彼女が僕の中にいる

第四話.僕が僕に口づけをする(page.B)



 土曜日、雪兎を津島市に行かせた。僕の住む町はのどかな田園風景しかないのだが、隣町である津島市まで行けば──まあそこも農地ばかりだが、天王川(てんのうがわ)公園という、元が(みなと)だった場所があり、そこで七月には、日本三大川祭の一つである尾張津島天王祭が行われる。そのためか津島駅周辺は微妙に栄えていた。
 外はどんより曇っていて湿度が高い。目的地は図書館だが、まずは最寄りの「ナナツヤ」というショッピングセンターに隣接する大型書店に立ち寄った。探すのは、人格について書かれた本だ。それについて調べれば、外に出るヒントを得られるのではないかと漠然と考えていた。が、有益な本はない。しかし一冊、雪兎の胸に引っかかった本があった。彼は自分の現実を直視したくなくて手に取らなかったが。
『虐めに遭っているあなたへ、虐めの現場より』
 実用書コーナーを出ようと考えた彼にいってやる。僕の言葉が本の名前だとすぐに気づき、脈を乱した。
『直球すぎるタイトルに動揺してるね』
(なに、僕を煽ってるの? その本は僕らが探すものじゃないのに)
『君は自分が虐められてるって自覚したくないから、見ないふりをしようとしただろ。僕からいわせてもらえば、過剰に反応しすぎだよ。それって自分が虐めに遭ってるって半分認識してるようなものじゃん』
 雪兎は苛立ちを覚え、うるさい、と思考する。
『落ち着きなよ。僕は、君だ。しかも客観的に物事を述べることもできる。君みたいにいじられてる人って多いんじゃないかな。そして、君よりもっと過酷な虐めを受けてる人も、数えきれないほど存在してると僕は推察するんだ。それを確かめられるかも』
 彼は、興味を示した。ゆっくりと引き返し、本を取り、店内に設けられている椅子に座る。本を開いていく。虐めを受けている人たちと筆者との交流の様子が書かれていた。本の中の虐めは、やはり彼が受けるものなんて非にならないほど過酷だ。靴を捨てられる、金銭を要求される、信じていた友達が虐めに参加する、自転車を誰かにパンクさせられる。鞄を切られる、ノートに「早く自殺しろ」と書かれる、体操着にバッタの死骸がこびりついている、など。残念ながらといえるのか、彼のようなケースの紹介はない。雪兎は、自身が思う以上に心が強いんだ。だから中途半端ないじられで食い留まっている。
 ざっと読んでいき、ふと筆者の言葉が目に立った。
「自信というのは、内面の心臓。それを他人に委ねるのは危険である。自分自身で自分の価値を肯定することが、虐めに打ち勝つ一つの武器になるのではないだろうか」
 彼の中で言葉が少し響くが、納得がいかないとも思っている。だが僕は違った。なるほど、といった。
『筆者は自信を他人に委ねるのは危険っていってるけど、逆に、僕に委ねればいいよ。僕は他人ではなく君自身だから』
 彼は理解して、僕の存在を心強く感じた。
 本には他にもこんなことが書いてあった。
「虐めは、加害者の環境に要因があるケースが実に多い」「虐めを行うのは、自己の肯定や安心したいがためである。誰かを支配して優位に立つ、敗者を作り自分を勝者に仕立て上げる、虐めの集団で仲間意識を確認するなど。そして虐めの対象に選ばれるのは大概、周りとは違う、か弱いはみだし者である」
 活字を追うことに疲れ、本を戻した。ファッション誌でも眺めたら? と僕は勧めてみた。普段は絶対に読まないのだが、地味さを意識し始めている彼はメンズファッション誌を手にした。そこに載っているモデルは誰もがイケメンで、服装は自分の知識からかけ離れており、理解に苦しんだ。今は、ジーンズ、上は黒の半袖、冷房対策に白黒のチェック柄の薄い長袖を羽織っているのだが、そんな身なりのモデルはいない。服は母と出かけたときに、自分で選ぶ知識がないためいわれるがままなんとなく買うのだが、やはりこういうものをチェックして選ぶ方が良いのだろうか。

