「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりおこすよの」
 信長は小唄を口ずさむと、自刃した。しかし介錯人がいないため即死できなかった。信長は、本能寺を焼き尽くす紅蓮の炎に目を凝らす。そこに、無数の提灯を飾りつけた大きな船が浮かぶ。
「あの絢爛(けんらん)たる祭りを、もう一度、見たかった」

 ちょんまげのおっさんが、勝幡城址の石碑の前で仰向けになっている。大丈夫かと声をかけ、身体を叩くも、目を開けない。胸に耳をつけると、心音がなかった。俺はためらいを捨てて、じいちゃんのために覚えた心肺蘇生法を行った。息を吹き込んだとき、がはっ、とおっさんは息を吹き返して飛び起きた。
「……そこもと、わしに接吻をしておったであろう」
「え、あ、いや、今のは人工呼吸といって」
「なんじゃ、ここは」きょろきょろと周囲を見る。「異国か? そなた南蛮の者か? わしを、助けたのだな?」
「そうですけど……ここ、日本ですよ、勝幡です。ここに来た記憶はないんですか?」
「尾張国の勝幡といっておるのか?」心臓が止まっていたとは思えないほど機敏に動きだす。「そんなはずなかろう、ここが勝幡などと……」
 おっさんは家や勝幡城址の看板、立て札などに視線を移していった。日光川にかかる嫁振橋の中央で三六〇度回転すると、顔面蒼白で走って戻ってきた。
「もしや、ここは城のあったところか? この岩は、それを表しているのか?」
「そ、そうです。織田信長はこの地で生まれたそうですけど、こんな何もないとこだし、信じられないですね」
 おっさんは口を震わせて歯の音をたてている。「……天正十年から、今は何年目じゃ」
「テンショウ? あー、四百年目くらいかな。歴史のことはよくわかんないですけど」
 おっさんは呆然としてから、石碑の前でまた仰向けになった。大丈夫そうなら帰ってもいいかと訊くも、おっさんは何もいわない。俺は自転車に跨り、ペダルを漕ぎだす。
「そなた、名はなんと申す」
 急ブレーキ。おっさんは草鞋を踏み鳴らして自転車の前に来た。
「あー……加藤恭将です」
「ほう、よい名だ。わしは織田信長という」
「あ、そうなんですか。そういう恰好で来たってことは、相当な信長好きなんですね」
「わしがその信長だぞ!」
「あ、ああ……そうなんですか」苦笑をこらえる。「四百年前からやってきたんです?」
「呑み込みがいいのぉ! なぜかはわからんが、わしは時間を飛び越えてきたのじゃ。つまりここは、未来の尾張国。キヨマサよ、ひとまずわしをそなたの家に連れていけ」
「え、絶対嫌だ」
「は? この信長に逆らうというのか」
 俺は逃げようと、勢いよく自転車を漕ぎだした。自称信長の引き留める叫び声。しかもものすごい走力で追いかけてくる。
「キヨマサ待てぇ! わかった、そなたの無礼を許す! だからわしに力を貸してくれ! 頼むぅぅぅぅぅぅ!」
 住民たちが何事かと外に出る。俺は長いため息を吐き出し終えると、ブレーキをかけた。
 おっさんは過去から来た信長という設定に従い、俺に色々と訊ね、津島上街道に入ると、面影を感じるなどといった。
 蕎麦屋みたいな喫茶店の引き戸を開ける。
「いらっしゃいって恭将! また学校サボったわね」
 母は誰もいない客席で雑誌を開いている。俺は人助けをしていたと説明した。祖父の見舞いに行けば、今日は信長の新暦の誕生日だから石碑で手を合わせてこいと頼まれたし。
「自分はもう長くないからって、これもらっちゃったよ」バッグから茶入を出す。
「あら、信真さんがお父さんに預けた大事な茶入じゃない」
「珠光小茄子ではないか」
 突然信長がそう口にし、鳥肌がたった。珠光小茄子(じゅこうこなすび)は本能寺で焼失したと記録されていて、どんな姿かわからないはずなのに。これは、本能寺から逃げ出す女中が持ち出したそうで、人から人に渡って、亡くなった父の手に渡ったそうだ。と、いうのは全部じいちゃんの創作で、これは当然偽物の珠光小茄子だと思っていた。信長は、命の恩人である俺から無理に取り返す気はない、なんていった。
「四百年の移り変わりは酷よのう」客席で頬杖をついて信長はいう。「あれほど活気のあった織田家の津島湊がずいぶんと衰えたものだ。いかに技術が向上しようと、わしが治めていた天王坊の勢いと比べれば、たいそう静かな土地になったものよ」
 信長は、歴史について母に訊いた。が、母も俺も祖父から信長の話をしつこく聞かされているだけで、歴史に詳しくない。ここから七分ほど歩くと津島図書館があるからそこで調べた方がいいわ、と母は薦めた。
「恭将、食事を終えたらそこへ行くぞ」
 信長はいちごジャムのトーストを頬張り、コーヒーを飲む。まことに美味、といった。

