3


 あたしは自分の存在意義を見出したかった。
 いつからかを境に、家のことはほとんどあたしがするようになった。ママは働いているのだし、あたしのいる意味を根付かせたかったので頑張ってママを支えた。ママにもっと認めてもらいたかった。
 それと、あたしを傍で認めてくれる人が欲しかったので、小学五年生のときに同級生の男の子に告白した。すると、
「お前、腕切ったり死のうとするだろ……怖くて付き合えないよ。気持ち悪いし」
 そういわれた。ひどくショックを受けた。自分のなにもかもを否定されたようだった。好きだと想いを寄せる人に否定されることが死ぬほど辛いことだとは思いも寄らなかった。

「ママ……死にたい」
 ママが帰ってくると玄関先で告げた。買い物袋を両手に持ったママは二度軽くうなずき、台所のテーブルに荷物を置くと、あたしにガムテープを持ってくるよういった。
 ママの部屋に入ると、ママは押入れから七輪と練炭を出していた。隅に追いやられた座卓に、お酒とたくさんのお薬が置かれていた。
「練炭の煙が漏れないようガムテープで隙間を埋めなさい」
 ママはそういって、練炭を七輪にセットする。あたしは戸惑った。確かに死んでしまいたいほど傷ついたのだが、どちらかというとあたしの胸中を察してほしかったから死にたいと零しただけだったので、いざ本気で自殺するとなると恐ろしくなった。どうやらママも一緒に死ぬらしいので、それも嫌だった。
「ママも死ぬの?」
 当たり前じゃないの、といってママは笑った。
「あなたのために生きてるようなものなんだから、あなたが死にたいのならママも死ぬわよ」
 そういいながらママはいそいそと自殺環境を整えていった。あたしは首を横に振った。
「なに? 首なんか振って。いいたいことがあるなら遠慮なくいいなさい。どうせいまから死ぬんだから」
 突如、涙が溢れた。喪失感やママと離れ離れになる悲しみ、なにもかもが消えゆくような感覚が身に降りかかってきて、どうしようもない気持ちになった。あたしは声をあげた。ママと生きたい、もっとママといたい。言葉を繰り返して泣いた。
「あら、気が変わっちゃったの。それは残念」
 それだけいい、ママはちゃっちゃと片付けていった。夜はママと一緒にお酒と睡眠薬を飲んで、一緒の布団で寄り添って眠った。


  4


 中学二年生の夏、あたしに初めての彼氏ができた。街でナンパされた。相手は十九歳の大学生だった。
 彼はあたしの存在意義を満たしてくれた。ようやく誇りをもって生きられる居場所を見つけたあたしは、なにもかもを彼に捧げ、尽くした。お金が欲しいというから年齢を偽ってキャバクラで働いた。あたしはそこそこ人気が出て稼いだ。家に生活費を入れて、彼に貢いだ。生きている心地がした。
 しかし幸せは長く続かなかった。
 働いていたキャバクラが摘発された。中学三年の夏のことだった。あたしは警察に捕まり、学校に連絡がいった。あたしは先生たちにつまらない説教をされた。ママは先生たちの言葉を聞き流していたけれど。
「ママは十五歳のときに水商売を始めたわ。あなたは十三でやるんだから、私より偉いわね」
 ママがあたしにいったのはそれだけだった。
 別のキャバクラでまた働きたかったけれど、先生の監視がつくようになって無理だった。彼に貢げなくなり、いつしか愛想を尽かされるようになった。あたしが高校にあがる頃、彼に二十二歳の新しい彼女ができて、別れを告げられた。

「ママ……死にたい」
 なにもかもを失ったあたしは帰ってきたママに告げた。今回は本気だった。買い物袋を両手に持ったママは軽く二度うなずき、台所のテーブルに荷物を置くと、ママの部屋にあたしを招き入れた。ママの指示で座卓を隅にやり、お酒とガムテープを用意した。ママは押入れから、すでに練炭がセットしてある七輪を出した。たくさんのお薬が用意され、
「どうするか覚えてるわよね? 煙が漏れないようにガムテープで隙間を埋めるのよ」
 ママはそういって、いそいそと自殺環境を整えていく。
「やっぱりママも死ぬの?」
 一応訊いてみると、当然よといってママは薄っすら笑った。
「あなたが死んだらママに生きる意味はないし」
 ママはグラスにあたしとママの分のお酒を注いだ。その時点でもうあたしは泣いていた。首を横に振っていた。
「なに? 泣いて首なんか振って。もしかして怖くなっちゃったの?」
 あたしは目元を拭いながら首を傾げた。
「よくわからない……でも、やっぱりまだママと生きたい……」
 そう、といってママはお酒を一口飲む。「どうするの?」
「……ごめんねママ。やめる」
「残念ね。ママは夕飯作るから、これは片付けておいて。間違っても私が料理してる間に練炭自殺しちゃダメよ」
 あたしは泣きながらうなずいて、ママはさっさと部屋を出ていった。

