プロローグ


『かづさ殿、橋の上に御座候て、御見学なられ候、女房達橋坊主のうらに桟敷を打、それに御座候』
 信長は天王川の橋上で、およそ百年は続く尾張津島の川祭りを見物していた。そのときだった。忍び寄る影が、信長の背後から斬りかかった──寸前で家臣が割って入るも、刃先が届いた。曲者は逃げた。信長は命を狙われたことよりも、心から祭りを楽しむのを邪魔されたことに憤怒した。
「皆の衆、騒ぐな、周囲にわしが斬られたなどと伝わらぬように。神聖な祭りを汚すなよ」
 信長はそう言い放ったあと、自ら成敗しようと、曲者を追って巡見街道へ走った。

「つまんねー祭り」
 六百年は続いてるらしい尾張津島天王祭(おわりつしまてんのうさい)──どれだけすげえ祭りかと期待したのに、提灯だらけのでかい船が池をのんびり渡っていくだけ。
「おれ、帰るよ」
「こら待たんか恭将(きよまさ)!」
 人ごみをかき分けてじいちゃんから逃げた。天王川公園を離れ、津島上街道へ。秘密基地の前で足を止めた。……帰っても面白くない。
 東京に住んでいた恭将にとって、愛知県は退屈だった。しかも名古屋から離れた津島市は、寂れていてなにもない。田んぼと畑と住宅。あと小さなデパート。ゲーセンは一昔前の筐体しか置いていない。恭将は刺激のないこの町が嫌いだった。
 でも秘密基地は気に入った。ただの二階建ての家だが、大昔から残っている建物だ。なにもないことに変わりないのだが、恭将だけの居場所だった。
「あの家に帰りたくないし……今日もここで寝よ」
 腹を冷やさないよう、いつものタオルケットを探す。
「あっれ、ねえぞ。隠されたかな」
 古いタンスを漁る。大きな布切れが出てきた。これで代用しよう、と思ったが、薄明りに照らすと、ボロボロで、謎の黒いシミが広がっていた。汚い。後ろに捨てて、さらにタンスを漁った。
「何者じゃ」
 誰もいないはずなのに人の声。
「うおおおおおお!」
「動くな! 首が落ちるぞ」
 恭将は息をのんだ。長い刃が見える。ナイフじゃない、包丁でもない。男が、恭将をのぞき込む。そいつはまるで時代劇の撮影でも終えてきたような、侍の姿をしていた。
「なんだ、わっぱか」
 男は刀を下げた。刀は赤色に染まっている。恭将が捨てた布の端で拭うと、納刀した。布はなぜか男の肩に巻き付けられている。
「邪魔して悪かったのう。布はもらっていく。肩を斬られたんじゃ」
「あ、ああ……いや、大丈夫かよ」
「どうってことないわ」男が立ち上がった。「いつか礼をする」
「いや、別におれなんもしてないし、いいよ」
 男はふっと笑う。「無欲なやつじゃのう。気に入った、家臣してやろう。その気があるなら──いつでもよい、わしの城にこい」
 男は去っていく。いったんなんだったのかと、恭将は後を追うように秘密基地を出た。
 しかし、外にはもう、男の姿はなかった。


  1


「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりおこすよの」
 信長は小唄を口ずさむと自刃した。介錯人がいないため即死できなかった。信長は、本能寺を焼き尽くす紅蓮の炎に目を凝らす。無数の提灯を飾りつけた大きな船が浮かんだ。
「あの絢爛(けんらん)たる祭りを、もう一度、見たかった」

