5 カラオケの日から翌々日、バイト終わりに一彦と遊ぶことになった。遊ぶといっても何をするわけでもない。俺の家で会うだけのこと。一彦は俺の家からさほど遠くはない場所に住んでいるらしい。自転車で二十分くらいの道のりを、一彦は迷うことなく辿って俺の家に来た。 「そういえば原付乗ってたんすね」 一彦が原付を見て言った。乗ってみるかと聞くと、「乗ってみたいっす乗ってみたいっす!」と露骨に興味を示した。一彦は免許を持っていないし、まだ外は明るいので、帰りに乗せてやることにした。 「これが例の穴っすねぇ」 廊下の壁をマジマジと見て一彦は言った。廊下には全部で十三か所あり、一彦はその全てを見つけ、いちいちコメントをした。 「こんなのよく穴開けられますねぇ」 「意外と簡単だよ。一彦も家でやれって。スッキリするぞ」 「ウチの壁の材質は木じゃないんで無理っす」 「じゃあドアでもいい」 「ドア破壊したくないっすよ〜」 奥へ進み、一彦はトイレのドアを見た。 「うおっ──」 一彦が驚いて、俺は笑った。ドアは俺がボコボコにして穴だらけだった。 「和馬さん荒んでますよ〜」 「そうか? どこでもこんなもんだろ?」 「ウチは少なくともこんなふうではないっす」 一般的な家庭というのが俺にはよくわからない。今まで付き合ってきた友人たちは皆、俺のようなタイプばかりだったし、俺が一般的な部類だと思っていたがそうでもないらしい。一彦のようなタイプの家庭がごく普通なのかもしれない。 一彦とは主に『ウイニングイレブン』というサッカーゲームで遊んだ。俺が持っているのは古いバージョンだが、それなりに熱中した。趣味や嗜好も合いそうだ。ゲームをしながら俺は一彦のことを聞いた。 一彦の家はどちらかと言えば裕福らしい。それなりに良いマンションの十一階に住んでいて、俺と同じ家族構成だった。父と母、それとデキのいい姉貴がいる。ウチとの違いは、両親とも正社員として共働きしているということ。小さい頃からずっとそうらしい。 話しながらゲームを続けていると、人が階段を上ってくる音が聞こえた。足音で誰かわかる。 「和馬、開けなさい」 誰かがいるときは気まぐれでババアが飲食物を持ってくる。頃合をみて俺が持ってくるつもりだったのに……。 仕方なく扉を開けると、ババアはおぼんにアイスと飲み物を載せていた。 「こんにちは、おじゃましてます」 後ろで一彦が言った。 「はいこんにちは。見ない顔ねえ。ほら、これ持って」 差しだされたおぼんを手にして、勉強机に置いた。 「つい最近和馬さんと知り合いました、カズヒコと言います」 「あぁ、そう。同い年じゃないでしょ?」 「高校二年です、和馬さんと同じ東高です」 「あらそうなの──」 「もう用は済んだろ、出てってよ」 ババアは何かと会話をしようとする。友達の迷惑を考慮せず、自分の話したいことを延々と続けるクセがある。これが鬱陶しいから、早いうちに俺は追い払うんだ。 「東高なのにそんな金髪でいいの?」 「学校始まったらちゃんと黒に戻しますよ」 俺の言葉なんて聞きやしない。だからもう一度、「もう行ってよ」と言った。 「あんた部屋掃除しなさいって言ったでしょ。前見たときと変わってないじゃない」 「そのうち掃除するって──」 「そう言ってあんたしないんだから。お友達が来てるっていうのに散らかった部屋で……今日中に掃除しなさいよ」 「わかったわかった」 ババアに迫って部屋から押しだし、扉を閉めた。足音が離れていく。 「良いお母さんっすね」 「はあ?」思わず声をあげてしまった。「うるさいだけだって」 「オレは羨ましいと思いますよ、ウチの親は基本的に放任なんで」 「俺は放任が羨ましいよ、毎度干渉されると精神が病んでくるって」 おぼんを床に置いた。俺がコップを手にとって一口サイダーを飲むと、一彦も「いただきます」と言いもう一方のコップに口をつけた。喉が渇いていたのか、一彦は注がれていた半分を喉に通したあと、アイスを手にした。 「それだけ和馬さんのことが心配なんすよ」 ……それはわかってる。「できれば放っておいてほしいと思うよ、俺は」 「そういうモンなんすね」 アイスの封を破り、一彦は口に銜えた。 「そういうもんだって」 俺も封を破り、アイスを銜えた。お互いアイスを銜えた状態でゲームを再開。 ウチの親は過干渉。一彦は放任。これもまた逆だ。 飽きずにずっと同じゲームをして、日がどっぷり暮れた頃、一彦はそろそろ帰ると言った。時刻は八時を回ろうとしている。 「帰る前に部屋の掃除します」 いきなりそんなことを言いだした。「しなくていいよ」と俺は笑った。 「いやぁ、飲み物や食べ物を出してもらったし、その礼のつもりなんすけど」 「律儀だな──」更に笑えた。