2


 叔母の家は狭い。二十四年も世話になっておいて言えた義理ではないが、恭将の部屋もない。そんな家なので、信長をしばらく住ませられるかと叔母に話せば、やはり拒否された。代わりに、祭りが終わるまでという条件付きで町屋に寝泊まりしてもらうことになった。
 翌日、恭将が様子を見にいくと、信長がほぼ全裸で周辺を歩き回っていた。服は干してある。
「服、買いに行きましょう。その格好じゃ警察に捕まるのは時間の問題だし」
「そうか。この時代の身なりはわからぬから、任せる」
 駅前の天王通りにあるリサイクルショップ『エコランド』の二階には、メンズの古着が売っている。信長の服を見繕うも、髷のせいでなにを着せても違和感があった。会計を済ますと、更衣室を借りて着替えさせる。上は薄いブルーのコットンシャツ、下はベージュのチノパン。意外に面白みのある姿になった。
 一階へ下りていくも、信長がついてこない。ゲームコーナーにいた。『戦無双』というソフトを手にしている。
「これはげいむというものであろう、図書館で学んだぞ。戦乱の世を題材にした作品と見受けるが、もしやわしが出てくるのではないのか?」
 恭将は肯定した。織田信長はよくゲームや物語の題材になっていますからねえ、と付け加える。信長は持っていこうとするので腕を掴んだ。
「それを買う金はないです」ゲームを奪う。「ただでさえ服を買ってあげたのに……こんなこというの恥ずかしいですけど、俺は一応、引きこもりのニートなんですよ」
 信長はゲームを奪い返す。「ひきこもりのにいと?」
「働いてないんです。三十三歳、無職。友達もいない。人生詰んでます。いまもなけなしの金使ったんですよ」
 恭将は怒り交じりに言葉を吐いた。そうか、と信長はいって素直にゲームを戻す。足早に店を出ていく。追いかけると、恭将の自転車に跨っていた。
「馬を借せ。しばらく天王坊を見回る。そなたはついてくるなよ──」
 自転車を漕いで去っていった。……いつのまに乗れるようになったんだよ。

 信長は毎日、朝から図書館に通い詰めた──恭将が届けるおにぎりを食べた後、どこかから貰ってきたママチャリに乗って。「わしについてこい」と信長はいつもいった。町屋に帰ってくると、恭将が貸したTVゲームで遊んだ。よく対戦につき合わされた。
「恭将、明日から仕事に行け」
 レンタルショップで借りてきた信長のドラマを観ていると、突然信長がいった。
「はっ? なんだよ急に、嫌だよ。なんなんだよ、俺が働かないことに賛成してたのに」
「勤務地はすぐそこの二五番喫茶店だ。話はつけてある」
「しかも決まってるのかよ、なに勝手なことしてんだよ!」
 畳をどしどしと踏み鳴らして信長は立ち上がった。
「よし、相撲で決着をつけよう」
「いやなんでそうなるんだよ」
「なんじゃ、四十八にもなる男に負けるのが怖いとみえるのう」
 昔は数え年だったので現代なら四十七歳だが。
「じゃあ、俺が勝ったらあんたが働け」
 信長は了承して四股を踏んだ。こうみえても恭将は喧嘩ができる。負けた記憶もそんなにない……昔の話だが。
 そして盛大に負けた。一瞬のことだった。信長にぶつかったと思ったら、身体が宙に浮いていて、背中からぶっ倒れていた。意地になって何度も立ち向かったが、敵わなかった。


