2.優しくない


 平日の十三時。誰もいない街の公園。
 ぼくと藍里はいつものように、フリスビーで遊んでいた。
 フリスビーを投げるぼく。
「そういえば、もうすぐコンドームなくなる」
 受け取った藍里は、綺麗にスナップを利かせて投げ返す。
「じゃあお母さんにお金もらうね」
 藍里に投げる。
「いつもありがとう」
「気にしないで」
 藍里が投げ返す。まっすぐフリスビーが飛んできた。
「藍里、めちゃくちゃ上達したよね。最初はあんなにヘタだったのに」
 ぼくはカーブをかけて投げる。片手でキャッチする藍里。
「だって、だいたいこれしかやってないし……」
 うつむく藍里。投げ返してくれない。
「どうしたの?」
「どこか行きたいよ」
「ああ……うん」
「また水族館行きたい」
「う、うん……ごめん」
「わかってる。お金、私がなんとかするよ」
「いや、でも、もったいないよ」
「一帆、そればっかり。そんなこと言ってたら、どこにも行けないよ。どんどん年老いちゃうよ」
「そうだけど」
 藍里はじっとぼくを見据えている。
「大丈夫だから。もっとどーんと構えなさいよ、男でしょ――」
 藍里は勢いよくフリスビーを投げた。が、方向が大きく外れ、公園の外へ消えていく。
「ごめん!」
 ぼくは微笑んだ。「大丈夫、取ってくるから待ってて」
 公園の外まで走っていく。自転車を降りた男が、ぼくのフリスビーを拾った。
「すいません、それ……」
 と、気づいた。見覚えのある顔。男も、ぼくに気づいた。
「え、一帆? 久しぶりじゃん」
 チュンだった。
「お前、平日の昼間になにしてんだよ。まさかまだ働いてないの?」
 チュンは会うたび、ぼくが働いていないことをバカにしてくる。それが嫌で長いことチュンと距離を取っていた。
「チュンこそこんな時間になにしてんだよ」
「俺は有給もらってバカンスしてんだよ」
 コンビニの袋を掲げるチュン。ビールが見えた。
 チュンは掲げた袋の先を見て「お」と声をあげた。
「藍里じゃん。おいお前嘘だろ、こんなシケた公園でデートしてんのかよ。いまどき小学生でもやらねぇぞ。レンタカーでも借りてもっといいとこ連れてけよ」
「こんにちはチュンくん」
「おう。いまこいつにデートのいろはを教えてやってるところだ」
「もう帰れよ、こっちのことほっといてくれ」
「はぁ? 誰のおかげで藍里と付き合えてると思ってんだ」
 チュンは二言目にはこう言った。
「ありがとう、チュンくん。私はいつも感謝してるよ」
「うわぁー、藍里はいい女だなぁ。もったいないよ、こんなひきこもりの穀潰しと付き合うなんて。こいつのことが嫌になったら、いつでも俺に相談して。もっといい男紹介するから」
「遠慮しておく」
 そう言って笑う藍里。ぼくはほっとした。
「二年経ってもお前らはラブラブだな。熱すぎるよ。俺もう行くわ」
「じゃあな。もう二度と会うことはないだろう」
 ぼくは手を振った。藍里も手を振る。
 チュンは一度も振り返らず、去っていった。
 彼を見送りながら、藍里が、そっとぼくの手を握る。

