センチでも短いスカートにしていたら、親を呼びだされる始末だ。一彦が髪を染めてるのはきっと真面目からくる反動だろう。高校のダチにも似たようなやつはいた。 「和馬さんは高校の頃染めてたんすか?」 「俺は本物の真面目だったからなぁ〜、大学入ってから数回染めただけ。高校の頃は殴り合いの喧嘩よくしたけど、普段はおとなしかったよ」 「殴り合い?」一彦が驚きをみせる。「テッペン目指してたんすか?」 思わず笑った。「そんな不良映画みたいなもんじゃないよ、普通の喧嘩。気にいらんやつと衝突すると、すぐに手が出たんだよ。お前もあるだろ?」 「ないっすよ」一彦は顔の前で手を振る。「そりゃちょっとケンカすることはあるけど、オレは基本的に手を出さないんすよ」 「ほんとかぁ? その金髪でえ?」わざとらしく疑ってみせた。 「金髪は関係ないですよぉ」一彦は笑った。「和馬さんこそ、そんな真っ黒の髪のクセして、結構荒い人なんすね」 「黒髪は関係ねぇよ」一彦のマネをして言った。「今でこそだいぶ落ち着いてるけど、昔は親と衝突するとガラス割ったり壁に穴あけたりしてたな」 「──マジっすか」 一彦が驚いたのは意外だった。それぐらいはあるかと思っていたのだが。 「一彦は壁殴って穴あけたりしんの?」 ないっすよ、と首を振る。「親とケンカすることはあったけど、それはないっすね」 「その金髪でえ?」 笑いを取るつもりでそう言うと、一彦にウけた。 「だから金髪関係ないっすよ」 「ないかあ」と俺は笑みを浮かべた。 一彦は、いろんな面が俺とは逆だ。そんな気がした。 それからも俺たちは他愛もない話を続けた。ウマが合うから、話題が尽きることはない。そのうち一彦の連れが「いつまでトイレにいるんだ」と様子を見に来て、俺は来たヤツと挨拶を交わした。そいつは東高ではないらしく、俺は一彦とだけ連絡先を交換した。今度一緒に遊ぼうと約束もした。 |
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