colorless Catトップ

思い残すこと
こわい旅館
AIの選択
生きたくない
安心安楽死






モニター
超貧乏家族


  『思い残すこと』


 目の前の優先席の人が立ち上がった。俊敏に腰を座席に押し付ける──
「やった……」
 ほっと息をつくように呟いた。座れなかったサラリーマンたちが、僕を睨んでいる。
「ちょっと、のいてください」
 乗車してくるお婆さんの声。すし詰めの満員電車で、隙間に身体を押し付けるようにしてやってきた。
「やっぱり空いてないわよねえ」
 御年90歳くらいだろうか。僕は左右を確認し、自分が最年少であることを知った。譲りたくないけれど、立つしかない。
「あら、席が空いたわ」
 僕が「どうぞ」と言う前に、お婆さんはサッと腰を下ろした。お礼の言葉もなし。
 他の人の顔色をうかがう。みんなスマホを触っていた。お婆さんまでスマホをいじりだす。
「は?」
 目を疑った。お婆さんがスマホを触っていることに驚いたわけではない。
 お婆さんだったはずの人は、目もくらむような美しい少女に変わっていたのだ。
 右、左。視線をやってお婆さんを探した。
 ……どこにもいない。
 おそらくお婆さんだった美少女を見つめた。彼女が僕を見て、目が合う。それからスマホの画面を見せてきた。
『ターゲットの死亡まで残り27分32秒』
 僕はクエスチョンマークを表情に浮かべた。
「あなた優しいから、教えてあげるのよ」
「え、なんのことですか」
「ターゲットというのは、君のこと。今日、あなたが死ぬ日。思い残すことがあるならいまのうちにしておくことね」
 ……そんな言葉を信じられるはずなかった。

 高校の前の駅で降りて、歩きだす。
 校門で立ち止まった。時間を確認。……たぶん、あと10分くらい。
「って、なに信じてんだよ」
 バカらしい。
「……クソッ」
 道を引き返した──と、建物の陰にあのお婆さん少女がいる。
 無視して通り過ぎると、彼女は僕についてきた。
「あと、何分ですか」
「9分32秒よ」
 足を止め、振り返った。彼女も足を止める。
「思い残すこと、あるんだけど。でもすぐに叶えられない」
「私にできることなら協力してもいいけれど」
 まるで僕の心を読んでいるみたいだった。
 やり残したことはたくさんあるけれど、もっとも悔いがあるとしたら、それは──
「僕、誰とも付き合ったことがないんです」
「それならお安い御用ね」
 お婆さん少女はそう言って、僕の腕に細い腕を絡ませてくれた。

 そしてなぜかラブホテルの前に連れてこられた。
「いやいや待って、早すぎない?」
「え、叶えたいことって童貞喪失じゃないの?」
 いやもちろんそうだけど。でも物事には順序があるじゃん。
「えっと、初々しい恋人っぽくさ、デートがしたいんだけど」
「でもそういうことのゴールは性交することでしょ?」
「いや、うーん……」
 お婆さん少女はスマホを出す。
「あと4分54秒」
 お互いシャワーを浴びる間に死にそう。
 意を決し、お婆さん少女の手をつかんで走り出した。

 街を一望できる小高い丘の広場。平日なら人が少ない。この街で一番好きな場所だった。
 僕はぜえぜえ息を切らしているのに、お婆さん少女は涼しい顔をしている。その顔に、思いきって口を開いた。
「あなたのことが好きです。僕と付き合ってください」
 ここで告白するのが一つの夢だった。
「私、死神で、しかも4545歳だけど?」
 ……驚いた。しかし四の五の言える状況ではなかったので、ちょっとしか驚けなかった。
「死神でも悪魔でも、なんでもいいです。一目惚れだから」
 お婆さん少女はふっと笑った。
「ありがとう。私も、あなたみたいな優しい人、好き」
 嬉しくて、心臓が止まりそうだった。
「でも私旦那いるからごめんなさい」
 そして心臓が止まった。












