1 隣の部屋から、お母さんの喘ぎ声。 ぼくはパズルゲーム「ぷよ」に没頭する。連鎖をくみ上げていれば、気にならない。 しばらくして上半身裸の男が出てきた。 「お、アル坊、帰ってたか」 ふすまの向こうで服を着るお母さん。ぼくは自己最高の十四連鎖をくみ上げる。 「またこれやってんのか」 男がぼくの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。 「あっ!」 ぷよがずれた。 「どした?」 男を睨み、妄想で包丁を突き刺した。 「なんだその目つき。俺は将来お前の父さんになるかもしれねえんだぞ、コラッ」 男がぼくを蹴った。何度も足を振った。ぼくは身を丸くして耐えた。 「ちょっとやめてあげてよ」 服を着終えたお母さんが、男を止めた。 「悪い……やりすぎた」 急にしおらしくなる男。お母さんに抱きついて、ごめん、と言った。お母さんは男を撫でた。 「実を言うと、またちょっと金が必要なんだ……貸してくれないかな」 「えー! もぉ、いくらなの」 「いくらでもいい」 お母さんは渋々、財布から一万を出す。 「ありがとう。ユウミがいてくれて、俺は幸せだよ」 男はお母さんの横髪を撫でて、頬にキス。お母さんは嬉しそうに相好を崩した。 金を受け取ると、男は帰った。 ネットでロト7の抽選結果を見るお母さん。ぼくも隣でモニターを眺めた。一度、当たったことがある。一番初めに買った数字が、4等の1万円。以来、毎週買うようになったが、すでに一万円以上は使っている。 今回もはずれたようで、ぼくはさっさとゲームに戻った。 「あー、くそーハズレ……えっ、待ってよ、うそぉ! アルくん見てよ!」 お母さんはぼくにクジを見せる。3、6、11、13、18、20、34。モニターに映る当選番号は、4、7、12、14、19、21、35。すべて一つ数字がずれていた。 「すごい偶然」 「でしょ? 一個ずれた数字買ってれば億万長者だったのに!」 お母さんは携帯で自分の顔とクジを撮影した。ツイッターにあげるんだろう。 真っ暗な天井を見つめる。あいつに蹴られたことを思いだす。父さんになるかもしれない、という言葉。 「あいつと結婚するの?」 隣の布団にいるお母さんに聞いた。 「向こうが本当にその気ならね」 「……乱暴だから嫌だ」 「大丈夫だって、タケシは私の言うこと聞くし。怒りっぽいところあるけど、優しいよ。めちゃくちゃかっこいいし」 タケシはこれまで出逢った男の中で、一番顔がタイプだとお母さんはよく言っていた。かっこいいことは認める。でもすぐ怒る。 お母さんがぼくの布団に来て、抱きしめられた。 ぼくは目を閉じる。 「おじいちゃん、おばあちゃん、行ってくるね!」 玄関を開けると、向かいに住む 「 万実は赤いランドセルを掲げる。 「そうやって言われると持ちたくなくなるなあ」 「じゃあいいわよ」 ランドセルを下げようとする手を、ぼくは掴んだ。 「持つってば」 万実はさっと手を引っこめる。急に団地の階段を駆け下りていった。 「おい待てよ」 万実のランドセルを抱え、ぼくも階段を駆け下りた。 万実はいつものように鼻歌を歌いながら、通学路を歩く。暑いのに、へっちゃらな顔だった。前にぼくが「万実っていつも楽しそうだな」と言ったら、「楽しそうにしてれば、本当に楽しくなるから、楽しそうにするんだよ」と言っていた。 「あ、ねえねえ、明後日の日曜ヒマ?」 「ヒマだけど」 「なら一緒に七夕祭り行こうよ」 「はあ? なんでお前と行くんだよ、女子となんて行ってられるか」 「えー、なんでそんな言い方するの!」 「お前、友達いるんだから、そいつらと行けばいいじゃん」 「有飛に友達いないから一緒に行ってあげるんじゃん!」 「やめろよそういうの、いいよぼくは」 赤いランドセルを抱え直し、ダッシュする。バカ、という大声がだいぶ後ろで聞こえた。 校門前にリムジンが止まる。