 手を繋いで堤防を歩いた。公園で遊んだ後のお決まりのコースだった。
「綺麗な夕陽」
 藍里は昨日もそう言っていた。
「私たち、付き合ってもう二年になるんだね」
「うん」
「やっぱり、そろそろ働くこと考えた方がいいのかな」
 その言葉は、ぼくの心臓をぎゅっとつかむようだった。
「いいんじゃないかな、まだ。生活はしてけるし。やりたいことなにも見つかってないでしょ? 仕事はゆっくり探そうよ」
「ずっとそう言って、二年経ったんだよ」
「あ、うん……そうなんだけど。でも無理に仕事したって、つづかないよ。逆に人生が辛くなるだけだ」
「でも、一帆、もうお金尽きるんでしょ?」
「え、ぼく? いまぼくが働く話をしてるの?」
「一帆もだし、私もだし」
「ぼくのことはいいよ」
「でも、お金なくなるでしょ? いま全財産いくら」
 考えたくない。「七千円くらい」
「バイクの税金や髪を切るお金とか……いくらお金を使わないっていっても、必ず支払わなきゃいけないものがあるんでしょ?」
「バイクは、もう廃車にするからいい」
「そうしたらどうやって遊びに行くの? 私はお金もらえるからいいけど……一帆、電車代が嫌で電車は乗りたくないんでしょ?」
 ぼくは藍里の手を離した。
「金の話は嫌だ。それにまだ〇円になるわけじゃない、七千円もある」
「七千円しかないのよ、現実をみて」
 胸が苦しい。
「お金、とりあえず三万円くらい、あげようか?」
「それは、君のお金じゃなくて、親のお金でしょ」
「そうだけど……。じゃあやっぱり私には頼らないのね」
「男がお金で女性に頼るなんて、みっともないじゃないか。しかも彼女の親のお金だなんて……とか言いつつ頼っちゃうことがあってすごく申し訳ないけれど」
「一帆が頼るのは、二人で使ったり、二人で楽しむものだけじゃん。そんなの、全然気にしなくていいよ。私が必要としてるんだから」
「うん……」
 藍里が両手でぼくの手を握った。
「一帆の生活だって、私の生活の一部。お金なくなったら頼っていいから」
 なにも言えない。
「ね?」
 藍里がぼくの顔をのぞく。目が合うと、ドキッとして、そらしてしまう。こんな素敵な人に、こんなことを言ってもらえるなんて、ぼくは幸せ者だ。
「ありがとう。藍里は心が温かいね」
 藍里は満足げに笑顔をみせた。
「一帆だって、やさしいよ」
「え、ぼくが?」
「優しいなって感じることいっぱいある」
「そっか。でも、ぼくは優しくないよ。優しさは誰かのためじゃなくて、自分のためにするものだと思ってるから」
 藍里はハテナマークを表情に浮かべた。説明しようかと思ったけれど、藍里は小難しいことを言われるのが苦手なのでやめた。
 少しして、ぼくらは川の港に着いた。川面が夕陽を反射している。二人してしゃがみ、川のきらめきをぼんやり眺めた。
「ぼくも親がちゃんと働いてる家庭に生まれたかったな……」
「そんなこと言っても、しかたないよ」
「藍里は両親がお金持っててさ。いくらでも頼れるじゃん。ぼく、罪悪感感じちゃうから」
「私だってこんな歳で親からお金もらうの、罪悪感あるよ」
「うん。でも、いつもニコニコしながらくれるんでしょ? 外に出てくれるのが嬉しい、って。いいご両親だよ。藍里は恵まれてる」
 藍里が勢いよく立った。上からぼくを睨んでいる。
「そういうふうに言うのやめて」
「でも事実じゃん」
「……嫌い、一帆のそういうとこ」
「あ、ごめん」
 ぷいとそっぽ向いて、行ってしまう藍里。ぼくはそっと追いかけた。
 下校する子供たちの声。堤防に戻る階段の途中で、藍里は止まった。
「お母さんにバレた。付き合ってる人がいること」
「え、うそ。急に話すね。それでなんて言ったの」
「バレたのはちょっと前。なにしてる人か聞かれた。答えられなかった。今度連れてきてって言われた。ごまかして断った」
「そっか」
 藍里は振り返り、ぼくを見つめる。悲し気な目をしていた。
「私、やっぱり嫌だよ。後ろめたい気持ちで一帆と付き合っていたくない。私の家族に会ってみてくれない? そしたら、なにか進展あるかも。私も、一帆を気兼ねなく家に呼べるし」
「……ぼく、怒られないかな。拒絶されないかな」
「それはわかんない。でも頭の固い親じゃないよ。働いてないくらいでうるさく言わないはず。私が引きこもってたんだし」
 自嘲するように笑う藍里。
「もし、ぼくがご両親公認の彼氏になったら、藍里は気が楽になる?」
「そりゃなるよ」
「そうだよね……」
 もう二年経ったんだ。進展しなきゃいけないのはわかる。決心しなきゃいけないんだ。
「わかった。会うよ」
 藍里の顔がぱぁっと明るくなった。
 軽やかにぼくの段まで階段を下りて、ぼくに抱きつき、「大好き!」と言った。



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