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彼は好きと言わない
線路に俺と僕
いただきます
勇者
病室と不謹慎と夏の終わり






I LOVE YOU
あれはそら
巨漢とおかあさん
腸内デトックス刑務所
魔王の想い


  『彼は好きと言わない』


 私の彼はとにかくモテる。
 学校では四六時中、女子と喋っているし、女の教師だって彼と話すとき、明らかに顔が綻んでいる。
 頭良し、背の高さ良し、もちろん顔も良し。読者モデルをしたことだってあった。
 対する私。
 根暗。友達いない。最近では彼と女子が話す姿を見て嫉妬で気が狂わないよう常に机に顔を伏せている。
 こんな私と付き合いたいと彼が言ったのはちょうど三か月前だ。最初は罰ゲームだと思った。それか友達に見せるパフォーマンとか。
 しかし彼は、私との関係を誰にも喋っていないようだった。
「お前と付き合ってること、みんなに言ったほうがいい?」
 そう彼は聞いてきたけれど、私は首を振った。いじめられるのが目に見えている。
 学校が終わると、必ずいつもの神社で待ち合わせをした。薄暗くて怖い雰囲気だからか、滅多に人がこない。そこで私たちは抱きしめ合い、頬や髪を撫で合い、恋人らしい時を過ごしている。
 どうして私と付き合っているのだろうか。当然、聞いたことがある。
「息苦しくないから」
 そう返す彼。じゃあなぜ私に告白したの?
「一緒にいて息苦しくなさそうだったから」
 好きになったってわけじゃないの? そう聞くと彼は、
「そういうの、聞かないでほしい。なんか疲れる」
 などと言う。
 正直私は、逆に彼をもてあそんでいるつもりだった。だってどう考えても釣り合わないし、いつか別れを告げられるとわかっているし、本命の彼女がいるとも思っているから。こちらから別れようと言うつもりはないから、向こうが嫌いになるようによくわがままを言った。眠れないからと深夜に長電話させたり、彼の食べ物を全部くれと言って強引に奪ったり、会いたくなって彼の家に押し掛けたことは何度もあったし、他の人と予定のある彼に私を優先させて断らせたりもした。
 しかし、彼は嫌な顔せず付き合ってくれる。今日は私の買い物に付き合わせ、荷物を全部持たせていた。
 街の大きな歩道橋を渡っていく。
「私と一緒にいて、嫌にならない?」
 思わず大きな背中に問いかけた。彼は振り返る。
「は? どの辺が?」
「……わがままなところとか。私、学校では誰とも喋らないし、あなたがいつも喋ってる子たちのほうが、絶対可愛いじゃん。明るくて、はきはき喋って……本命は、誰? 隠さなくていいよ。まだ私で遊びたいなら変わりなく付き合い続けるから」
 彼はじっと私を見つめた。
「ぷっ──」
「なぜ笑う!」
「お前やっぱ面白いわ」
 彼が、私に荷物を差し出す。
「全部持って」
 私の物なので、そう言われれば持たざるを得ない。
 と、ふいに彼が、私の身体に両腕を回した。
「ちょ、ちょっと」
 髪を撫でてくれる。
「人に見られるよ、恥ずかしい」
「面白いこと言ったからご褒美」
 よくわからない。でも私は、抵抗するのをやめた。
「そりゃ他の女子のほうが可愛いよ」
「なっ?!」
「でもお前みたいに面白くないし、他の女子といるとちょっと疲れるんだよね」
「他の女子っていうのは、他のカノジョって意味?」
「まあお前が二股の許可をくれるなら喜んで他の女子と付き合うけれど」
 私は言葉を失くした。
 彼は私を離し、駅に向かって歩き出す。
「私のなにが面白いの」
「いざ聞かれると、言葉に表せられないんだよなあ……」
「じゃあ私が面白くなくなったら別れる?」
「お前の性格そのものが面白いんだから、面白くなくなるってのはないと思うぞ」
 だめだ。全くわからない。
 なぜ私と付き合った。なぜ私に告白をした。
「なぜなんだああああああああああああああああああ!」
 全力で叫んでやった。彼は、唖然としている。
 しかし叫んだ理由を話すと、「面白い」と言って笑い、また私を撫でてくれた。
 嬉しかった。