 その日の夜、二人でお酒を飲み、睡眠薬を飲んだあと、ママの布団に入らせてもらった。真っ暗な部屋のなか、あたしは訊きたかったことを口にした。
「ママはあたしを産んだこと、いまは後悔してる?」
 半分くらい、とママは答えた。
「ママはやっぱり死にたい?」
 もちろん、とママは答えた。ママはいまでも腕を切っている。あたしはいつもそっとママの腕の血を拭いていた。あたしが腕を切ると、ママもそうしてくれる。
「ねえ、ママはどうしてそんなにも死にたいの?」
 つまらないからよ、とママはいった。なにも面白くない、生きている意味がわからない。どうせ最終的に死ぬ。いつでも死ねる選択ができるはずなのに、なぜ色んなストレスを抱えながら生きなきゃいけないのか。考えると馬鹿らしくなる。だいたい後は老いてみすぼらしくなっていく一方だし、そのうち男は全くよりつかなくなる。ママにとって生は絶望。死が希望。ただそれだけよ、とママはゆったりした口調で説明してくれた。
 でも、それってママが死にたい根本の理由には思えない。あたしは、さらに問いただした。
「たぶん……ママがはっきりと望まれて誕生した人じゃないからよ」
 なんとなく予感がした。もしかしたら、あたしと同じような理由でママが産まれたのではないかと。
「ママのことを深く知りたい?」
 静かな声でママはいった。聞いちゃいけない気がしたけれど、ここまで踏み込んだらもう引き返せない。あたしは話を聞いた。するとあたしの想定を容易く凌駕する事実が飛び出した。生に絶望を抱く理由を思い知らされる、おぞましい内容だった。
 ママの父親、つまりあたしの祖父にあたる男は、殺人犯。
 男が殺したのは祖母の一家だった。祖母の家に強盗として押し入った男は家族と鉢合わせてしまい一家三人を惨殺。祖母だけは殺さずにその場で強姦した。それでママを妊娠したのだった。男は捕まって死刑となった。執行はされたので、もうこの世にいない。
 祖母はママを五歳まで育てたあと自殺をしてこの世を去った。それからママは施設で暮らした。
「お母さんが私を産んだ理由を、知りたかった」
 だからあたしを堕ろさなかった。それが、あたしを産んだ本当の理由だった。
「ママは……おばあちゃんがママを産んだ理由、わかったの?」
 ママは首を横に振った。
「ただ、もしかするとお母さんは、家族の後を追う覚悟ができてたのかもね。でも妊娠してることに気づいて……殺人者の子供だけど、新しい生命にはなんの罪もないんだし……だから殺さずに産んで、ある程度は育ててくれたのかな」
 堕胎(だたい)が殺人者の行いと被ってしまって嫌悪したのかもしれない。祖母は家族の死体を目の前にしながら犯された。死にたくなる絶望、強烈なトラウマを植えつけられただろう。それでも、(みごも)ったママを堕ろせず、自分の家族を殺した人間の子を産んだ。
 そのおかげで、あたしが存在している。
「あなたは関係ないんだから、気にしちゃだめよ」
 そんなの無理だ。あたしは産まれてはいけない子供だった。罪の証だ。この世の酸素を吸っていてはいけない気がしてきた。
「でも、どうしても耐えられなくなったらママにいいなさいよ。いつでも死ねる準備は整ってるから」
 あたしは、とんでもない環境下で産声をあげたんだ。ママだってそう。苦しみながら生きつづけてママも祖母と同じく強姦され、あたしを孕まされて出産し、今日まで共に生きてきた。
 死にたい、というより、もはや消えたい。
 でも過去を消して自分の存在をなかったことにはできないので、やっぱり死ぬしかない。けれど、あたしがいなくなるとママも死ぬ。それがどうしても堪え難い。だからあたしは生きなければいけない。この醜く歪んだ絶望的な世界で。半強制的に。



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