  『こわい旅館』


「ずいぶん古い旅館ね。すみませーん……すみませーん!」
 お母さんが玄関で呼んでも、旅館の人はこなかった。
 いーくんはぼろぼろのスリッパを履きたくなかったけれど、お母さんはニコニコしながら行ってしまう。天井には吸い込まれそうな暗闇が広がっていて、廊下も真っ暗だった。
 その廊下で、ふっと小さな人影が横切った。いーくんは、ひぃ、と息をのんだ。
「あの、すみませーん!」
「嫌だ、行かないでお母さん」
「怖がりいーくん、すぐ戻るからここで待ってて」
 お母さんが暗闇に消えていくので、いーくんはすぐにスリッパを履いて後を追った。しかし、お母さんの足音がもうなかった。いーくんは暗い廊下を進んだ。何度も角を曲がった。けれどだれとも会わなかった。やがていーくんは泣きだした。
「いーくん、どこにいるの?」
 お母さんの声だ。いーくんは声に向かって走った。ほんのり明るい玄関が見える。そこにお母さんがいた。
 どすん!
 突然、真っ暗なところに落ちた。
「待っててって言ったのに。迷子になってるんじゃないかって心配したんだから」
 声はするのに、お母さんはどこにもいない。
「ここ、なんだか気味が悪いわね」
 ガラガラ。玄関を開ける音が上から聞こえた。いーくんが天井を見上げると……あの真っ暗な天井ではなく、玄関があった。そこに、さかさまのお母さんといーくんの姿が見える。
「どうなってるの? ぼくが天井にいるの? なんでぼくがあそこにいるの?!」
 いーくんとお母さんは手をつなぎ、外に出ていく。
「お母さん! それはぼくじゃない、本物のぼくはここだよ!」
 偽物のいーくんが、天井で泣くいーくんを見て、ニヤリと笑った。
 怖くて、涙が止まらないいーくんだったけれど、お母さんが偽物のいーくんと行ってしまうのがもっと恐ろしくて、勇気をふりしぼった。必死によじのぼって、なんとか玄関にたどりつき、外に飛び出す。
「うわああああああああああああ!」
 世界の上と下が反対になっていて、いーくんは空に落ちていた。地面がどんどん離れ、地上の物が豆粒みたいになって、ついには宇宙に落ちた。そのうち、地球まで豆粒みたいになって、真っ暗な宇宙へ、ずーっと落ちていった。
 泣いていたいーくんの涙がぜんぶ出てしまうほどの長い時間が経った。
 いっぱい考えごとをして、もう考える力もなくなったほどの長い時間が経った。
 小さな豆粒のようなものが見える。
 それはだんだん大きくなって、地球だということがわかった。
 地上が見えてくる。あのこわい旅館もあった。落ちたら痛いのかな、といーくんは久しぶりに考えごとをした。
 地面に、ぶつかる。
 ハッといーくんは目を開けた。旅館の前に立っていた。旅行が大好きなお母さんはニコニコしながら、入り口に向かう。いーくんはじっと旅館を見つめた。
「いーくん、どうしたの?」
 お母さんの顔を見つめる。なにかを忘れている気がしたけれど、なにも思い出せなかった。
 旅館の入り口を抜ける。
 そこは暗くて、ぼろぼろの旅館だった。
「ずいぶん古い旅館ね。すみませーん……すみませーん!」
 お母さんが玄関で呼んでも、旅館の人はこなかった。
 ずーっと、こなかった。











  『AIの選択』


 AIの選択により、六年交際した彼女と別れた。
『3月9日12時37分にカフェでハンカチを拾い、相性99%の相手と結婚します』
 AIの予測通り、落ちていたハンカチを拾って女性に渡した。彼女も僕と出逢うことはわかっていて、即日入籍した。
 なんの問題もない結婚生活。AIの予測通り彼女が妊娠した。
『本日19時07分、あなたは元彼女に殺されます』
 突然の死の宣告。でも僕は抗う気がなかった。AIは絶対に正しいのだから。
 時間になると元カノが家に押し掛けてきた。僕も妻も元カノも、AIのアナウンスを聞きながら行動する。元カノが妻のお腹に包丁を突き刺そうとしたところで、AIの言う通り僕が割って入り、妻の代わりに刺された。
 死に際の台詞をどうするべきか。AIに尋ねる。
『マスターは最後の言葉を自分の意志で言う設定をされています』
 AIに頼り切っていた僕にそんなの無理だ。
『しかしながらマスターは死に際にこの設定を後悔することがわかっています。なので台詞はご用意しておりましたが、このアナウンスが流れるころには死亡しているので、代わりにワタシがお伝えします』
 あ、それはハズレ、まだ生きてます。もうそろそろ意識なくなるけど。