  3


 かくして恭将はバイトするハメになった。
「いやあ、助かったよ、信長さん一円も払ってくれないんだもん」
 マスターがいった。あの野郎、食い逃げしてたのかよ。
 しかし思ったより大変ではなかった。忙しい日が稀にある程度で、あまり流行っていない。なので給料もめちゃくちゃ安かった。
 ある日バイトの帰りに町屋へ寄ると、信長が見慣れないゲームをしていた。
「戦無双の最新作じゃん……いや待て、あんたどうやってゲームを手に入れた」
 ふと気づいた。持ってきた全てのゲームがなくなっている。
「俺のゲーム、勝手に売ったのか」
「エコランドでな。他のはもう飽きたし、金も必要だった──」
「ふっざけんなよ!」信長の胸倉を掴んだ。
「どけ、画面が見えん」
「あんたまじで大うつけだな、いやもう前々から思ってたけど相当なクソバカ野郎だよ!」
「珠光小茄子を持っていっても百円にしかならんといわれたんじゃ、しょーがないであろう。この時代ではもう価値がわかる者はおらんのう」
 恭将はあきれ果て、脱力した。信長はゲームに戻る。『敵は本能寺にあり!』明智光秀が謀反(むほん)を起こしていた。
「こいつの謀反に気づいておったらなあ……織田家が天下を治めていただろうに。信忠もプライド捨てて逃げておればわしの敵を討てたものを……うつけめ。このっ、くそっ、こうだ! フフッ、敵将討ち取ったり」
 ……明智光秀の気持ち、いまならわかるよ。
「なにか申したか?」
 小声になっていたようだ。恭将はしばらく信長と口を利かなかった。
 戦無双を始めて以来、信長は図書館へ行くのをぱったり止め、ゲーム三昧の日々だった。だが決して完全なニート生活というわけではない。あるとき信長は、二五番喫茶店で店番をしていた。客と親しく会話をし、手際よくコーヒーを淹れていた。
 信長はゲームをクリアすると、据え置き機に触らなくなり、恭将の携帯でモンスターをゲットするゲームに夢中になった。恭将はそれにつき合わされ、よく天王川公園でモンスターを探し歩いた。
「わしの時代には到底及ばんが、休日は津島湊も活気づくのう。知っておるか恭将、この地では昔、様々な催し物をやっておった。明治四十二年には愛知で最も早い公認競馬場があったそうじゃ。オートバイレースなんかもやっておったわ」
「あんたその時代を生きてないでしょ」
 信長はなぜか勝ち誇ったように笑い、公園の端に立つ『片岡春吉像』を指す。
「そなた、津島に住んでおるクセにあの者のことも知らんだろ」
「多少は知ってるよ」
 信長はため息をつく。「なぜここにわしの像がない、津島衆の者たちを召し抱えてやったというのに。わしが死んだときは川祭りを中止にする話にもなったくせに。いまからでも市に圧力をかけて作らせてやろうか」
「あんたが信長だって誰も信じないでしょ」
「まあよい。そもそも世話になったのは織田家のほうじゃ。秀吉(サル)家康(タヌキ)も津島には縁がある。三英傑を代表して、わしがひとつ恩返しをしてやろう」

 そういったものの、信長は特になにもしなかった──いや、なにかはした。たとえば、勝手に町屋へ人を呼んだ。あるときは老人たちと談笑、あるときは店舗を経営する人たちと宴会、あるときは近所の子供たちが持ってきたゲームで大会を開く。使いたい人には自由に町屋を貸していた。叔母や他の会員は、町屋が活用されているんだし、もうここは終わりだから好きにさせておこうといい、管理を恭将と信長に任せた。
「ほいじゃ信長さん、戦祭り楽しみにしてるよ」
 ある日町屋に寄ると、外に出たおじいさんがいった。なんのことかと信長に訊ねる。
「戦をするんじゃ、この津島でな。戦国の世は終わり、海の果ての国との戦争もしたというのに、この国はドラマやゲームなどの娯楽で戦に思いを馳せておる。だが本物の戦を知らん。わしはそれを知っておる。そなた、長島一向一揆を知っておるか? わしはこの津島の弘浄寺に布陣し、長島に攻め入った。これに少しばかりなぞり、今度は逆に、本願寺勢力が津島に攻め入ってきた、という設定で戦う」
 恭将は本願寺勢力として勝手に登録されていた。ただ『本願寺側』という言い方は避け、ただの『敵軍』とするらしい。
「要は、参加者が信長と戦うってこと?」
「そうじゃ、わしの首を賭ける。織田信長はゲームで悪役として扱われてもおるからのう」
「本当に首取るわけじゃないよね?」
「そうしたいのは山々だが、この時代で本物の殺し合いは無意味。全員にヘルメットなるものをつけさせ、そこに紙風船をつける。これを潰されたら討ち死にということにする。どうじゃ、面白そうだろ?」
 ……古典的なチャンバラ遊びじゃねえかよ。



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