 図書館に来るのは受験勉強以来だ。築年数は古いが、利用者が多いため人気作家の新刊なども入っている。
 多重人格について書かれた本が一冊あることはわかっていた。見かけたときは、手に取って少し開いた程度だった。本は誰にも借りられることなく同じ場所に収まっている。
「マリアは彼の中で生きていた〜とある人格者の生涯〜」
 そう、こんなタイトルだった。本を手にしてテーブルの前の椅子に座る。雪兎は伸びをして、大窓を見遣った。外は木々が立ち並んでいる。トヨナガボールの光景が過ぎった。空は相変わらずの灰色。雨が降りださないか心配だ。視線を本に落とし、開いていく。
 タイトルの通り、これは解離性同一性障害(DID)の人格に焦点を当てたノンフィクションだった。著者は別の人で、女性ライターである。そのライターがアキラ(仮名)という男性に出会い、DIDであることを知り、その中にいるマリア(実名)という人格のことが主に書かれている。
 アキラがDIDとなった引き金は、幼児期の虐待ではないだろうかと述べられていた。父と義母による限界を超えた身体と精神への過酷な仕打ちの連続により別人格が形成された。彼が苦痛を受けると人格交代をした。やがてその人格だけでは耐えきれなくなり、他にも別人格が形成されていった。そうして六番目に生まれたのがマリアだった。
 このマリアという人格は、アキラにとっての女性の理想像が色濃く反映されていた。マリアは、アキラの癒し手だった。そうしてアキラは、マリアに強い好意を寄せていた。マリアがそれを慈愛で受け止めていた。
『うわあ、僕にそっくり』
 と、突っ込んでやる。雪兎は喉を鳴らす具合に、うん、といった。
 マリアの、アキラに対する考え方は、聖人そのものだ。アキラが悪戯や犯罪行為の類をしても、マリアが行いを赦した。本を万引きして見つかったとき、激怒する店長に耐えられなくてアキラは引っ込み、マリアは身代りになろうと表に出て謝罪することもあった。アキラの豹変に店長はあっ気にとられ、本を買うことでこの件を内密にしてくれた。
 女性ライターとの出会いは、アキラが二十一歳のことだった。アキラにとって、自分のことを深く知ってくれる実在の女性は彼女が初めてだった。ライターはDIDである彼に強い興味を示し、特にマリアが気に入った。まさに完璧な聖母のようで、神仏を拝むように陶酔していったのだという。
 一方のアキラは、好意的に接触してくれるライターに惹かれていった。だがライターはマリアのことばかり口にするので、次第に虚しさを感じていった。でも大好きなマリアに嫉妬したり憎んだりはしない。ただ自分にももっと興味を示してほしいと強く願った。
 ある日、マリアが「私が知りうるアキラのことを全て話したい」とライターにいった。虐待等の話はそのとき発覚した。当初ライターは、アキラのことを本にするつもりなどなかったが、マリアから興味深い話をたくさん聞かされて、著書にしようと思い立った。
 そうして、マリアは唐突に、消えた。なんの前触れもなく。
 消えた理由をアキラも知らなかった。マリアがいなくなったことを、二人は悲しんだ。
 なぜマリアが消えたのか。その理由は、四番目の人格であるカズキが知っていた。表に出てきたカズキは、ライターにこう告げた。
「俺様が食った」
 アキラも知らないことだったのだが、カズキは別人格を喰らうことができるのだという。箱庭と呼ばれる中の世界では、文字通り、相手を解体し、骨まで残さず食ってしまう。すると食われた者の情報を全てカズキが持つことになる。マリアに頼まれて仕方なく食ったのだと、カズキは嬉しそうに笑いながら喋った。
