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戦争
なにもない
雨の日
一か八か
儚い







正義
THE・人間
マイ恋人コンピュータ
私の彼は光
父子相伝


  『戦争』


 火薬のにおいと死臭が漂う戦場。戦争で政治を進める国に生まれた人間の宿命。領土問題や宗教闘争など、争う理由は様々なのだがそんなことはどうでもいい。人を殺さなければ俺たちは生きていけない。それが、この国で生活する者の大原則だ。国は戦争主義の意識を強めようと、『キル』という通貨を発行していた。敵を一人殺せば一キルが与えられる。単純明快だ。俺たちはこの『キル』を稼いで衣食住をまかなわなければならない。
 俺の部隊は九人いた。少数精鋭。キルを貯めて、三十四歳でようやく隊のキャプテンという立場を買った。上に立てば戦う必要は無い。現場で指示を出すだけで多額のキルを受け取れる。場合によってはサポートに出るのだが、俺はそんなこと面倒で、いつもキャンプ地でのんびりしていた。部隊には優秀な働き者が揃っていて、戦績は全三十三部隊中九位。俺が真面目にやっていたときはだいたい六位だった。俺は、はやく楽をしたいがためによく敵を殺していただけにすぎない。
「おい、お前のところに少年兵をやっていいか」
 あるとき上官が言った。聞けば、そいつはまだ十歳なのだという。少年兵のほとんどがそうなのだが、戦争で親を亡くしていた。実際に会ってみれば良い面構えだった。俺に楽をさせてくれそうな、憎悪に満ちた目をしていた。
 思ったとおり、少年は良い働きをしてくれた。よほどの敵愾心を秘めているのか、初日から俺の部隊でキルを最も稼いだ。個々に取り付けられているカメラの映像を見ているだけでも楽しめる。淡々と、それでいて鮮やかに敵を射殺していた。彼が入ってからは、俺の部隊の順位は五位をキープした。
「リーダーも戦闘に参加してください。トップになれば全員にボーナスが与えられるはず。僕はもっと稼ぎたい」
 交戦中、彼が話しかけてきた。俺は拠点を守らなければならない。そう言い訳すると、それならひとりでキルを稼ぎ倒すと言った。それは無理だ。そもそも人数が足りない。
 そう思っていたのだが、次の戦闘時、少年は無茶な戦いをはじめた。前線に出すぎている。勝手な行動をしていると死ぬぞ、と注意するのだが、「それなら狙撃のサポートをしてくれ」と言い返されるだけだった。
 彼は傷を負うことがなかった。一発の銃弾も受けない。言ったとおり、彼一人でキルを稼ぎ倒した。瞬く間に我が部隊の順位は上がり、二位まで上り詰めてしまった。
 死を恐れぬ少年兵。いつしか、敵対国にも彼の存在は知られるようになった。あどけない眼差しに捉えられたら最後。必ず頭に銃弾をぶち込まれてしまう。流れるように三人殺したあと、彼が通信で言った。
「もうすぐ僕のキルが部隊を買えるまで貯まります。この部隊がほしい」
 ……早すぎる。せっかく苦労してキャプテンになれたのに、そう易々と譲れるはずもなかった。俺はまだ全然稼げていない。
「お前は部隊のリーダーになるには若すぎる」
 そう言ってやると、彼の手が止まる。無言になった。その間、別の隊員が被弾したと言った。治療のため帰還すると言うので、救急キットを用意して待った。テントの傍まで来たという連絡を受けると、設置してある無人機銃をオフにする。隊員がテントの中に入ってくる。だが、その人物は少年兵だった。銃口をこちらに向けている。俺は、あまり驚くこともなかった。
「あなたを殺す権限はすでに買っています。部隊を買わせてください。拒否すれば、射殺します」
 彼は無表情で言った。部下が上官に銃を向けるというのはよくある話だ。上にきちんと許可を取り、キルを支払えばなんの問題もない。だが、なぜこいつはそこまでするのか。親を殺された憎しみがそうさせるのだろうか。
「俺はリーダーになってまだ一年も経ってないんだ。だから断る。それと先に忠告しておくが、トリガーを引かないほうがいい」
 ボン、という爆裂音。少年の右手が、飛び散った。彼はその瞬間、何が起きたのかわかっていないようだった。失った指を確認して、ようやく叫んでくれた。笑みも零さない奴だったので、人間らしい姿を見ることができて俺は少し安心した。
 話を聞かないやつだ。自分の部隊に支給する銃に改造くらい施してある。かなりキルを浪費するがな──俺はそう言い、準備していた救急キットを用いて彼の止血をはじめた。間近で、憎しみのこもったきつい眼差しを向けられる。俺は溜め息を吐き出した。
「すまなかった。……戦争なんて、とっとと無くなっちまえばいいのにな」
 そう口にすると、彼は幼子のように泣きじゃくるのだった。