「別に掃除するって程のものでもないし」 マンガや雑誌、衣服が散らばっているだけ。隅っこにはホコリが積もっている。ゴミ箱に投げたゴミが外れて回りに落ちている。たったそれだけ。大げさなものではないが、片付ける気がなくてずっとそのままにしていた。 「じゃせめてマンガ整頓します」 そう言って、一彦はちゃっちゃとマンガを本棚に納めだした。 「いいよ、んなことしなくて」 そう言いつつ、俺も目に留まったゴミを捨てて、雑誌や衣服を片付けだした。やりはじめれば、気になるところを掃除してしまう。そんな要領で結局部屋を片付けた。一彦が箒まで持ちだして床も掃いた。 「綺麗になりましたね」 「まあ、さっぱりしたな。あーあ、結局掃除しちゃったよ」 「いいじゃないっすかあ、こっちの方が」 「まぁ、そうだけどさあ……」 ババアの思い通りになったのが嫌なんだよ。 「今度オレんち来てくださいよ、ウイイレの一番新しいのありますよ」 「マジで? 行く行く──」 俺はおぼんを持って、部屋を出た。 一彦はわざわざリビングを覗いて「ごちそうさまでした」とババアに言っていた。「んなこと言わなくていいよ」とは思っても、言わなかった。俺は玄関先で「気をつけてな」と声をかけ、一彦は返事をし、「おじゃましましたー」と言って玄関を抜けていった。ババアがリビングで「はーい」と答える。 部屋に戻って、 「あっ」 気づいた。原付に乗せる約束をしていたことをすっかり忘れていた。 「まあいいか、今度俺が行ったときで」 そのとき存分に乗ってもらおう。 部屋を見渡すと、物で埋もれていた床がほとんど見えるようになっていた。少しの間、しばらくぶりに片付いた部屋をぼうっと眺めた。 6 ウザイ夏休みはもうすぐ終わる。終わっても暑さは続くし、網戸にしていても入ってくるウザイ虫はいなくならないが、ガキの量が減ってバイトは多少楽になる。族を気取った「夏休みくん」もあまり出没しなくなる。 一彦は、俺が思う「夏休みくん」の部類だろうか。最初見たときは、嫌悪感が湧いてそう思った。でもアイツは他のやつとは違う。いや、俺は他のやつのことなんて知らないし、もしかしたらそいつらも話してみれば、良いところを見つけられるのかもしれない。改造原付に乗っていたアイツも、ガキに恐喝していたあの馬鹿も、中身を知ることができたら見方が変わるのかもしれない。 「和馬、次の会社はもう見つけたの?」 ウザイ夏休みは終わるが、ウザイババアはいなくならない。ババアは飯の時間に時々、「あれはしたのこれはしたの」と俺を追い立ててくる。 「まだ」 「まだ? ちゃんと探してるの?」 飯ぐらいゆっくり食わせてほしい。これのどこが良いお母さんだよ。 「ちゃんと探してる」 「ならいいけど。今のご時勢どこも大変なんだから、数回滑ったぐらいで就職を放棄しちゃだめよ。いいなと思うところはどんどん面接受けていきなさいよ」 「言われなくてもわかってるって。放っとけ」 「放っといてほしかったら早く安定した職に就きなさい」 ああ言えばこう言う。ババアと会話を交わすだけでも俺の心身はすり減り、やる気がなくなる。一彦はこんなのを羨ましがっているんだ。現実を知ればウンザリする。それが何年も続けばそりゃ心も荒むよ。 『それだけ和馬さんのことが心配なんすよ』 ……わかってる。でもババアが職に就けと言ったところで良い職が見つかるわけじゃない。面接に受かるわけじゃない。 「部屋は掃除したの?」 素直にしたと言いたくなかった。俺は質問を無視する。 「和馬、部屋の掃除はしたの?」 ババアの語気が少し強まった。俺は飯を食い終わり、席を立って食器を流しへ下げた。 「答えなさいよ」 リビングの扉まで歩いて、止まった。 「掃除は昨日したよ」 「したならしたって答え──」 「なあ母さん」ババアの言葉を遮った。俺は顔だけババアに振り向かせる。「昨日家に来た一彦の親は、母さんとは全く逆で放任の親なんだってさ」 「あら……そうなの」 「俺は、それを羨ましいと思ったよ」 ババアが少し驚きをみせ、目を俯かせた。テレビからの雑音がよく聞こえた。 ババアが再びその目を俺に向ける。 「お母さんにもそうなれって?」 「一彦は逆にこっちが羨ましいって言ってた」 「あぁ……」とババアが何かを納得したように頷いた。 「いつも気にかけてくれてありがとう」 そう言ってみせると、ババアは目を丸くした。 「もう少し、俺を信用してくれよ」 それだけ言って、ババアの顔を見ずにリビングを出た。 |
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