 それから数日後、私から別れを告げて、恋は終わった。












  『線路に俺と僕』


『まもなく、二番線に、電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください』
 俺は黄色い線を跨いだ。
 線路の中へ飛び込む。
 人々が悲鳴をあげた。電車を止めて、と声をあげた。
「やあ、あなたも飛び込み自殺するのかい」
 いきなり目の前に子供(ガキ)がいた。
「え、君、なに、いつからそこにいたの」
「いつでもいいでしょ。いやあよかった、独りで逝くの嫌だったんだよね」
 なんだこれは、いったいこいつはなんだ。今から電車に轢殺されようとしてるのに、のん気すぎるだろ。
「自己紹介をするよ。僕は桜木(さくらぎ)雨声(うせい)。変な名前だろ。君はなんていうのかな」
「お、俺は田中(たなか)花男(はなお)だ」
「うわあ平凡な名前。うらやましい。僕、名前のせいでいじられるんだよね。たとえば音楽の授業で気持ちよく歌ってると、おいウセイ、ウルセイぞ、なんてね」
 そういってウセイはくすりと笑う。こんなのと自殺することに、俺は嫌気がさした。だから止めようと立ち上がった。
 と、腕を掴まれた。ウセイが俺の腕を握っている。
「やだ……行かないでよ、一緒に死のう」
「お前と一緒にとか、なんか嫌だから」
「えぇ、もう線路に飛び込んだじゃん。今からホームに上がるほうが面倒だよ」
 俺は腕を引っ張ってやつから離す。と、腕に何か当たった。
 ぽつり、ぽつり。
 雨だ。
「あー、降ってきたね。いやだなあ、僕、死ぬなら雨降ってないときがよかった」
「それは、どうしてだ」
「僕の名前は雨、声でウセイでしょ、狙って自殺してるみたいじゃん」
 まあわからんでもないが。
 とにかく俺はもう行こうとした。しかし雨声は俺を止めようとする。もう家に帰って眠りたい。
「花男さぁん、一緒に死にましょうよぉ。ねっ、お願い」
「嫌だね、お前は独りで逝けよ」
「えー、冷たいなあ……わかりましたよ。もう、いいですし。どうぞご自由にしてみてください」
「はあ……」
 俺はため息をついた。
 いまホームに戻ろうとしても間に合わな──