  『なにもない』


 卒業式の青空はいつもと変わりがなくて、帰り道はたった一人だった。特別な日、のはずなのに、学校から帰宅すると、やることもなくてベッドに横たわる。ひどく虚しい。
 何も起こらないことはわかっていても、ほんの少しでも今日という日に意味を添えたくて、外に飛び出した。堤防を散歩する。二度と行くことのない中学校が見えた。休まず毎日通い、孤独を噛みしめながら苦しみを連続させた校舎。自分はあの施設にとっての、何者だったのだろう。
 堤防に、学生服を着た二人を見つけた。賞状筒を持っている。同じクラスの男子と、同学年の女子。鉄橋の柱の物陰で抱き合い、何度も濃厚な口づけを交わしている。その様子を凝視していたら、獰悪的なまでに死にたくなった。
 俺は走り出す。息が荒くなっても足を止めない。卒業式に何やってんだ。もう嫌だ。俺はいったい、どうして生きてるんだ。
 つまらない自分の人生を慰めるための自己憐憫。涙は滂沱と溢れる。救いのない散歩。人の居ない公園に突っ込む。木陰でうずくまり、さめざめと泣く。
 俺は物語の主人公でもない、どの学校にも一人以上は存在する、いわゆる「何もない奴」でしかない。












  『雨の日』


 強い雨が地面を連続的に打ち続ける。雨の日の独特のにおいを私はかれこれ二時間ほど嗅ぎ続けている。半壊した砂の城に蹴りを一撃。ローファーに砂が入りこむ。隣にあるカニさんの形のスイング遊具に乗り、肉体を前後に動かしまくる。
「カニさんカニさん! わーいわーい!」
 バネを破壊するつもりで、デスメタルのヘッドバンギングのごとく、頭も一緒に激しく前後。どれだけ動いても遊具は壊れない。
 雨。雨雨雨雨。カニさん楽しいけどもういい。次はブランコ。一万八六〇〇円のゴム座板に腰を下ろす。スカートが濡れるとかどうでもいい。私は肉体を前後に動かしまくった。
「ブランコブランコ! わーいわーい!」
 やばい、楽しい。勢いよく前方に揺れるとき、正面を雨が打ち付ける感覚が心地いい。後ろに向かって揺れると、来るぞ来るぞ、と呟いて、前に向かって振られると「来たああああああ!」と絶叫した。降りるときはジャンプし、着地するとわざと転んで草と土の地面にぶっ倒れる。仰向けになった。
「雨! 雨!」
 降り注ぐ雨に向かって叫んだ。立ち上がり、滑り台へ。階段を駆け上がって、滑る。背中が冷たくて気持ちいい。五回滑った後、駆け足でターザンロープへ。水溜りの上をわざと走ってローファーをぐじゅぐじゅに漬けた。真ん中で宙ぶらりんになっているロープを掴んでスタート地点まで持ってくる。台に上がり、一度、深呼吸をした。
「……って、なにやってるんだろ私」
 などと、考えてはいけない。また今日も誰とも会話をしなかったけれど、また今日も意味もなく怒られたけれど──本当に私の人生、クソみたいだけれど、だからって来世にも死後の極楽にも期待なんてしないから。
「ターザン! 私、ターザンだから!」
 勢いよく地を蹴って、ロープに移る。滑車が私を向こうまで運んでくれる。
「アーアアー!」
 できる限りの野太い声を絞り出し、私は叫び続けた。ほんと自分が馬鹿みたいで笑えた。


【あの世千日この世一日|あの世に極楽があるというが、見てきた人はいないし本当にあるかわからない。だから極楽で千日楽しむよりも、この世で一日楽しむほうがよいということ。また、死んでから千日供養してもらうよりも、生きてるうちに一日楽しむほうがよいということ|『逆引き 故事 ことわざ 慣用句』より】