  『生きたくない』


「生きたくない」
 嫌なことがあるたび、そうつぶやいている。
 人が近くにいるときでも、口をついて言ってしまう。
 バイト中に「生きたくない」と何度かつぶやいていた。それを聞いていたお客さんからクレームが入り、私は店長に叱られた。それを三回やってしまって、その三回目でお客さんが私を動画で撮っていたため、「生きたくない」とつぶやくブサイクな姿がツイッターに流れ、カフェをクビになった。
 さらにそれを見た恋人に別れを告げられた。
 嫌なことは重なるものだ。

『ネガティブなことを口にするのはいますぐやめよう。逆の言葉をいうようにすれば、人生に幸運が訪れます』
 自己啓発書の一説。
 私は鼻でわらった。そんな簡単なことで救われるものか。
「生きたい」
 実際に言ってみると、ひどく気持ち悪かった。『人生に幸運が訪れる方法』こんな本を買った自分がばからしい。死にたくなった。生きたくない。
「生きたい」
 ──今日、電車にはねられて死のう。
 突然の思いつきだった。私は死を決断した。
 でも、逆の言葉を言って幸運が訪れるなら……。
 電車にはねられないはずでしょ?

「生きたい」
 そうつぶやきながら、電車を待つ。
「生きたい」
 まもなく電車がやってくる。
「生きたい」
 きた。
「生きたい」
 私は飛んだ。
「生きたい」
 すさまじい衝撃が私の肢体を散らす。
「生きたい」
 私の頭がホームの壁で跳ね返り、転がった。
「生きたい」
 女子高生と目が合った。
 彼女はその場で吐いた。

 ショックを受けた彼女は毎夜泣いていた。それから、なぜ私が自殺したのかを調べてくれた。
 毎年、私の墓にお参りにきて、慰めの言葉をくれる。
 申し訳ない。でも、ありがたいとも思った。
 あ、ちょっぴり幸運が訪れたじゃん。
「生きたい」
 いまはそう思える。
 死んじゃってるけどね。












  『安心安楽死』


 一錠のカプセルと、一枚の説明書。
 説明書には『コレ一錠で、即即死! ソクシオン』と書いてある。
「あなた、いままでありがとう」
 テーブルの向かいに座る妻がそっと手を伸ばす。夫と手を握った。
「それじゃあ、逝ってくるよ」
 手を離す夫。妻は離さまいと手を伸ばすも、やめた。
 夫は優しい笑顔をみせる。カプセルを出し、口に──手が止まった。
「心配だな……俺がいなくなったあとのことが」
「大丈夫よ。自殺の認可は下りたんだし、私たちの生活は国が補償してくれる」
「うん……けど、父親がいなくなったら、やっぱり子供は辛い思いをするんじゃ……」
「うつ病になって死のうって人が、そんなこと考えるなんておかしいわ。これからのことは、私に任せれば大丈夫」
「そうか。うん、わかった。じゃあ、今度こそ」
 夫はカプセルを口につける。が、離した。
「やっぱり、やめようかな」
「どうして?」
「もう少し、生きてみるのもいいのかもなって」
「だめよそんなの! あんなに死にたがってたじゃない! それにいまやめたら、あなた恥ずかしい思いをしていまよりひどく心を病むわよ? 派手な生前葬式したじゃない……」
「そうだよな。うん。わかった。じゃあ、元気でな」
 妻はほっと肩を下げた。微笑む夫は、カプセルを口に入れる。ペットボトルの水を含んだ──突然、すべてを吐きだした。
「ちょっとあなた! なにしてるの!」
「だめだ、死ねない! お前や子供たちを残して先に逝けない!」
 妻は立ち上がり、吐きだされたカプセルを取って夫の前に立った。
「飲むのよ! それであなたの苦しみを全部終わらせられるじゃない?!」
「やっぱり、俺は、生きていたい! まだお前たちと一緒にいたいんだ! やっと自分の本当の気持ちがわかった。死ぬのはやめる! 直前でやめる人はよくいるし、悪いことじゃないはず──」
 顔を真っ赤にした妻が、無理やりカプセルを夫の口に押しつけた。
「飲みなさい!」
「や、やめろぉ──」
 妻の指が夫の口に押しこまれる。カプセルが口に入ると、両手で夫の口をふさいだ。
「飲め!」
「んっ! んんんん! むぅんんんぬぅぅぅぅぅぅ!」
 妻は片手でペットボトルを取り、夫の口にねじこむ。ごぽごぽ。夫の口から水が零れる。夫と妻の死闘が続く。
 ──ごくり。
 飲みこんだ音がした。嘔吐しないよう、妻は必死で夫の口をふさぎつづけた。
 夫が白目をむく。
 夫の動きが止まった。
 夫から全身の力が抜け、イスからフローリングに、身体を叩きつけた。
 それから、ピクリとも動かない。
「……あなた?」
 口から泡を吹いている。
「あなたああああああ! 嫌ああああああ!」
 妻は泣き叫び、夫の(むくろ)にすがりついた。