  『いただきます』


 お腹空いた、という言葉は禁句で、これを口にするとちゃんとした食べ物はもらえない。代わりに広告の切れ端とか、お父さんとお母さんの髪の毛を与えられる。わたしはよく、家に出るコオロギに似た黒い昆虫やトイレットペーパーをこっそり食べて飢えをしのいだ。遠まわしに空腹をアピールして、ようやく白米と漬物をくれる。他は親の気分次第だった。
 小学生になるとわたしはデパートに入り浸るようになった。以前家族で行き、試食コーナーで食べ物を口にすることができたからだ。学校が終わるとひとりで行った。お腹を満たせられれば、ゲームコーナーに立ち寄って時間を潰す。おじさんたちがアイドルキャラと遊ぶゲームをプレイする姿を見学するのが日課だった。
「先輩、プレイしますか」
 ある日、おじさんにそう声をかけられた。お金がないといい、わたしは首を振る。するとおじさんは百円玉を数枚くれて、「先輩、どうぞ」と機械に指先を伸ばした。
 ゲームを終えると、去ってしまうおじさんを全力で追いかけた。付きまとうと、親が心配するとか警察に見つかると危ないとかいって突き放してくる。怒って駄々をこねたら、おじさんは観念してアパートに連れていってくれた。
 それからわたしはここで過ごした。おじさんは何度も「帰ったほうがいいっすよ」「おまわりさんに通報してもオケ?」とわたしを脅すのだが、ここにいれば衣食住に困らないのでヒステリックに叫んで抵抗した。おじさんは気が弱くて、すぐに折れてくれる。わたしの言いなりだ。寝るときになると、しつこく頭を触ったり抱きしめたりしてくるけれど、お母さんやお父さんのように痛いことは決してしないから全然良かった。わたしは一生をここで過ごし、将来はこのおじさんと結婚してやるのもいいのかなあと考えたこともあった。
 わたしがここへ来て一ヶ月後、警察がやってきた。そのときはおじさんが裏切ったのかと激しいショックを受けたが、そうではなくアパートの住人が通報したらしい。なぜか、何もしていないおじさんに手錠がかけられた。わたしはあっという間に元の住処に強制送還された。一ヶ月出てってくれて食費が浮いたわ──母が口にしたのはそれだけだった。
「ねえ、これ見なさいよ」
 おじさんの件がテレビで報道された日、お母さんが笑いながらわたしをパソコンの前に呼んだ。わたしとおじさんのことがあれこれと書かれていて、それが笑えるらしい。
「ちょっと検索すればアンタのことばっかりで面白いわ。ほら、この動画見なよ」
 母が動画を再生する。警察に挟まれて両手に手錠がかかっているおじさんが映っていた。
「調べによりますと、男はデパートのアイドルゲームで順番待ちをしていた女の子にゲームの代金をおごり、その後自宅へ連れていき監禁したもようです。男は、『幼女先輩を守りたかった』などと供述しており──」
 何が面白いのか、お母さんはひぃひぃ笑っていた。動画内のコメントも大爆笑だった。それとおじさんを非難する言葉で埋め尽くされている。掲示板のサイトにも、わたしのスレが立っていた。おじさんは何もしていないけれど、淫らな行為に及んだとまで書いてあった。「幼女先輩を守りたかった」という言葉がおじさんのアスキーアートと共にいたるところに載せられ、後世に伝えるべき名言だ、といわれている。本当に称えているわけではなく、明らかに馬鹿にしていた。侮蔑の言葉ばかり目につく。
 でもその日、割とまともな夕食がわたしの前に並んだ。もしかしたら、今日から割と普通のご飯が食べられるかも。そんな期待を抱かずにはいられなかった。
 おじさんのことはかわいそうだけど、お母さんが笑って気分よくご飯もくれたからいい。わたしが良い思いをすればおじさんも嬉しいはず。
 お母さんはわたしの顔を見ると、思い出してしまうのかまた笑った。わたしも同じくらいの笑顔を浮かべて、「いただきます」といった。