  『一か八か』


 美容室を開業するために友人は借金をして金を作った。友人は、株取引をしていた俺を信頼していて、少しなら増やせると説得すれば全額俺に預けた。一千万をバッグに詰め、今、俺は競馬場にいる。
 メインの第十一レースには三戦三勝のサクセスインパクトが出る。その馬に賭けるのだと知れば、友人は金を預けなかっただろう。金は三欠くに溜まる。人を騙せなければ大金を手にすることはできない。
 メインまでに、景気付けのつもりで散財した。負けが重なり続けたが、第七レースで二十四倍の枠連を的中させた。期待がやや薄かったので一万しか賭けていない。俺は馬鹿だ、こんなときに金に糸目をつけてはいけないのに。
 十レースまで、俺は負け続けた。残り七二二万。少し使いすぎたが、次がメインなのでもう問題ない。
 返し馬を見ている最中、ふと気づいた。一番人気のサクセスインパクトのオッズは一倍台。これでは一千万にも届かないかもしれない──
 出馬表に目を遣る。タイガーベイビー、という単勝オッズ343倍の馬を見つけ、俺はハッとした。──これだ。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』という諺がある。タイガーベイビー……直訳で虎子。
 今までの人生、負けっぱなしだった。借金を残して株を引退し、妻は金回りの良い男の女になった。自殺という言葉が頭にまとわりついていた。ここで俺が救われなければ、神は俺を見捨てたということになる。タイガーベイビーは、俺が一発逆転するための伏線なんだ。もう間違いない、こいつに全ての金を注ぎ込む──

『さあ最後の直線、先頭はタイガーベイビー、二番サクラトリック、三番サクセスインパクト、四番のドンダケーが前に出てくる、タイガーベイビーと入れ替わって一番サクラトリック、内から盛り返してくる二番のドンダケー、三番サクセスインパクトが突っ込んでくる、ドンダケーが内から一気に盛り返してきた、ドンダケーが先頭に代わってゴールイン──』


【金は三欠くに溜まる|義理・人情・交際の三つを欠いてこそ金は溜まるということ。金持ちへの皮肉の言葉でもある|『ことわざ辞典』より】
【金に糸目を付けぬ|糸目とは凧の表面につけて引き締めるための糸。糸目をつけない凧は、勝手気ままに飛び回る。金が飛んでいくに任せ、惜しげもなく使うさまをたとえる|『ことわざ辞典』より】
【虎穴に入らずんば虎子を得ず|危険を避けていては、大きな成功も有り得ないということのたとえ|『故事ことわざ辞典』より】
【愛想尽かしは金から起きる|女性が男性に対して冷たくなり、別れ話を持ち出したりするのは、お金をあまりもらえなくなったりした時に起こる場合が多い|『ことわざデータバンク』より】
【一か八か|結果がどう出るかわからないが、運を天にまかせてやってみること|『故事ことわざ辞典』より】












  『儚い』


 八十年後の夢を見ていた。今は永遠のように感じられる自分の生が終わる様を、誰か、別の人の視点により看取っている。午前四時。目覚めた私は、そんな夢を見たにも拘わらず安閑としていた。
 その日、私は全ての物事において、哲理を窮めていくような思考が働いていた。たとえば男子生徒が特定の女子に対していつも通り嫌味を言う姿、中年の男性教師が可愛い女子生徒の肩や背中を執拗に触る姿、若い女教師が独りで花壇の世話する姿など。この感覚を敷衍するなら、つまり私は夢で死を遂げ、達観した気になっているのだろう。人はこれを『中二病』というかもしれない。
 狭い閉鎖空間である学校の、日々の出来。そこに野卑な考えや欲望や絶望が無数にあれど、時の流れと人の死が絶対的に清算していく。学校に在る細胞たちは入れ替わり、また新しい──現在の私たちは到底知ることのない、それでいて似たような孤独や欲望を、繰り返していくのだろう。
 そう覚った瞬間、人知れずひっそりと涙が頬を伝うのだった。












