彼女が僕の中にいる

第六話.僕は僕に襲われる(avant)



 唐突に雪兎が消えた──いやそうではなく、ものすごい速さで後ろに下がっていったんだ。僕は壁にもたれかかりながら、ずり落ちるようにしてしゃがんだ。
「──ごめん、本当にごめん雪! 僕、最低なことしようとした」
 再び雪兎が近づいてくる。僕の顔を覗き込んできた。
「雪、大丈夫? やだよ、死なないで、クソッなんで僕はこんなことしたんだ……」
 うまく呼吸ができない。辛うじて、僕は腕を上げ、泣きだしそうな雪兎の頬を撫でた。大丈夫、と声を絞りだす。彼はショックを受けた。非道いことしたのにどうして僕が優しさをみせてくれるのか、と。決まってるだろ、と僕は弱々しく発した。手を頬に当てたままで、彼と瞳を重ねる。
 視界が一度暗転。直後、白い壁紙を見つめていた。僕が座っていた場所だ。
「雪、中に入ったの?」
 さきほどの痛みなどは綺麗さっぱり消えている。君の中にいるよ、と返した。
「あの、本当にごめんなさい。絶対やっちゃいけないことした……」
『雪兎が止めることはわかってたから。君はそんな最低な男じゃない。君の反応が面白くて戯れた僕も悪いし』
 弄ばれたのかと彼は思い、怒気をこみ上げさせた。
『だから悪かったって。それよりさ、朝考えてた通り西村さんに電話しよう』
「え、今から行くとかいわないよね」
『君と同じ性格の僕がそんな常識ない人に思えるの』
「だって……」雪兎は昨日のことを考える。同じ性格、という部分にも疑問を抱く。
『あれらは仮に、だろ。ほら電話掛けて。僕はここにいない設定ね、話さないから。話題の一つとして、昨日の夕方過ぎにアポ無しで押しかけても受け入れてくれたかを訊く。それと、来週の休みに泊まる約束をしよう』
 雪兎は携帯を手にした。「気が早いんじゃないかな。別に今日約束しなくてもよくない?」
 彼の感覚では、友人宅に宿泊する際は前日又は前々日に約束するものだった。
『西村さんは女の子なんだから、きっと早めにいったほうが良いでしょ』
 雪兎は釈然としない気持ちになる。僕に色々ツッコミを入れたいようだが、その考えは消して、携帯を操作した。二度目の電話なので前回よりは緊張していないが、変に焦っている。発信をする手前、一度彼は停止した。電話の始まり、西村さんにいわなければいけない言葉などを、必死で頭に浮かべている。
『そういうのはいいからさっさと掛けろ。言葉に詰まったらフォローするから』
 雪兎は思いきるようにボタンを押した。呼び出し音が繰り返されるたび不安が深まり、切りたくなっている。
「はい、西村ですが」
「あ、えっと、真白と申しますが、西村さん──あ、えっと」
 彼の方がマシだと思っていたが、これじゃあ弥城と変わらない気がした。名前は望海、とまた教えてやる。
「ああ、ノゾミはいますくっ──」
 あ、と思った。僕も彼も。
「ノゾミ? ……少々、お待ちください」
 しかも最悪なパターンだった。声は似ているが若干違う、と思っていたのだが、その通り、望海本人ではない。あなたに電話、ノゾミいますか、って。そう微かに聞こえた。
『度肝を抜かれたよ、お母様の前で娘を呼び捨てにするなんて』
 彼は放心している。



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