  『勇者』


 僕は生まれたときから勇者でした。魔王を打ち倒す使命が課せられていたのです。そう教えられたのは四歳の誕生日でした。
 僕が五歳になると、外に蔓延るモンスターと戦闘をさせられました。訓練は積んでいたのである程度弱いモンスターはなんとかなりますが、少々レベルの高いモンスターとなると、勝てません。そんなときは誰かが助けてくれるものだとばかり思っていたのですが、誰も助けに入らず、皆、傍観しています。僕が半殺しになり、意識を失くして、ようやく助けられました。これは虐待です。いつか死ぬレベルの虐待です。けれどこの訓練は僕が七歳になるまで毎日、続けさせられました。
 僕が八歳になったとき、村の人たちはこう言いました。
「我々が観測できた別次元では、十歳で伝説の勇者としてミルド○ースという魔王を倒した偉人もおるそうだ。その勇者は八歳で旅を始めた。だからお前ももう、魔王を倒しにいきなさい」
 巷で噂の勇者と同じく、僕は八歳で旅を始めることとなりました。
 紆余曲折あって魔王城。到達したとき僕は九歳で、仲間が三人おりました。ミゲルという男戦士、ユニファという三つ年上の女魔法使い。彼女は僕の恋人らしいです。僕は認めた記憶がないのですが。それと、セッツァーという齢二六七歳の魔王。
 そう、魔王が仲間になっているのです。魔王城を根城としていたセッツァーは、近年肉体の衰えを感じ、より強い力を得るため悪魔を召喚していたのですが、その過程で別次元の魔王を呼んでしまい、それがあまりにも強すぎたため、城を捨てざるを得なかったそうなのです。彼とは旅の途中で出会い、戦闘になったのですが、なんとか勝つことができ、どうやらその魔王も倒さなければならなかったので、お互いの利害が一致し、協力し合うこととなったのです。
 城は変貌を遂げているそうで、魔王セッツァーがその内装を見たとき泣いていました。その別次元の魔王がいる影響で、歪みが発生しているとか。この状態を放っておいたら、そのうち外にも影響が出てきて、地上に住む人々は全く別の「何か」に変貌するだろうとセッツァーは言いました。
 なんとか奥に進み、別次元の魔王と対面。事前に聞いてわかっていたのですが、とにかく巨大でした。ツノや羽が生えていて、ぶよぶよとした真っ赤な身体つきで、口がたくさんついていて、何かよくわからないものを咀嚼しており、粘液が滴っていました。
「うぃ、ううう、うよ、よくきた、こぉ、この次元の、勇者よ」
 口調が怪しいですが、魔王らしい台詞です。彼は自分のことを喋りはじめました。どうやら彼は、そのあまりの醜さと空間を歪ませてしまう特性から、元々いた世界では凄惨な仕打ちを受けていたそうです。だから彼は自分の居場所を探すため、次元を転々としていました。先々の次元では魔王呼ばわりされて、勇者という存在が彼をやっつけに来たそうです。セッツァーが召喚を行ったとき、彼にはその言語が聞こえました。言葉を理解できる次元というのは中々ないそうで、そこなら自分を受け入れてくれるかもしれないと思い、僕らの世界に飛び込んできたそうです。
 話してみると、彼には悪意がないのだと理解できました。かといって、このまま野放しにすることもできません。別の次元に移ってくれと僕らは説得しました。ですが、彼は頑なに拒否しました。自分を受け入れてほしい、極力迷惑はかけないと訴えかけてきたのです。そんなことをいっても、彼がいることで、僕たちの世界がどんどん歪んでいってしまうのです。
 ということで結局、四人がかりで彼を惨殺しました。強い方が生き残る。弱い者には死を。共存の道はないのですから、この単純かつ合理的な方法で、居場所を勝ち取らなければならないのです。自分のために容赦なく弱きをくじくことは、正解なのです。僕は五歳でこの真理を教え込まれました。
 どんな物語でもそうです。勝つか負けるかという構図は、最終的にどちらが相手を上回ったかです。どちらが正しいか、ではありません。正しい者が勝手に生き残るのではありません。それを決めるのは結局、力。どれだけ綺麗ごとを言っても勇者は相手の力を上回って勝利するのです。強い相手から一方的に勝負を仕掛けられて、理不尽な暴行を加えられて殺されても、生き残った方がその場に残って言葉を吐ける。自分が正しいぞと言い張れる。死んだ方は文句も言えません。
 セッツァーは僕に負けたので、今後一切、魔物は育てないと言いました。セッツァーの一族が野に放ってきた魔物の駆除も行うそうです。その後、彼は涙ながらに魔物たちを殺し回っていたそうです。