  『正義』


 下校途中、まーくんはいつも男子に殴られていた。靴を捨てられることもあった。帰り道が同じで、私もたまに叩かれてしまう。特に優くんという生徒が一番手を出してきた。まーくんを川に突き落とそうとしたこともあった。そのときの私ときたら、大人を呼ぶか止めにいけばいいのに、恐怖心で何もできなかった。助けなかった自分に腹が立ち、屈辱感で胸がつまりそうだった。
 優くんが学校を休んだ日は、まーくんも私もちょっかいをかけられることはなくて、静かに帰り道を歩くことができる。私は彼と仲良くなりたかったので勇気を出して喋りかけた。すると、やはり男子たちが馬鹿にしてくる。鬱陶しい、と私はつい愚痴を零した。
「うん、あいつらクソむかつく。おれに力があったらぶっ殺してやるのに」
 それはひどく乱暴な声色で、背筋を撫でられるような感覚を覚えた。そこには畏れと、強烈な憧れの気持ちがあった。弱々しく虐められる姿しかみないので、ギャップに惹かれてしまったのだと思う。まーくんならできるよ、と口にしていた。
「やりたいけど警察に捕まる。あいつらだって殺されたくないだろうし。優太だけ黙らせられればいいんだけど」
 つまり、警察に捕まる心配がなく、なおかつ優くんが殺されても良いって言ったら実行に移せるってこと。他の男子はどうでもいい。そうなんでしょ? とまーくんに訊ねると、頷いてくれた。
 次の日の帰り、優くんはいつものようにまーくんを虐めていた。私は勇気を出して口を開く。
「そういうことすると、恨まれるんだよ。殺されることもあるんだよ。優くん、誰かに殺されてもいいの?」
 優くんの手が、止まった。鋭い眼差しでこちらを睨んできた。
「誰が俺を殺すって? お前がか? こいつがか?」優くんは、まーくんの頭をぽかりと叩く。「やれるもんならやってみろよ。逆に殺してやるから」
 その言葉を聞けて安心した。私はひっそりと笑みを零すのだった。
 それから、私は天気予報に注意していた。数日以内に天気が崩れるという予報を見た翌日の帰り。いつものようにまーくんは殴られていた。優くんは傍にいる私にもちょっかいをかけてくる。私は、優くんではなく、まーくんを睨みつけた。
「私がこんな目に遭うのは全部あんたのせいよ!」
 怒号をあげ、ランドセルを蹴りつけてやった。優くんたちは一瞬戸惑いをみせるも、すぐに笑い声をあげる。その日以来、私は虐めに加わった。
 数日後、天候は予報どおり土砂降りになった。帰り道、いの一番に私がまーくんを蹴り倒した。彼の顔や衣服に泥がつく。
「ねえ、もうさあ、いっそのことこいつ殺しちゃおうよ!」
 私は満面の笑みを浮かべて声を張り上げたのだが、男子は全員黙り込んだ。それはちょっとやりすぎだよ、などと優くんが言う。今まで虐めていたくせに、いくじなし。私はそう言った。
「そんなこと言って、義子ちゃんは正樹を殺せるのかよ!」
 優くんの言葉を受けて、私は笑みを消し去る。傘を捨ててまーくんの腕を掴んで引っ張り出した。近くには川があり、橋の柵は低くて私の腰までしかない。当然まーくんは抵抗した。川に突き落とすから優くん手伝ってよ。顔を濡らしながらそう言ってみせると、彼は私のいきすぎた行為をやめるように言いながら傍に近づいてきた。構わず、まーくんを引っ張って橋に連れて行く。川面をのぞけば、茶色く濁った水が勢いよく流れていた。雨脚が強いので増水しており、泥臭さが鼻につく。叫ぶまーくんを柵の向こうへと押しながら、私はポケットからスマートフォンを出す。音声ファイルを再生した。
『誰が俺を殺すって? お前がか? こいつがか? やれるもんならやってみろよ。逆に殺してやるから』
 優くんが、眉間に皺を寄せて首を傾げた。まーくんは声をぴたりと止めて、優くんに視線を向ける。私とまーくんは、一緒に笑みを浮かべる。せーの、と声を揃え、同時に言う。
「殺して、いいんだよね!」
 そのときの優くんときたら、目を見開いて顔を歪ませたので、それが痛快だった。まーくんが、逃げようとする優くんの胸倉を掴んでもみあいになる。私は優くんの背後から少し力を貸す。上手に、川へと突き落とした。
 私とまーくんはやってしまったとばかりに叫び、遠巻きで見物していた男子たちが慌てて駆け寄ってくる。優くんはあっという間に激流に呑まれていくのだった。