男子が出てきた。いってらっしゃい、と車の中の男の声。いってきます、と男子。 「金持ちはすっげえよな、高級車で送ってもらってそこからいってきますだぞ」 「なんかずるしてる感じで嫌」 「うらやましいって素直に言えよ」 「うらやましくないもん」 万実は純のことをうらやましくないと必ず言う。リムジンが離れると、周囲にいた彼のファンの女子たちがすぐ集まってきて、「純くんおはよう」と声をかけた。 「万実は行かなくていいの?」 ああいう空気苦手、と小声で言う。万実は変わり者だ。 純たちはゆっくり移動しているので、すぐ追いついた。純がこっちを見る。 「おはよう。たしか、永井有飛くんだ」 「へえ、ぼくの名前を覚えてくれてるんだ。アルト、なんて変わってるだろ」 純は首を振る。「かっこいい名前だよ」 照れ臭くなった。「こっちの名前は知ってる?」 「宮部万実さんだね。生徒の名前は全員覚えてるから」 すげえ、四クラスもあるのに。 「宮部さん、いいね。彼氏にランドセル持ってもらって」 「違うわよ!」 「違うって!」 万実と同時に言った。純は笑った。 「ぼくはただトレーニングみたいなつもりで、こいつのランドセル持ってるだけ」 「有飛、毎朝なぜかあたしのランドセル持とうとするのよ。断ってもトレーニングを邪魔するなとかなんとかわけのわかんないこと言うの」 「毎朝?」純はいたずらっぽく笑った。「毎朝一緒に登校するんだ。絶対に特別な関係でしょ」 ぼくは団地住まいであることと、向かいの部屋に万実が住んでいることを話した。 「ただそれだけだよ、万実のことなんとも思ってない、これマジ。なんなら純のランドセルも持つよ」 「ほんと? じゃあ遠慮なく」 純がランドセルをぼくに渡す。 「まだ手が空いてるから、ランドセル持ってほしい人はぼくの腕にかけて」 純の周りにいた女子たちが、腕にかけていく。純は面白そうに笑っていた。万実はどうしてか、むすっとしていた。 「明後日、七時に大宮神社よ。迎えにいくからね」 下校中、万実は何度もしつこく言った。 「だぁ、かぁ、らぁ、行かないって言ってるだろ」 ぼくもしつこくそう返した。けれど。 日曜の午後七時三十分。まだ、こない。万実は迎えにいくと言ったら絶対来るのに。まあ、来ても「行かない」で追い返すけど。 ぼくはゲームに集中する。と、インターホンが鳴った。ぷよを中断して、玄関に行く。鍵を開け、ドアを開いた。 「だから祭りは行か……」 「あぁ? 祭り?」 タケシだった。 「か、母さんなら、いないよ」 「ふーん、まだ店か」 ずかずかと家に上がりこみ、勝手に冷蔵庫を開けて、缶ビールを出して、飲んだ。 「なに見てんだよアル坊。睨んでるのか?」 ぼくは素早く首を振って、ゲームに戻った。 カチカチカチカチ。秒針の音。タケシは隣で、ぷよを眺めていた。三本目のビールを開けて、ぼくのポテチを食べながら。時刻は七時五十四分。万実はこない。 来てほしかった。こんなやつと一緒にいるくらいなら、万実と出ていった方がずっとよかった。 「たのしいかぁ、これ。よく飽きずにやってられるなあ」 ぼくは集中して、十五連鎖を構築する。 突然目の前が真っ暗になった。タケシが腕で、ぼくの両目を覆っていた。 「なにするんだ!」 タケシに向かって、両腕を突きだす。酔っていたタケシは、ダルマのように簡単に倒れ、顔にビールをぶちまけた。 「あ……ごめんなさい」 「ふっざけんなよ、クソガキ!」 飛び起きたタケシは、その勢いでぼくを殴った。 倒れたぼくは、何度も殴られた。ぼくはずっと謝っていた。それなのにタケシは、許さねえ、と言いつづけて、殴るのをやめてくれない。 窓の外に花火が見える。 綺麗な花火が、だんだん霞んでいく。 ……七夕祭り、行けばよかった。 |
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