4.探してもない


 藍里が働くなんて無理だと思っていた。
 でも二週間後には就職が決まり、翌月から働きはじめた。それも、父の紹介ではなく、職安で見つけた花屋だった。
 給料は安いけれど、彼女は充実した日々を送っていた。
「そんなよくわからない給料の安いところ辞めなさい」
 と父は言うそうだが、
「どこでもいいからもっと早く働けばよかった」
 と藍里はよく言っていた。花屋の仕事も気に入ったらしい。
 三か月後、藍里は宣言通りアパートを借りた。父は猛反対し、二度と家には入れないぞとまで言ったそうだ。でも母が味方してくれて、穏便にとまではいかないが、なんとか許可を得て家を出た。
 その一か月後、ぼくは藍里のアパートに転がりこんだ。
 毎朝、藍里に恋をした。一目惚れした人と付き合えるだけでも夢のようなことなのに、目覚めるといつもその人が隣にいる。夜は愛を囁き、見つめ合ったままおやすみを言える。ぼくはいままで以上の幸せを手に入れた。
 ただの穀潰しでいたくなかったから、最低限のことはした。炊事掃除洗濯。藍里は家事が苦手だったので、とても喜んだ。やってみれば、あまり苦じゃなかった。ぼくには主夫業が向いていたらしい。

「一帆、毎日なにしてるの?」
 アパートに住んで一年半経ったある日、藍里が突然言った。
「家事をしてるけど?」
「他になにもしてないんでしょ? やりたいこと見つかった?」
 藍里から目をそらした。
「探してもないよね。試しにさ、ウチでバイトしてみない?」
「いや、いいよ、カップルで同じ職場とか、恥ずかしいし」
 露骨に暗い顔をする藍里。
「ずっとこのままでいるつもり? ここに住んでもう一年だよ?」
「……働けって?」
「私、本当は嫌だよ、付き合ってる人がなにもしてないなんて……。あなたのこと人に言えないもん」
「君だってずっと引きこもって無職だったじゃないか」
「それは昔の話でしょ? なんでそんなこと言うの? 頭おかしいよ。信じられない」
 ぼくは顔をしかめた。
「落ちついたら一帆も仕事探すって、約束したじゃない。一帆、私に甘えてる。私がいなくなったらどうするの? あなたは路頭に迷うことになるんだよ? 一人で生きられない。私が働けなくなったり、あなたの前からいなくなったら? いったいどう生きていくつもり?」
 ……なんだこれ。なんでこんなにぼくは責められなきゃいけないんだ。おかしい。確かに、ぼくは彼女に甘えてここに居ついていた。それは認める。でも、こんなふうに言われる筋合いはあるのだろうか。
「一緒に住んでって言ったのは君だよ。それにぼくはなにもしてないわけじゃない、毎日ちゃんと家事をしてるじゃん。藍里だって頭おかしいよ、そんなふうに言うなんて。だいたい、こっちは養ってくれなんて頼んでない」
 藍里が顔を真っ赤にした。枕を持って、ぼくを叩く。
「もう知らない!」
 藍里は布団に潜った。
 なんて言ったらいいのかわからず、沈黙していた。藍里が口を開くまで黙ってよう。そう思ったのだが、いつまで経っても、藍里はなにも言わなかった。
「君に迷惑かけないよう、実家に戻ればいい?」
「わからない。……勝手にすればいいよ」
 引き留めてくれると頭のどこかで期待していた。そんな自分が情けなかった。
 ……こんな急に終わりを迎えるなんて。
 しかし予感はあった。最近の藍里は、心にトゲを生やしていたから。藍里らしくない冷たさを感じていた。

 静かに荷物をまとめた。度々彼女は布団からのぞき、ぼくがどうするかを察しながら、なにも言わなかった。
 最後まで彼女は引き留めてくれなかった。
「持ってけない荷物、また取りにくるから。それじゃあ」
 アパートを出た。
 藍里は追ってきてくれない。
 涙が溢れた。
 死にたい。
 それなのに、やっぱり死ぬのが怖い。
 誰か助けて。
 誰がこんなぼくを助けるだろう。



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