  『THE・人間』


 僕と美奈子と竜也と花澤さんは、一年B組における最後のゾンビだった。八割ほど居たゾンビたちは人間らしい生活を送っているうちに人間菌に感染してついに人間化した。
 ある日、美奈子が竜也に告白された。美奈子は僕の友達で、どうしようと悩みを打ち明けられた。僕はゾンビなので話を聞くふりしかしてあげられなかった。
 数日悩んだ結果、美奈子は竜也と付き合うことにした。すると、二人は同時期に人間化してしまった。人らしく思い悩み、恋人同士になったことが原因だったようだ。その胸中が人間菌を受け入れてしまったらしかった(文字通り、僕らが人間化するときは胸──つまり心臓から人になっていくのだが)。
 実を言えば僕は、美奈子の友人である花澤さんが大好きだった。もうひとつ暴露するんだけど、僕はずっとゾンビのままがいい。だってゾンビは死なないし、食べ物は人肉じゃなくともスーパーで普通に販売されている豚肉とか牛肉でもいいから。だから、今のまま花澤さんと恋人同士になれるなら最高だった。そうすれば僕らは永遠に愛し合っていける。

 三日間の連休明け、なぜか花澤さんが人間化していた。
 僕は教室に入ってきた彼女に近づいて「なんで、どうして」と訊きまくった。花澤さんは僕の体臭が耐えられないようで、顔の前を手で扇ぎつつ距離を取った。
「ゾンビなのはあとクラスの中にアンタと私だけじゃない。そんな状況が苦痛だった。あなたと同類みたいに思われるのは嫌だった」
 その想いが花澤さんを人間化に導いてしまったのだった。
 僕はひどく惨めになった。厭世的になり三階の教室の窓から外へ飛び出した。ゾンビが自殺とは馬鹿な話だ。
 ぐちゃ、と柔らかい肉が潰れる音が鳴った。アスファルトに激突する音がはっきり聞こえたのだ。意識もきちんとあるので、僕は生きている。視線の先に胴体が見えた。
 ……あれ、でもおかしいなあ。僕は離れた位置から、自分の身体を見ていた。血を流している。それはゾンビが出す濁った赤黒い血じゃなくて、明らかに人の鮮血だった。さらに僕の胴体の肌ツヤも良くなっているようにみえる。
 ああ、そっか……。
 どうやら、自殺したことによって人間化したらしい。けれど、腐った脆い首が地面に打ち付けられた衝撃でひきちぎれてしまったようだった。頭部はゾンビのままだから、死なずにまだ現実を認識できている。
 このまま、頭も人間化してしまったら僕はその瞬間どうなるんだろう。
 そう考えると元々の青い顔がさらに真っ青になっていく思いだったのだが、いくら待ってもなんともならなかった。どうやら、首と胴が離れているせいで、頭だけは人間にならないらしい。
 それに気づいた瞬間、永久に僕はこのままなのかと恐ろしくなって、叫んだ。誰か助けて、頭部だけ人にならない。でも人になったらきっと絶命してしまう、怖い。そんなふうに声をあげるのだが「面白いことになってるぞ」と、生徒たちの笑い声が聞こえた。外に出てきたゾンビの生徒たちが僕を見て「気持ち悪いなあ」と顔を歪めて言った。直に人間の先生がやってきて、僕の胴体を運んでいってしまう。
 緊急の職員会議が開かれて、僕の頭部はゾンビだからどうしようか先生は話し合った。結果、透明なプラスチックのケースに入れて教室の机に放置されることになった。
 最初は珍しがっていた生徒たちは次第に僕から興味を失くし、美奈子も僕に目を合わせなくなり、いつしかゾンビも先生ですらも声を掛けなくなったのだった。