 信長は『茶の湯』の看板を見上げる。
「店は儲かっていないようだが、そなたはいずれここを継ぐのか?」
 まさか、と口にした。祖父の蕎麦屋のときから、津島の毛織物業が衰退して経営は立ち行かなくなっていた。繁盛していたなら高校へ進学せずたまに店番していようと考えたこともあったけれど。
「恭将よ、もう一度この馬に乗ってもよいか?」
「また転んでもしらないよ」
 信長は自転車に跨ると、ヤァ、と声をあげて漕ぎだす。バランスを崩して盛大にこけた。
 信長に図書館のシステムを教えると、あとは勝手に館内を動き回っていた。一時間ほどが過ぎたころ、
「ハッハッハッハ! サルと竹千代のやつ、わしの意志を継いで天下を取りおったか!」
 そんなバカデカイ声が館内に響き渡った。
 信長は本を読みふけっていたため、結局閉館の七時までいた。出口に向かうと、信長は尾張津島天王祭のポスターの前に張りついた。
「これは、川祭か! まさかこの時代まで続いておるのか?」
「ええ。ウチの店、祭りが終わったら閉店するつもりなんですよ」
 俺はそう零した。そうか、と信長はいうと、自動ドアの動きにビビリながら外へ出た。
 信長は図書館を気に入り、それからは喫茶店の二階(俺専用の部屋)に住み着いて毎日通い詰めた。身長が俺とほぼ同じなので服を貸し、明け方は自転車を使ってどこかへ行っているようで、帰ってくると共に飯を食い、俺は一応制服に着替えて信長と家を出た。学校へ行きたくないのならわしについてこい、なんて信長はいっていた。
「恭将、明日から学校に行け」
 信長はテレビゲームをしながら突然いった。
「え、嫌だよ。なんだよ、俺が学校行かないことに賛成してたのに」
「保健室登校でいいから行け」
「どこで覚えるんだよそういう言葉。行かないよ」
「仕方ない。相撲で決着をつけるぞ」
 畳を踏み鳴らして信長は立ち上がる。俺はこう見えても喧嘩はできるし、信長にむかついてもいたので、俺が勝ったら自宅で寝泊まりしろと条件を出すと、信長は了承して四股を踏んだ。そして俺は大敗した。
 ある日学校から帰ると、信長は、俺が持っていないはずの戦国ゲームで遊んでいた。棚を見ると、他のソフトが全部なくなっている。
「え、俺のゲームは?」
「飽きたし、金も必要だったから売った」
 信長の胸倉を掴んだ。「ふざけんなよ!」
「どけ、画面が見えん」
「あんたマジでうつけだな、いやもう前々から思ってたけどクソバカ野郎だよ!」
 信長を突き飛ばしたが、それでも奴はゲームに夢中だった。

「信長さん、看板屋さん今から来るって」
 母の声が、開けっ放しの戸の奥から聞こえた。『茶の湯』の看板がなくなっている。
「あら恭将おかえり。驚いたでしょ、店を改装してるのよ」
「ここは津島の名物店として生まれ変わる。飾り棚の見栄えを確認せい」
 わけがわからぬまま俺は外から店の料理が並んでいたはずの棚を見た。津島の特産品の食品サンプルが並んでいる。店内に特産品の入った段ボールが積まれていた。直接販売はしない約束で津島中から安く仕入れたとか。
「料理として出したり、コーヒーのサービスにつけたりする。わしが宣伝してきたから、忙しくなるぞ。数日は大盤振る舞いじゃ。客に津島名物をたらふく食わしてやるわ」
「看板外したってことは店名も変えるんだろうけど、なんて店にすんの」
 信長は、津島の特産品ガイドを手にした。表紙には「信長の台所」という文字がある。信長はそこを指ではじいた。
「明日からこの店は、『信長の台所』じゃ」

