魔法シンドローム第二話.魔力の再発現(page.A) |
冷奈は一応全ての力を使えるし、陽は問題を抱えているものの、事実上は全部の力を扱える。ぼくだけは、風しか発現できない。昔そのことで健常者にバカにされた。お前はシムズのクセに扇風機みたいなことしかできないのか、と。当然そのあとぼくは軽く力を暴走させたのだが。 ほら、とおじさんは促す。まあこの人ならぼくをバカにはしないはずだし……。掌をおじさんに向け、炎の発現を試みた。おじさんの顔に向かって手を突きだす。 「すでに力を行使してるのかな?」 ぼくは腕を下げた。「そうだよ」 「君は、まるっきし火気も冷気も発現できないんだろ?」 「どうせぼくは風しか吹けないダメな子だよ」 「ダメなんてことはない」おじさんの口調は強かった。「いまの時代のCIMSは、随分と安全な存在になったんだよ。完璧な 「ふーん。ぼくはSS型なのにそれもできないみたいだね」 できる、とおじさんは頑なに言った。「そしてできるようになっても、みだりに 「ぼく、部活で先生に力の使い方を教えてもらってるよ?」 「その先生はCIMS、シムズじゃないだろ?」 ぼくは頷いた。先生は六十歳を過ぎているので、シムズだったらとっくに死んでる。 「正確には、組織に加入するまでは大人のシムズから力の使い方を学んではいけなんだ。大人、というのは俺たちの場合、小学校を卒業した者たちを指すのはわかってるよね? 力を抑えることや安全な力の使い方を、健常者の教師たちが教えることになっている。俺たちは簡単に危害を加えることができるからね」 ぼくらは頭が悪いけれど、自分たちに深く関わることはすんなり理解できる。だからおじさんの言ってることもわかっていた。 「まことの学年には、人の命を容易に奪えそうな、火気に力が偏ったシムズはいるか?」 ぼくは首を振った。六年のシムズは陽と冷奈、それとぼくしかいないわけだが、二人はどちらも能力が冷気に偏っている。しっかりと火を発現できるのは冷奈だけだ。とはいっても、マッチのような灯火だけど。 「火気に限らず、能力の一つが特出するシムズは、murdererと呼ばれている」 「まーどらー?」 「そう。まことも、murdererに分類されているはずだよ」 ふーん、と鷹揚に頷いた。おじさんは軽く腕を組む。 「変なことを訊くけど、人を殺したいと思ったことはある?」 即、首を振りまくった。「ないない、あるわけがない」 おじさんは微笑む。「正直に言っていいよ。他の人には言っちゃいけないけどね。俺は誰にも君のことを話すつもりはないから。その代わり、まことも俺のことを人に話してはいけない」 「うん……」 「それで、人を殺してしまいたいっていう欲求を抱いたことは?」 ──あるに決まってる。 今日だってそうだった。思いきり力を使って先生を殺してしまいたかった。和也くんなんて、いままで何回脳内で殺害してきたことか。いつも憤激すると、相手を殺してしまいたいと思っていた。 「あるんだろ」 黙っているとおじさん突っ込まれて、ぼくはおそるおそる頷いてしまった。 「その欲求は俺たちシムズに限ったことじゃない。健常者だって相手のことがむかついたとき、多少なりとも殺意が芽生えるものだから。俺だって幼少の頃には覚えがある」 このおじさんも、という言葉で心が楽になった。 「でも俺たちと健常者の殺人には、決定的な違いがある。それはなにかわかるか? いや、わかってるに決まってるか」 シムズとして生まれたそのときから、耳にタコができるほど言い聞かされてきた。子供の健常者が殺人を犯しても、あるいは大人が一時の気の迷いで人を殺害しても、大概は刑務所で服役してから社会復帰できる。けれどぼくらシムズは違う。情状酌量の余地なんて皆無だ。 ぼくらは、人を殺せば即、死刑になる。 それは有無を言わさぬ法だった。『いかなる場合においてもシムズが人を死に至らしめてしまった場合、早急に死刑に処する』この言葉がぼくらには一生、ついてまわる。 「だからこそ、学校では余計な力の使い方を教えてもらえない。それは組織に入ってからの話だ。いや、卒業前になると一度だけ体験任務があるな。そろそろだと思うけど、なんか話は聞いてる?」 「それ、組織の担当が忙しいからって遅れてる。おじさん、どんな仕事をするか知ってる?」 おじさんは首を振った。「なにをさせるかはどの学校も決まってないはずだよ。大概は難しいことをしないんだけどね。健常者に見せるためのショーの手伝いとか、CIMSの理解を深めてもらうための地域交流だとか、街の警備とかかな」 おじさんが挙げたもののなかでは、ショーの手伝いが最も魅力的だった。