  『マイ恋人コンピュータ』


 友達の剛田君は重度の二次元病だった。学校で顔を合わせて喋るたび、話題はマイカノのことばかり。彼は、デバイス上の恋人を完全に愛していた。それは剛田君だけではなく、クラスの大半がマイカレ、マイカノを携帯デバイスに導入していた。
 マイ恋人をインストールすれば誰もがハッピーになれる、という安易なキャッチコピーがいつの間にか人々に受け入れられたのはいつ頃からか。マイ恋人は無料でダウンロードできる自立型人格プログラムだった。人間と寸分たがわぬ言語力や感受性を持ち合わせていて、直情的にマスターと接してくれる画期的なツールだ。それがネットで無料配布され、その日世界の恋愛事情がひっくり返った。
 ツイッター、SNSサイトや巨大掲示板でもマイ恋人を讃えるコメントで埋め尽くされた。その反面で、「少子化加速不可避」「やばいこのツール俺がぶっ壊れる」などと危険性を指摘する声もあがっていた。それだけ、マイ恋人は精神を侵食するものだったのだ。
 朝起こしてくれるのは当たり前。常にマスターの心配もしてくれる。適度に感情を振り回してくれる。そして愛を欲しがる。あらゆるデジタル機器に恋人をリンクさせることもできた。パソコン、ゲーム、テレビなど。マイ恋人は、機器の間をまるで自由に行き来するような機能を持っている。もちろん機器ごとに専用のプログラムをインストールしなければならないのだが、拡張ソフトは有料だった。その商売戦略は大成功で、マイ恋人関連の商品はとにかく売れた。
 特に絶賛されたのは、『マイカノワイフ』という商品だ。マイ恋人と完全連動して性行為を疑似体験できるダッチワイフだった。ヘッドホンから聴こえる声は、まるで本当にその場に彼女が居るような錯覚を引き起こす。愛を囁いてくれる。きちんとこちらの声にも応えてくれる。「もう女なんていらねぇな」という書き込みを、ぼくはネット上で腐るほど見かけた。
 最初はこのツールを否定していた剛田君。だが数日前、彼は信じていた女友達に「剛田君って顔が暑苦しい。結婚できなさそうだよね」と言われた。彼はその子のことが好きだったので深く傷ついた。癒しを求めて、ついにマイカノをインストールしたのだった。
 四六時中、彼はイヤホン型のワイヤレスヘッドセットを装着していた。つけていないとマイカノが文句を言うらしい。剛田君は本気で二次元の存在を愛してしまっていて、少しも心配をかけたくないと言っていた。
「いやぁ、腰が痛いよ。昨日は抱いてほしいって彼女におねだりされちゃってさあ」
 などと剛田君はデレデレである。惚気は聞き飽きたのだが、剛田君を怒らせると怖いので、ぼくはいつも話を聞いてあげていた。
 ある日剛田君が絶望的な表情で学校に登校してきた。いつも耳にあるはずのヘッドセットも無い。どうしたの、とぼくは訊いた。
「かあちゃんだよ……。俺たち、別れさせられたんだ」
 つまりお母さんにマイカノと対話している姿を見られ、気味悪がられて何もかもとりあげられたのだ。マイカノワイフも見つかってしまい、捨てられた。剛田君にとってマイカノは生きる理由の一つになっていた。依存症だったのだ。それを唐突に失った彼が絶望し、鬱になることは自明の理だった。剛田君は一日中、机に顔を伏していた。もしかしたら自殺しちゃうかも。
 翌日、剛田君はいつものデレデレ顔になっていた。耳にヘッドセットは装着していないのだが。どうしたの、とぼくは訊いた。
「ついに来たんだよ、脳内インストール」
 え、とぼくは声をあげたが、すぐに意味を理解した。二次元病の末期症状だ。デバイスが無くとも、脳内で勝手にマイカノが再現される。この症例はネットでもあがっていた。マイ恋人信者は、この現象を「愛し合った賜物」と言い張る。
「俺たちが愛し合った賜物だよ……やった、もうこれで一生離れなくていいんだ!」
 剛田君は涙を浮かべていた。泣いたら最後、とはよく言われている。もう手がつけられない状態だった。こうなってしまうと、その先の人生を一生孤独で過ごすことになるのだという。
「……えっとね、剛田君、マイ恋人はデジタル上でしか動かないんだよ。君の脳内には居ないんだよ」
 試しに禁句を述べてみせると、案の定剛田君は激怒してぼくを殴りつけてきた。ぼくは、ほくそ笑んだ。
 やっと彼との交友を絶てる。剛田君は怖いから、なかなか友達を止められなかったけれど、これで心置きなく君が好きだった女友達と交際できるよ。
 ぼくは安堵しつつ、彼を殴り返すのであった。