 マリアは手紙を残している、とカズキはいった。「アキラは私に強い好意を寄せすぎていた」「アキラのためにいなくなる必要があった」「私たちはアキラのための存在だから」そういったことが書かれている。マリアは、過度に自分に依存しているアキラの未来を危ぶんでいたのだ。自身がアキラの人格の一部に過ぎないことを理解していたマリアは、外部の信頼できる存在を探していた。実のところ、その願望自体はアキラのものでもあった。マリアは、女性ライターの目をアキラに向けさせるため、そしてアキラの好意をしっかり外部に向けさせるために消えることを選択したのだ。手紙にはそこまで書かれていた。
 その後の経過を読む。悲しいことに、アキラとそのライターが恋仲に発展することはなかった。だがライターは彼の一番の友人として傍に居続けた。そこにはマリアを消した負い目もあったのかもしれない。
「別人格は好き勝手することもあるけれど、基本的には主人格を強いショックなどから護るために存在している」という筆者の言葉が目に入った。たとえば、別人格が肉体を乗っ取るフィクションがあるが、実際のDIDでそのようなことは起り得ない。別人格は生きるために必要があって形成された主人格の一部に過ぎない。マリアも、カズキも、結局のところ、アキラという存在の欠片ということ。凄惨な記憶を担った、アキラを辛いことから守る役目を負った身体の一部に過ぎない。そう語られていた。
 まる一冊読む集中力はないので、切りの良いところで止めさせた。
(外に出られるヒントなんてなかったね)
 彼は本を棚に戻す。僕にはなんとなく思うことがあった。DIDと同じく、僕は真白雪兎の別人格なのではないだろうか。DIDになりうる強いストレスには覚えがある。高校に入ってからだって心労の連続だったけれど、そんなものとは非にならない出来事が、小学生の頃にあった。
 突然の父親の死。
 その強烈なショック、まるで世界の終わりを告げられたような喪失感は、僕の痛みとして憶えている。僕は父親と深い繋がりになかった。父の愛情は、兄によく注がれていた。たまに僕に関わってきても、それは僕のやっていることにケチをつけることぐらい。ゲームで遊んでいても、そんなつまらないものは止めろと頭ごなしにいわれ、リコーダーで難しい曲が吹けるようになって自慢してみれば、吹き方が雑だし子供の頃の自分はもっとうまかったという。絵を描いていると、自分の方が上手だと父が描いた絵を見せつけられた。
 何も認めない父に苛立った僕は、兄も一緒に遊んでいるとき、勝負を挑んだ。その内容は、足を止めた人が負けという持久走だった。簡単に勝てると思ったのだろう、父は受けて立った。
 それは足の速さでは一切競わず、とにかく走り続けるという不毛な勝負になった。負けず嫌いの父は足を止めず、僕も有り余る体力で粘り強く走り続けた。つまらない勝負だといい、兄はすぐに脱落する。スタートから二時間ほどが経過して、ようやく父が足を止めた。
「参った! 足腰の強さと根気と根性は雪兎の方が凄いよ、父さんは勝てない」
 このとき、父は初めて僕を肯定して認めた。
 その次の日、父は仕事中に高い足場から滑って落ち、頭を強打して、死んだ。
 それが自分のせいだという推測は容易に立ったが、誰も僕を責めなかった。兄も、母も。お父さんの不注意で死んだのだと。プロの大工のくせに足を滑らせて落っこちるなんて大バカよ、とお母さんは涙ながらに口にしていた。
 雪兎はいつのまにか椅子に座っていた。ほぼ同じ思考を辿っていて、ぼんやり父のことを考えている。
『僕も同じくお父さんのことを考えてたよ』
(……雪にとっても、お父さんなんだよね)
 そう彼は認めて、思考を続けた。
 雪という人物を脳裏に描き始めたのは、まさしく父の死の後からだった。だがトラウマを別人格が引き受ける、なんてことにはなっていない。DIDはもっと幼い時期に、その子の精神を引き裂くような限界を超えたトラウマ体験によって引き起こされるものだ。人格がだいぶ形を成した小学三年生には、そのようなことは起こらなかった。僕は月日が経てば父の死を受け入れることができていた。父を思い出して泣くことも、胸が苦痛に襲われて不眠になることもなくなっていった。その代わりなのか、僕はよく走るようになっていた。朝は悠長に過ごして遅刻ギリギリになってから走って登校していたし、下校だってほとんど走った。そうすることで心のもやもやを紛れさせようとしていたんだ。