  『病室と不謹慎と夏の終わり』


「私は、あとどれくらい生きられるかな」
 重い病に倒れたはな子は、学校に来られなくなった。肉親はおらず、看病できるのはぼくだけで、夏休み中、病室に通った。
「それとももうすぐ、退院できるかしら」
 ぼくは何も言えない。君の鼻毛が三センチも飛び出していたから。気になって仕方なかった。でもこれを口にすれば、今まで教えなかったことを君に詰られて、お互いが傷つく。
「綺麗、虹が出ているわ」
 はな子が、虚ろな瞳に空の青を映して言った。鼻毛も出ているんだよ。
「はな子、院長に頼んでさ、明日の始業式は出よう。ぼくが車椅子で君を──」
 笑いそうになったのをこらえた。棚の上のテレビで、芸人が面白くもない一発ギャグを披露する。ぼくは笑いを吐き出した。
「ゆうじ、この一発ギャグ、クソつまらないって言っていたじゃない」
「二回目は面白いってこと、あるだろ?」
 あるわね、と言ってはな子は虹に目を向けた。鼻毛を五センチほど飛び出させながら。
 ──伸びとる!
「ん、どうしたの?」
 思わず顔でリアクションをしてしまった。ぼくは冷静に首を振り、虹を見た。
「君の瞳に映った虹があまりにも綺麗で、びっくりしたんだよ」
「私、目が大きいもんね。それに超可愛い」
「ぷっ──」
「こらっ、笑わないでよぉ」
「あはは、ごめん」
 彼女の可愛さと鼻毛が飛び出していることのギャップで笑ったのだった。
「ゆうじといると楽しかった。私が辛いときはいつだって笑顔を与えてくれた──」。
 ふいに彼女が咳き込む。ぼくは慌てるが、何もしてあげられない。それなのに鼻毛を気にしている自分が最低な人間に思えた。
「ゆうじ、今まで言わなかったけど……言えるうちに、どうしても伝えたいことがある」
「なに? まるで最後に言い残しておきたい、みたいな口調で。そんなの聞きたくない」
 彼女が鼻息を吹く。鼻毛が小刻みに震える。ダメだ、笑うな、こらえるんだ。
「ちゃんと聞いてほしい」
 ぼくは半笑いした。それが彼女にとって、微笑みの肯定にみえたはず。
「ゆうじ、鼻毛が出てる」
 言葉が鼓膜を抜け、脳内で処理される。ぼくの半笑いが、消えた。
「ずっと出ていたのよ。今朝からじゃないわ。もうずっと前から。鏡をよく見ないから、気づけないのよ」
 過去の映像が思い起こされる──彼女との登下校、笑いあっていた日。公園での告白。初めてキスをした日。
「……ずっと?」声は震えた。
「そう。私たちが出会ったその日から。あなたってば、本当に面白かった。鼻毛を出しながら真剣な告白をされたときなんか、傑作だったわ。面白すぎて断れなかった。いつもあなたのギャグに笑っていたけれど、本当は鼻毛に笑わされていた。それで気づいたの。私はなんて幸せなんだろうって。この人といれば、ずっと笑っていられるって。私の自尊心は満たされ、あなたが愛おしくなっていた。だから、ずっと言えなかっ──」
 その先は笑声になった。彼女が高らかに笑うたび、鼻毛が嬉しそうに踊っている。ぼくは指先で鼻の穴に触れた。毛が出ている。
「あなた芸人になれるわよ。鼻毛芸人に──クッソ!」
 ぼくの苛立ちは限界に近づいていた。なぜ、このアマは今までそれを言わなかったんだ? 非道すぎる!
 と、そこで気づいてしまった。今のぼくだって、同罪だ。鼻毛が出ていることを言わなかった。それが優しさだとも思っていたけれど……違う。時には相手を傷つけてでも言わなければならないことがある。自分が傷ついてでも、言わなければならないことがある。本物の優しさとは、そういうことなんだ。
「ホンット、バカよね、あははははっ!」
 しかしこの女は露骨に笑いすぎだ──いいだろう、こちらも真実を告げて笑いものにしてやる!
「あのさっ、はな子、実はね──」
「アハハ──ごほっ、ゴホッ! ゲホッ!」
 急にはな子が強く咳き込み、血を吐いた。止まらなくて、真っ白なシーツを赤く染めた。
「はな子!」
 はな子は苦しそうな声を漏らす。大きな瞳が、ぼくを射抜く。
 そうして、笑った。
「はな子、お前だって鼻毛──」
 瞼が閉じた。はな子は笑ったまま、ベッドに体重がかかり、両手がだらんと落ちた。
「……お前だって、鼻毛が出てる」
 その言葉はもう、彼女には届かない。