 一か月後。
 身なりの整った妻が、鏡台で化粧をチェックしている。
「ねえ母さん、俺、部活で使う新しいシューズ欲しいんだけど」
「いいわよ」
 妻は金のイヤリングを身につけた。「母さん今日も帰り遅いから」
「またあの男とデート? 母さんほんと最低」
「そんなこと言うとシューズ買ってあげないわよ」
「父さんの自殺給付金は俺の金でもあるんだからいいだろ。ていうか、あんま派手に金使ったらだめだよ、給付金止められたら父さんが浮かばれない」
「わかってるわよ。じゃあ行ってくる」
 妻は家を出ていった。
 仏壇の横にある夫の遺影には、ホコリが被っている。












  『モニター』


 会社でたまに気づかれないくらい存在感のない私。
 家ではもっとひどい。母は弟だけを可愛がり、私を無視していた。
 誰にも愛されない人生。彼氏いない歴イコール年齢。

 会社で叱られた。些細なミスだった。ミスしないことだけが私の取り柄だったのに。
 しかし落ち込んだ半面、嬉しかった。自分の存在を認められたから。
 調子に乗ってわざとミスしていたら、クビになった。

「あなたは『スーパー誰にでもモテちゃうぞプラン』のモニターに選ばれました」
 やることがなくて、迷惑メールを一つずつ丁寧にチェックしていたら、そんなメールを見つけた。アフロディーテとかいう怪しい会社名。モニターに参加するためには五百万が必要とある。貯金は四百万あった。あとはサラ金で借りればなんとかなるか。
 自滅的なことをしたかったのだと思う。

 男が花束を差し出してきた。
「一日だけでいいから、デートしてほしい」
 仕方ないので適当に貢がせてやった。
 携帯は四六時中鳴りっぱなし。男たちからの求愛メッセージで溢れ返っている。
 富豪に買わせたマンションに帰ると、すぐに外が騒がしくなった。窓を開ける。ヘリコプターに乗ったタキシードの金髪男がいた。
「マイハニー! 結婚してくださーい!」
 私は両手でバッテンを作り、窓を閉めた。ここはもうダメだ、居場所がバレている。
 私はあえて実家に避難した。
「あぁっ! おかえり、愛しい娘!」
 気持ち悪いほどの笑顔で母がお出迎え。ハグまでしてくる。母は大急ぎで大量の食材を買ってきて、料理を始めた。
「ごはんできたわよぉ」ドアの向こうから甘い声が聞こえた。
「食べたくない」
「あなたのために、一生懸命作ったの」
「頼んでないし」
 すすり泣く声。扉を開けると、泣き顔の母がハッとして、私に頭を下げた。
「食べてほしいです、お願いいたします」
 拳を握った。ドンドンと足音をたてて台所へ行き、炊飯器を開けて、しゃもじで白米をすくう。そのまま口に突っ込んで咀嚼。
「ごちそうさま」
 母は満足げに、にこにこと笑っていた。

 アフロディーテに解約のメールを送った。
 送った瞬間返信がきた。
「『スーパー誰にでもモテちゃうぞプラン』は途中で解約できません。契約書にもそう明記したはずです」
 契約書を確認。……書いてあった。契約書をまともに見なかった自分を呪った。
「えっと、契約期間は……はあ?」
 契約期間はあなたが死ぬまで、とあった。

