魔法シンドローム

第一話.先天性魯鈍魔法症候群(page.A)



 教科書の上で腕を組み、雪景色を眺める。もはや数字を並べる先生の声は耳に入らない。グラウンドでは低学年の子たちが体育で雪合戦をしている。楽しそうだ。算数より何倍も。はやく終わってほしい。
「まことくん」
 少し顔を動かして目をやる。先生はこちらをじっと見つめた。よそ見していたので怒っているらしい。
「問四を、前に出てきて解いてもらいましょうか」
 最悪……解けるはずないのに。先生はそれをわかっているはずなのに。
「ほら、まことくん。先生がきちんとフォローするから」
「わからないからいいです。ぼくのことは気にしないで授業を続けてください」
「わからないからこそ、授業をちゃんと受けなさい。努力をしなさい。そうしたら少しは理解できるはずだから。冷奈ちゃんと陽くんをみなさい、いつもきちんと授業を受けてる」
 二言目には冷奈(れいな)(あきら)の名前を出す。二人は鉛筆を持って授業に臨む姿勢をみせていた。そんなことをしても、同じ病を抱える二人とぼくとの学力は大差ない。先生に指摘されるのが面倒なのでおとなしく従っているだけなんだ。
「ほら、まずは前に出てきて」
「他の人を当ててください、それをちゃんと見てます」
「そうじゃないの、まことくんが先生と一緒にやるの」
 やりたくない。それがぼくの答えなのに強要してくる。教室を見渡せば、みんながぼくを注目していた。自分が愚かで、クズで、ダメ人間だと責められている気分だ。この状況から逃れようと、顔を背けて雪景色に目をやった。無視していれば先生は折れて諦めてくれる。前もそうだった。
「仕方ないわね」
 先生のその言葉で安堵した。素直に折れてくれればいいんだ。あと数ヶ月で小学校を卒業してみんなの前から去るんだし。
「次はまことくんの大好きな体育の時間ね。でも残念。まことくんだけ教室で、一年生のやさしい算数ドリルをずっと解いてもらうから」
 血が、一気に頭へと集中した。
 冗談だと思いたいのだが先生は意地悪な笑みを浮かべている。健常者と過ごす苦痛だらけの学校生活で、唯一楽しみにしている授業を、本気で奪うつもりなんだ。
 我慢できるはずなかった。瞼にいっぱいの涙を溜め、ぼくは立ち上がっていた。冷奈がぼくの名前を叫んだ。窓ガラスが軋み、健常者の誰かが伏せろと声をあげる。轟音と同時に、周囲の机の物が風で飛散した。堪えきれない生徒は身体が傾き、床に倒れる。窓ガラスに亀裂が入った。ぼくの発する強風が、教材や床の埃、黒板のチョークを激しく巻き上げながら先生に到達すると、鈍い音をたてて黒板に頭を打ちつけた。先生は体勢を崩し、床に倒れる。ドアや窓ががたつく。献立表などの張り紙が破れていく。ようやく自制しなければと過ぎるのだが、興奮の波が引かない。生徒たちの椅子と机が床を引きずる。傍にある窓ガラスがついに割れた。意識を、そちらに向ける。風を外に放出する。桜の木が揺れて、枝に積もる雪が風に運ばれてグラウンドに散る。下にいた生徒がこちらを見上げた。ようやく鎮まる。風の流れが落ち着きを取り戻す。
 教室には凄惨な光景が広がっていた。ほとんどの健常者は床に倒れ、教室中に教科書や筆記具などが散らばっている。冷奈と陽はうまく相殺したようで、平然と椅子に座っており、机の物も吹き飛んでいない。ぼくに対する罵声が聞こえる。悪いのは先生だ、ぼくらに対する理解のない大人たちだ。
 先生は咳き込みながらよろよろと立ち上がった。顔の前に漂う埃やチョークの粉を手で扇いで散らす。あーあ、と陽の呆れる声が聞こえた。各々、席を立ち、床に落ちた物を拾う。
「なにか先生に言いたいことはある?」
 口を押さえながら先生がこちらにやってくる。厳しい眼差しだった。
「わざとじゃないです」