  『I LOVE YOU』


「ねえ、ゆう君。愛とはどんなものだと思いますか?」
 付き合って四ヶ月目の彼女がいった。僕らは公園のベンチに座り、遊んでいる親子などを見つめていた。
 理系な僕は、すぐに固い頭で考えてしまう。答えを簡素に組み立てた。
「理論的に突き詰めれば生化学の作用。脳内の化学変化。命を繋ぐ僕ら生物が、そのために必要となる原動力。それが『あい』と名づけられただけ。一歩間違ってたら名づけた人が『あい』を『うんこ』と名づけてたかもしれない」
 ふふっ、と彼女は笑った。僕は嬉しくなって、畳みかける。
「カップルたちはみんな、『君のこと、すごくうんこしてる』といっていたかもしれない」
 彼女は更に高い声で笑うと、僕に目を合わせた。
「じゃあ『うんこ』っていう言葉が『愛』になっちゃってたかもしれない?」
「そうだね、逆転していたかも」トイレに入ろうとする男性を指差す。「今からあの人は愛をしにいこうとしているよ」
 やめてよ、といいながら彼女は腹を抱えて笑う。僕は遠くで抱き合っているカップルを指差す。
「ほら、あのカップルはうんこしあってる」
 もう、といいながら彼女はひぃひぃ笑う。
「あぁ、やばい、僕も愛がしたいよ!」立って尻を押さえた。「特大の愛が出そう、まずい!」
「もうやめて、笑い死ぬ」
「愛が漏れそうだよ、誰にもこの愛は止められない──あぁ、茶色の愛が僕の門前でコンチニワしてる!」
 苦しそうに彼女は笑い続けている。「早くトイレに行きなよ──」
 僕は座った。「本当に愛をしたくはないよ」
 彼女は笑声を落ち着かせ、頷いた。僕は彼女の瞳をそっと見つめる。
「僕のこと、うんこしてる?」
 彼女は軽く笑う。「うんこしてるよ」
 僕は親子を指差す。「あの親子もうんこしあってる」
「うん」
 僕は真顔になってみせる。「僕も君のこと、うんこしてるよ」
 ぷっ、と彼女は吹き出す。「もう止めて」
 僕は微笑んだ。「わかったよ、やめる」
「うん。で、そんな回答じゃなくてさあ、もっと感情的な答えがほしいんだけど」
 うんこについての? と畳みかけようとしたけれど、その言葉は飲み込んだ。
「君は、たくさん笑ったよね」
「笑ったよぉ、だってゆう君面白いもん」
 僕は顔を前に向け、笑いあう親子に目を向けた。
「君が笑ったのは、僕の愛の結果だよ」
「ん? どういうこと?」
 彼女は首をかしげている。
「一生懸命、君を笑わせたのも、僕にたくさんの愛があるからなんだと思う。笑う君を見て、色々考えてどんどん言葉をいった。相手に笑顔を生むのも、きっと愛なんだよ」
 彼女の首が更に傾いていく。
「愛がなければ、あの親子は笑ってない」
 ボールを蹴りあいながら、父と母と子が笑っている。彼女はその様子をじっと見つめた。その先でカップルも引っ付き合いながら笑っている。別のところでは男子高校生三人が笑いあっている。彼女も同じように僕の視線を追っていた。
「種類が違えど、全部愛の結果だと思う」
 顔を彼女に戻す。彼女は笑っている人々を見ていた。それから僕に顔を戻すと、鷹揚に頷いた。
「なんとなく意味はわかった」そういった彼女の口元には笑みが滲んでいた。「ありがとう」
「どうして、ありがとう?」
「だって、笑わせてくれたから」
 そのありがとうこそ、君が「愛はどんなものか」を知った証拠なのかもしれない。
「……こちらこそ、ありがとう」