それまでに飛行をマスターして、みんなをあっと言わせられたらどれだけ素晴らしいことか。……いや、飛ぶのは見せちゃだめか。 「力については、またそのときに教えてもらえるかも。とにかく今日学んだことは人前でひけらかさないこと。君は 当然なので首が痛くなるほど何回も頷く。 「君にはそういう事故を起こせるだけの力が充分にある。本来、離れた場所のボトルにピンポイントで 立ち上がり、おじさんから離れて距離を置く。振り向くと、おじさんはすでにボトルを掌に載せてくれていた。 おじさんの言葉を信じて続行するのだが、まるで手ごたえを感じられなかった。おじさんがタイミングを教えてくれることもあるが、どう力んでもなにも起こせない。しかし、またおじさんにやってもらえば当たり前のようにボトルを逆から吹き飛ばした。それを空中でキャッチした姿はかなりかっこいい。それがぼくにもできるなんて、もはや信じられなかった。でも、もしできたら陽に自慢できる。冷奈も「まことくん凄い、かっこいい」って称賛してくれるに決まってる。健常者だって尊敬の眼差しで見てくれるだろう。 太陽が沈み、辺りは薄暗くなり、公園の電灯が雪の絨毯を照らす。 最初に微弱な 「その調子だよ」 ふいにおじさんが口にした。そう言われても、こんな調子じゃどうしようもない。愚痴のつもりでそう言う。おじさんはくすっと笑った。 「実はね、さっきからできてるんだ」 「え?」 「ボトルの裏から、君に向かって力が動いてる。弱いけどね」 ずっとなにもできていないものだと思っていた。そうじゃなくて、ボトルの裏で 得た感覚を思い浮かべながら、まず 宙に、ボトルが弾かれた。向こう側ではなく、ぼくの方に飛んできている。鳥肌が立った。風を逆向きに起こした瞬間は、言い表せないような妙な感覚があった。ボトルの飛距離は伸びず、おじさんとぼくの中間辺りに落下した。 おじさんはなにも言わずボトルに近づき、雪の上に立てる。ぼくはそこに手を向けて、 「いってぇ!」 愉しそうな笑い声が聞こえた。ぼくはおじさんを睨む。 「さっきは軽くだったのに、コツを掴んだら自分の脛にぶつけて痛がるまでになったじゃないか」 小ばかにされている気がして、眉間に皺を寄せた。 「あとはどうやって飛ぶかだな」 すっかり忘れていた。目的は、離れたボトルを飛ばしてキャッチすることではなく、あくまでも飛行。ようやく飛べるんだと思うと、口元が緩んだ。 「とはいっても時間も遅いから、丁寧には教えてあげられないけど」 えー、と反感の声をあげた。 「君がしっかり飛べるようになるまで付き合ってたら、明日の朝になっちゃうよ」 「おじさん、自由に舞えるようになるまで付き合ってくれるって言ったのに!」 おじさんは眉を上げてわざとらしく肩をすくませた。 「こんなに時間がかかるとは思わなかったんだ」 おじさんは傍に近寄ってきて、手を伸ばしてくる。撫でられるんだとわかった。その通り、頭に手が乗る。なぜか左手も肩に置かれた。ふいにおじさんが身じろぎする。両手に力が加わる。 突き飛ばされた。 意味がわからない──あまりにも急で頭の中は混乱に陥った。雪面に向かって倒れていく。なぜ攻撃的なことをされたのか。ぼくが生意気だから? 風が、ぼくの身体を抜ける。次の瞬間、背後から視界の中に雪が飛び散った。同時に背が押される。足が浮いた。思わず暴れるが、肢体は地面に届かない。 「動くな!」 強い声がぼくを硬直させた。それなのに身体がふわふわと揺れている。風に支えられているんだ。更に押し上げられて、どんどん地上を離れていく。 「おじさん止めて、高すぎるよ!」 「俺を信じろ。いまからまことをグラウンドに向かって飛ばす。俺がどんなふうに能力を発現しているか、身をもって覚えるんだ」 いざ飛ぶとなると、死の恐怖が過ぎった。けれどおじさんに任せるしかない。 「まことは余計なことをするな」おじさんは大声で言う。「滑空をはじめたら、身体を広げて、風を受けるようにしろ! あとはそのままじっとしていればいい」 唾を飲み込んだ。乾燥していて全く飲めていないけれど。 ごう、と音が鳴ったと思うと、上昇気流が起こり、また更にぼくを持ち上げていった。わー、と叫ぶことしかできない。勝手に声音が高くなり、女の子みたいな悲鳴になっていた。木々を抜けてもまだ上がり続ける。横目に明かりの灯った街並みが見えた。景色が横切っているので、斜めの方向に放りだされたんだとわかった。 ふっと、力が消失する。まずいと思った。予想通り落下をはじめる。