「違うでしょ」口から手を離す。「言い訳じゃなくて、同じ人間として言うべき言葉があるでしょ?」
 謝ればいいというのはわかっていた。けれど口が裂けてもごめんなさいなんて言いたくない。
「まことくん」声音がきつくなる。「君は私たちと違う特別な子だから、一足先に社会に出ることになる。その若さで社会人として生きるんだから、すごいと思うわ。だからこそ、いま、礼儀や我慢することを学ばなきゃいけないの。病気で決められた人生の短さに嘆く気持ちもわかるわよ。先生だって同じ病を患っていたら、きっと自暴自棄になる」
 むかつく。ぼくらの気持ちなんか健常者にわかるはずないのに。
 先生は机に移動する。作文用紙を出すのだろう。それを渡されて家に帰される。予想通り原稿用紙を取りだすとぼくの前にやってきて、バン、と机に叩きつけられた。
「反省文を四百字詰め用紙二枚以上書いて、明日提出すること。まことくんが、社会に出ても強く正しく生きていけるように先生たちは厳しくするんだからね。はい、ランドセルに荷物をまとめて。校則に従ってあなたを家に帰します」
 先生は教壇に戻っていった。ぼくは歯を食いしばり、拳を握る。自制しろと心の中で言い聞かせた。ぼくが帰るのをうらやましがる声が聞こえる。授業が再開し、別の子が当てられて解答する。ぼくは後ろのロッカーへ向かう。すれ違う健常者の和也(かずや)くんが薄笑いを浮かべた。ランドセルを取って席に戻り、作文は脇に退けて、乱雑に教科書をまとめていく。
「さすがゆうこちゃんね、正解」
「そんな簡単な問題わかって当然じゃん」
 健常者のなかで和也くんはかなり勉強ができる子らしいから、よくこういうことを言う。
「こら、そういう差別は言っちゃいけないの」
「差別じゃないよ、本当のことだし。いいなあ、病気持ちは変な力が使えるうえに授業の途中で帰れて」
 好きで帰るわけじゃない。そう叫びたかった。代わりに作文を握り潰してやった。
「まことくんなにやってるの! 和也くんもそうやって挑発するようなこと言わないの! シムズの人に対する侮辱行為がどんな結果を生むか、わかるでしょ?」
 和也くんはハッと笑う。「だったらなんでこんな知恵遅れの障害者と一緒に学校生活送るんですか。最初からいなきゃいいじゃん、六年生にもなって掛け算も覚えられないとか馬鹿すぎ。いいよな、そんなんでもなんの努力もせずに甘やかされながら楽に生きてくんだから」
 先生の叱咤が飛ぶ。ぼくはさらに用紙を潰していた。もう我慢できない。けれど同じことを繰り返すつもりはなかった。椅子に上り、割れた窓の外枠に足をかける。
「まことくん、やっちゃだめ!」
 冷奈の声が聞こえるのとほぼ同時に窓から飛びだした。想像より地面が遠く感じる。ぼくの能力の限界を冷奈はわかっているから、四階から飛び降りて無事で済まないと思い止めようと声をあげたんだ。算数のできないぼくでも四階から落ちる衝撃は予想はできていた。だが、なぜかいまならやれるという自信が胸の底から湧き上がっていた。
 雪の絨毯に向かって力を放出する。うまく風が起こらない。落下が速くて思うように集中できなかった。全く速度を相殺できていない。このままだと、地面にたたきつけられる──
 危ぶんだ瞬間、風の音が鳴った。身体が浮く感覚を得る。だがもう遅い。雪は目前だった。鈍い衝撃音をたてて着地するが、両足にかかる力に耐えられず身体が雪につっこむ。痛みが走った。
 先生の声が聞こえる。身体に命令して手足を動かす。足が痺れていた。手足を着き、立ち上がる。行けそうだ。
 雪道を駆けだす。呼び止められるが、振り返らず背後に風を放出して雪を撒き散らしながら、校門を抜けた。



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