  『あれはそら』


 ご主人はいつも決まった時間に猫を抱っこして、「あれは空だ」と指をさして言い聞かす。それをずっとずっと繰り返していた。
 いつしかご主人は亡くなった。
 でも、猫にはご主人の死を理解できない。
 猫は決まった時間にいつもの場所へ行き──抱っこされていつものように空を指すと思っているのだろう──だが誰も来なくて、ぼんやり空を眺める。
 それをずっとずっと繰り返した。
 時にはご主人の姿を探した。
 見つからなければ、またひとりで眺めるのか、とでも思っているのかもしれない。家の人がそれをやめさせようとすると、猫は鳴き声をあげた。
 自分はその時間その場で空を見上げていなくてはいけない。
 そう思っているのだろう。そうしてご主人の出す鳴き声を思い浮かべる。
「あれは、空だ」
 首が疲れても猫はそれをやり続けた。
 月日が流れ、老いて、体が不自由になっても。
 ずっとずっと、猫はその日常を繰り返す。












  『巨漢とおかあさん』


 私の体重が200キロを超した。
 ビスケット、チョコレート、ドーナツなど、部屋には食べ物が乱雑に散乱している。
「さと子……お願いだから、食べるのはもうやめて」
「うっせクソババァ! おめぇはさっさと食い物持ってこればいいんだよ!」
 母はおとなしくご飯とマヨネーズを二階の私の部屋に持ってきた。私は湯気の立つ白米にたっぷりのマヨネーズをかけ、ドーナツとチョコレートでトッピングする。
「いっただっきまーす!」
 ガツガツ頬張る。コーラで胃へと押し流す。ゲップをすると母が泣きはじめた。
「メシがまずくなるだろ、さっさと出てけ!」
 母が出ていき、私は安らかな気分で食事を摂る。ご飯に黒いものがあった。気を利かせて黒糖でも交ぜたのかな。
 しかしよくみると、それはうごめいた。
 生きている。
 最近目が悪くなっているのでピントが合うまで時間がかかった。
 その黒いものは、蟻だ。
「ギャー! とでもいって私が食欲なくすかっての。あのクッソババア。わざとこんなもの交ぜやがったな。食い物粗末にしやがって。ぶっ殺してやろうかしら」
 構わず蟻ごと平らげていく。うん、酸っぱうまい。食感がクセになりそう。

 気がつくと、私はとても広い場所にいた。
 目の前には巨大な蟻がいる。
「ぎゃああああああ!」
 それは私の顔と同じくらいのサイズだった。私は逃げ出した。でも広すぎてどこへ行けばいいのかわからない。
「──だからもう無理なのよ……これまでにしましょう」
 遠くから母の声が聞こえた。無我夢中でその方へ走った。その間にわかったのだが、どうやら私は蟻ほどの小さなサイズに縮んだようだった。私がいた場所は自分の部屋で、家具や何もかもが巨大にみえた。
 母は電話をしているようだ。
「あの子の面倒はみられない。もう家を出ていくわ」
 おい待てよ、それは困るっての。
「そうよ、離婚してほしいの。……何も聞きたくないわ。それじゃあね。さよなら」
 母の動きだす音。扉と床の隙間を抜けて階段まで来た私は、荷物を持った母の姿を見つけた。玄関へ行ってしまう。
「おい、てめぇ待て!」
 母には聞こえていない。いくら叫んでも声が届かない。
「頼むって、行かないでよ、お願い、お母さん! お母さんいなくなると私は自分でメシを用意しなきゃいけなくなる、私を置いていかないで、わかったもう痩せる! 明日から絶対ダイエットする! マヨネーズご飯のおかわりもしないから! 嫌ああああああ!」
 玄関の扉が閉ざされた。