 喫茶『信長の台所』は、信長の宣伝もあって大変な盛況ぶりをみせた。母は満面の笑みで接客をしている。婿養子だった父が亡くなり、祖父が老舗の蕎麦屋を畳み、テナント募集していたものの、駅前の天王通りですら閑古鳥が鳴くこの時代、なんの店も入ることなく結局母が喫茶店をはじめた。俺は快適に二階で過ごしていたのに、今はうるさい。
 信長が俺のスマホでモンスターを捕まえるゲームをしつつ、仕入れで歩いていると、どこでも声をかけられた。ちょんまげに現代の服。織田信長という名前。目立ちたがる性格もあって、津島では有名人になっていた。
「信長さん、例の戦祭り楽しみにしてるよ!」スポーツ用品店の店主が外に出てきていった。なんのことかと俺は訊ねる。
「戦をするんじゃ、この津島で。戦国の世は終わり、海の果ての国との戦争もしたというのに、この国はゲームという娯楽で戦に思いを馳せておるからのう」
 だから町おこしで、長島一向一揆に少しなぞり、参加者は津島に攻め入って織田軍を倒す戦をするそうだ。俺は本願寺勢力として勝手に登録されていた。ただ『本願寺側』という言い方は避け、『長島軍』とするらしい。

 海の日の午後四時。戦祭りの開幕。
 ヘルメットに紙風船をつけた参加者の長島軍は、国道155号線添いから敵地に入り、スマホや戦の案内を片手に散開。長島軍はエリア内に隠された武器がないと攻撃できない。一気に攻められたのでは面白くないから、と信長はいってたっけ。お宝券というものも津島中に隠したらしく、それ一枚で福引きがやれる。津島の特産品や豪華景品が当たるので、みんな躍起になって探した。長島軍が勝利すれば、戦のスポンサーになってくれた津島の店で使える高額商品券がもらえる。織田軍は弘浄寺に布陣し、まず甲冑姿の武者行列を人々に見せるそうだ。
 元は水路らしき道の橋の下で刀(スポンジ製)を見つけた。長島のやつがそっちへ逃げた、という声が聞こえ、様子を見にいくと、木下という学校の生徒がちょうど転んでいた。俺は敵の背後に忍び寄る。木下に斬りかかろうとする敵に刀を振る。織田軍の家紋が入った紙風船を潰した。おじさんは俺を視認すると「む、無念」といい倒れる。胸元には天王通りエコランドという店名の入った名札がついていた。学校のやつとつるみたくないので、俺は一言も交わさずさっさと離れた。
 長島軍の勝利条件は信長を討ち取ること。織田軍の勝利条件は信長を午後六時まで護ること。戦は順調に展開し、両軍ともに兵の数を減らしていく。信長は時間になるまで天王川公園の中之島にいるつもりだという情報が入った。鉄壁の守りで誰も橋を突破できていないそうだ。長島軍も天王川公園の藤棚に集結。残りの兵は二十人。残り時間は十五分。一気に畳みかけるしかない、と誰かがいった。部隊を四つにわけたほうがいいと思うけど、と俺はいった。加藤のいうとおりだ、と木下が乗った。作戦も決まる。一部隊ずつが時間差で突入する。最初の部隊が鬨の声をあげ、突入。タイミングを見計らって次の部隊が行く。最後の俺たちの部隊は静かに移動。織田軍は交戦に手いっぱいで、中之島に繋がる橋に兵がいない。信長は『野口家の系譜を刻む石碑』の前に座って余裕の表情でこちらを見ている。両サイドから七人の護衛が飛び出した。そこになぜか俺のじいちゃんもいる。
「信長様をお守りするのじゃああああ!」
 じいちゃんが叫ぶと、みんな一斉に向かってきた。信長は奥へ逃げる。たった七人でも織田軍の迫力は凄まじく、気圧された。俺の前にはじいちゃんと、『津島市観光交流センター』という名札をつけたおじさん。病院を出てきていいのかと俺はいった。信長様をお守りできるなら死んでもかまわん、と祖父は死にもの狂いで攻撃してくる。誰も信長に近づけない。突如、咆哮が聞こえた。木下がこっちに突っ込んできていて、刀を空振りする。
「加藤、信長の首を取れええええええ!」
 木下(の紙風船)が二人によって串刺しに。俺は迷わず信長の方へ駆け出していた。信長は、不適な笑みを浮かべ、長い槍を構えた。
「信長ああああああ覚悟おおおおおお!」
 織田軍は戦らしい演技をするので、俺の闘争本能は充分に刺激されていた。槍を紙一重でかわす。懐に飛び込み、紙風船を、斬る!
「織田信長、討ち取ったり!」
「お見事、といいたいが、そなたの負けじゃ。頭を確認しろ」
 ヘルメットを触ると、紙風船がなかった。よく見れば、いつのまに抜いたのか信長は左手に刀を持っており、紙風船はほとんど潰れていない。武器を二つ持つなんて反則だというと、「誰が武器を複数持ってはいけないといった」などと返された。その直後、午後六時を告げるアナウンス。信長は勝ち誇るように笑い、落胆する俺の肩を叩いた。
「勝鬨をあげよ、我が織田軍の勝利じゃ!」
 わっと声が沸いた。「商品券を発行せずに済む」「あやうく店が潰れるとこだった」なんて声もあった。信長が俺を見据える。
「一人前の武将の顔になっておったな。さすが、織田家の子孫じゃ」
 驚いた。いや、じいちゃんから聞いたのだろう。祖父の姓は加藤だが、亡くなった父の姓は織田。お前は織田家の子孫だ、とじいちゃんはよくいっていた。家系図がないので、事実なのかはっきりしていないが。
 信長が手を差し出す。父の顔はまともに知らないが、なんとなく面影が重なってみえた。俺も手を差し出す。
 ぐらり、と信長の身体が傾いた。とっさに信長を支えた。
 声をかけても返事をしない。信長の身体は、驚くほど、冷たくなっていた。