 連日私に迫る男、男、男。たまに女性。
 いくらマンションやホテルを変えても、すぐ居所がバレた。寝ている間でも、管理人や支配人がマスターキーで開錠して求婚を迫る。モテすぎて身がもたなかった。
 マンションへ移り、その日のうちにさっさとベランダに出て、十四階から身を投げた。
「彼女を全力で受け止めるぞ!」
 うおおおおおお、というものすごい叫び声。マッチョな男たちが瞬時に集まり、腕のクッションを作った。私はそこに着地。
「俺が受け止めた、結婚してくれ!」
「受け止めたのは俺だ!」
「いいや俺の腕が一番、圧がかかった!」
 俺だ俺だの声。もみくちゃにされる私。
 ……なんなのこれ。
「ああ……もう! わかったわよ! みんなちょっと黙って!」
 ぴたりと声がやむ。
「考えがある。あなたたち全員、護衛としてついてきなさい」

 屈強な男たちに守られながら、私は国会議事堂に突入した。首相を含め、誰もかれもが私に求婚を申し込んでくれる。
 私はマイクを握った。
「いますぐ一妻多夫制度を作りなさい。そうすれば、来るもの拒まず──私と結婚したい人とは全員、婚姻関係を結びます」
 ワッ──!
 歓喜の声。万歳三唱。紙吹雪が舞った。

 一妻多夫制度はすぐに施行され、後に私は全人類と結婚した。
 全人類なので、弟も。もちろん、お母さんとも結婚したのであった。












  『超貧乏家族』


 五兄弟総出で、物干し竿の洗濯物を押さえつける。
「今日は風が強いから、飛ばされないようにしっかりね」
「ママ、いい加減洗濯バサミ買おうよ!」一番上の姉が言った。
「無理よ、ウチは貧乏なんだから!」
「デイソーで110円じゃん、余裕で買えるだろ!」長男が言った。
「バカ言わないで! 110円あれば、ティッシュの漬け物がどれだけ食べられると思ってるの?!」
「陽射しが暑いよぉ……もうこんなの嫌だ……」幼い三男が言った。
「我慢しなさい! 今日は天気いいから、午前中には乾くわ! そしたら公園の冷たいお水、いっぱい飲んでいいから」
「貧乏だからって絶対こんなのおかしい……乞食(こじき)して洗濯バサミもらおうよ!」次女が泣きながら言った。
「乞食なんて、心の貧しい人がやることよ! 貧乏でもね、プライドだけは一流でいなさい!」
 兄弟たちはわあわあと叫ぶ。……いつかきっと、私の苦労がわかる日がくるだろう。ママはグッと堪えて、濡れた衣服を天に掲げた。
「それにしても、あの子遅いわねぇ……どこまで雑草を摘みに行ったのかしら」
 トタン板の玄関が開く音。ママが振り返ると、次男が駆けてきた。
「ただいま! みんな見て、これ!」
 そう言って次男が見せたのは、洗濯バサミだった。
「あ、あああああああなた! そんなもの、どこで?!」悲鳴にも似たママの声。
「ごめんママ……ぼく、いつも雑草を摘むついでに、シケモクを拾って稼いでたの。そのお金で、買ったんだ。デイソーの安物じゃないよ? これね、bmazonで買った、2021年令和最新式の洗濯バサミなんだよ! 星4.5でレビュー数1100もあってね、絶対に間違いないやつだよ! 十個入り2800円で高かったけど……代引き手数料もかかったけど……みんなを驚かせたくて、コンビニで受け取ったの。あ、ついでに飲み物買っちゃった。でもジュースじゃなくて、ちゃんと安いお水だよ。みんなの分もあるから。ぼく、えらいでしょ」
 次男はキラキラと目を輝かせている。
 ママは、衣服を放った。
 次男に駆け寄った。
 そうして、次男を、抱きしめた。
「わああああああ! なんて良い子なのおおおおおお!」
 ママは号泣して、腕に力をこめた。
 兄弟たちも、洗濯物を押さえる手を放した。みんな一斉に駆け寄り、全員で次男を抱きしめた。
 ──いや、三男だけは、それを呆然と見ていた。
 強い風が吹く。
 洗濯物が、次々と飛ばされていく。
 三男はお気に入りの真っ白なタオルを目で追った。
 手を伸ばすも、届くはずがない。
 どんどん空の彼方へ飛ばされていく。
 真っ白な入道雲に重なり、いつしか姿を消した。


inserted by FC2 system