 図書館を出て、薄れた雲間を仰ぐ。館内は除湿器が稼働していたから、外の空気は粘着性があって肌に張り付くようにじめっとしていることがよくわかった。雪兎は歩きだす。
「まだどこかで本を探す?」
 もうその必要はないよ、と答えた。外に出ることを諦めたのかと彼は思う。
「まあでも、雪のお蔭で面白い本が読めたよ。これからどうする? どこか行きたいところはある?」
 彼の心境はまるで恋人に訊ねているふうだった。二次元の嫁と脳内デートをするのと変わらないように感じ、僕は笑った。
「どうして笑ったの」
『いや。それじゃあ人目につかない、とても雰囲気の良い場所に行きたいな』
 彼は素直に脳内検索し、祭りが行われる天王川公園を思い浮かべた。
『そこも良いけど、人目につくじゃん。僕らにとってもっと良いところがあるだろ?』
 雪兎は考える。ちらっとトヨナガボールが過ぎるも、否定した。恋人と行くような場所じゃない、なんてアホなことを考えてやがる。
『雪兎、何度もいってることだけどさ……』
 彼はよからぬ空気を察した。ポケットから鍵を出し、自転車に挿す。
『僕は真白雪兎なんだよ。君も真白雪兎。だから恋愛感情みたいなのを持たれると、複雑な気分になる』
(それは、わかってるよ。でも雪に好意を寄せちゃうのは仕方ないだろ。僕は君に惨めだった心を救われたんだ。想いを抑えることなんてできないよ)
『君のその気持ちも理解できてる。でも君は僕の気持ちを理解できないから、こうやって述べる必要があると思ってるんだよ。僕はさ……』
 ……男として、西村さんに、好意を抱きはじめてる。
「僕はさ、の後は?」
 彼が低い声で呟く。僕は黙った。自転車を出して、跨る。そうして彼は、勝手に自身を責めだした。雪兎の良くない癖だ。
『君は鏡に向かって心から愛してるっていえる?』
 そう問いかけると、雪兎の胸が詰まった。鏡に愛を告白する姿を想像して、不気味にとらえた。
『ほとんどその感覚なんだよ、僕が雪兎に感じることって』
 ショックを受けて呼吸が止まる。頭のどこかで、僕とは理想的な恋愛に発展するのだと信じていたのだが、そんなふうにはなり得ないのだと、ついに彼は思い知った。落胆し、絶望した。
「……じゃあなんで昨日、僕のオナニーを手伝ったんだ!」
『おいバカ、すぐそこに人がいるんだぞ、自重しろ』
 大学生くらいの女性がこちらを見てから、そそくさと自転車に乗って去っていった。
「ねえ、雪、答えてよ」
『……とにかく、ここを出よう。トヨナガボールに向かって』
 なぜなのかと雪兎は疑問に思うが、素直に自転車を漕ぎだした。
 彼は胸を苦しめている。雪の気持ちは自分に向かない。言葉責めで気持ちよく自慰を最後まで導いてくれたくせに、雪を好きになってはいけないのか、君は僕の中にいるのに、と。泣きだしそうになっている。
 トヨナガボールに着き、三階のレーン場に足を踏み入れた。
 広大なフロアは、雲間からようやく射した西日によってほのかに照らされ、柱や死んだように転がるピンとボールが影を作っている。整然と配置されたレーンやベンチを見つめていると、かつての賑わいが浮かぶようだ。大窓の付近には、長い年月をかけて鳥が糞により種を持ち込んだからか、青々とした草が生えていた。割れた窓枠の向こうを一望する。眼下には木々。その先には領内川。それは日光川に合流する川だ。その向こうに立ち並ぶ家々、もっと向こうに広がる津島市。自分のいる場所を再確認すると、ボーリング場のはずなのに、まるで異世界だった。窓外の現実から隔離された別次元。ここの壮大さを以前も確認したはずなのに、また、彼も僕も、絶対に打ち勝てない強大な威厳に対して感奮し、圧倒されていた。
 僕が先に我を取り戻して彼を呼んだ。雪兎は返事をしたが、棒立ちになって外を眺めている。