 ちょんまげのおっさんが、勝幡城址(しょばたじょうあと)の石碑の前で仰向けになっている。
「あのぉ、大丈夫ですか?」
 声をかけ、身体を叩くも、目を開けない。胸に耳をつけると、心音がなかった。恭将はためらいを捨てて、じいちゃんのために覚えた心肺蘇生法を行った。息を吹き込んだとき、がはっ、とおっさんは吹き返して飛び起きた。
「そこもと、わしに接吻をしておったであろう」
「え、あ、いや、いまのは人工呼吸で」
「なんじゃ、ここは」きょろきょろと周囲を見る。「異国か? そなた南蛮の者か? わしを、助けたのだな?」
「そうですけど……ここ、日本ですよ、勝幡です。来た記憶がないんですか?」
「尾張国の勝幡といっておるのか? そんなはずなかろう、ここが勝幡などと」
 心臓が止まっていたとは思えぬほど機敏に動きだす。家や勝幡城址の看板、立て札などに視線を移していった。日光川にかかる嫁振橋の中央で三六〇度回転すると、顔面蒼白で走って戻ってきた。
「……ここは城のあったところか? この岩は、それを表しているのか?」
「そ、そうです。俺のじいちゃんの話だと、石碑のとこに本丸があったとか。織田信長はこの地で生まれたそうですけど、なにもないとこだし、信じられないですね」
 おっさんは口を震わせて歯の音をたてている。
「天正十年から、いまは、何年目じゃ」
「テンショウ? あー、四百年目くらいかな。適当ですけど」
 おっさんは呆然としてから、石碑の前でまた仰向けになった。大丈夫そうなら帰ってもいいかと訊くも、なにもいわない。恭将は自転車に跨り、ペダルを漕ぎだす。
「そなた、名はなんと申す」
 急ブレーキ。おっさんは草鞋(わらじ)を踏み鳴らして自転車の前に来た。
「あー……織田(おだ)恭将(きよまさ)です」
「織田とな?! そなた織田家の子孫か」
「さあ、どうでしょう。祖父は織田の一族の末裔っていってますけど、家系図は存在しないんです。織田という性のルーツはたくさんありますし、違うでしょうね」
「そうか。まあよい。キヨマサよ、聞いて驚け。わしは、織田信長という」
「あ、そうなんですか。そういう恰好で来たってことは、相当な信長好きなんですね」
「わしがその信長だぞ!」
「あ、ああ……そうなんですか」苦笑をこらえる。「四百年前からやってきたんです?」
「呑み込みがいいのぉ! なぜかはわからんが、わしは時間を飛び越えてきた。つまりここは、未来の尾張国。キヨマサよ、ひとまずわしをそなたの家に連れていけ」
「え、絶対嫌だ」
「は? この信長に逆らうというのか」
 うわあ、こういうタイプ無理ー。
 勢いよく自転車を漕ぎだした。自称信長の引き留める叫び声。しかもものすごい走力で追いかけてくる。
「キヨマサ待てぇ! わかった、そなたの無礼を許す! わしに力を貸してくれ! 頼むぅぅぅぅぅぅ!」
 住民たちが何事かと外に出る。恭将は長いため息を吐き出し終えると、ブレーキをかけた。
 おっさんは過去から来た信長という設定にでも沿うように、恭将に色々と訊ね、津島上街道に入るときょろきょろと辺りを見回していた。
 先を歩くおっさんが、元秘密基地の前を通りがかると足を止めた。恭将はそこに用があり、蕎麦屋みたいな暖簾(のれん)をくぐる。叔母が事務机で雑誌を開いていた。
「こんにちは、って、恭将か。……そのやけに様になってるお侍さんはどなた?」
 恭将はお侍を助けた経緯を説明した。祖父の見舞いに行っていたとこも話す。
「今日は織田信長の命日だって教えられてさ、また長い信長の話を聞かされたよ」
「あっはっは。父さんの信長好きは困ったもんね」
「自分はもう長くないからって、これもらっちゃったし」
 バッグから桐の箱を出し、蓋を開けて珠光小茄子(じゅこうこなすび)≠取り出す。
「あら、信長が実際に使ってた、ってよく自慢してた茶入れじゃん。ガラクタだろうけど」
「──珠光小茄子ではないか」
 突然の信長の言葉に、恭将は驚愕し、全身に鳥肌が立った。
 珠光小茄子は本能寺で焼失したと記録されていて、どんな姿かわからない。これは本能寺から逃げ出す女中が持ち出したそうで、人から人に渡り、祖父の手に渡ったものだ──というのは全部じいちゃんの創作で、これは当然偽物だと思っていた。
「よく使ったからのう、一目でわかる、贋作ではないぞ。取り返したいところだが……命の恩人であるそなたに預けよう。好きに使うがよい」
 信長は履物を脱いで土間からあがり、建物を見回す。恭将は疑いの目を向けていた。……どんなものかわからずとも、珠光小茄子という名物は有名だ。適当に名を口にしただけかもしれない。
「それにしても、四百年の移り変わりは酷よのう」上がり框に腰をかけて信長はいう。「あれほど活気のあった織田家の津島湊がずいぶんと衰えたものだ」
 信長は、歴史について叔母に訊いた。が、叔母も恭将も祖父から信長の話をしつこく聞かされているだけで、歴史に詳しくない。津島図書館で調べた方がいいわよ、と叔母が薦めた。信長はすぐにそこへ向かうと決め、出ていく。叔母に話しかけようとすると、「恭将、わしについてこい」そう声がするので、おっさんの今後を相談しそびれた。
 信長は『町屋・町並み再生機関』の看板を見ている。
「ところで、ここはなんの商売をしておる」
 商売をしているわけではない。ここは、津島の歴史ある町屋、町並みを保存、活用することを目的とした組織の、事務所のようなものだ。
 町屋とは、町の商家が多い地のことであり、平安時代以降の商人や職人の住居、店舗である。町屋が軒を連ねた所が『町並み』だ。津島は、津島神社の湊、門前町として繁栄していたので、その名残で町屋が多かった。だが廃川になって湊の機能を失い、商売をする者はいなくなった。毛織物業で一時は巻き返したものの、儲からなくなって活気は消えた。人が離れていき、不要になった歴史的な町屋が次々と取り壊されている。
「古いものが淘汰されるのは当然のことであろう。新しいものの誕生を阻むだけなのに、なぜ残す」
 そんなことをいわれても困る──恭将にとって、津島の歴史が消えようがどうでもよかった。しかし祖父が組織の会員で、入院してしまっため、無職の恭将が代理で来させられている。
 と、恭将が説明しているのに、信長は自転車に触っていた。
「もう一度この馬に乗ってもよいか」
「また転んでもしらないよ」
 信長は自転車に跨ると、ヤァ、と声をあげて漕ぎだす。バランスを崩して盛大にこけた。