身体が回転して、正面が地上に向いた。公園の木々が眼前に広がっている。想像以上に高い地点まで舞い上がっていた。このまま落とされれば、ぼくだけの力で着地するのは不可能──ダメっ、絶対に死ぬ! 風に乗る感覚があった。おじさんの言葉を思いだし、身体をいっぱいに広げる。それは「大」の字に近い。すると、明らかにぼくは空気の上を滑っているように感じられた。まるで風の道が進むべき方向に敷かれているようだ。グラウンドの方へ突っ切っていく。猛スピードで進んでいくのだが、すでに恐怖心は消えていた。ぼくの正面には、確かにおじさんの発現する風を感じられたから。 グラウンドに入ったと思ったら、あっという間に行き止まりのフェンスまで来た。ぶつかる、と一瞬だけ恐怖を抱くが、当然そうはならず風に乗って曲がっていく。旋回させられながら、おじさんの姿を探した。グラウンドの端にいる。……ありえない、あんな長距離から、能力をここで発現させているってこと? そんなことぼくにできるのか。いま飛ばされていることは、もちろん凄いことなのだが、冷静に考えると滅茶苦茶な技能なんじゃないだろうか。 おじさんに向かって滑空していく。落ち着いて力の発現の仕方を感じ取ると、全く無駄がないことがわかった。飛行するために必要な分の 「うわっ」 きちんと降り立ったと思ったら足がもつれ、雪の上に尻餅をついた。 「大丈夫か? 悪い、気を抜いた」 おじさんが駆け寄ってくる。心配をしてくれているが、ぼくは笑った。くすくすと。次第に、大声で。 「どうした?」 「いえ」立ち上がった。「足腰が震えただけです。おじさんの力のコントロールは最後まで完璧でした」 「君を転ばせてしまったんだから、配慮は足りなかったよ」 プロ意識というやつだろうか。おじさんは背後に回り、お尻の汚れを手で払ってくれる。 「どうやって飛ぶのかは理解した?」 一応、と言う。「おじさんの技術力は高すぎます。あんなにも遠く離れた場所から力を 「やり方さえわかれば難しくない」おじさんはぼくの前に来た。「呆れるほど簡単だよ。全部、君にもできるようになる」 おじさんは天才的な 「きっとぼくは、自由に飛べるまでもっと時間がかかる。もう少しだけコツとか教えてよ。それか、もう一回空を飛びたい」 迫るように言ったのだが、おじさんは首を振った。ぼくは両肩をがっくりと落とした。 「時間も遅くなるし、お母さんが心配するよ」 俯けた顔を、サッと持ち上げた。ぼくとおじさんは少しの間、言葉を交わさずに見合う。おじさんが小さな笑みを零した。 「俺はもう行くよ。じゃあな、まこと」 おじさんは背を向ける。待って、と急いで声を出した。 「また今度違う日に色々教えてよ」 おじさんは止まらず、歩いていく。ねえ、とぼくは声を張り上げた。 「もうこの街を離れるよ。教えてはいけないことを君に色々教えちゃったし」 「ぼく、誰にも話さないよ?」 「そうしてくれると助かる」 離れた位置でおじさんは立ち止まり、振り返った。ぼくはおじさんの顔を凝視した。おじさんから顔を逸らされ、それからなにも言わず身を翻し、歩きだす。なにか、別れの挨拶をしたいのだが、口を開いても言葉が出てこなかった。……違う。本当は別れたくないんだ。胸中ではおじさんを追いかけて、裾を握りしめたい衝動に駆られていた。 ぼくは一歩を踏みだす。急に、おじさんがしゃがんだ。かと思うと周囲に風が巻き起こって、おじさんの身体を持ち上げる。はじめはゆっくりと浮き上がっていき、その間おじさんを呼んだが、声は風に阻まれてしまう。それでも負けじと大声をあげた。 「おじさん、最後に名前を教えてよ!」 おじさんの飛び上がるスピードは速くなり、木々の向こう側へ行ってしまう。走って追いかけるが、あっという間に冬の澄んだ星空の中へと消えていった。 視線を地上にやり、白い息を吐く。あのまま飛んで帰るのだろうか。あの人が言っていた「昔は自在に長時間飛びまわれた」という言葉。それはぼくが想像するスケールを遥かに超えているんじゃないだろうか。 ペットボトルが目につく。拾おうとしたが、止めて、地面に立てた。辺りを見渡し、公園灯に照らされる鉄網のゴミ箱を見つけた。ボトルに向けて微弱な 「やった!」 最初はあんなに苦戦していたのに、一度やり方を理解してしまえば簡単だった。嬉しくて、くすくすと笑うのを止められない。公園にはもう人の気配がないので気にしなくていい。ひとしきり笑い、それから少しの間、鼻をすすった。 |
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