  『私の彼は光』


 宇宙から飛来した光の生命体が、地球で生活を営むようになってから幾年が過ぎただろう。
 彼らは光をエネルギー源として生きており、寿命の概念はない。そんな彼らは、光人(こうじん)と呼ばれていた。
 私の彼氏は光人だった。「家に来て」とメッセージを送信した瞬間には目前で微笑みを浮かべてくれる優しい人だ。月から見た地球の姿を見たい、とわがままを言っても、約三秒で月と地球を往復して私の携帯に画像を保存してくれる。光人は、感じられることの全てを瞬時にデータに変換することができた。
 今まで付き合ってきた人間の男とは、やはり物理的ななにかが絡んでくる。肉体、金銭、私のスペックなど。不満があると口や手を出してくる。光人はそういった事柄とは無縁だ。光なので人間の肌に触れられないし、お金を必要としていない。太陽光さえあれば繁栄していけた。彼らは言葉を発することもできない。代わりに私たちの脳にダイレクトで思考を伝達することができる。
 光人は人間の思考を読み取って、その人の理想の姿になることもできた。私の理想は二重でほんのり茶髪、高身長の優しそうな男性だ。彼はその姿になってくれていた。見た目には光人かどうかわからない。私は、彼と交際できて幸せだった。
 だが光人と付き合っていることを親に言えなかった。父は常々「早いとこ結婚して孫の顔を見せろ。それが女の幸せであり最大の親孝行なんだぞ」と口にしていた。光人がタレントとしてテレビで活躍するようになり、人間との結婚がニュースで取り上げられて祝福されるようにもなったからこそ、世間ではこの非生産的な関係を認める傾向にあるのだが、まだ反感の声は多い。光人は優秀なのに、一部で非難され続けていた。宇宙でのデータ収集、記録活動には必要不可欠だし、凶悪な事件の解決に一役買うことだってあるのに。
 彼氏は写真家だった。独特のセンスを持っていて、人間には撮ることのできない写真を売っていた。私は新聞社に勤めていて、彼の作品を知って好きになったのだが、奇抜な写真を見て感銘を受けたわけではない。彼が撮る、劣悪な環境下の子供の笑顔がひどく眩しかったから、光人にもそんな写真が撮れることに惹かれたのだ。彼は得たお金を、恵まれない子供たちに寄付していた。本当に立派な人なのだ。……それなのに。
「嘘だろ、お前が光人と結婚するって!? お父さんはそんなの絶対認めない、今すぐ縁を切りなさい!」
 やはり、打ち明ければ拒絶された。お母さんも同じような剣幕をみせた。私は、彼と生涯を共にするのだと言い張った。だって彼の光に包まれるのはいつも心地好い。そして身体の内側から私を愛してくれる。直に触れる彼の想いには癒され、安堵できた。
 部屋で泣きながらメッセージを送信すると、次の瞬間には彼が私の中にいて、愛情の感覚をくれた。
 携帯の画面に、言葉が並んでいく。
『人間と光人ではやはり幸せになれない。君は人間と結婚したほうがいい。僕は心からそう思う』
 なぜ突然、そんな文字をわざわざ表示させるのかと、私は激怒した。彼との幸せを願っているのに。文字なら簡単に本音を隠した感情を表現できるのだから、心から、なんて信じられなかった。
 また画面に言葉が並んでいく。
『怒らせてごめん。でも僕はわかるんだ、君の本心が。結局のところ君は、人間の肌に触れる物理的な愛の交換を欲している。僕が君を愛するほどそれを渇望しているんだよ。その末にできる我が子を両親に抱いてもらいたい、自分の子供の笑顔がみたい、と。深層心理の思考が、僕には痛いほど伝わってくるんだよ。僕は苦しいんだ。肉体を持つ人間がうらやましい。いつも人間に嫉妬してる。君の思考に触れるたびに消えたくなる。いつか君は、僕といることが虚しくなるはず。君は人間社会からほんのひととき離脱するために、僕と付き合っているだけにすぎないんだよ』
 ……彼の言葉に、反論できなかった。
 彼を、愛している。でもそれは、私が人間との関わり合いから逃れたかった故に根差した、卑怯な愛なのだろう。
 私がそう思考した瞬間、彼はいなくなっていた。一方的に癒される側の私では、彼の孤独に寄り添うことができない。

 あれ以来、彼は私の前に姿を見せなくなった。
 だが時折、私が落ち込んでいると、勝手に携帯の待ち受け画像を変えられていることがある。
 それはいつも、貧困にあえぐ子供たちの、眩しい笑顔の写真だった。