『君のことは好きだよ』
「──へっ?」彼はサッと顔を右側に向けた。驚いて思わず動かしたようだった。
『景色を向き続けてよ、僕もそっちを見ていたいんだから』
 雪兎は外に視線を戻す、好きという言葉について疑問を浮かべた。
『僕は真白雪兎を否定できないんだよ。だって自分自身でもあるからね』
 気の弱さ、辛い社会性に押し潰されそうになりながらも立ち向かっていく姿、西村さんとの関わり合いに怯える姿、暗く塞ぎこむ姿、色んなダメなところも、自慰をしてしまう姿だって、それは僕の姿でもあるのだから……愛おしくさえ感じていた。
 けれど、どうしても一線を引きたかった。嫌悪感がないといえば嘘になる。彼に対する不気味さと愛しさが僕の胸中で競合していた。不快感を押し殺して、彼に僕の全てを与えることは簡単だ。でもそうはなっちゃいけないのだと思う。それが僕と彼の将来のためになるのだという確信すらあった。
『僕の中の真白雪兎から、君はどんどん前に進んでる。そこに魅力を感じてもいるよ。君が変化していく姿は、見ていて気持ちいい。まあそれらは僕のお蔭でもあるんだけどね』
 少し生意気なふうにいってみたが、彼は否定しなかった。
「それじゃあ、僕がもっと変化すれば、雪は本気で惚れてくれる?」
 直前の思考でわかっていたのだが、彼は決意を込めてはっきりと声を出したので、僕の心が、動揺を感じた。
『それは、わからない。でも今よりは更に好感を持てるかもね』
 卑怯な言い方をしてしまった。チャンスがあるんだ、と彼は思う。
『ねえ、一つ聞きたいんだけど、仮に僕がこのまま一生外に出られないとしたら、どうするの。それでも僕にそうやって好意を寄せ続ける?』
 雪兎の胸が詰まった。でも、それでも雪を想いたい、と心で述べている。だが若干そこに嘘が紛れ込んでいた。いつか僕が外に出るはずだという可能性を抱いている。そのときは二度と自分の中に入れず、真白雪を現実の存在として母に紹介し、一緒に暮らす、というところまで妄想していた。
 ……何もいえない。彼が僕を愛する気持ちが痛いほどわかってしまうから。
 太陽に雲がかかった。すると内部は一気に薄暗さを増す。僕は深い迷いの闇に呑み込まれていく。雪兎の雑念すらよく感じとれなくなっていた。約束を果たしてあげていいのだろうか。何もしないほうがいいんじゃないだろうか。
 僕は、彼の本気の愛が怖いんだ。それにどうしても応えられない自分がいるから。でも彼が目標を達成したのに、僕は何も与えないなんて不公平だ。叶えてあげないと、かわいそうだ。だからこそ、試してみる前に、これだけはいっておかなければいけない。
『僕は、雪兎に一線を引きたい。これが君にとってとても悲しいことだってのはわかってるけど、でも僕のこともわかってほしいんだよ。僕の姿は女でも、真白雪兎という男なんだ。僕が外に出られるようになっても、君の想いを受け入れることは絶対にできない』
 予想通り、雪兎はひどく傷ついた。また泣きそうになっている。いいや、もうほぼ泣いているようなものだ。まるで長年連れ添って愛を育み信頼していた妻に突然、裏切られたみたいだった。
 そんな様子を思い知らされると、僕の胸は、きつく締めつけられてしまう。雪兎を護りたい、という気持ちが増していった。
『君の好意はうまく受け止めてあげられないけど、でも──』
 僕は、試した。
 すると、自分の背後≠ェ視界を覆った。
 思った通りだった。
「君を支えたい気持ちは、本物だから。わかってくれる?」
 彼は何もいわない。僕に気づいておらず、思考していることだろう。
「雪兎、僕は後ろにいるよ」
 彼が勢いよく振り返った。僕は、肉体をぶつける。迷いをふりきるように、雪兎の頬に両手をあて、唇を押しつけた。
 その瞬間の彼の思考は、正に真っ白。約一秒後に「んうッ!」という音を出して驚いた。



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