  『腸内デトックス刑務所』


 青空の下、狭い塀の中のグラウンドで、俺は草むしりをさせられている。服役して五年目。死ぬほど屈辱だった刑務所暮らしは、もうすっかり俺の人生に馴染んでいる。脱走しようなどという考えもなくなっていた。
 この刑務所では毎月、コーヒーによる腸内洗浄が行われていた。身体の内側にこびりつく邪気を払うためだとかいう理由で。みんな、この腸内洗浄が気にいっていた。もちろん最初は、他人に肛門をいじられるという辱しめを受けて人としての尊厳が失われるようだった。でもだんだん、どうでもよくなる。口では「うわー今日はコーヒーエネマの日か、最悪だ」とか言いながらも、終わった後は誰もが仏のような穏やかな表情をしていた。

 服役して八年目。ムショを出る日が来た。邪気は完全に除去されたとして、最後の腸内洗浄の日では洗浄がなかった。
 久しぶりのシャバの空気を肺いっぱいに吸い込みながら、思い返す。八年前のあの日。俺は親友がやっていたドラッグ売買を一度だけ手伝った。それが警察にバレて、なぜか俺だけが重い罪を着せられた。
 一台の車が、俺の前に停車する。
「よお、おつとめごくろうさん」
 親友だ。
「良い腸内洗浄エステを見つけたんだ。これから出所祝いにそこで一緒に洗浄しようや」
 殺意を覚えた。
 今さら彼に対して憤怒が湧き上がった。
 ……だが、それでも、俺は腸内洗浄の快感を思い出してしまい、
「もちろんコーヒーエネマだろうな?」
 そう言って笑顔で助手席に乗った。












  『魔王の想い』


「よくぞ我が魔城に来た、選ばれし勇者よ」
 ワシはバーボンを煽った。酒で狂うほどに魔力は高まっていく。
「余と死闘を演じれば、お前はここで絶命することとなる。だがその前に一つ──ヒィック──ひとつ、条件を提案しよう。これを飲めば」ワシは更にバーボンを飲む。「余も世界征服などくだらぬ余興を止めてやってもよい」
 ワシは玉座から重い腰を上げて、千鳥足で前へ進む。
「その条件とは、勇者レオナ、そなたが余の妻となることじゃ」ワシはレオナの手を握りしめる。「ほほう、戸惑っておるな。余とそなたは結ばれる運命だった。初めて出逢ったあの日、余はそなたに一目惚れをした。そなたもそうだったのだろう?」
 勇者レオナに頷かせる。
「そう恥ずかしがらなくてもよい。余はもう、もとより、世界になど興味がない。余の最大の関心は、そなたとの間で産まれる次期魔王を継ぐ者じゃ。今、魔界は非常に不安定な勢力争いをしておる。そなたとの子が必要なんじゃ。さぞ凄まじい魔力と叡智を秘めた子が誕生するであろう。ささ、ベッドルームへ行こうではないか」
 ワシはレオナの冷たい手を引いてベッドへ入り、抱きしめあった。ワシは幸福を感じた。たとえ胸の中にあるのが勇者レオナの骸だとしても。ワシが魔力で操作する傀儡だとしても。
「このような未来を望んでいたのに……余は、そなたに、大好きだと告白ができんかった……」
 いや、わかっていたんだ、断られることが。勇者が魔王であるワシの妻になるなど、あるわけがない。拒絶されたくなかった。そうして立ち向かってくる勇者レオナと戦ってしまい、ワシは完膚なきまで叩きのめしてしまった。
 あれから十年の月日が流れている。
 ワシが人間界の侵略をやめて世界は平和になった。ワシの心は救われぬままに。


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