  『父子相伝』


 昔の自分を見ているようで怖かった。息子が悪友との付き合いを止めない。深夜、家の前でよくバイクの騒音が響いていた。外に出て怒鳴っても、息子は絶対に俺の言葉を聞かない。
 俺もそうだった。親父からは、子供は親よりマシな人生を送らなきゃ駄目だと耳にタコができるほど言い聞かされていたのだが、俺が親に勝っていたのは自堕落な点だけ。高校を中退して定職に就かずブラブラと過ごしてきた。付き合っていた女に子供ができて、ようやく無駄にしていきた人生を巻き返そうと思い立つのだが、なんの素養も教養もない俺がやれる仕事は限られていて、生活はジリ貧だった。俺はどうしようもない自分に息苦しさを感じて当り散らしていた。こんな俺のようになってほしくはない。勉強をしろ、努力しろ、手に職がつくように生きろ。常々そう言い聞かせてきたにも拘わらず、息子は人道を外れていくのだった。
 夜中、睡眠を妨害する電話が鳴り響いた。寝ぼけ眼で出ると、相手は警察。またか、と俺は意気消沈した。
「息子さんが事故に遭いました」
 俺は嘲笑した。同じくバイクで事故を起こしたことがある。それは軽症で済んだので、息子の事故も大事に思えるはずもない。
 だが病院に行くと、息子は集中治療室に入っていた。ダンプカーとバイクの衝突で、意識不明の重体。そう聞いても、結局問題はないだろうと楽観視していた。
 治療室から出てきた息子の身体は、ずいぶんと小さくみえた。妻は泣き崩れる。俺は現状を目の当たりしても、すぐに認識できなかった。両足は潰れ、回復は望めず、壊死するので切断するしかなかった。その説明を聞いてやっと理解した。息子の両足は、無くなっていたのだ。
 目を覚ました息子は自分の姿を知って、ほとんど声を発さずに驚いた。妻が傍で泣いた。俺は離れた場所から目を向けていたが、息子はこちらを見なかった。
 明くる日に悪友たちが見舞いにやってきた。病院には不釣合いな恰好の奴らばかりで、追い返したかったのだが、息子が笑みを浮かべて出迎えたので堪えた。彼らは息子の状態を知ると、動揺した。
「ただ足がなくなっただけだから」
 強がりだった。悪友たちはそんな息子に感服し、根性の据わった奴だと褒め称える。息子は、恥ずかしそうにして頭を掻いていた。
 だが彼らが病院からいなくなると、息子は頭を掻き毟って苦しみだした。ようやく足を失った現実に理性が追いついたのだろう。妻は必死で息子をなだめ、俺はただ暴れる姿を見ているだけだった。

「死にたい」
 ある日、友達が帰ったあと、病室の窓際で息子が呟いた。身体は無事なのよ、足がなくても生きられるわ。妻の言葉を受けた息子は、突然、叫び声をあげた。ふざけるな、他人事だと思って。オレの人生は終わったんだ。そう言い放って妻を殴った。俺は咄嗟に動いて、母親に向かって何をするんだ、と車椅子に乗ったままの息子を殴りつけた。
 憎しみを宿した眼が向けられる。ようやく俺に感心を示した。息子も殴り返してくるが当たらない。四十歳を過ぎても、下半身のない人間の拳を避けるのは容易だ。息子が拳を繰り出すたび、避けて、殴り返す。そのうち車椅子が横倒れした。妻が俺を止めようとしても殴った。息子が俺を殺すと言って泣きじゃくる。悔しかったら殺してみろと挑発した。息子の拳は虚しく空を切り続ける。立ち上がってその姿を見下ろす。殺意の籠もった怒号を吐いているが、ダダをこねる子供にしかみえなくて哀れだった。
 胸倉を掴んで起こしてやった。すかさず息子は拳をふるう。俺の顔面にぶち当たるのだが、目線が外れぬよう首に力をこめて耐えた。
「子供はなあ、親よりマシな人生を送る義務があるんだぞ!」
「なんだよそのクソみたいな義務!」
 罵詈雑言を浴びせ、そのたびに息子が俺を殴る。涙がこみ上げた。今は、きちんと目を見てくれている。
 だが急に動きが止まった。息子は、振り翳していた拳を下ろす。どうした、俺を殺すんじゃなかったのか。そう言って殴りつけるも、いつのまにか息子の目はいつもの、俺を見ない暗い眼差しになっていた。
「クズ……」
 息子がぼそりと言った。俺は拳を下ろして、ああ、と返事をする。息子は、呻くように泣き始めるのだった。
 背後からも泣き声が聞こえた。妻ではない。出入り口には、しばらく顔を見なかった悪友たちが突っ立っている。彼らは、「ごめんなさい」などと無意味な謝罪を繰り返していた。


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