「おぉ、恭将みよ、ここにも自動ハンバイキがある」
 周囲の人が一斉に注目。……(まげ)に寝巻のような格好でただでさえ目立つのに、恥ずかしい言動はよしてほしい。それなのに信長はウォータークーラーの前に行って「水が湧いておる!」と声をあげた。水を飲んでいた人は当惑して離れていく。恭将は冷や汗をかきつつ、図書館のシステムを教えた。するとあとは勝手に動き回ってくれた。一時間ほどが過ぎたころ、
「ハッハッハッ! サルと竹千代のやつめ、わしの意志を継いで天下を取りおったか!」
 そんなバカデカイ声が館内に響き渡った。
 信長は学習机に本を積んでずっと読みふけっていた。そろそろ出ませんかといっても、「先に帰っておれ」という。この危ないおっさんを放っておくのも忍びなかった。
 結局閉館の七時までいた。出口に向かうと、信長は『尾張津島天王祭』のポスターの前に張りついた。
「これは、川祭か!」
 そういえば織田信長って天王祭を見たことがあるんだっけ。
「まさかとは思うが、この時代まで続いておるのか?」
「ええ……」
 実は町屋再生機関、祭りが終わったら活動を停止するつもりなんですよ。恭将はそう零していた。そうか、と信長はいうと、自動ドアにビビリながら外へ出た。
「この図書館というところ、誠に素晴らしい。あれだけの書物をタダで読める上、よく冷えた水もタダで飲める。わしは気に入ったぞ。これから毎日通う」
「はあ。じゃあ俺は帰りますね、さようなら」
「いや待て、わしもそなたの家に帰るぞ」
 ……やっぱり住む気かよ。



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