 信長の意識が戻らない。医者に診てもらうも原因不明。家には大勢の人が見舞いに来てくれた。たった一か月で、信長はずいぶんと津島の人たちと仲良くなったものだ。
 そういえば、じいちゃんがいってたっけ。
「信長はひょうきん者だが、女子供を斬り捨てるなどの冷酷な面もあった。それは戦国に生まれた宿命。戦で権力を争う以上、畏れられなければならんし、遺恨を残せば自分の身に降りかかる。しかし困っている者がいれば信長は地位の区別なく手を差し伸べた。天下統一を果たし、戦乱の世を終わらせて平和をもたらす。その実現に向けて、合理的に物事を進めておったに違いない。信長はあの時代の天才的な政治家みたいなもんだ」
 その言葉を、今は信じられる。

 七月の第四土曜日。祭りを楽しむ群衆の声が、家までよく聞こえる。
「恭将、祭りを見にゆくぞ」
 ハッとした。信長が布団から立ち上がっている。やっと目を覚ました。平気なのかと訊くと、心配無用という。だがかなり足元がふらついている。信長は、俺が見繕った服に着替えて外へ出た。目を離した一瞬、姿が見えなくなった。いや地面に両手をついている。
「恭将、肩を貸せ。川祭りへ連れていけ」
 時間をかけて信長を連れていった。こうして肩にぶら下がっていると昔を思い出す、と信長は少し楽しそうな声音でいった。目映い屋台を横目に、車河戸を目指す。信長の知り合いが声をかけてきた。そのときだけは元気そうなふりをした。桟敷席で一杯やろうと勧められるが、酒は飲めないからと断り、でもあとで顔を見せるといった。
 車河戸へ着くと信長は感嘆の声をもらした。無数の提灯を飾りつけた、五艘の大きな巻藁船が完成するころだった。
 八時四十七分。船の完成を告げる花火。俺たちは遊歩道の柵に寄りかかっていた。出航のアナウンス。太鼓の音。津島笛の音色。
「四〇〇年前と変わらぬ……いや、この時代のほうが、遥かに美しい」
 そうなんだ、と俺はつぶやいた。二台目の船が出ると信長は移動するといった。信長は桟敷席の知り合いに挨拶をしていた。
「そうじゃ、先日の戦祭り、皆、協力をしてくれてありがとう。お礼に、わしが舞いを披露する。このような華麗な祭りの前では、見劣りするかもしれないが」
 信長は扇子を借りて、舞いはじめた。
『人間、五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか』
 敦盛か、と誰かがいった。一通り舞い終えると拍手が沸いた。
「皆の者、織田家を支えたこの津島を、これからも盛り上げてやってほしい。わしはこれ以上、何もしてやれぬが……」
「あんた、本物の織田信長みたいだな」
 信長はただ笑った。まだ体調が悪いからとその場を後にする。俺が肩を貸すと、気つけにコーヒーが飲みたいのう、と信長は小声でいった。片岡春吉像の後ろから斜面を上って道路に出て、左奥の坂道を下る。右の道をまっすぐ行けば、信長の台所だ。
「珠光小茄子は、正式にそなたに相続する」
「なにいってんだよ」
「楽しかったぞ、この一か月。裏切りばかりの戦国の世と比べれば、この時代は最高であった。最後によい家臣にも恵まれた」
「わかったから歩け、店に着けないだろ!」
「恭将、そなたは不器用だが、この信長が信じられる数少ない男の一人じゃ。自信を持てよ。わしが十四のときなど、もう戦に出ておった。そなたも、わしのように強く生きよ」
 俺の目がおかしいのだろうか。信長の実体が次第に薄くなっているようにみえる。
「津島を、たの……」
 姿が、消えた。アスファルトに衣服だけが落ちた。俺はとっさに服をかき集め、ぎゅっと握りしめた。周囲を見回しても、もう、信長の姿はどこにもあるはずない。
 俺は、泣かなかった。いなくなってしまったことを受け入れるように、別れを告げるように、そっとつぶやく。
「さようなら、信長さん」



colorless Catトップ


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